13、追憶
「お兄ちゃん! 遊びに連れてって!」
幼いローナンがカラドクたちに遊びを強請った。
朝食後、談笑する兄たちに付いて、武器庫まで来たのだ。兄弟は様々な武器の陳列する雰囲気を気に入って、武器庫に入り浸っている。ハルバートや直剣、投剣、ワイヤーのような物まで沢山ある。独特の鉄っぽくて黴っぽい匂いもまたカッコイイ、と感じているらしい。
「ローナン、今日は戦う訓練の日だって言っただろ?」
短髪の、年の離れたカラドクが困ったように答えた。
「連れて行ってやればいいんじゃないか? 今日は自主練じゃなかったっけ?」
髪を伸ばし始めたマードクがカラドクに言った。
カラドクが長男、マードクが次男。
マードクの助け舟にローナンが目を輝かせる。
そして三男のグリフィンが不満を垂れた。ちなみにローナンは四男。
「え~! 次の自主練の日はオレの練習見てくれるって約束じゃん!」
「ははっ、じゃあ僕がグリフィンの練習見てやるから、それで我慢しろよ」
マードクがグリフィンを宥める。
「……カラドク兄さんがよかった」
グリフィンが小声でつぶやいた。
「聞こえてるぞ~!」
マードクがグリフィンを捕まえて、両拳でグリフィンの頭をグリグリした。
「いたい~!」
その様子をカラドクとローナンが笑った。
「おし、じゃあ今日は兄たる俺たちが弟のお前に戦いのなんたるかを教えてやるぞ!」
ローナンは期待に目を輝かせながらカラドクを見た。
「じゃあじゃあ! 今日はぼくも訓練行けるの!?」
「ああ! ローナンは初訓練か、厳しいぞ~」
「ぼくがんばるよ! マードクお兄ちゃんもありがと」
ローナンが、むん! と気合を入れるのを見て、カラドクも微笑んだ。
「その意気だ」
「お兄ちゃんたちって、この辺で訓練してたんだ~」
そこは森の中の開けた場所だった。
丸太で作られた案山子のような物を兄たちは地面に突き立てている。
「これに攻撃して訓練するんだぞ」
ほら、とカラドクは木でできた短剣を放ってよこした。
「へえ~、やってみる!」
案山子に近づくと、えいっ、とばかりに丸太の腹部にカツ、と切りつけた。
「脇が甘いぞ、振りかぶりはこうやるんだ」
カラドクが少し離れた場所から飛び上がり、体を弓なりにしならせてから振りかぶった短剣で丸太の頭を強烈に打ち据えた。
ガツンッ!
太い丸太の案山子が衝撃で振動し、わずかに地面に沈み込んだ。
「す、すごい」
幼いローナンの目にはとてもダイナミックな動きに映ったようだ。
「ローナンもしっかり訓練すればできるようになるさ。こんなのもあるぞ」
カラドクは少し下がると、後方にバク宙しながら鋭く木の短剣を投擲した。
短剣はローナンのすぐ横を通って、案山子に突き立った。
「すごいすごい! 木に木が刺さってる!」
これはつい先日習ったばかりの技なのだが、純粋な賞賛を送る弟のローナンにカッコつけたかったのだろう。
「へへ、だけど基本が大切なんだぞ。ローナンもまずは素振りからだ」
カラドクに基本の型を教えられると、シュッ、シュッと口で言いながら短剣で突きの動きを繰り返す。
しばらくして動きに慣れてくるとマードクとグリフィンが、離れたところで向かい合って練習しているのが見えた。
二人がかなりの速さで突っ込んでいき、衝突の瞬間マードクがフワッと反転した。
するとマードクの背後に抜けたグリフィンが、
「ああ~、や~ら~れ~た~! バタッ」
と首元を抑えながら演技っぽく倒れた。
ローナンには見えなかったが、マードクは反転の瞬間グリフィンの首を切ったのだ。
「マードク兄さんはグリフィンを避けただけじゃないの?」
カラドクにローナンが尋ねた。
カラドクはニコッと微笑む。
「ローナンにもやってやろうか? 向かい合ったら突っ込んできてごらん」
言われた通りカラドクと向かい合って、突進した。
するとぶつかりそうになる瞬間、カラドクが瞬間移動のようにローナンの横に来てローナンの首筋を短剣で切るような動作をした。
なんて巧みな動きなんだろう。
ローナンが勢い余ってたたらを踏んで振り返った。
カラドクはフッと笑みを浮かべている。
ローナンは思い出したように首筋に手を当てると、
「ああ~、や~ら~れ~た~! バタッ」
と倒れこんだ。
練習は午前中いっぱい続いた。
そして太陽が空の真上に来る頃。
「あらローナン、ここにいたのね」
ローナンの母ソルハが、練習場にやってきた。
淡いグリーンのカーディガンに動物模様のロングスカート。スカートは足首まで隠している。艶のある長い黒髪、病弱なほど白い肌、翡翠色の綺麗な左目。幸薄そうなながらも嫋やかで美人なローナンたちの母。
「お母さん!」
ローナンが駆け寄ると母は慈しむようにローナンを抱き寄せた。
「お兄さんたちに武術を習っていたの?」
「うん! カラドク兄さんもマードク兄さんもすごいんだよ!」
ローナンがいかに兄たちが凄いかを、つっかえそうになるくらいの勢いで母に説明する。
ソルハはローナンのキラキラした目を見ながら、微笑んでそれを聞いていた。
「ローナンは子供だな、まだお母さんにべったりで」
グリフィンがつまらなそうに言った。
ローナンがショボン……という顔をする。
「グリフィン、意地悪言わないの」
母が窘める。
グリフィンはそれを聞くとますますつまらなそうな顔をした。グリフィンもまだ八歳、母親に甘えたりない年頃なのだ。しかもローナンの褒める対象にグリフィンが入ってなかったからにはなおさらだ。
「お加減はよろしいんですか?」
カラドクがソルハに聞く。
「ええ、今日はファードルハが問題ないって」
何か問題があるのか、最近体調がすぐれないのだ。
五児の母なのだから、仕方ないのかもしれない。
「それより、もうお昼だから、一緒に帰りましょう?」
屋敷は島で一番大きな豪邸だ。ベザイ家はモン島の地主であり、島のほとんどがベザイの土地なのだ。
モン島の屋敷に戻ると、小さな女の子の声が出迎えてくれた。
「まま!」
ローナン達の妹、小さなグェンエイラだ。
てててて、と一直線にソルハの元に向かい、母親の足に抱きついた。
「ただいま、グェンエイラ。ちゃんとお留守番できた?」
「うん、できたよ」
ソルハが尋ねると、威勢良く言葉を返した。
カラドクもグェンエイラの頭を撫でる。
「へ~、お留守番できたんだ。すごいぞ~」
しかし、家政婦が本当のことを暴露した。
「ふふ、ホントは寂しくてずっと門の前で奥様を待ってらしたんですよ」
「あ~! いっちゃダメなのに~!」
ソルハは微笑みながらグェンエイラを撫でた。
「でも、ママ嬉しい。待っててくれたなんて」
ローナンやマードク、グリフィンもそんな光景を微笑ましく眺めていた。
つまるところ。
ローナン達兄妹は、みな母が大好きで、母を中心に世界が回っていたのだ。
**********
ある日、カラドクが長男だからとファードルハや父ドルナムに呼ばれ、地下の儀式の間に連れて行かれた。
なんでもベザイ家の重要なお役目なんだそうだ。
マードクも何かを知っているようだったが、ローナンには何も教えてもらえなかった。
それからカラドクはみんなと一緒にご飯を食べることが無くなった。
それどころか部屋に引きこもって出てこなくなった。
ローナンが事情を聞こうにも、部屋の前で追い返された。
「カラドクおにいちゃん、どうしたの?」
幼いグェンエイラが夕食の席でローナンに尋ねた。
モン島にあるベザイの本邸は円形の大きなログハウスを四つほど連ねたような木造建築物だ。最近は流行に従って楕円のテーブルについて食事を摂るようになったが、少し前まで古の人々よろしく絨毯の上に座って食事を摂ることも多かった。
「分かんない。ぼくにも教えてくれないんだ。グリフィンは知ってる?」
「いや、聞いてない。でもカラドク兄ちゃんは俺たちの中で一番強いんだ。すぐ戻ってくるよ」
マードクは黙ったまま会話に入ってこない。
そこで部屋にに左目に包帯を巻いたソルハが入ってきた。母もカラドクが呼ばれた日ぐらいに左目に包帯を巻くようになったのだ。大したことはないとのことだが、目の病気だとか。
「カラドクのことは、そっとしておいてあげて」
母は無理した笑みでローナン達にいって聞かせた。
しばらくしてマードクが同じように呼ばれた。
ローナンは偶然その場に居合わせ、廊下の影からその様子を見ることとなった。
「いやだ! いやだよ!」
いつも気取っていて落ち着いたマードクが、ファードルハに腕を引かれるのを全力で拒否している。
「マードク様、きっとマードク様なら成功致します」
「でも、カラドクは……ダメだったじゃないか!」
そこでドルナムがマードクの頰を強く叩いた。
バシッ!
あまりに痛そうな音がしてローナンは目をつむった。
もう一度様子を伺うと、目に涙を貯めたマードクが廊下に倒れていた。
「甘えるんじゃない! これはベザイ家の大切な儀式だ。とても光栄なことなんだぞ!」
そう怒鳴りつけると、ファードルハ翁が持つのとは反対の腕を掴んで翁と二人でマードクを引きずって行った。
カラドクに続いてマードクまで引きこもるようになった。それだけでなく母ソルハまで体調を崩しベットから出られなくなった。
ドルナムが一緒に食事を摂ることはもともと滅多にないためか、食事時はグリフィンとローナン、グェンエイラの三人だけになった。
「最近寂しいね」
ローナンがつぶやく。
「男が弱音を吐くなよ、ローナン。でもさあ、なんかおかしい気がするんだよなぁ、オレ」
グリフィンが何かを考え込んでいるようだ。
「なにがおかしいの?」
グェンエイラもグリフィンに尋ねる。
「何が、ってワケじゃないけど、儀式の間で何かあってからこうなってんだろ? 父さんだってなんかイライラしてるし」
三人は不安を抱えながら過ごしていた。
「グリフィン、今夜儀式の間に来なさい」
久々に兄妹達と一緒に夕食を摂ったドルナムがグリフィンに言った。
「……そこで何するんです?」
グリフィンが尋ねた。
「行けば分かる」
ローナンとグェンエイラは固唾を飲んで成り行きを見ている。
「カラドク兄さんやマードクと同じ目にあうんですか?」
「カラドクとマードクは失敗したのだ。お前なら出来る」
「兄さん達に出来なっかたのがオレにもできるワケないでしょう!?」
グェンエイラもローナンも口を挟んだ。
「グリフィンにひどいことしないで!」
「お父さま、ぼくたちにも何が起こっているのか教えて下さい」
ドルナムはこめかみに拳を当てながら、イラついたような疲れたような雰囲気で答えた。
「ローナン達は知る必要はない。グリフィン、これは努力の問題じゃない。素質の問題だ。お前なら可能性がある」
「どう違うのか分かんないよ」
疲れた溜め息を吐きながらドルナムは返した。
「やってみれば分かることだ」
しっかり応えてくれないと感じたのか、グリフィンはローナン達に向けて言った。
「いいさ、オレが何が起こってるのか見てきてやるよ、ローナン達は待ってろ」
大胆な言葉だが、不安は隠しきれてなかった。
グリフィンもダメだった。
活発だったかつてとは程遠く、髪が白くなって植物状態同然の無反応な寝たきりになった。
母の容態も悪化した。
「次はお前だよ、ローナン」
ローナンとグェンエイラの二人で武器庫で寂しく遊んでいると。マードクが現れた。
脂汗を浮かべ、引きつった嫌な笑みを浮かべている。顔半分を覆うような包帯を左側に巻いている。
「マードク兄さん……」
かつての優しく余裕ある雰囲気は消え、へっへっへと卑屈な笑い声を漏らしている。
「グリフィンは心が死んだ。お前はどおなるかな?」
「どうしちゃったの、兄さん? いったい何があったの?」
「何があったかって? はは、聞いてないの?」
嗜虐心そのもののようなニヤニヤした笑みを浮かべ、包帯を取り始めた。しかし、ニヤついた表情にはどこか神経質な感じも混ざっている。
「こうなったのさ!」
マードクが包帯を取り去る。
ヒッ、とローナンは後ずさった。
「いやぁ!」
グェンエイラもローナンに抱きついて胸に顔を埋める。
やけどの痕のような、皮膚が爛れて肉が直接見えているような醜い左の顔がさらけ出された。その痕は左目を中心に広がっている。
もちろん左目はない。
「おいおい、ひどいなぁ。兄の顔を見てそんな反応するなんて」
一瞬マードクが苦しそうな顔をした気がした。
しかし、また嗜虐的な笑みを浮かべると、
「お前もこうなるんだよ、ローナン! それで、ローナンがこうなったらグェンエイラもこうなるんだ!」
捨て台詞のように叫んで走り去った。
そして、ついにローナンがファードルハから呼ばれた。
さんざん嫌がって駄々を捏ねたが、大人達に抗えるはずもなく、儀式の間に連れ出された。
今まで儀式の間は立ち入ることを禁じられた部屋だった。
地下に位置する場所で、円形の床一面には赤い魔法陣が敷かれている。もしかしたら血で書かれているのかもしれない。暗い部屋の四方に松明のような火が焚かれ、香草のような匂いが充満していた。
「お母さん!」
頭からすっぽりかぶるような暗い色のローブを着た男達に引きずられて、中央に立たされると、部屋の端の方に母ソルハがうつむいて倒れているのが見えた。
母は小さく反応しローナンの方を見た。
「お母さん……?」
ソルハの左目は緑色の炎を上げていた。目の周りは殴られたように晴れ上がり、膿んでいる。
ソルハが口を動かし何か言おうとしたようだが、ローナンには聞こえなかった。
「始めろ」
ドルナムの重々しい声が響く。
いつの間にか大きな魔法陣の外側をたくさんのローブを目深に着た男女が囲んでいた。男は黒いローブ。女は白いローブ。影となって彼らの顔は見えない。
台座が中央に運ばれ、男達がその上にローナンを鎖でつないだ。
「お父さん、何をするの?」
ローナンが怯えた声で、儀式の間の入り口に立つドルナムに聞く。
「お前はじっとしていればいい」
冷ややかに短く答えただけで儀式の進行に目を戻した。
ファードルハがローナンの縛られる台座の横に来て、メスのような細いナイフの並んだ包みを開く。
「何をするの?」
小さな少年の声は無視された。
「ソルハを」
ファードルハが淡々と告げる。
白のローブを被った女達が、見るからに衰弱したソルハをファードルハの側に連れて来た。
「詠唱を」
ファードルハの嗄れた声が儀式の間に響くと、魔法陣を囲む男女が謳い始めた。
よくわからない旋律が朗々と流れる。
その中でファードルハの両手がソルハの顔に伸びる。
「何をするの!」
ローナンが叫ぶ。
ファードルハはソルハの頭を地面に押さえつけて左目を抜き取ろうとしている。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!‼︎」
「やめて! やめて! お母さんが! お母さんが!」
母が獣のような悲鳴を上げて、子が制止を叫ぶ。
ジャリジャリとローナンが暴れて桎梏の鎖が音を立てる。
それらの声に張り合うように、周りの男女の謳が大きくなる。
左目が抵抗するように、一際激しい緑の炎を上げる。
四方の松明がオレンジから緑に変わった。
「おお! これぞ待ち望んでいた……!」
ドルナムが小声で何かを口走り、興奮しているのが分かった。
母は左目を抜き取られバタリと倒れた。
反対の右目は開いたまま。
その目に宿る光彩が消えていく。
「え……?」
ソルハは事切れていた。
まだ幼いローナンは信じられなかった。
受け入れることができなかった。
母が目の前で死んだなど。
母の体から目が離せなかった。
またしばらくすれば起き上がるかもしれない。
そう心が囁くが、幼いながらもベザイの魔術の薫陶を受ける身。母の中から、魂の波動がもはや一滴たりとも流出していないことに気づかされていた。
信じたくなかった。
しかし、ローナンの目からは滂沱の涙があふれ出した。
心がどんなに否定しても、ローナンの肉体は母の死を感じ取ってしまったのだろうか。
そんなローナンにファードルハが近寄ってきた。
母の燃える左目を掴んだままだ。
「いや、いやだいやだいやだ! だれか、だれか助けて!」
ファードルハが台座の横に立った。
目深なローブから内側が見える。
この老人は嗤っていた。
生理的な嫌悪感が身体中に流れる。
身をよじってなんとか抜け出そうとするが、翁が口の中でもごもごと何事か唱えると、ローナンの全身は動かなくなった。
全身の筋肉が引きつったような感覚だ。
老人が母の目を持つのとは逆の手でローナンの左目に手をかける。
ローナンの心臓は内側から肋骨を叩くようにドクドクと暴れ出した。全身から嫌な汗が噴き出し、悲しみから恐怖に変わった涙が吹き出す。
「ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!」
絹を裂くような変声前の高い声が歌声と和唱する。
周りの謳も最高潮に達したようで、白黒の男女があらん限り声を張り上げているようだ。
ブチッ。
視覚の半分が無くなった。
左目の眼窩に血が溜まっていくのを感じる。目の奥の激痛そのものから血が出ているようだ。
ファードルハが嬉々として母の目をローナンに近づけた。
身の毛もよだつ魔力。
顔に近づけるほどにゾワゾワとした悪寒が背中に走る。
左眼窩の瞼を押し広げて、チュプ、と翁が緑に燃える目を嵌めた。
ローナンは声にならない悲鳴を上げて気を失った。
その薄れゆく意識の中で、左目に美しい金色の髪の少女が見えた気がした。
次回、10月22日です。