11、課せられる試練
「お加減は如何ですかな、ローナン坊っちゃま」
ローナンが墳墓から出るとファードルハに尋ねられた。
「問題ない」
返事を聞いて老人は頷いた。
「そういえば、モン島に参った理由をまだお話いておりませんでしたな」
グェンエイラは静かに聞いている。
「ここに来た目的。それはローナン坊っちゃまがさらなるお力を授かるため、坊っちゃまに試練を与えることなのです」
「試練……」
老人の皺の多い醜い顔からは感情が読めない。
「船の上では、かつてこの島で起こったドルイトの虐殺と隠されたネメトンのことを話しましたな。試練の内容は至極単純。そして、恐らく、坊っちゃまがこの『黒き森の中の丘』で感じた疑問を解消する手助けとなりましょう」
「それで、その内容とは?」
ローナンは半ば予想できていたが尋ねた。
「ご自身でネメトンの在り処を探すことです」
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昨夜は近くの農商の家に宿を借りて一夜を過ごした
粗末な家の、屋根があるだけで野宿とあまり大差ないような床の中で、あの墳墓の中で見た夢まぼろしのような光景を思い返しながら眠りについた。
今ローナン一行は、まだ青さの抜けない一面の麦畑の中を進んでいた。
澄み渡った空が心地いい。
モン島は肥沃な平野が広がっており、国にとって”パンの籠”と言われるほどの穀倉地帯だ。モン島全土でコムギ、オオムギ、エンバク、ライムギなどが育てられている。
「あの……」
グェンエイラがローナンにきいた。
「ネメトンとはどのような宝物なのでしょうか?」
ファードルハとグェンエイラは会話しない。ファードルハはベザイの血を汲む傍系出身の家臣で、グェンエイラはただの使用人という関係。しかし、少なくともこの二人が話しているところをローナンは見たことがなかった。
なぜかお互い存在しないかのように振る舞うのだ。
必然、グェンエイラとの会話はローナンが受け持つことになる。
「ネメトンはモノじゃない。ドルイトの神聖視する『場所』だ。神秘の森であり、中心にはヤドリギの絡まる聖なる木がある場所……らしいね」
ローナンも見たことはない。
しかし、ふっと記憶の奥に荘厳な森の中のイメージが過ぎった気がして立ち止まった。
「ローナン様?」
グェンエイラが様子を窺ってきた。
ネメトンなど行ったことはないはずだ。見たこともないはず……。
朧げなヴィジョンだった。
ローナンは記憶の深淵に意識を沈めるように探ってみた。しかし、もうさっきのひらめくような感覚は、手の指の間から乾いた砂がこぼれ落ちるように消えていった。
「いや……なんでもない」
心配する素振りを見せるグェンエイラに、なんともないと手を振って伝えると再び道を歩み始めた。
整備された畦道を行く。
均されて歩きやすいこの道は、ローマ軍の作った道だ。ローマの神やキリストは秩序の神だ。対して古来よりここに住み着いていたドルイトの教える神は混沌を愛する。メナイに近い場所ほど秩序だった道や方形の家が多く、進むにつれて整ってない道や、円形の藁葺き屋根が多くなる。
ローナンは当て所なく歩いていた。
老人と侍女が何も言わず、それについてくる。
ネメトンの場所など分からないのだ。大気や大地に流れる魔力を探ってみても、おかしなところなどない。
ファードルハ翁は自分が示せる手がかりは『黒き森の中の丘』だけ、と言っている。
あの暗い小部屋で得たものは断片的なイメージのみ。
ネメトンの在り処を示すものはなかったように思う。
少し先の道の脇に一つの巨石が見えた。
これも古代の遺跡だろう。縦長の岩が、横たえているならまだしも、そそり立っているのは意図があってのことなのだろう。
その巨石を通り過ぎようとした時。
既視感を感じた。
はっ、と振り返って巨石を凝視する。
やはり見たことがある。
ファードルハもグェンエイラもローナンの様子に何かを感じたのか、話しかけてこない。
近づいて、雨風にさらされ続けた巨石に触れてみる。
目の前が真っ白になった。
誰かと手をつないでいる。
暗い小部屋で見たのと同じ感覚だ。
手のひらから伝わる温かいぬくもり。
その人は女性だ。
黒髪に……顔はよく見えない。
手を離してこの巨石の上に登った。
女性が下から優しい声をかけてきた。
何を言っているのかは分からない。
しかし、目元が一瞬見えた気がした。
彼女の目は綺麗な翡翠色。
再び目の前が真っ白になり、立ちくらみが治るように視界が戻ると、ローナンは巨石に手を触れたままだった。
「僕は……どれくらいこの岩に触れていた?」
「どのくらい、と言われても私めにはたった今、触ったようにしか見えませんでしたが?」
ファードルハが答えた。
グェンエイラも首を傾げている。
「……そうか」
二人に今のが見えた様子もない。
だが、今のイメージは『黒き森の中の丘』で見たものと同じくらい鮮明で強いものだった。
ここでローナンはネメトンへの糸口を見つけた気がした。
ローナンには二つの仮説があった。
一つはあの記憶が左目に宿る異形のものである場合。
もう一つはローナンの前世の記憶である場合。
この二つならローナンに記憶がないことも納得がいく。
ドルイトの教えの中には異界と転生があると聞いている。
教えのほとんどは逸失してしまったが、部分的に今日まで伝わっているのだ。
異界。アヴァロン。
あのイメージが左目の異形のものなら、異形との対話、または異界とネメトンのつながりから隠し場所を導けるかもしれない。
『黒き森の中の丘』から異形とのコンタクトはない。いつも通り力は使えるが意思疎通はできない。
墳墓ではあれっきり何も起こらなかった。
輪廻転生。
イメージが前世のものだったとしたら、転生前の記憶の中にネメトンの在り処が見つかるかもしれない。
重要なのはモン島に散らばる巨石群だ。
この古代の巨石群は魂に働きかけて霊性を活発化させる可能性がある。
そうでなくとも『黒き森の中の丘』とこの巨石、明確なイメージが見えた両方が古代の遺物なのだ。
これを手掛かりに記憶を呼び戻す。
沢山の自然に囲まれたモン島の景色を見据えながら方針を決めた。
幾日が過ぎただろうか。
ローナン一行は島の様々な場所に赴いた。
ある時は大きな入江に行った。
ふかふかとした浜辺を海鳥たちと歩き、ローマ軍の去った後に住み着いたゲール人たちの灯台を覗き、朝焼けに黄金色のさざ波を寄せる幻想的な海を見た。
ある夜は打ち捨てられた古い教会で雨風を凌ぎ、狼たちの遠吠えを聞きながら眠る。
夜が開ければ朝もやが雲海のごとく包む木々の中を行く。眩しいばかりの日の光が霧のプリズムで虹を描いた。
またある凪の時は、広大な貯水池で空と湖とが境なく交わり、足元に青空の雲が流れるのを見下ろす。
春も中頃を過ぎて暖かくなってきたというのに、いまだ氷柱を垂らす地底へ続く鍾乳洞。
白色のベルフラワーが一面咲き乱れる花盛り。
北に遠く紫の雷が落ち、南に星々が燦めく。
芽吹き始めた木々の中のホシムクドリ。木の瘤のように眠る昼のフクロウ。狼のような野良犬。小リス、野ネズミ、小動物達。
モン島の悠大な自然の中にローナンは色とりどりの断片的なヴィジョンを見た。
そのどれも、あの女性と一緒で楽しそうにしていた。
誰なのだろうか。
仮に前世の、ネメトンを隠したドルイト僧の記憶なら、七百年の昔のこと。
記憶の欠片は満ち足りた気持ちで溢れていた。
雄大な自然の風景に溶け込むように、雨風にさらされた古代の巨石は転々と存在している。
巨石に出会うと予想通りデジャヴと共にイメージが見えた。
そして、次第にイメージの中の自分と女性の来た方角、帰り道の方向がわかり始めた。
モン島中部の東。
モイルフレの近くだ。
ローナンは確かな足取りでドルイトの聖域へ向かい始めた。
次回、10月18日です。