狩りの訓練
(1)
東の空に大きな太陽が突き出している。
僅かに輪郭が滲んでいるのは、大気中に幾分の水蒸気があるせいだろう。
ここ数日、泣き叫ぶような砂嵐も止んでいた。
西の山脈から吹き下ろされる風にも、こころなしか肌を削るヤスリのような砂粒は少ない。それでも恒常的に舞い上がる砂塵は空を覆い、陽光を赤く染めていた。
レタは砂上からゆっくり身体を起こすと、目を瞑ったまま砂を軽く払って顔を回した。
出来る限り肌の露出を押さえた麻布の長衣を纏い、頭と顔の下半分は同じ麻布を巻き付けて隙間無く覆っているが、目だけは隠すことが出来ない。瞼に当たる陽光を追って東の方角に顔を向け、睫毛の砂を払うように数回瞬かせてから大きく目を見開くと、赤い太陽と朱に焼けた空が瞳に入る。
その眩しさに、レタは思わず目を細めた。
砂塵の舞う空を突き抜けた陽光が、砂漠を染めている。
砂嵐に運ばれた砂丘、その上に風が美しく織り上げた風紋。
砂の襞を朱の光と黒い影が染め上げて、そこに艶やかな絨毯を現出させていた。
「ふふっ、綺麗…」
巻き布のフードの下で笑みがこぼれる。
それは、レタの心に余裕が出来た証拠だ。
初めは父のタデオに、まだ暗いうちに砂漠に連れて来て貰い、数メートルの高さから飛び降りるという訓練。ただ舟から飛び出すだけの行為だったが、砂混じりの西風と周囲の暗さに戸惑い、怖じ気が身を固くした。地面との距離が掴めず、砂地の柔らかさに助けられた初めての飛翔だった。
…飛翔って言うより、落ちただけだったね。
思い出して、笑みが苦笑に変わる。
それからは、毎朝の様にここに来て訓練を続けた。
数メートルの高さが十数メートルになった頃、やっと飛翔石の扱いにも慣れてきた。
大空に身体を投げ出し、手足をいっぱいに広げて全身に風を受ける。それから腰に着けた小さな石に意識を集中して、飛べ!と強く叫ぶ。
全身で感じる初めての飛翔感。それは空を飛ぶというのにはほど遠い、落下速度が遅くなる程度のものだったけれど、明らかに自分が宙に持ち上げられる不思議な感覚だった。
そして着地。柔らかい砂にふんわりと埋もれる感触。
初めてのその感触を忘れないように、何度も砂地を転げ回った。
…服の中に砂がいっぱい入って、ドーラ姉さんに怒られたっけ。家に帰ってから裸にされて、乾いた布で何度も叩かれて…、それでも、嬉しかった。
大きな太陽と爽やかな西風。
どこまでも赤く染まった早朝の砂漠の景色は、女神の顔だ。
凍てついた大気で硬く強張った素肌が暖められ、安らいだ気持ちが見せる、とろけそうなくらいに穏やかな微笑みの時間。
その景色の中で、風が優しく背中を押してくる。
眺めているレタの気持ちも暖かくなって、自然に幾つかの思い出が溶け出してきた。
父に用事があれば、隣に住んでいるドーラ姉さんが待ち構えていたように訓練に付き合ってくれた。父とドーラの手が空かない時はドーラの弟のジノが、はにかみながら砂漠に誘ってくれた。
毎朝、誰かが声を掛けて来て、暗い砂漠に連れだしてくれた。
その度に舟の高度が上がり、飛翔する距離も長くなる。十数メートルの高さが数十メートルになって、より実践的に銛を持って飛び降りるようになった。
…あっ、銛!
気付かぬうちに思い出のサーフィンをしていたレタは、自分の持ち物を思い浮かべて現実に戻された。
砂漠が優しい顔を見せるのはほんの一時、無慈悲で苛烈ないつもの表情を取り戻すまでの僅かな時間しかない。
その時間の短さを思い出すと同時に、身体に感じる不快さも蘇る。
レタは急いで全身についた砂を払い落とすと、両手に嵌めた篭手を外し、フードの中に手を入れて額に滲んだ汗を拭った。
手の隙間から乾いた風が中を巡り、汗で蒸れた髪から瞬時に蒸気を奪う。
フワッと毛根が立つこそばゆい感覚が頭中に広がって、同時に中身もスッキリとリセットされた気分になる。ついでにフウッと一息入れ緩んだ表情を締めて、再び篭手を付けてからカラビナで腰のベルトに括り付けられた革紐を手繰っていく。
革紐の先には、空中で放り出した銛が結びつけられていた。
五メートル近い長さと直径五センチ程の太さのある銛だが、乳白色の象牙のような素材なので、日光が反射する砂に半ば埋もれた状態では見つけ難い。目で捜すよりも紐を手で引いた方が簡単だ。
確かな手応えと共に、三・四メートル脇の砂がバサッと左右に弾ける。
そのままズルズルと足下まで引きずり寄せ、肩に担ぐために穂先を上にして起こした。
長さからすれば軽い銛でも、小柄で力の弱いレタにはかなりの重量だ。よろけないように両足を踏ん張って身体を支え、銛のバランスを取りながら肩に乗せる。
最後にベルトにカラビナがしっかり留まっているか革紐を強く引いて確認し、これで準備は完了と、もう一度目を細めて上空を仰ぐ。
「レタちゃん。今日は、これが最後だからね」
そこに、後ろから声が掛かった。
いつの間にか、ドーラの乗った舟がレタの脇に下りてきていた。
舟というのは全長五メートル程の笹舟の形をした乗り物だ。
銛と同じ素材のものを船側の縁と船底のキール部分の骨組みに使い、そこに革を張っただけの簡単な構造だが、長身のドーラが艫に背を凭れかけて座っても撓みもしない。それだけで、かなり丈夫な造りであることが分かる。
「ほら、早く乗んなさい。ぐずぐずしてると、日干しになっちゃうわよ」
ドーラは船側をバンバンと叩いてレタを急かした。言葉は悪いが怒っているわけではない。フードから覗いた目が笑っている。ただ、少々気が短いだけだ。
「うん」
レタは簡単に返事を返すと、急いで舟に乗り込んだ。肩から銛を下ろし、穂先を上にして舳先に立てかける。その脇に腰を下ろしながら、ドーラに笑顔の瞳を振り向けた。
「準備出来たよ、ドーラ姉」
「行くわよ」
ドーラはレタの言葉に被せるように声を掛け、拳の親指を立てて合図した。その手で船側を軽く叩くと、同時にフワッと舟が浮き上がる。二人の乗る重さを感じさせない自然な浮揚だ。
「飛べ!」
空中で一度停止した舟は、ドーラの掛け声と共に一気に空へ駆け上がる。
直ぐに、さっきまで眺めていた朱色の絨毯は視界から解け失せて、換わりに砂漠に撒かれた無数の錦糸の襞が浮かび上がる。
壮大な幾何学模様。
その全景を一目で見渡せる高度まで、二人の乗った舟は一息に上昇した。
眼下の模様で高さを測っていたのだろう。ドーラは舟を停止させると、満足そうに頷いてレタに顔を向けた。
「このくらいの高さで良いわね、レタちゃん。最後はこの葉っぱ。これが真ん中くらいまで落ちたら、思い切り飛び出して突くのよ。出来る?」
「大丈夫、任せて」
――これまで何度も失敗した挑戦。
煉瓦や小石のように真っ直ぐ落ちるだけのものなら、空中で追いついて突くことは難しくない。かなり小さいものでも、銛の先で突き通す自信があった。
しかし、ヒラヒラと宙を舞う木の葉。クルクルと渦を巻き、或いは少しの風にもクルリと翻る手応えのない目標物。それを長い銛の先で突くのには、飛翔石に働きかけて身体を瞬時に動かさなければならない。
本物の飛翔だ。
落ちる速度をコントロールするだけでなく、一瞬でも空を翔る感覚が必要だった。
舟を飛ばすほどの大きな飛翔石ならともかく、腰に着けた小さな石ころにそれほどの力はない。空を翔るのは自分の意志の力だ。
今日は出来そうな気がしていた。
砂漠の微笑みを見ているうちに思い出した皆の協力。そして自ら望んだ銛手の訓練。
だから、ドーラの問い掛けに力強く頷いた。
「さあ、いくわよ」
言葉と共に、木の葉が宙に放たれる。
クルリクルリと西風に舞い、翻っては角度を変えてユラリと落ちる。かなりの時間を風と遊び、急に機嫌を損ねてヒラリと風から離れていく。そんなことを何度も繰り返して、木の葉はようやく目標の位置に近づいていった。
「…ハッ!」
視線でじっと行方を追っていたレタは、そこに到達したと思った瞬間、一息飲んで宙に身を投げ出した。
銛先を上にして肩に背負い、両手で持ち手を支えた体勢で頭から突っ込んでいく。
二の腕に付けた風切り笛の鳴き声が、耳元でピィーと甲高く長く伸び続ける。
忽ち、フラフラ揺れている木の葉が目前に迫った。
肩から銛を放し、両手に力を込める。
瞬間、木の葉がユラッと翻った。
…突き刺す!
強く念じた。そして一瞬の移動。
それで充分だった。
木の葉の振れた方向に身体が動き、銛先が木の葉を穿つ。
後は、ゆっくりと空を楽しんだ。先端に葉を付けた銛を右手だけに持ち替え、両手両足を大きく広げて風の圧力を全身に受ける。目の周囲に当たる砂粒が痛いよりも心地よい。
砂丘の一つが大きく近づいてきて、地上だ、と思った瞬間に飛べと叫ぶ。
叫ばなくても身体を浮かせることくらい簡単に出来るようになっていたが、最初の浮揚の思い出が言葉を口に上せた。
銛を放し、身体を丸めて着地。そのまま後ろに倒れて、足へのショックを軽減するのがセオリーだった。
が、西風がフワリと身体を支える。
風に運ばれ、二・三歩前に踏み出して身体が止まった。
「…ふっ、あはっ、あははっ、あっはははっ」
さっきのとは違う笑い。何かが急に込み上げてきて、横隔膜を思い切り突き動かした。晴れ晴れと、お腹の底から湧いてくる開放感。厚い壁を、自分の力で破ったと。
レタは、厳重に巻き付けた鼻と口の麻布に手を突っ込んで外し、笑い声と一緒に顔と頭も大きく解放する。
乾いた風の中、放たれた黒髪の流れに沿って汗の蒸気が昇っていった。
…ドーラ姉さんに怒られるだろうな。
と、思いながら。
「まあ、試験は合格ってわけなんだけどね…」
ドーラはレタの髪にフードの布を緩く巻き、頭を二・三度軽く叩いてから顔を覗き込んだ。少し吊り気味の目が細められているのは、レタを認めた証拠だろう。
「本番じゃあ、そんなに上手くはいかないわよ。周りに舟が何隻も飛んでて、互いに位置がわかるようにカンテラを点けてるけど、銛手が飛ぶとこなんて見えないの。風切り笛の音だけが頼りってわけ」
砂漠から村に戻るまでの間、ドーラの舟に乗って話を聞く。
日が昇り、既に朱色の陽光は消え失せて、ギラギラした照り返しが下方から突き上げていた。頭上からはそれ以上の光線が射し込み、白いフードが眩しいほどだ。
もう東の空を眺める余裕はない。レタは目映い視界に目を瞬かせ、それでもドーラの顔から視線を外さずに何度も頷いていた。
「だから、目だけじゃ駄目。音を聞いてサッと避けるのよ」
今日初めて出来た瞬間の移動。それが銛手になるための最終試験だった。
本番の狩りでは闇の中で何人もの銛手が空を舞う。互いに衝突を避けなければいけないし、避けながらも獲物を突く腕前が求められる。
つまりこの飛翔の感覚を持つことは、銛手としての必須スキルだ。
さっきは嬉しさに大笑いしたけれど、銛手としては序の口に上ったに過ぎない。暗闇の中で風切り笛の音を聞いて身を避け、更に動く獲物を目で捉えて銛を突き通す。銛手なら誰もが出来ることを、これから実践で学ばなければならないのだ。
…でも、実践と言えば本番だし、本番では失敗したくない。
…ドーラ姉さんも、銛手だったよね。
「ドーラ姉。初めて狩りに出た時のこと、覚えてる?」
レタはドーラに自分のお手本になる話を求めた。
「やだ! 言いたくない」
結果は即答で戻った。プイッと横を向いて態度でも拒否を示す。多分、フードの中で口を尖らせているに違いない。
二人の年の差は十歳。レタは六つの時に母のリリアを亡くし,それから十年近くドーラが母代わりを務めてくれた。考えてみれば、今のレタの歳で母親役だったのだ。自分には出来そうもないと思う。有難いとも思う。
でも、ドーラのことを母代わりではなく姉と思うのは、こんな子どもっぽいところがあるからだ。
「どうして? 狩りのことを教えて貰うのは嬉しいけど、どうやって上手く出来るようになったのか、知りたいの」
レタの言葉に、横を向いていたドーラの顔が戻った。その顔色を窺うように、
「…姉は、初めから上手だった?」
と下から覗き込む。
「そ、そんなわけ、ないじゃない。初めての時はガチガチに緊張して……、したわよ」
つい話に乗りそうになったが、慌てて首を振って今更のようにツンと背けるドーラ。
「…緊張して?」
長年のつき合いで、レタもドーラの扱い方は良く承知していた。
「い、いいわよ、言うわよ。…でも、誰にも言わないでよ?」
「うん、約束」
根負けしたドーラに、すぐ返事を戻す。
「もう! レタちゃん、返事が軽い」
ドーラはレタをジッと一睨みして、溜息を一つ。
「…仕様がないか。初めての狩りの時、舟手がタデオだったのは知ってるわね?」
「うん。ジノもそうだったみたいだし、あたしのも、父がやってくれるって」
「そうね。実際のところ狩りの成果は舟手の腕に掛かってるから、初めての時は熟練者にお願いするのが一番よ。タデオの腕は村一番だからね。うん、うん」
「…で?」
「いつから、そんなに意地が悪くなったのかな? 姉さん、哀しいよ?」
直ぐに話が脱線するのは、余程言いたくないことがあったんだろう。少し可哀想にも思ったが、脱線に付き合っていたらはぐらかされて終わってしまう。責めるような半目をドーラに向けながらも、必死に話を逸らそうと足掻いている仕草が可愛く見えて、レタはクスクス笑いを懸命に堪えていた。
「はあ…」
レタの視線はドーラを放さない。小柄で愛いらしい顔立ち、長く癖のない黒髪も、素直な少女というレタの印象を強めている。その一見大人しく口数も少ない少女の中に、かなり強情な性格が宿っていることをドーラは知っていた。
しかし、笑いを堪えているレタの内心までは知りようもなく、もう一つ溜息をついて口を開いた。
――十年前の『狩り』の当日。
それは、レタの母・リリアが亡くなる半年前のことだ。
その日は朝から霞が立っていた。前夜は無風。お馴染みの泣き叫ぶような嵐の音は途絶え、換わりにムッとする湿気に包まれていた。
砂漠の雨季。
西のベタングール山脈から吹き下ろされる風の向きが変わる一月半ほどの間、南方の湿った空気が山脈を迂回して直接砂漠に入ってくる。
季節風に乗って絶え間なく運ばれる雲は、砂漠の熱放射に耐えきれずに昼間にはその姿を大気に散らしてしまう。それでも徐々に吹き溜まっていく水蒸気が上空の寒気に冷やされて、時折、夜から明け方にかけて大地を濡らす。
その程度の雨。その程度の雨季。
この日の朝靄は、その到来を告げる前兆でもあった。
「何でタデオなのよ? リリアだと思ってたのに」
『狩り』は舟手と銛手が一組になって行う。
その相方の舟手がタデオであることを告げられて、ドーラは困惑していた。
訓練では何度もタデオに舟手を努めて貰っていたが、夜、それも厚い雲に被われた月も星も見えない真っ暗闇の中で、二人きりになるのは何とも気まずいのだ。
「私よりタデオの方が操船上手よ。ドーラにもその方が良いでしょう?」
「タデオが上手いのは知ってるけど…。でも、でも、リリアだって上手じゃない。二人で何度もボージュの街への特使を務めてたでしょう。冬場にベタングール山脈を抜けるのは、上手い舟手じゃないと無理だもの」
咄嗟に、交易品を確認する特使として西方のボージュの街に出向いていたことを思い出し、ドーラはリリアの腕前を褒めることで暗に考え直すよう言い募った。
「…ふふっ、有り難う。ドーラに上手って言って貰えて嬉しいわ」
操船の腕を持ち出されては反論もし辛いのだろう。リリアは言葉を笑みに換えてドーラを見つめる。
と、頬を膨らしたドーラの赤い顔。
「はぐらかさないで。あたしはリリアに舟手をお願いしたいの」
ドーラが意地になっているのには訳がある。
タデオは、幼い頃から隣家に住まう兄のような存在。その上、十二歳の時に両親を事故で亡くしてからは、弟のジノと共に二人の世話になってきた。タデオが二十四歳・リリアは二十一歳。若い夫婦なので、ドーラからすれば少し年の離れた兄と姉に面倒を見て貰っているようなものだ。
当然、若い異性が身近にいることの照れもある。が、それ以上に憧憬もあった。
家族同然に暮らしていると言っても、血のつながりがあるわけではない。タデオには妻のリリアがいて、既に二歳になるレタという娘もいるのだが、そのことさえも責任を背負った大人の男性としてドーラの目には魅力的に映っていた。
タデオへの憧憬と、リリアやレタに対する少しの罪悪感、感情を抑えられない自分への嫌悪感。そんなものが一緒くたになって、ドーラの心を揺り動かしていたのだ。
「でもね、タデオもその気になっているのよ。これでミゲルとの約束を果たせるって、張り切っていたわ」
「お父さんとの約束?」
ドーラの父、ミゲル。
皺の刻まれた深い眼窩の奥にある、自分と同じ翡翠色の目。先の曲がった高い鼻梁。一直線に閉じられた薄い唇。まだ四十代には届いていなかったはずだが、日に焼けた皺だらけの肌からは、更に十歳くらい年齢を重ねているように見えた。
その唇の端が上がり、白い歯が見える。目が細められ、翡翠の輝きだけがその奥から自分を捉えた。
…じゃあ、行って来る。
その口から出た言葉と共に、頭に添えられた大きな手の感触。
それが、ドーラの覚えている父ミゲルの最後の姿。
そしてその交易の旅の途中、ベタングール山頂付近の雪崩に巻き込まれて戻ってこなかった。
容姿においてミゲルとタデオに似ているところは少ない。透き通った琥珀色の瞳と縮れた黒髪、何より若々しい肌の張りが違う。それでも、ミゲルの薫陶を受けていたらしいタデオには共通する雰囲気があった。
口数は少ないが、言ったことは曲げない頑固さ。何事にも動じない心の強さ。それは、過酷な環境に生きる男の同質な心の有り様を示していた。
だから、ミゲルがタデオに後を託していたことは想像に難くない。
「そうよ。タデオはミゲルの弟子みたいなものだったからね。『狩り』のイロハを教わった時、ミゲルの子ども達には自分が教えるって約束したらしいの」
そう言われれば、ドーラも納得するしかない。
本当はタデオに舟手をして貰えることは有難い話なのだ。ただ妙に意地を張っていただけで、父との約束を持ち出されれば揺れ動く感情の置き場も定まる。
「分かった。…ごめんなさい、リリア」
自然に口を吐いた謝りの言葉が意地を張ったことへのものなのか、ドーラには整理がつかなかった。自分に向けられたリリアの優しい笑顔が、何かを察したものなのかも…。
――思い出に浸っていたのは、一瞬のことだった。
自分を見詰めるレタの前で、その日の情景が鮮やかに蘇る。今も続いているタデオへの憧憬と、リリアに対する罪悪感。
それを溜息とともに吐き出して、ドーラは言葉を口にする。
「……蹴っ飛ばされたのよ」
ふて腐れたように聞こえたのは、本心だったか演技だったか。
ポツリと漏らした小声に、
「え?」
と、レタは思わず聞き返す。
「だから、舟から蹴り落とされたの!」
「誰に?」
「あんたのお父さん。タデオのやつに決まってるでしょう! あたしが少しだけビビってたら…、少しだけだからね。そ、それで、舳先から下を覗いてみろって言って、言われる通りに腰を浮かして覗いたら、いきなりあたしのお尻を蹴っ飛ばしたのよ。酷いと思わない? 乙女のお尻よ? いきなりなのよ! 酷いでしょう!」
ようやく話す覚悟を決めたドーラは、レタの反応を待って思いきりまくし立てた。
「初めて真っ暗な空を飛ぼうって言うのよ。地面も見えないんだからね。少しくらい震えたって仕方ないじゃない…」
「じゃあ、初めての『狩り』は上手く行かなかったの?」
ドーラの剣幕が尻つぼみになったので、レタはようやく合いの手を入れた。
「じょ、冗談じゃないわ! 蹴り落とされたけど銛は手放さなかったし、ちゃんと軌道修正してバッチリ決めたわよ! フンだ!」
再びプイッと横を向くドーラ。
そこに入ったレタの言葉は、意表を突くものだった。
「…良かったね」
「何がよ!」
「だって、落として貰ったから、上手く『狩り』が出来たんでしょう?」
言われてみればその通り。緊張でガチガチになっていたドーラには、どんな言葉も利かなかっただろう。それでも黙ってそれを認めるわけにはいかない。
「そ、そりゃあ、そうだけど…。でも、お尻よ。十六歳の可憐な少女のお尻なのよ。それを躊躇いも無く蹴っ飛ばす? 普通なら優しい言葉の一つも掛けて、背中かなんか軽く叩いたりして、元気づけるもんでしょうよ」
「でも、それじゃ飛べなかったと思う。…姉も分かってたでしょう?」
ドーラの抗弁は一言で片付けられた。
「うっ!」
絶句して胸を押さえながらレタの顔をチラ見する。そこに笑いを堪えている表情を見つけて、何度目かの溜息をついた。
ドーラは同情を期待していたのだ。レタと一緒にタデオの悪口を言い合って笑いで納める。それがこの話題の予定していた筋書きでもあり、あの日の複雑な感情を洗い流す手段でもあったのだが、レタの反応はドーラの少し上をいっていた。
「…姉さん、レタちゃんの成長は嬉しいはずなのに、喜べないよ。どうしてかな?」
今度の笑いの衝動は、レタには堪えられなかった。