06-春
目が覚めた時、僕は柔らかなベッドに寝かされていた。どこかの室内。昨日見た五十鈴の部屋と同じ間取りだ。無駄に豪華な家具が設えてある。こんなにキンキラで目ぇ痛くならないのかなんて無意味な疑問を浮かべた。
「あ……」
小さく声をあげたのは、確か春と呼ばれた女の子だった。
そそくさとどこかに行き、僕は額を触る。痛い。ガーゼが当てられていた。
春はしばらくすると戻ってきた。パクパクと口を動かし、何かを言いたそうにしている。視線を合わせないように様子を見る。可愛い。
しばらくしてやっと、か細い声が洩れた。
「あの……」
「んー?」
「痛く、ないですか」
「痛いけど、我慢できるレベルかな」
「体調不良とかは……」
「無さそうだよ。きみが手当てしてくれたの?」
「あの、わたしのせいで、こうなったから」
目を伏せる。膝に手を置き、もじもじと動かしている。その仕草は可愛いが、暗い。可愛いのに勿体ない。
「ちゃうよ」
「え?」
「きみのせいじゃない。僕が勝手にしたことだ。気に病む必要はないよ」
「でも……」
「きみが気に病んでると、僕がそれを気に病んじゃうよ。だから、ありがとう。きみの返事はどういたしまして、だ」
申し訳なさそうに膝を見詰めていた目を僕に向ける。小動物と馴れ合おうとする時に似ていた。可愛い。
「あれは僕が、自分のためにしたことだから」
「え?」
「あれで僕は、敵意が無いことをアピールしたんだ。事実、きみは僕に対する警戒心を解いてくれただろ?」
はっと気づいたような顔をした。自覚してなかったのか。可愛い。
「本来なら時間が掛かる警戒心を解くなんて行為を、ものぐさな僕は一瞬でショートカットしたんだ。一種のパフォーマンスだよ。僕が立場を得るためのね。だから、きみが気に病む必要はないんだ」
「でも、わたしが勝手に警戒してたから……」
「僕も勝手に自爆した。警戒するのは当たり前だよ。実際、警戒してたのはきみだけじゃない。きみが勇気を出して挙手した時、何人かは同意するような表情をしていた。マイノリティってわけじゃなさそうだね。僕のパフォーマンスは、その全員に向けたものだ」
こういうことは小細工に走るより、正直に話したほうがいい。
結構便利なんだ。初っ端のパフォーマンスってやつは。僕がどんなやつか印象付けることができる。それは嘘でも構わない。長期的には本性がバレるだろうけど、それまでには慣れるだろう。
「伝わり、ました」
「ん?」
「その、あなたが人を傷付けるような人じゃない、って」
ぎこちない笑顔を見せる。無理して笑ってくれているのだろう。可愛い。
ごめんね、それは間違ってるんだ。騙されやすい子だなあ。将来が心配だ。そんな上っ面の僕は偽者なのに。
「あの、私、浦葉春っていいます」
「あ、ああ。僕は及月クヂオ。よろしくね」
「はい……あの、本当に大丈夫ですか?」
「僕はMだからね。傷付けるよりも傷付けられたいの。だから痛いの平気なの」
お。
くすりと、今度は本当に笑ってくれた。口許に手を当て、目を細めながらくすくすと。可愛い。
その笑顔が可愛くて、もっと見てみたくなる。
「いやマジだよ? 生粋のMなんだから。昔クラスの女子が他クラスの女子にいじめられてる現場を見て割り込んだことがあってさ。やるなら僕にやれ! って。結局殴ってくれなかったけど」
「あはっ」
いい感じ。ちょっと固いけど。可愛い。
女の子は笑顔がいい。例外もあるけど、大半はそっちのほうが可愛い。持論。
「助けた子にさ、お礼になんでもするって言われてね、興奮冷めやらぬ僕は思わず言っちゃったんだ。じゃあ僕をぶってくれって。そしたらその子逃げちゃってさぁ。翌日から避けられまくりなの。あれは痛かったなぁ……主に心が。僕、心が痛いのは好きじゃないんだよ」
「あはは」
「そしたら二、三日後にその子が手紙くれてさ。どうしてもと言うなら頑張りますとか書いてあって、あーこの子もMだって察したわけさ。なんでわかるかって? 僕がMだからね。MがMをいじめてもお互い楽しくないじゃない? 知らない? そりゃそうか」
春はくすくすと笑っている。嘲笑されるのも背筋がゾクゾクして好きだけど、こういう笑顔は別格なのだ。可愛い。
気が付くと結構な時間、一方的にMについて話をしていた。偉大なMの大先輩でありマゾの語源であるマゾッホさんが実はドSだなんて話を面白がる女子は珍しくて、ついMについて話し込んでしまった。可愛い。
なんて話題だ。
最後のほうは彼女も若干引いていた気がするが、総合的にはプラスだろう。
「あ、ごめんね。一人でペラペラしゃべって」
「いえ、いいんです。わたし、口下手だから」
「そのぶん聞き上手じゃない。つい話しまくっちゃったですわよ」
「……」
一瞬目を見開いて、それから笑顔が曇る。
うひょー。
変な事言ったかな。なんて思っていたら、ひくりとしゃくり声がした。
泣いてる。
なんでや。
「え、ちょ、何故泣く」
「ひっ……あ、あの、ひくっ……ごめんな、さい」
「え、あ、別に謝らなくていいけど……え?」
ガチャリと音がして、扉が開いたのはその時だった。
「……何をしたの」
泣いている春と、その前の僕。
一瞬で状況を判断し、マリアは僕に冷たい視線を贈る。五十鈴が意地悪く笑っていた。
誤字にあらじ。