02-ワープ
「約束、確認ね」
マリアはしつこく念を押す。
「あなたには何もしないでいい生活を提供する。日常の範囲から外れることは何一つしないでいいわ。だから、あなたは何もしてはいけない。むしろ何かしたら、それなりのペナルティがあるわよ」
「それでいいよ。で、これ何の勧誘なの?」
金は無い。家にも僕にも。むしろ安心。
「新しい世界」
吹き出したいのを堪えて、僕は神妙な顔を作る。
「世界ぃ? きみってドヴォルザーク?」
「星、でもいいわ」
爆笑したいのを堪えて、僕は怪訝な顔を作る。星だってさ。なにかの比喩的表現? それとも新一?
「あはは、バッカみてえ」
「納得しなさい」
「はい」
納得した。
新しい世界だか、星。イエー。素敵だね。
せっかく納得したというのに、なぜだかマリアは眉をひそめた。
「では、行きましょう」
「どこへ?」
「私達の国へ」
基地にでも連れていかれるのか。楽しそうではある。どこぞの金持ちにでも売られるのだろうか。それはそれでいいのかもしれない。相手を選ぶ権利さえあれば。無さそうだな。それとも国家転覆を企むテロリストだったりするのだろうか。
「今すぐ? ああ、じゃあすぐに荷物をまとめて来るよ」
「必要ないわ」
マリアが僕に手を伸ばす。と思ったら躊躇するように一度引っ込め、それから意を決したように、僕の腕を掴んだ。
「どうしたの?」
「立って」
「なんでさ」
「立ちなさい」
「はい」
立った。
なんとなく気を付けの姿勢になる。背を反らして空を見る。
「目を閉じなさい」
「はい」
目を閉じた。
頭皮に日射しの暑さと、腕にマリアの手。
風が吹いた気がした。頭皮から熱が消える。
目を開けた。
ばっちりと、目と目が合う。
えらく目力の強いマリアの瞳。人の多い場所で全裸になった時みたいな視線を感じる。いい年こいて女湯に入った時よりも多い。
「質問です」
「何?」
「ナニコルレ!?」
思わずいらないルが入る。
眼前にあるのは壁だった。異様な偉容。煉瓦造りの壁。隅には尖塔。格子の嵌まった窓がちらほら。
なんかとにかくでっけえの。
端的に言えば洋風の城、だ。もしくはラブホ。
「ラブホ?」
「違うわ」
振り向きもせず、マリアは城門をくぐる。確かに料金表は無い。駐車場も入り口の暖簾も、跳ね橋も堀も無い。城門の鉄柵の尖ったギザギザが、頭上で僕を威圧していた。恐る恐るついていく。
「ここが新しい世界よ」
馬鹿げたことを、とは笑えない。
「今のなんすか。パネエっすね」
思わず若者敬語になった。
「ワープ? ねえ今のワープ?」
「不快だから、その言葉遣いやめて」
「ってもマジパネエっすよコレマジベェわ。マジベェわ」
「やめなさい」
「はい」
やめた。
あれだと思考に言葉が追い付かない。何も考えないで喋れるのが利点。
思考思考。
「さあ、行きましょう」
くるりと僕に背を向けた。
「ちょま!」
マリアはまず顔だけで振り向き、それからめんどくさそうに身体を向けた。
「何?」
「えと、疑問がとりあえず二つ。いい?」
「許可します。ただし手短に」
「一つ目は、ええと、どうやったの、今の?」
「今の、とは?」
「一瞬で移動、した?」
「ええ、そうね。したわ。方法の説明はしないけれど」
考えられるのは、僕を何らかの方法で気絶させてここまで運んだか、もしくは本当にワープの類いか、だ。前者なら、もしかすると麻酔を使えば常識的に、じゃないか。現実的に説明できる。後者なら僕の知らない新技術が……思考破棄。もしそうなら考えるだけ無駄である。
「ああそう……それで二つ目は、ええと。ここ、どこ?」
マリアの返事は、どうにも要領を得ないものだった。
「ここは私達の国よ」
質問二つは、それで終わってしまった。
どこかに向かって歩き出す。僕もとぼとぼと後に続いた。
大きな観音開きの扉を開けて、城の内部に入り込む。足拭きマットを越えると、床には赤い絨毯が敷かれていた。ふと、誰かが僕を見ていることに気付く。廊下で何人かの女の子が僕の顔を見てヒソヒソ話をしていた。
真っ直ぐ迷いなく進むマリアについていくと、広いホールに出た。そこには三段だけの階段があって、その上に一つの玉座があった。
うわ、馬鹿だ。
RPGの城みたい。
何の躊躇もなく、マリアは玉座に座った。
僕はポツンと、異邦人に相応しい位置に立つ。
マリアは僕をじっと見て、小さく口を開いた。
「まずはようこそ。名前を教えてもらえるかしら?」
「フーテンの」
「真面目に」
「はい」
真面目にする。
ん? それって無理じゃないか?
ええと、僕のプロフィールね。
「及月クヂオ。十六歳の高校二年生。趣味は」
「ようこそ、及月クヂオ。ここは」
「はい、質問」
遮られ、仕返す。
「……許可します」
元気よく背筋を伸ばして手を上げ言うと、マリアは鷹揚に頷いた。
「これ、ファンタジーか何か? 僕はファンタジーでメルヒイェンなワアールドゥにワープでもしたの?」
中世欧州風の城といえば、つまりそういうイメージ。そうじゃなければゴシックホラー。
化け物とか魔法使いとか出てきても、次は驚かない所存。
「いいえ、違うわ」
命令する時以外、マリアの声はあくまで平坦だ。だいたいのキャラクターを把握すると、なんだか突然愛おしくなった。
「ここは城? 舞浜とラブホ以外で、日本にこんなの知らないよ」
「そこから離れて。不快だわ」
「いや外観の話であって別に」
「離れなさい」
「はい」
ラブホから離れる。
「ええっと、それじゃあ、その、なんこれ? どこここ」
疑問を一言で要約するとそうなった。しすぎた気がしなくもない。
「ここがどこか、という質問だけど、答えはわからない、よ」
いきなりの頓挫。わからない? そんなことがあるのか? GPSでも使えばすぐにわかることだ。
「圏外よ」
ポケットに手を突っ込んだ僕を見てマリアが言う。携帯確認。つながりやすさが売りの携帯だ。まさか圏外なんてことが、あった。
「この城に住むのは、あなたを入れて三十三人。全員が女の子よ。あなたは約束通り、誰に対しても何もしないこと」
ああ、そういう意味か。
てっきり、住人は欲しいが詮索は無用、という意味だと思ってた。
「つまるところ、女の子に手ぇ出すなってことでいいのかな」
「その通りよ。あなたは何もしない。それが約束」
マリアはホームに帰って少し落ち着いたのだろうか、饒舌になっていた。
だからだろうか、感じとる。さっきまでは感じなかったもの。
足首にかけた一滴の香水みたいな、ほんの少しの敵意。いや、害意?
初対面なのに、もう僕は彼女の敵になってしまったのか。
「その、この城について」
「うん」
「最初――うん、最初。最初にここに来た時から、ずっとあったわ」
「最初、ってーと?」
「もう二年前、ね。色々あって家出したんだけど。でも行く当てもなくて、公園の遊具の中で。冬だったから、寒くて震えてた。でね、気が付いたらここにいたわ」
意味不明、故に訳不明。説明になんかなってねえ(ラップ調で)。
ズンドコズンドコ。
「わたしは喜んだわ。きっと神様とかそういうのが助けてくれたんだって。ここは誰もいないし、食べ物もいっぱいあって、いつも清潔で、何故かわたしの着ていた服と同じものがたくさんあったわ。どこだかわからなかったけど、逃げ場所には最高だった。しばらくここで暮らしてたんだけど、ある日ベッドで眠っていたら、目を覚ました時、公園にいたわ。最初にここに来た時と同じ公園」
夢でも見てた……わけじゃないだろう。
非現実的なんて今更だ。現象は観測してしまえば事実でしかない。それを疑っても仕方ないのだ。
「時間はほとんど経過してなかった。夢だと思った。でも、ここに来たいと思ったら、また移動できた」
「だから、きみが主?」
「そう。だからその力で、いろんな人を助けようと決めた」
思考回路ショートカット。泳ぐのが得意だからプロ棋士を目指そう。そんな説明。
「それでわたしは、現世……元いた世界で、家出した子とか探して、仲間に入れることにした。もちろん誰でもってわけじゃなくて、一緒にやっていけそうな子だけ」
博愛かと思ったらそうでもなかった。取捨選択って怖いよね。自覚が無いのが最悪に近い。
知らぬが華とかそういうことか。
「そんな具合に、この国では人を増やしていたの」
「アー、ソッスカ」
今ので話が終わりだとしたら、結局何一つわからない。要するに、なんだ。このどこかすらわからない場所で、国を作ることが目的なのか。
「で」
僕は鼻をふくらませてみた。
「なにしたいんすか、アンタ」
「世界作り」
マリアが言って、それからにまりと笑った。それは茎を排除した切り花のような、不安で不安定な笑みだった。
「わたしはここで、理想の世界を作る。それだけよ」
「ア、ソッスカ」
それきり言葉が続かない。マリアは見下ろし気味に目をすがめる。ゾクゾクする。
「……何か質問は?」
「ん?」
「無いの? ほら、聞きたいこととか。何でも答えるわ」
「ねッス」
説明したがっているのが目に見えて、なんだか意地悪したくなる。
「……もう質問は無いの?」
「ウィッス。疲れたんでもう寝るッス」
ジト目には気付かないフリで。
「じゃあ最後に、この国の理念について教えておくわね」
あ、それでも語るんだ。
めげない子。
「女の子だけの世界。それが、わたしの理想の世界よ」