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Ⅴ 想うだけは許して

 どういう経緯で祖父母が琇那を養子にしたのか、琴巳は知らない。

 ただ、フランスに知り合いが居るらしく、祖父宛てに毎夏、暑中見舞いのような葉書が届いていた。琇那に宜しく、と日本語で書いてあって、その人が少なからず事情に通じているようだった。

 琇那にはあちらの血が混じっているんじゃないかと、想像するのは容易い。高校生になっても色素の薄さは相変わらずだった。

 殆ど友人の存在を窺わせない琇那だが、Cなるその異国の知り合いとは、祖父母を介してだけでなく、個人的にも連絡をとっているらしい。それを琴巳が知ったのは、昨年に同居を始めてからだった。

 秋分の日の翌日、ポストに絵葉書が入っていた。細いタッチで描かれた森林風景。裏面に、丁寧な日本語で短い文。

【まだだ。新生活はどうだい?】

 琴巳が琇那の部屋に持って行くと、彼は無言で受け取った。初夏からさり気なく余所余所しくなった同居人は、秋になっても素っ気なかった。

 けれど琴巳は、そんな彼でも渇望していた。

『まだ、って……?』

 葉書に目をやって質問の意味が解ったらしい琇那は、しばらく黙った。彼は距離を置くようになったが無視をすることはない。それは、出会った頃から保たれていた。兄であることを引き受けた彼の、妹弟に示す誠実。

 やがて端麗な唇から、琴巳を焦燥に追い込む言葉がこぼれ出た。

『フランスへ行く日』



 一月下旬の昼休み、給食も終わって教室内は賑やかだ。琴巳は、次の授業の用意を済ませ、小さく溜め息をついた。

「色っぽい溜め息だね、お嬢さん」

 おどけた口調で横から声がかかる。見ると、早稲が立っていて、にやりと笑った。

「ヨリちゃん、どうしたの」

「へへ。国語の教科書、忘れたみたいでさ」

「おやおや」

 琴巳は机の中から教科書を取り出す。

 さんきゅう、と受け取る友人に、思いついて問うた。

「ヨリちゃん、バレンタインにさぁ、お兄さん(センパイ)にあげる?」

「あげない。あたしがあげなくても、そこそこ貰って帰って来るし」

「……そか」

「でも、琴巳んトコは、いいんじゃん、あげたって。まぁ、お兄さん、大量に貰いそうだから、チョコデザートなんかを作ったら?」

「なるほど」

 でも食卓で告白って、どうなんだろう。やっぱり、イベントに乗じようなんていうのが駄目なのかな。

 クリスマスに勇気を出そうと思ったら、琇那は祖父母の家へ早々に帰省してしまった。

 気ばかり焦ってタイミングに惑う。


『旅行?』

 去年、震えそうになるのを押し殺して訊いたら、違うよ、と琇那は静かに応じた。

『俺の居場所は、あちらだから』



 春分の日の翌日、ポストに絵葉書が入っていた。野原に咲き乱れる白い花の写真。思わず裏面に目を走らせてしまう。今回も、日本語の短文。

【まだ。近く、今後について話そう。】

 どうしよう――

〝まだ〟でも、着実に時は流れて〝今後〟へ向かっている。

 もうこの気持ちは口にしない方がいいのか。告げないまま、日本の、いっ時の妹で居るべきなのか。身の程知らずの小娘としてより、生意気な妹として彼の心に残った方が。

 チョコレート味のカップケーキを食べてもらえたのも、ホワイトデーにキャンディーを貰えたのも、妹だったからだ。

 バレンタインデーに、帰宅した琇那は予想ほどチョコレートを持っていなかった。靴箱に入ってた、と言っていたから、やむなく持ち帰って来たらしい。実際のところ、僅かに疲れたような様子だったから、用意されていたのはもっと多かったに違いない。

 いつかそんな中から、琴巳の宝物を独占する人が現れるかもしれない。〝まだ〟でも、〝今後〟は、きっと。妹では手に入れられない物も含めて。

 写真の白い花を見つめたら、どうしてか泣きそうになった。


『もう、日本に来ないの?』

 あの時、泣く余裕さえ無かった。

 誠実が故に淡々と、琇那は台詞を紡いだ。

『多分』



 明日から五月の三連休という日の午後、電話がかかってきた。ちょうど二階の子機の前を通りかかっていたので出る。

 名乗ると、こんちは、と覚えのある男性の声が聞こえてきた。久しぶりだった。去年の七月は頻繁に聞いていた。琇那と彼は発表課題を仕上げる為に、互いの家を行き来していたから。

 こんにちはぁ、と応えながら、琴巳は癖で、保留のボタンに指がのびる。

〔琴巳ちゃん? 江利です〕

「はい。声で判っちゃいました」

 琴巳は、待ってて下さいね、と言いかけた。すると、君に話が、と江利は続けた。

〔今日は、琴巳ちゃんに話があって〕

「はい」

 昨年、加賀家で課題に取り組む日は、琴巳が昼食やおやつを提供した。それ以外の関わりは持っていない。彼等は勉強をしていたわけだから。江利は気さくで、その都度、話はしていたけれど。

 今頃になって、改まって何だろう。

 小首を傾げた琴巳の耳に、江利の真剣な声が響いた。

〔良ければ、君と付き合いたい〕

「は? えと……」

 琴巳は口ごもってしまう。こんな申し出は初めてされた。

〔びっくりした?〕

「や、ヤだ、冗談だったんですか。びっくりしたぁ」

 免疫が無いから、からかわないで欲しい。琴巳は足の力が抜ける。廊下に座り込むと、江利の声が短く笑った。

〔本気だよ〕

「……どっちなんです?」

 ちょっと考えてくれた? と、明るく言って、江利は続けた。

〔俺さ、聞いたかもしんないけど、加賀とクラス別れたんだ〕

 初耳だったが、琴巳は無言で次の台詞を聞いた。〔俺と加賀って元々社会の課題で組んだだけで、二学期からは席も離れたし、後は何も接点が無いんだよ。で、クラス別れちゃって、何となく電話もかけ辛くなっちゃって。琴巳ちゃんに会いたいのに、きっかけ無いし〕

 琴巳は、手が震えた。江利は本気だ。

〔迷ったけど、この際、単刀直入に申し込むことにしたんだ〕

 これだけ真摯な告白を受けたのに、琴巳は琇那のことを考えた。

 嗚呼、やはり想うだけじゃ伝わらない。このままじゃ、琴巳は琇那にとって生意気な妹で終わってしまうだろう。その程度にしかなれないのならば、なりふり構わず恋をぶつけてきた身の程知らずの小娘として心に残った方がマシだ。

 だって、こうして言葉にされて、わたしの心には江利さんの存在が確かに残る。兄の友達でなく、初めての告白をくれた人として、強く。

 琴巳は寸時、唇を引き結んだ。

「ありがとうございます。でも、ごめんなさい」



 伝えた後だって想い続けるのは自由だもの。だから勇気を出す。大丈夫。言える。

 その晩、琴巳は琇那の部屋の前で深呼吸した。あまり効果は無く、ドアをノックする手が震える。どうぞ、という低声に身体まで震えて、もう一度深呼吸した。ノブを傾け、ドアをそっと引き開ける。

 琇那は部屋の奥でベッドの側面にもたれて座り、本を開いていた。投げ出した長い足先を軽く組んで寛いでいるようだったが、こちらを見ると片膝を立てて、すっと背筋を伸ばす。

 瞬く間に冷えた空気を纏われ、琴巳は早くも怖じ気づいたけれど、必死に足を踏み出すと部屋に滑り込んだ。

 静かに閉めたつもりなのに、ドアの閉まる音がやけに大きい気がした。

 琇那は珍しく、目線をずらさなかった。濃い紅茶色の目をつと眇める。

 琴巳は口を小さく開閉させてから、あのね、と発した。声が出せた。裏返りそうになったけれど。

「わたし、お兄ちゃん、に、ちゃんと言って、おきたくて」

「待て」

 口早に琇那は遮った。落ち着かなげに額に手をやると視線を彷徨わせる。物静かな彼には稀な行動で、琴巳は思わず口をつぐむ。宝石のような瞳がフローリングの床の一点を見据えてから、こちらをちらっと見た。すぐに目を逸らし、今度は唇から微かな溜め息をこぼす。

 一連の仕種に妙な色気が伴われていて、ほぼ全力疾走状態だった琴巳の心臓は限界だった。待っていられずに、続きを口にする。

「わたし――わたし、貴男のことが――」

「コトミ」

 心臓が跳ねた。

 名前を呼ばれただけだったのに。低声が名前を優しくくるんで響き、一瞬、息が止まった。その間に、琇那が言を継ぐ。

「言わなくていい……聞き飽きてる」

 絶句した。

 つまり、お断りだ、懲り懲りだ、ということか。

 琴巳が肩を落とすと、琇那は今一度、溜め息をついた。

「妹扱いじゃ不満なのか」

「不満じゃない、けど……カノジョがいいの」

「身内以外は半径二メール以内に極力近寄らせないようにしているんだけど?」

「か、カノジョは身内じゃないの?」

「今のところ、その手合いを持つ気は無いし、身内と呼ぶ気も無い」

 琴巳は立ち尽くし、ぽつりと尋ねた。

「わたし、もう二メートル内に近寄れない……?」

 琇那は前髪をくしゃりとかき上げ、頭を抱えるように手を止めた。

「妹だろ」



 ほどなく、琇那は祖父母と共にC氏と会合したらしい。当初は高校卒業後にフランスへ渡る話も出ていたらしいが、大学卒業後と決めたそうだ。

 猶予が出来た。

 今のうちに語学を勉強して、それから料理の腕も磨こう。琇那が日本に帰って来るつもりが無いなら、琴巳がフランスへ行く。



 琇那にとって琴巳は(みうち)の筈だけれど、彼は時々、琴巳の一定半径以内に近寄らない。

 解ってからは心臓を酷使している気分。だから、今は想うだけで精一杯。


 でもいつか、〝兄〟と呼ばなくなる。

 タイトル、サブタイトル共に、サイト「capriccio」様から拝借しました。

 御礼申し上げます。

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