無常堂夜話【11】 四つの縁の物語
穢れと縁、巡る縁など4編を集めました。
空くんや瀬緒里さん、樟葉さんや周くんのほか、四辻之巌命が活躍します。
起・穢れと縁の話
その日も、『無常堂』はいつもと変わらぬ一日が始まりました。
午前9時、我が背は曲がったガラスがはまった木製の引き戸を、ガタピシと開き、木製の立て看板を店の前に出します。
「今日は、お客さんが来ますかねぇ?」
台所で洗い物しながら私が訊くと、我が背はニヤニヤしながら店の奥に戻って来て、
「まぁ、縁がある方ならいらっしゃるでしょう。
あ、そう言えば、今日は頼んでいた売掛金を周が持って来るはずですよ」
そう言って、古びた帳面を開きます。
「まぁ。伏どのは、いつから取り立て屋も始めたんでしょうか?」
前掛けで手を拭きながら私が言うと、我が背は苦笑して、
「いや、彼は確かに見た目はああですけど、優しい奴ですからね。取り立て屋じゃなくて代金の受け取りに行ってもらうんです。ああ、噂をすれば……」
我が背が、表から聞こえる自動車の音を聴いて店の入口に視線を向けます。
「では、お茶とおまんじゅうでも準備しましょうか」
私がうなずいて台所に向かうと、
「空さん、ちょっとした相談があるんです。お時間もらえませんか?」
そう言いながら、黒髪天パで黒曜石のような瞳をした若者が店を訪れました。
我が背は人の好い笑顔をしながら、ため息が混じったような声で言います。
「周が持って来る話は、けっこうギリギリのことが多いからなぁ……。
ま、入るといい。代金受け取りはお世話になったね」
「あ、そう言えば……」
周どのは店の中に入りながら、黒いジーンズ地のジャケットの内ポケットから分厚い封筒を取り出し、我が背に手渡します。
我が背はそれを受け取ると、中身をちらっと見てうなずきます。
「それがこないだの亘理一族の分、んでもってこっちが……」
バックパックを降ろして、20センチほどの厚みがある四角い包みを手渡しながら言います。
「こっちが、アカザ建設の分です。あの女社長、空さんのことかなり気に入ってましたよ。
『こっちに来る時があれば、ぜひ連絡ください』って言付かってます」
……ま、まぁ、我が背が女子にモテるのは、今に始まったことじゃございませんが。それにしても周どのも周どのです、わざわざ私に聞かせるように言わなくてもいいでしょうに。
「あ、あはは。それは困ったな、あの人はあんまりぼくみたいな存在と縁を結ぶべきじゃないんだが……。それより周、これ」
我が背はひきつった声で笑った後、紙包みを破り、その中から帯封がされたお金の束を二つ、周どのに差し出します。
周どのは顔の前で両手を振り、
「い、いやいやいや、多すぎますって。俺はただ、行って受け取って来ただけですよ?」
「いつもお世話になっているんだ。その分も含めてだよ」
恐縮している周どのに、笑ってそう言う我が背なのでした。
それから30分後、ぼくは周の運転でとある墓地に来ていた。周は『相談に乗ってほしい話』について瀬織さんの前では、
「最近、子どもだけが見える怪異があるんです。このひと月で数十人の子どもが目撃しています。そして、目撃してしまった子はすべて、原因不明の高熱を出して意識不明になっています」
……とだけ言って詳細は語らず、
「引き受けてくださるかどうかは、実際現地を見てから決めてください」
と、半ば強引にぼくを『無常堂』から連れ出したのだ。
僕たちのやり取りを半眼で見ていた瀬緒里さんは、
「周どの、一つだけ忠告いたします。どんな状況でも、『あちらの存在』に同情してはなりません。それをしていいのは我が背だけです。
そして、我が背が引くと言われたら、おとなしく言うことに従ってください」
早口で、しかしはっきりとそう言うと、最後に周の目を真っ直ぐ見て、すこし頬を緩め、
「あなたの優しさは私も我が背もよく知っていますが、それが危うさにもつながることだけは、忘れないでくださいね?」
そう言って送り出してくれたのだ。
車のエンジンを止めると、途端に静けさが耳を刺す。周はしばらく目の前の並んだ墓石を鋭いけれどどこか空虚な目で見ていたが、やがてぼくに向き直って話し出した。
「……空さん、実はですね……」
「……もう説明はいらない。あいつのことだろう?」
そう言って、ぼくはフロントガラス越しに見えるモノに視線を向ける。周も同じモノを見て、一瞬くちびるをキュッと引き結んだが、うなずいて言う。
「……空さんが呼び出されたんですか? あいつは大人の男性の前には姿を現さないって話でしたが」
だが、ぼくは答える気はなかった。ぼくは静かに周に命じる。
「周、ちょっとした忘れ物を取りに行ってくれないか。瀬緒里さんに、『ぼくの過去帳』と言えば分かるはずだ。頼んでいいかな?」
周が目を丸くしてぼくを見る。眉根が寄っているから、ぼくの頼みを聞くかどうか迷っているようだ。
「……空さ」
「頼んだよ?」
ぼくはそう言い捨てると、有無を言わさずに自動車から降りる。梅雨前のじっとりした空気が、冷たく身体にまとわりついて来るのは、気のせいや天候のせいではない。
音のない世界で、周が自動車を反転させて墓地を出て行った。それを確認して、ぼくはふたたびソイツに視線を向ける……正確には、『ソイツの胸元』に。
ソイツはパッと見は二十歳前後の女性だった。
長いこげ茶色の髪、白い肌、すらりとした体型……人間だった時はさぞや美人だったろう。その目と、ぽっかりと穴が開き、向こうが見える胸を除けば。
『……あの狗神使いなら、あたしたちの言うことを聞いてくれると思ったのに……余計なことを……』
ソイツの声は、薬缶がシューシューと湯気を立てるような雑音混じりで聞き辛かった。
「……話なら、ぼくが聞いてもいいが?」
静かに声を出したが、ぼくの声は頭上から出ているような落ち着かない感覚だった。
ソイツは、薬缶が噴くように「しゅしゅしゅ」と笑った。
『お兄さんもこっち側だよね? だからあたしたちが惹かれたわけだ。いいよ、話をしてあげる。あたしたちの目を見てくれればね?』
そう言って少し近づく。
だが、そいつの目を見るわけにはいかない。眼窩がぽっかりと空いた深淵のような眼を見てしまえば、戻れなくなる。
ぼくはしずかに左手を後ろに回し、目を閉じる。心を落ち着けて、剣印を結ぶ。これでぼくがアイツの目を見ても、連れて行かれることはない。
『どうしたの、ちゃんと目を見て話そうよ? あたしたちの話、聞いてくれるんでしょ?』
ソイツはそう言いながら、さらに1歩踏み出す。ソイツの素足が雨上がりの水たまりを踏んで、ぱちゃりと音を立てた。
(音が戻った!)
ぼくはぱちりと目を開け、ソイツの視線を受け止める。真っ黒な眼窩から、泥のような血がぬらぬらとあふれ始めた。
その瞬間、ぼくにははっきりと『視えた』。
あの薬缶のような声は、ざらざらとした雑音は、みんな彼女たちの声だった。
ぶつぶつとつぶやく声、半狂乱で泣き叫ぶ声、心の中で生きることを諦めた声……そんな思いと声が渦巻いて、この世界の音を奪っていたんだ。
『な、なんだい。あんたはこっち側でしょう? なのになんで、そんな目をするの?』
ぼくに近付く足が止まる。ソイツの胸が小さく震え、ドッと赤黒い液体があふれ出す。それを見た瞬間、ぼくの頭の中に映像が流れた。
ぼくは左手の剣印を解き、三鈷印を結ぶ。そして彼女に静かに話しかけた。
「……君はまだ生きたかったんだね。家族みんなで心から笑いたかったんだね?」
彼女の肩がピクリと動き、動きが止まった。黒い眼窩に光が見えて……
そしてすぐに元に戻る。ソイツは急に頭を抱え、激しく吼えた。
『ああああっ、いつもそうだ! どうせあたしは要らない子なんだ!』
その叫びは、ぬらりとした感触でぼくの身体を取り囲む。過去を思い出した彼女たちの最後のあがきであり、そして恐らく未練、嫌悪、憎悪、そして諦めと絶望の感情が噴き出た瞬間だった。
(この子が、こいつらの『核』か)
『なんで、なんでいつも、誰も助けてくれないの!? なんでお父さんはあたしの首を絞めたの? なんでお母さんはそれを笑って見てたの!?……。…子はいつだって我慢してたのに!』
ばしゃっ
ソイツが水たまりに崩れ落ちる。顔が泥だらけになるのも気が付かないように、ソイツは地面に頭を打ち付けだした。髪を振り乱して泣きわめくさまは、まるで子どもだった。
(そうか、戻子さんとの音の響きで、ぼくと縁がつながったのか)
ぼくは左手を虎拳印に組み替える。そして半歩だけ右足を踏み出して声をかけた。
「約束は守る。話を聞かせてくれ、令子さん……」
そいつの肩がビクリと震え、ピタリと動きが止まる。
……どのくらいの時間だったのだろう。ただぼくの息遣いと、風が揺らす木々の音だけが流れた。
やがて、ぼくを包む息苦しいほどの感覚が消え、そのひとは顔を上げた。虚空のような眼窩だった場所に、傷ついた子どものような黒目勝ちの目が涙をたたえていた。
俺は焦っていた。一刻も早く、過去帳を空さんに届けなければ。
「ありゃあヤバイ、ありゃあヤバイよ空さん……」
俺は、曲がりくねった道をアクセルべた踏みで駆け抜ける。何台もの車とぶつかりそうになり、そのたびにクラクションを鳴らされるが、相手ドライバーの恐怖が張り付いた顔は一瞬で流れ去っていく。
泥だらけの素足、傷だらけの脚、裾がほつれ、泥と茶褐色の何かでまだらになった白いワンピース……そしてその胸にぽっかりと開いた穴。
それは、真っ黒な眼窩を見た時に、はっきりと感じた。
(アイツ、まだ死を受け入れちゃいねえ)
深淵のような眼は、何かがうねうねと動いている。俺の気のせいだったかもしれないが、足先からさくさくと這い上って来る不気味さに、俺は運転席で一瞬固まった。
『周、ちょっとした忘れ物を取りに行ってくれないか?』
その時だった。空さんがいつもと変わらない口調で言ったのは。
だが俺は知っている。相手の因果が深ければ深いほど、空さんはいつもどおりに振る舞うことを。
それに、瀬緒里さんの言葉もある。俺は空さんの命令に従うべきだ。
だが、口を突いて出たのは、反対の気持ちが籠った言葉だった。
『……空さ』
『頼んだよ』
空さんはするりと助手席から抜け出した。
こうなっては、早く過去帳を持ってくるしかない……俺はそう決心して、エンジンをかけた。
俺は急いで『無常堂』に滑り込むと、瀬緒里さんに今の状況を話す。
瀬緒里さんは俺の話を聞き終わると、静かに席を離れ、年季が入って取っ手が擦り切れた帳面ダンスから、こよりで綴じられた縦帳を取り出すと、
『では、これを我が背に。気を付けて行ってくださいね』
微笑と共に俺に手渡す。俺の説明を聞いてなお落ち着いているのは、肝が据わっているというか、さすが神様というべきか。それだけ空さんを信頼しているってことだろう。
そう思うと、俺も少しだけ落ち着けるのだった。
キキキーッ!
タイヤが悲鳴を上げ、墓地の駐車場に滑り込む。フロントガラス越しに、空さんが立っているのが見えた。空さんの周りだけ、淡い光が取り巻いているようだ。よかった、間に合った!
よく見ると、アイツは水たまりに座り込んでいる。先ほどのような圧迫感や禍々しさはない。俺がいない間に、空さんは何をしたのだろう?
「いや、まだ油断ならねえ」
俺はバンダナを外して胸ポケットに入れる。
俺の狗神、スケキヨたちを呼び出して命じた。
「空さんを守れ。ただし、命令なしには動くな」
3匹を代表してスケキヨが『クン!』と鼻を鳴らすと、狗神たちの気配が俺の周りから消えた。
俺は車を降りると空さんの許へ走る。
「空さん、お待たせしました!」
そう言って差し出す過去帳を受け取った空さんは、俺の目を優しい目で見つめながら、ぽんと肩をたたき、
「スケキヨたちは必要ないよ。ずいぶんと飛ばしたみたいだね? 君が事故でも起こしたら、最後の仕上げができなくなるところだったよ」
「す、すみません」
「ま、君が無事でよかったよ……さて……」
空さんはもう1回肩をポンと叩くと、温顔のまま『怪異だった者』に向き直った。
「君のやるせない思いは分かる。けれど、縁で自らを縛る必要もない。行くべきところに行った方が、君や、君に引かれて集まって来たみんなのためになる、そう思わないかい?」
空さんの言葉に、その女性は目を泳がせる。その様を見て、俺は理解したように思う。
瀬緒里さんは『同情していいのは我が背だけ』と仰っていたが、空さんのそれは同情ではなかった。
怪異だった者は、しばらく黙っていた。空さんとの話を思い出しているのだろう。だんだんとその顔が『怪異』から『人間』に変わる。そして彼女は、薄っすらと笑ってうなずいた。
「じゃ、君の姓名を聞いてもいいかな?」
空さんの問いに彼女は自分の姓名を名乗る。空さんは開いた過去帳に、右手の剣印でその姓名を書きつけた。
「……これでいい。後は一人で行けるよね?」
空さんは彼女の後ろを指さす。いつの間にか、光に満ちた空間が道を開いていた。
彼女はそれを見るとうなずき、空さんを振り返って一つお辞儀をする。
「ありがとうございました、話を聞いていただいて。『レイコ』の響きが、あなたとの縁をつないだんですね?」
空さんは優しく笑ってうなずく。彼女はもう一度お辞儀をして、もう振り返らず光の道に消えた。
「……あの子には、どんな過去があったんです?」
俺は聞いたが、空さんがそれを答えてくれるとは思っちゃいなかった。
案の定、空さんは寂しそうに笑って首を振り、
「さて、帰りも送ってもらえるかい?」
空さんがそう言って歩き出す。その後ろ姿は、切なさに満ちていた。
(空さんはきっと、寄り添い続けているんだ……)
俺はそう考えながら、空さんの後を追った。
(穢れと縁の話 おわり)
★ ★ ★ ★ ★
承・縁は回り、縁は繋ぐ
「今日もまったりですねぇ~」
私がレジ台で売り物の黄表紙を読みながらつぶやくと、
「ぼくの店に縁があって来る人は、少ない方がいいんですよ」
店内を見渡せる客間で何か書き物をしている我が背も、のんびりとした声で答えます。
「そんなこと言って、この間も今日みたいな話をしていたら、伏どのが来ましたね?
今日は樟葉どのが来るんじゃないですか?」
私が、5日前のことを思い出して言うと、我が背は書き物をやめ、
「いや、あれは周に集金をお願いしていたからであって、樟葉には別に何も頼んじゃいませんよ」
そう言って背伸びをする。
樟葉……林樟葉どのは、お義父上の弟子で、密教僧でもあり管狐使いでもある。
まぁ、それは良いのです。問題は、我が背が『無常堂』を開くまで、二人は一緒に住んでいた……という事実です。
そのことを知ったのは、一昨年の大晦日でした。
その時、一緒に年越しをしていた樟葉どのは、私と一緒におせちの準備をしていましたが、その場に我が背がやって来て言ったのです。
『あ、樟葉のだし巻き卵も久しぶりだなぁ』
それに対する樟葉どのの答えは、
『あ、そう言えば空さん、甘い卵焼き好きだったわよね。じゃ、空さんのためにちょっと多めに作っとくね』
でした! 私しか知らないと思っていた卵焼きの好みまで知っていたのです!
それを言った樟葉どのの顔は、いつもと変わらぬ整った冷たい感じのする笑顔でしたが、その言葉が私の胸にちょっとした波紋を投げかけ続けています。
樟葉さんがお風呂に入っている時に、それとなく直球で、樟葉さんとは昔何かあったのか我が背を問い詰めました。
我が背は面食らった顔こそしたものの、その後は非常に真剣な顔で、
『いや、樟葉は妹みたいなものだし、今はいい仕事仲間だ』
と答えましたが、我が背だって立派な殿方。殿方の言う『妹』やら『仕事仲間』は軽々に信じないほうがいい、と聞いています。
そもそも、私たち神の間では、夫婦のことを『妹背』と言いますし。
我が背がそう言った時、樟葉どのがお風呂から上がって来ました。
『ふぅ、良いお湯でした。先に使わせていただいてありがとうございます』
樟葉どのは、神である私から見ても、まぁ、その、美人ではあります。それは認めます。
しかも今は風呂上りということもあって、桜色に上気した肌、せっけんやシャンプーの香りが、一段と彼女を『いい女』にしています。
『空さん、お風呂使ったら? あ、アタシが入った後だからって、お湯飲んだりしたらダメだからね?』
……ここは私と我が背の家なのですが? なぜに樟葉どのが我が背に指図するのでしょう? それにその軽口は何でしょうか? 私を煽っているのですか?
すると我が背は、いつもの優しい笑顔を樟葉どのに向け、
『ああ、じゃ行ってくるよ。瀬緒里さん、お先しますね?』
そう言います。樟葉どのには砕けた口調で、私には敬体ですか、そうですか。
『つん』
私はわざと、我が背に冷たい態度を取ってしまいました。我が背はびっくりした顔でちょっと固まりましたが、
『はは……行ってきます』
引きつった笑いを残し、首を傾げながら湯殿へ向かいます。
樟葉どのも、ちょっと目を丸くしていましたが、すぐに私の前に正座して、
『すみません、瀬緒里さん。お気を悪くさせたなら謝ります。つい、空さんと一緒に住んでいた頃のことを思い出してしまいまして。お酒が過ぎたかもしれません』
そう頭を下げました。
『……一緒に、住んでいた?』
私の声が、思わず上ずります。それで樟葉どのはますます慌てて、
『べ、べつに同棲とか、そんな甘ったるい関係じゃないんです。火事で両親を亡くしたアタシを三界師匠が引き取ってくださって。だからアタシが13の時から空さんが『無常堂』に移るまで、京都の三界師匠の別宅で兄妹みたいに過ごしただけです』
顔の前で手を振って言います。
『……なるほど、『兄妹みたいに』ですか。さぞ、仲が良かったことでしょうね? さっきのように』
私が冷たく言うと、樟葉どのはくっ、と唇をかみしめ、おもむろに告白しました。
『正直に言います。そりゃ、空さんはああいう人ですから、アタシだって兄以上の感情を持っていたことは認めます。
でも、三界師匠から空さんのすべきことを聞き、瀬緒里さんのことを聞いて、最初っから瀬緒里さんには敵わないって知っていました。アタシはあっち側には立てないから、空さんを守ることはできませんし……』
いつもの樟葉どのの顔ではありませんでした。初めて見る恥じらいの顔、でも、自分の無力さを知っている顔でした。
『我が背よ、女子同士の会話を盗み聞きとは、いただけませんね』
私がそう言うと、障子がスッと開けられ、ばつの悪そうな顔をした我が背の顔が見えました。それを見て、樟葉どのは慌てて真っ赤になった顔を両手で隠します。
『我が背が私に会いに月宮の里に来られた15年間、樟葉どののことは一言半句も出ませんでしたが? なぜ隠しておられたのでしょう?』
我が背は眼をしばたたかせて、何も言えません。どうせ、私が悋気するとでも思っていたか、我が背なりの優しさで無用な誤解をさせまいとしたのでしょう。
『……もういいです。申し開きは後でゆっくりお聞きします。私の部屋に行っておいてください』
そう決め付けると、我が背は溜息をつきながら、奥の間に下がりました。
『樟葉どの』
『は、はいっ』
顔を赤くしながらも、背筋を伸ばす樟葉どのに、私は微笑んでささやきました。
『あなたにそんな縁があったと思うことにいたします。
ただ、あなたの人生はあなたのものです。我が背を大切に思う気持ちは分かりましたが、縁以上の思いは、あなたを苦しめるだけです。
深い縁ほど傷つき、道に迷うもの、それは私と我が背だけで十分です。
樟葉どのはいつか、人間としての幸せをつかんでくださいね?』
(そんなこともありましたね)
私は甘くうずく想い出に、少しくすっとします。
「瀬緒里さん、なに思い出し笑いしているんですか?」
我が背が目をぱちくりさせて聞いてきます。そんなところは、まだ彼が『月宮の坊』と呼ばれていた頃のままです。
「いえ、樟葉どのの名前が出たので、そう言えば我が背は彼女と同棲していたなぁって思い出しただけです」
「い、いやいや、あの時ちゃんと説明したでしょう? 黙っていたことは謝りますから、その話題でぼくをいじらないでくださいよ」
頭をガシガシかきながら我が背が言います。本当に困った時の癖なのですが、そんな彼に私は試すような視線で聞きました。
「……私しか知らない我が背の部分って、あるんでしょうか?」
すると我が背は、思いのほか真面目に考えて、私の目を見つめ、
「……そうですね。月宮の里でのぼくのことは、樟葉はぜんぜん知りませんよ?」
そう答えた時、店先にオートバイが停まりました。
「噂をすれば……ですね?」
私はそう言いながら、立ち上がってお店の入口に目を向けます。案の定、
「やっほー、空さんいますかー?」
元気よく樟葉どのが入って来ました。
「ああ、樟葉。久しぶり。今日は何か掘り出し物でも手に入れたのかい?」
我が背が客間から降りてきて聞くと、樟葉どのは店先を振り返り、
「怖がらなくていいよ、入っておいで。ここならきっと、探し物が見つかると思うわ」
優しい声で言います。
店先の陰から、細い腕が樟葉どののジャケットの裾をつまむのが見えました。
やがて、おずおずと顔だけを覗かせたのは、七つほどの男の子でした。
大きな瞳と、どこか翳のある表情に、私は思わず胸の奥がきゅうっとなります。
「……いらっしゃいませ」
気づけば、私は『あの頃の我が背』に話しかけるような声になっていました。
「……あの、その……ここで、本当に……探し物、見つかりますか?」
樟葉どのの後ろに隠れるようにしながら、その少年はおずおずと聞いてきます。私を見上げる瞳には、どうしようもない悲しみと切羽詰まった不安が宿っていました。
「ええ、坊が本当に必要なものなら、きっと縁は繋がっています。
だから、何を探しているのかを教えてもらってもいいですか?」
私はしゃがみ込み、その子と視線を同じにして微笑みます。
いつか将来、もし縁があって、我が背との子どもをもうけることができたとしたら、きっとこんな子どもでしょう……そんな思いを抱いていました。
ですから、この子どものことは他人とは思えませんでした。
少年は恥じらうように薄く笑って、
「……くまの、ぬいぐるみ……」
そう言うと、再び樟葉さんの後ろに隠れてしまいます。
「……くまの、ぬいぐるみ?……」
私が首を傾げると、樟葉さんは少年の頭をなでて、優しく聞きます。
「ね、どんなぬいぐるみかな? お姉さんにも教えてくれない? 一緒に探してあげるからさ」
すると少年は、少しだけ笑って、
「おかあさんからもらったぬいぐるみ」
それだけ言うと、私を指差し、今度はニコリとして言いました。
「このおねえちゃんみたいな、おかあさん」
「え?……」
私はその言葉を聞いて、胸が跳ね上がりました。神らしくもなく、何と答えるべきか迷っているうちに、樟葉さんが聞きます。
「きれいなお母さんなんだね? じゃ、お父さんってどんな感じの人? 嫌じゃなければ教えてほしいな」
すると少年は、半眼で眉を寄せて店に降りてきた我が背を指差し、
「おとうさん、あのおにいさんみたい」
そうニコニコしながら言うではありませんか。
私たち地祇は、過去を遡ることはできても、天神のように未来を見て縁を動かす力はございません。ですから、私と我が背を繋いでくださった月宮の皇子様が、私たちの子どもを見せてくださっているのか……そうとすら考えてしましました。
その時、我が背が私の横に座り込み、少年に優しく聞きます。
「ねぇ、君の名前をおじさんに教えてくれないかな? ひょっとしたら、君の探し物、見つかるかもしれないから」
すると少年は、パッと顔を輝かせて、自分の名前を言います。それを聞いた我が背は、目じりが下がった、この上もない慈しみの表情で言いました。
「……そうか。うん、じゃ、おじさんと、このお姉さんと一緒に探しに行こうか?」
少年の名前を聞いて、その頭を優しくなでた我が背は、すっと立ち上がり、
「樟葉、悪いがしばらく店番をお願いできないか?
ぼくは瀬緒里さんと一緒に、探し物を掘り当てないといけないんだ」
そう言いました。
「……ええ、分かったわ」
樟葉さんも、何やら泣きそうな笑顔で、我が背にそう言うと、小さくつぶやきました。
「そっか……空さん、やっぱ知ってたんだ」
その言葉を耳に挟んだ私は、灰色の哀しみが胸の奥に広がるのを感じながら立ち上がり、我が背とともに少年の手を取って歩き出しました。
……ここから先は、あの後アタシ(樟葉)が空さんから聞いた話だ。
空さんは、少年に「どこから来たんだい?」とか、「ぬいぐるみは、どこで落としちゃったんだろうね?」とか、「お母さんはそういう人だったんだね?」とか、いろいろと質問したそうだ。
少年はいちいち、「あっちの、おっきな木がある山」とか、「わかんない。めをさましたら、くまさんいなかったんだ」とか、「うん! だいすき。やさしいし、いつもぼくをみてわらってるんだ」
とか答えたらしい。ただ、母のことを話した時、ちょっと目を伏せて、
「でも、いまはちょっとげんきがないみたい。おかあさんには、わらっていてほしいのに」
そうつぶやいたそうだ。
瀬緒里さんは、二人の会話を聞いて、だんだんと表情が曇り、元気を無くしていくのが分かったそうだが、空さんは敢えて瀬緒里さんに「帰ったら?」とは言わなかったそうだ。
「どうして? その子って、もういないんでしょ? だからぬいぐるみをお母さんに届けてあげたんでしょ?
そこまで瀬緒里さんをつき合わせるって可哀想じゃない。帰してくれたら、アタシが慰めたのに」
アタシがそう言った時の、空さんが忘れられない。
空さんは少年が名乗った時のような、哀しみと慈しみの混じる、泣きそうで、笑っているみたいな顔をして、目を伏せると首を振った。
「ねぇ樟葉。どんなに似ていても、人それぞれ縁は違うんだ。他人の縁を抱え込むことはできないし、掠め取ることもできない。
瀬緒里さんだって分かっているはずさ。だから、あの子のぬいぐるみを土の中から掘り出した時、そのままの姿で母親に返すって言ってくれたんだと思う」
アタシは、無性に悔しかった。目の前にいるこの化野空という鈍感男は、ちっとも変っていない。いいとこも、悪いとこも。
アタシが13の時から二十歳の時まで一緒に暮らした男性、一度は恋い焦がれた男性が、アタシが負けを認めた女性を泣かすなんて、情けないって思ってしまう。
だから、アタシはムッとした顔で言ったんだと思う。
「……あのさぁ、お兄ちゃん」
敢えてアタシは同居していた頃の感じで呼びかける。アタシの『お兄ちゃん』呼びに、空さんはビクッとして顏を上げ、アタシの目を見る。戸惑いが瞳の上でぐるぐると渦を巻いている。
「……それと、瀬緒里さんの気持ちは別じゃない?
いいじゃん別に。神様だってオンナノコなんだからさ。縁を超えた縁を求めたって。
むしろそれが、いちばん自然で人間らしい在り方じゃない?」
空さんは何も答えない。じれったくなったアタシは、
「瀬緒里さん、帰って来てからずっと部屋に閉じこもりっぱなしじゃない。
空さんたちの縁でしょ? 瀬緒里さんも空さんも笑顔になるよう、自分たちで何とかしなさいな。
あの子もさ、せっかく縁を頼って行ったら、自分が空さんたちの擦れ違いのもとになっちゃって、きっと悲しむよ?」
そう言うと、目を伏せていた空さんは、ゆっくりと薄く笑みを浮かべ、
「……そうだね。縁は流れても行くんだ。瀬緒里さんと話をしてみるよ」
そう言って立ち上がり、衣擦れの音と共に部屋を出て行った。
(縁は回り、縁は繋ぐ おわり)
★ ★ ★ ★ ★
転・四辻之巌命の疑念
俺様は四辻之巌命。祠に祀られ2百年を経た賽の神だ。
祀られて最初は、村人を疫病から守るため、疫病神たちをそれこそちぎっては投げ、丸めてはポイってな感じの大立ち回りで、村には一柱も侵入させなかった。村人からも崇敬されて、俺様も鼻が高かったぜ。
だがまぁ、俺様にはちぃーっとばかしアレな部分があってな? ま、酒と女は男の甲斐性ってもんだぜ……なーんてイキがってたら、とんでもねえ事態になっちまった。
俺様の乱暴狼藉に堪えかねた村人たちが、寄ってたかって山の神に訴えやがったんだ。
おかげで俺様は祠に封印され、2百年って月日をただ退屈に眺めているだけだった。
そんな俺様に転機が訪れた。巫守人って坊ちゃんがよ、ひょんなことで俺様の封印を解きやがったんだ。ま、これが俺様の幸運、巫の坊主の不運ってやつだな。
この巫ってやつぁ、そん時の印象を一言でいえば『頭でっかちのむっつり何とか~かんとか』だな。同じ学年の一条戻子とかいう嬢ちゃんに惚れて、生霊まで飛ばしたんだから恐れ入る。
その時は、川津媛のおばは……もとい、瀬織川津媛命様のご活躍で事なきを得ている。
そんな俺様が、ちょっと煙たい川津媛様のところを訪ねたのはな、巫の坊主に違和感を覚えたからなんだ。
「それで、巫どのの何が気になるのですか?」
私は、急に訪れて来た巌命に不機嫌さを隠せません。視線が冷たくなるのが自分でも分かります。ちょうど夕飯前で、我が背のために心を込めて煮つけをこしらえていた最中でしたから。
「それがさ、俺様は用事がない時ゃ祠にいるが、ちょっと退屈した時にゃ坊主の部屋に行くんだ。あいつの部屋には春画や艶本がわんさとあってだな……あ、川津媛様、おかわりを……」
バンっ! ビクッ!
まぁ、後輩の神ですし、彼の祠を祀っている山の神曰く、こう見えて根はいい男神だそうですから、話を聞くのは構いません。
しかし、我が背の夕飯を食い散らかし、話していることは聞くに堪えない猥談。そのうえ厚顔無恥にもおかわりまで求められたら、さすがの私も堪忍袋の緒が切れそうです。
危うく荒御魂を発動させかけた時、
「……それで、巌命。続きを話すといい。ここへの縁がつながったということは、ぼくの瀬緒里さんを怒らせるためだけに、わざわざやって来たんじゃないだろう?」
すでに夕飯を終えた我が背が、流しで私の茶碗を洗いながらにこやかに話しかけて来ます。
そう言えばそうでした。『無常堂』に来る方は、何かしらの強い思いと縁を持っていらっしゃる方。とすれば、この傍若無人な後輩神が違和感を覚えているというのも、あながちウソではないのでしょう。
巌命は、我が背の言葉で呪縛が解けたように大きく息をすると、びっくりして取り散らかした煮つけを拾って食べ、名残惜しそうに指を舐めるとにかっと笑いました。
「おう! さすがは川津媛様の婿殿だぜ。ちゃーんと分かってらっしゃる。見直したぜ」
「軽口はいいから本題を話してくれ。言っておくが巌命、ぼくはお前が一度瀬緒里さんを『おばはん』呼びしたこと、忘れていないからね?」
それを聞いた巌命は、反射的にのけ反り、目をぱちぱちさせて
「お、おう……」
そう言います。ふん、我が背に対して『見直したぜ』なんて上から目線をするからです。私は胸の溜飲が下がる思いでした。
「かつては数百体の疫病神を、たった一人で撃退したというお前だ。そのお前が駆け込んで来るなんて、どんな怪異が起こっている?」
我が背がそう言って先を促すと、さすがの巌命も正座し直し、真面目な口調で語りだしました。
川津媛様や婿殿が知ってのとおり、あの巫って坊主は惚れっぽいが一途だ。愛しの『女神様』一条の嬢ちゃんからお友達って言われて舞い上がっていたが、それでも『陰から見守る』って態度を取っていたんだ。
「まぁ、巫くんの性格なら、そうだろうね。それで?」
我が背が聞くと、巌命はさも恐ろしいことを話すように、我が背の方に大きな身体を傾け、蚊が泣くような声で言います。
「……ここ半月、部屋から出ねぇんだ」
私は拍子抜けして、またまた怒りがこみ上げてきます。そんなくだらないことで、我が背の夕飯を食い散らかし、私と我が背の時間を邪魔したんですか? このはた迷惑神は。
私がサッと顔色を変えたのを見て、我が背はわたしの手を温かく包み、にこっと笑うと、その温顔のままで巌命に問いかけます。
「彼だって学生だ、勉強で忙しいこともあるだろう?」
しかし、巌命の答えは意外なものでした。
「いや、それがよぅ。坊主は一度も勉強の“べ”の字もやっちゃいねぇんだ。おかしいだろう? アイツにゃ勉強以外に取り柄はねぇってのに」
「……では、具合が悪いとか?」
我が背が言うと、巌命はぶんぶんと首を振ります。
「いや、飯こそあまり食っちゃいねぇが、元気は元気だ。夜中にこっそり、どっかに出かけているからな」
「……さっきは『部屋から出ない』と言わなかったか?」
我が背が聞くと、巌命は頭を抱え、
「う~ん、なんて説明すりゃいいか分かんねぇんだが、とにかく家から出ないけど、夜中に出かけているのは間違いねえ。奴が部屋を出るところを、俺様がこの目でちゃんと見ているからな」
そう、訳が分からないことを言うのです。
しかし、どれほどおバカであろうと、彼だって一度は村人の崇敬を集めた神の端くれ。嘘は言わないはずです。
しばらく腕組みをして何か考えていた我が背は、巌命を見て言いました。
「巫くんが出かけるのは、毎晩かい? 何時ごろだ?」
「ああ、ここ数日は毎晩だ。時刻はきっちり暮れ九つってところだな」
我が背が時計を見ます。店に置いてあるゼンマイ式の振り子時計は、午後10時を回ったところでした。
「分かった。今夜、彼をつけてみよう。午前0時ちょっと前に、巫くんの下宿の前で落ち合おう。それでいいかい?」
我が背が言うと、巌命は真剣な顔でうなずき、言いました。
「おう、そうしようぜ空の旦那。だがな、俺様はなーんか嫌な予感がするんだ。あいつに何かが憑りついちゃいないかってな」
「憑き物なら、あなたが落とせばいいではありませんか。その程度のことはできるでしょう?」
私が言うと、巌命はむぅ……と何かを考えているようでしたが、
「効かねぇンだよな、賽の神の呪法が」
そう言って立ち上がり、店を出て行きました。
私は我が背があまりにも深刻な顔をしているので、
「……それにしても、巫の坊やを心配するなんて、巌命も案外優しくて人が良いところもあるんですね?」
そう明るく話しかけると、我が背は首を振って言いました。
「……そうですね。だからこそ、ぼくたちが知らないところで何かが動いているのかもしれない……そう考えてしまいますが」
それを聞いた時、私の背中に冷たいものが奔りました。
(我が背は人間のはず……ですよね?
でも、考えてみれば、地祇である私よりも物事を見通している時もありましたし、物事の受け取り方は人間というより神、それも天神に近いところもあります。
我が背が持つ縁は、私が思っていたものよりも深く、透明なものなのかもしれません)
……今思えば、この時感じたこの想いが、私と我が背の『最後の縁』を結ぶきっかけになったのかもしれません。
「月がきれいですねぇ~」
ぼくの腕に腕を絡めて瀬緒里さんがそう言う。うっとりとした表情の先には満月が明るく輝いている。
夜空には雲一つなく、道には寄り添う二つの影法師が揺れている。
(『I Love You』を『月が綺麗ですね』と和訳した文豪の気持ちが判るな……)
ぼくはそう思いながらも、周囲をぼんやりと焦点を合わせない目で見つめている。その方が、視界全体を見れるからだ。
月の光に照らされた町並みは、光と同じだけの闇が揺蕩っていて、どこかこの世のものではない雰囲気を漂わせる。
それは、これから四辻之巌命と共に、巫くんを見張るという行動が控えているからかもしれない。
「空さま、どうされました?」
隣で瀬緒里さんが、首をかしげている。
「まだ何も感じませんよ? 今くらいは、このしっとりとした時間を楽しみませんか?」
ぼくは無防備な笑顔を見せる瀬緒里さんの手を、少し力を入れて握り、
「瀬緒里さん、ついて来ていただくのはとても心強いのですが、やはり……」
「私の方こそ、一人で待つ身は辛いのですよ?」
帰った方が……そう言いかけたぼくの言葉を、瀬緒里さんの柔らかな声がそっと塞いだ。
瀬緒里さんが手をぎゅっと強く握り返してくる。彼女の『離れたくない』という、確固たる意志を今さらのように感じたぼくは、『無常堂』に戻るよう説得するのを諦めた。
やがてぼくらは、川のほとりの散策道に出る。巫くんのアパートは右手に黒々と浮かび上がる山の麓だ。ここに来てぼくは、水の音がいつもと違うことに気付いた。川からではなく、右手の山側から聞こえているのだ。
(……仕方ない。何があっても退けるよう、準備をしておくしかないな)
ぼくはそう思いながら周囲を見回す。ぼくの目は、四つ角の真ん中に、この場には似つかわしくない、けれど不思議な存在感を放つものを見つけた。
(……あれは、何だ?)
それは銀色の風車だった。大きさは手のひら程度のそれは、月の光の中で風もないのに静かに回っていた。
「あ、空さま。巌命が来ましたよ?」
ぼくの視線は、20メートルほど先、2階建ての古びたアパートの前に立っている、たくましい男神に移った。
巌命は腕を組んで仁王立ちしている。つい2時間ほど前、『無常堂』で見せたやんちゃで悪戯者の顔ではなかった。
「巌命、時間どおりだね」
ぼくが声をかけると、ぎろりとこちらを睨んだ顔がすぐに弾けるような笑顔に変わる。ただ、その笑顔がどことなく引きつっているのは、彼らしくもなく緊張しているのか。
「お、おう。川津媛命様と婿殿。約束どおり来てくれて感謝するぜ。ところで、あのウサギは空の旦那のペットかい?」
巌命がぼくの後ろを指差し、鋭い目で聞く。
「ウサギ? いや、ウサギなんていなかったぞ?風車はあったが……」
そう言いながら振り向いたぼくは、まゆを寄せる。ウサギどころか風車も消えている。
「ありゃっ? さっきまでいたんだが……」
巌命も怪訝そうな声を出す。そこには光に照らされた闇があるだけだった。
「……じゃ、川津媛様、空の旦那。早速、坊主の様子を見に行こうぜ」
しばらく目を見開いて突っ立っていた巌命は、ぶるっと頭を振ると、少し抑え気味のトーンでそう言って歩き出す。ぼくは彼に静かに聞いた。
「巫くんの様子は?」
「あ、ああ。暮れ四つ半には寝ちまったよ。それに『足止めの咒』と『塞ぎの咒』をかけてる。坊主は動けねぇし、部屋から出られねぇはずだ……」
そう言いながら階段を上る巌命の肩がピクリとし、不意に立ち止まる。そして巫くんの部屋が見える場所まで行って、
「おい、巫の坊主! こんな夜中にどこに行くんだ!?」
大声で呼びかけると同時に駆け出した。
「空さま!」
「ああ」
ぼくたちも巌命の後を追って巫くんの部屋を目指す。そこで、ぼくたちは見たのだ。
巫くんは30メートルほど先の道路を、身体を左右に大きく揺らしながら千鳥足で歩いている。その両腕は、肩が外れているようにブラブラと揺れている。
しかし、階段は今上って来た一つしかない。途中ですれ違って、気付かないわけがない。
「おい、坊主!」
巌命は外廊下の手すりを乗り越えて飛び降り、巫くんを追いかけだした。
「瀬緒里さん、後から来てください!」「あ、空さま!」
ぼくも飛び降りて、一散に二人の後を追った。
我が背に置いて行かれた私は、まさか同じように飛び降りるなどというおきゃんな真似もできず、
(巌命がついているなら大丈夫でしょう。私は巫どのの様子を確かめてみましょう)
ふとそう考えて、巌命が心配していたことを思い出しました。それで巫どのが何かに憑かれていないか視てみることにしたのです。
しかし、部屋に入った瞬間、激しく後悔しました。
巫どのそのものには、まったく問題ありません。何者かに眠らされていて、若干眠りが深い程度で、それも命には別条ありません。
問題は、私が部屋に入った途端、その空間が外界から遮断されてしまったということです。
どちらを向いても、戸口はおろか窓すら消え去り、完全な密室となっていたのです。
私は地祇です。あえて謙遜はしませんが、地祇の中ではけっこう神力は強い方なのですが、それでも私を閉じ込める理由には思い当たることがありません。
私は改めて巫どのを観察しました。そして、彼には明らかにさっきまで何か禍々しいものが憑いていた痕跡があるのを認めました。
(……この痕跡は、黄泉の住人に似ているような?)
その時私の脳裏に、空さまから聞いた化野家の伝統が思い浮かびました。
(まさか、我が背を?)
そう考えると、冷や汗が背中を伝い、手が震えてきました。
(いけません、ここで私が慌ててどうするんですか!)
私は必死で心を落ち着かせ、深呼吸して帯から鉄扇を抜き取ります。
バフンッ!
荒魂の解放と同時に、緑青色の神力が燃え上がり、髪の毛を噴き上げます。
「我が背を助けなければ!」
私はありったけの神力を込めた鉄扇を、戸口があったところに叩きつけました!
パアンッ! ゴリュッ……
「づっ!?」
思わず右手首を抑えて呻きます。鉄扇はバラバラになり、右手ごと床に転がっていました。
肩で息をしながら、結界を見ます。黒々とした壁が姿を現し、私を見下してあざ笑うかのように無傷で立っていました。
「そんな……神力が効かない?……」
呆然とつぶやく私の脳裏に、忌まわしい光景が流れ込んできました。私は思わず、顏を手で覆って叫んでいました。
「いやっ! 我が背がっ!?」
ぼくたちは巫くんを追いかけて、角を曲がって立ち止まる。この先は袋小路のはずなのに、そこには岩だらけのだだっ広い荒野が広がっていた。
(……超えてしまったようだな。巫くんも。ぼくも……)
ぼくはそう考えて半眼になる。この空間の縁を早く見切らねばならない。さもないとぼくも、いや、みんな帰れなくなる。
だが、巌命は悠然として腕を組み、20メートルほど先で後ろ向きに突っ立ている巫くんに呼び掛けた。
やはり彼も神だけあって、巫くん……いや、あの怪異の正体に気付いていた。
「おい、貴様。巫の坊主に化けるのはまぁいいとして、こんな所に誘い込むとはよ。いったいどういう了見だ?」
そう言った後、彼はスンスンと鼻を鳴らし、ニヤリと笑って言う。
「……臭う、臭うぜぇ。こいつぁ鬼の臭いだ。俺様たちを黄泉に引きずり込んで、地獄めぐりでもさせてぇのか?」
すると、巫くんに化けていたソイツは、ギギギッ……と音を立てて首だけ背中を向いた。
それは巫くんの顔ではなかった。細面で、頬がこけ、蒼白い顔をした鬼だった。細い目は蛇のようにぬらぬらと輝き、開いた口には牙が生えている。
そいつは、巌命を一瞥するとフンと鼻を鳴らし、口が耳まで裂けた。
キャキャキャキャキャ……
ガラスを爪で引っ掻いたような声で笑う。
すると、巌命は太い腕を腰に当てて吐き捨てるように言った。
「悪ぃが俺様はちっとも面白くねぇんだ。川津媛様の婿殿を連れ帰らなきゃならないからな。話があるなら、俺様たちの世界でとっくりと話そうぜ?」
そう言って巌命が背を向けようとした時、ぼくたちの周囲に黒い影がぞぞっと湧き出した。
『帰るなら一人で帰れ、騒がしい賽の神。吾はその神籬に用がある』
それを聞いて、巌命は眉を寄せ、振り返って肩をすくめた。
「おいおい、この方はな、川津媛様の神婿で、月詠命様のお弟子だぜ? それを神籬とか馬鹿なことを言ってんじゃねぇぜ」
すると鬼は身体をこちらに向けて、ぼくに一歩近寄る。そして鬼は反射的に10歩ほど後ずさった。細い目が真ん丸になったかと思うと、すぐに細められる。
『……神籬、思ったより上質な神籬だ』
そう言ってまた、キャキャキャと笑った。
ぼくはゆっくりと前に出て、そいつに話しかける。
「……ぼくに用事とは何だ? ぼくと黄泉の縁はもう切れているはずだが?」
ぼくの裾を巌命が引っ張って耳元でささやく。
「空の旦那、あんな奴に構ってる暇はねえぜ? 早く帰らないと、川津媛様が心配されますぜ」
だが、ぼくの言葉を聞いた鬼は、ニタリと笑って答える。
『吾の仲間たちは、汝の世界に行きたがっている。大切な人と話したい、大事なものを守りたいと思ってな。そのためには、境界は曖昧な方が良いのだ』
ぼくは静かに答えた。
「お互いの世界にはお互いの理がある。曖昧な境界は存在も曖昧にする。それはお前にも降りかかるのだが?」
すると鬼は、『その言葉を待っていた』と言わんばかりに、身体中から猛気を吹き出して吠えた。
『境界を曖昧にしつつ、存在を確たるものにするためにお前が要るのだ! かかれっ!』
オオオオン……
地の底から吹き上げる木枯らしのような声を上げ、黒い影たちが包囲を狭めてくる。それを見て巌命はチッと舌打ちをして、
「やべっ! 空の旦那、早く逃げ……」
その言葉と同時に、ぼくは叫んだ。
「告桃子、汝如助吾、於葦原中國所有、宇都志伎。靑人草之、落苦瀨而患惚時、可助告!」
すると、包囲輪が止まり、鬼の顔が歪む。
その一瞬の隙に、巌命は態勢を立て直した。彼は目を爛々と光らせて、四股を踏む。
ズシン、ズシンっ!
その度に、黒い影たちはゆらゆら揺れ、だんだんと人の形になって来た。
巌命はぼくたちを包囲した亡者たちをぐるりと睥睨し、
「そっちがそのつもりなら、こっちも遠慮しねぇぜ!?」
赤い炎をまとって、亡者たちの群れに突っ込んで行った。
「うおおりゃああっ!」
さすが、一柱で疫病神数百体を撃退した巌命だ。その強さは比べ物にならない。
亡者たちを殴り飛ばし、けり飛ばし、投げ飛ばし、あっという間に包囲輪をぶち破り、『境界』の近くまで戻って来た。
その間、ぼくは祝詞を上げ続け、鬼の行動を封印する。あと少しで境界を超える……その時、鬼は破れかぶれの行動に出た。
『神籬、逃ガサン! 吾ハ申非五蝿、邪剣ノ化身ゾ!』
甲高い、悲鳴のような声が、ぼくの耳をつんざいた。
と同時に、
ズブシュッ!「が!?」
胸が熱くなった。胸を見る。毒々しい剣が突き刺さり、さらに押し込まれる。
「ぐっ……」
口の中に温かくて生臭いものがこみ上げてくる。
ぼくの呻きが聞こえたのか、巌命が振り向き、真っ青になった。
口から、赤いものがあふれる。目がかすむ。
視界が途切れる直前、ぼくは銀色の風車を見た気がした。
「空の旦那っ!」
駆けつけてくる巌命の声が、いつまでも耳に残っていた。
(四辻之巌命の疑念 おわり)
★ ★ ★ ★ ★
結・月宮の皇子の願いと期待
遠くで、トントントン……と軽いリズムがしている。
ゆっくりと目を開けると、枕元に誰かが座っていた。
ぼんやりする目で、その人の顔を見る。
薄紫の留袖に、臙脂色の帯を締めた女性が、座ったままうつらうつらしていた。
身体が小さく揺れるたびに、手入れが行き届いた黒い髪が揺れ、椿油の匂いがする。
(……瀬緒里さんの幻を見るなんて、人間って、あちらの世界に行く瞬間まで、未練を捨てきれないんだな……)
そんなことを考えていたら、襖が細く開いて、小さく声がする。
「瀬緒里さん、朝ご飯できましたよ。空さんの看病はアタシが代わりますから……」
そう言って僕を見る樟葉の目と、ぼくの視線がかみ合う。
途端に樟葉は襖をガラッと開け、
「空さん! 瀬緒里さん、空さんが目を覚ましましたよ!」
そう叫ぶと、浅い眠りにいた瀬緒里さんもぱっちりと目を覚まし、ぼくの顔をじーっと見つめてくる。
やがて、だんだんとくちびるが震え、瞳が潤んでくる。
「……空さま……我が背……よかった……」
震える左手で、ぼくの頬を優しくなでまわしながら、瀬緒里さんはそれだけ言うと、小さく嗚咽を漏らした。
「……生きていたのか……」
ぼくが小さく言うと、瀬緒里さんはぼくの顔に頬をこすりつけて、泣きながら言う。
「……私だけ置いて行ってもらったら困ります。もう我が背を探して長い時をさまようのは嫌です……」
「瀬緒里さんさぁ、自分も怪我しているのに、この1週間ずっと空さんの側を離れないんだよ。いくらアタシや周が言っても上の空でさ」
樟葉がそう言って、優しいため息を吐く。
ぼくは瀬緒里さんに何か優しい言葉をかけたかったが、上手く言葉が探せない。代わりに右手を動かして、瀬緒里さんの頭を優しくなでる。樟葉はいつの間にか台所に戻ったらしい。
そして、ぼくは樟葉の言葉で気にかかったことを口にした。
「……怪我、したのか? 無理をして大丈夫なのか?」
しかし、その時には、瀬緒里さんはすうすうと寝息を立てていた。よくみると目の下には隈が浮かんでいる。
「あれ? 瀬緒里さん寝ちゃったんだ。安心して緊張の糸が切れたんだね。
空さんちょっと待って。すぐに隣にお布団準備してあげるから」
樟葉はそう言いながら、押し入れから布団を一式取り出すと、それを手早く敷き延べた。
「お待たせしたわね。周、賓客の対応、ありがとうね」
空さんたちが寝る部屋から、樟葉が戻って来た。それを見て、たくましい男神が樟葉に尋ねる。
「おう、姐さん。空の旦那が目覚めたってな。今この兄ちゃんから聞いて、俺様も安心したところだ。で、お二人の様子はどうだい?」
すると樟葉は、シャム猫のような笑顔で、
「二人とも眠ったわ。空さんはまだぼーっとしているみたいだけど、しばらくしたら頭もはっきりするはずよ」
そう言うと居住まいをただし、
「四辻之巌命と申されましたか。このたびは空さんの命をお救いくださり、誠にありがとうございました。無常堂の関係者として、心よりお礼申し上げます」
こうやって、きちんと筋を通して頭を下げられるところは、俺も見習わなきゃいけない。
巌命は照れ臭そうに鼻の頭をかきながら、樟葉のお礼を聞いていたが、
「いや、丁寧なお礼でかえって恐縮するぜ。こっちの兄ちゃんからもお礼してもらったからな。だがな、実をいうと、空の旦那を助けたのは俺様じゃねぇんだ。
何てったっけな? 月よりの使者、じゃねえ……」
必死で思い出そうとする巌命に、俺が助け舟を出す。
「月宮の皇子様、じゃないかな?」
すると巌命はポンとひざを打って、
「おう、それそれ。その皇子様って麿がよ、いきなり現れて、がーっとやって、わぁーっとやってさ、あの鬼どもを一網打ドンってな風にやっつけちまったんだ」
そう身振り手振りで話す。俺は苦笑しながら静かに訂正する。
「なるほど、一網打尽に」
「ああ。あの麿は何者だい? 鬼なんざめじゃねえって感じだったが」
興奮して話す巌命だったが、樟葉は巌命の声があんまり大きいもんだから、空さんたちが起きはしないかってハラハラしていたな。
やがて巌命は、
「ま、ケガには養生と滋養が一番だ。俺様が自然薯を掘って来たから、お二人が目覚めたら差し上げてくれ」
そう言って、菰俵一杯の自然薯を置いて帰って行った。
「周、聞いた?」
「ああ、やっぱり月宮の皇子様だったんだな」
樟葉の問いに答えた俺は、空さんのベルトや瀬緒里さんの帯に差し込んであった銀の風車を見てそうつぶやいたのだった。
我が背も私も、1週間ほどで歩けるくらいまで回復しました。
我が背は、まだ左手を動かすと胸が痛むそうですが、日常生活にはさほど影響がなく、『無常堂』も2週間ぶりに店を開けていた日のことです。
「今日はちょっと早めに店じまいしましょうか」
いきなり我が背がそう言って、店の外に歩き出しました。時刻は午後5時半、いつもより1時間半も早い時刻です。
我が背が立て看板を店の中に入れた時、一人の男性が店を訪れました。
「おや、もう店じまいでおじゃるかな?」
白髪で翠の瞳を宿したその青年は、私と我が背を見て涼やかな声でそう言います。私たちはすぐにそのお方が何者なのかを察知し、我が背が答えました。
「はい。でも何か御所望であれば、どうぞご覧ください」
青年は涼し気な目を細めてうなずき、
「左様か、ならば遠慮はせぬぞ。
月宮の坊が営む店には、変わった物が集まっていると聞いた故、立ち寄ってみたまでにおじゃれば、気を遣わずともよいぞ」
そう言うと、店内を興味津々で見て回られます。
古書の棚を見られたとき、青年は我が背を振り向き、
「月宮の坊、そなた『阿波風土記』を探してくれぬか?」
不意にそう仰います。我が背は少し考えて、
「明治になって行方が分からなくなったという古書ですね? 《《月宮の皇子様》》には、何か心当たりとかはございませんか?」
そう訊く。
月宮の皇子様、つまり月詠命様はにこりとされ、首を横に振る。
「麿も行方を捜しておじゃる。江戸の末期に刊行された物を氏子が寄進してくれたが、幕府の者が麿の社に献上されたものまで持って行きおった。
こうなれば、早く読み終えるか、姉君のところに寄進すべきであったと悔やまれる」
「……月宮の皇子様にしてお心当たりがないのであれば、探すのは相当苦労するとは思います」
我が背が答えると、月宮の皇子様は微笑と共にうなずき、
「では、麿の依頼を受けてくれるのじゃな?
なに、急ぎではない。気にかけておいて、見つかった時に麿の社に寄進してくれればそれでよい。
時に瀬織川津媛、右手は大丈夫でおじゃるか?」
私にお言葉をかけてくださった。
私は頭を下げ、感謝の気持ちを込めて答える。
「おかげさまで、我が背と共に幸せに過ごしております」
すると月宮の皇子様は、突然笑い出し、
「ほほほほ、それは重畳。月宮の坊は『やんごとなきお方』が気にかけておられる故、そう心配はしなかったでおじゃるが、媛は麿の娘同然でおじゃるからの。
何かと不便でもあろうし、媛のことじゃ、月宮の坊に頼ることもしないでおじゃろうと思うてな、麿が神徳を授けようぞ」
そう仰ると、私の身体が銀色の光に包まれました。
その光が消えると、右手は元に戻っていました。
「月宮の皇子様、危ないところを助けていただいただけでなく、瀬緒里さんを治療していただき、本当にありがとうございます」
我が背がお礼を述べると、月宮の皇子様は顔の前に扇を広げて、鋭い目で私たちを見て仰いました。
「なんの、麿は天神におじゃれば、かようなことは容易い。したが、この神徳は単なる麿の好意じゃと思うてくれるなよ?」
「……と、申しますと?」
私が聞くと、月宮の皇子様は扇を閉じ、私たちに銀の風車を手渡されながら仰ったのです。
「月宮の坊、麿が川津媛をそなたに娶せたは、二人がお似合いだったからだけではおじゃらん。
川津媛は水に愛され土を潤し、風に詠いて木々を育てる母性の護り。
そなたは月光に謳い月光に舞い、月光を受け月光に駆ける麿の現身。
その二人が心通わせた時を見てみたいと思ったでおじゃるよ。
これは姉君もそうお思いでおじゃる故、あまり麿に心配はかけぬようにな。ほほほ……」
(無常堂夜話11:四つの縁の物語 終わり)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回の話は、元第11話だった『何でもない日の物語』を再構成し、ほとんどをリライトしたものです。
書き直しに当たり、投稿済みのものを含めて、特に瀬緒里さんの性格描写を見直しています。
今後は、少しヘビーな話も出て来るかと思いますが、よろしくお願いいたします。




