19 村木砦へ
織田信長は村木砦を攻めるにあたり、自身は那古野にて全軍の招集と、美濃からの援軍・安藤守就の相手をしていたが、その前にすでに、叔父の織田信光を先発させて村木砦に向かわせていた。
村木砦。
尾張・知多半島の根元、緒川城の隣の村木村の海岸の砂丘に位置する。
ただし、緒川城から那古野の側にある寺本城が今川方についてしまったため、陸路は使えない。
そこで。
「信光さま、熱田に着きました!」
「よし、熱田にて舟を集めよ! 集めつつ、信長を待つ!」
信光は戦友である平手政秀の死を、信長から真っ先に知らされた。
信光もまた政秀の「諌死」を偽物と見破り、そして今川義元の策略を「奸計」と罵って、弔い合戦には先陣をと信長に願った。
そして信光は今、この熱田にて信長のために舟を集めている。
それはむろん、政秀の敵を討つためだが、その裏には、政秀亡き後には自分が信長を支えねばという、誰にも言わない政秀への友誼があった。
「信光さま、信長さま、やってきました」
「そうか」
「ただ……」
「どうした?」
言葉を詰まらせる家来の六鹿椎左衛門に、信光がつづきをうながすと、風が強くて、船頭や水夫が舟を出したくないと言っていると洩らした。
「そうか。伊吹颪か」
伊吹颪とは、尾張地方の冬に特有の、北西から吹く強風のことである。方角から、伊吹山の方から吹いてくるので、伊吹颪といわれている。
熱田に到着した信長は、信光から船頭や水夫たちの反対を告げられたが、「断固、船出すべし」と主張した。
「叔父上、このような伊吹颪だからこそ、強風だからこそ、出ましょう。村木砦の奴らは『来るまい』と思っている今だからこそ」
「……判った」
信光は、たとえ信長の判断が間違いに終わったとしても、支持してやろうと決めた。
政秀亡き今、少なくとも戦場において、判断を共にする者がいなくては……と思ったからである。
「ようし、じゃあ舟に乗り込め! 舟を出し渋る船頭は、おれが叩ッ斬る!」
信光が抜刀して脅すと、水夫たちはわれ先にと舟に上がった。
……こうして、信長と信光の軍は、師崎を回って知多半島を回り込み、無事、大井という土地に上陸した。二十里あったところを一時間で進むという驚異の行軍である。
「政秀があの世から守っておるのか、天運か。いずれにせよ、信長はついている」
そう述懐した信光は大井から直接に村木砦に向かい、信長は水野信元のいる緒川城に向かった。
信光は村木砦を密かに封鎖し、今川との連絡を遮断した。信長は信元と会って慰労し、そして村木砦の情報を聞き、今後の作戦の打ち合わせをして、緒川城にそのまま泊まった。
この間、およそ三日間であり、翌天文二十三年一月二十四日早朝、緒川城を出た。
そして地元の古い社(今日では村木神社)に本陣をかまえた。
「……爺、見ていてくれ!」
信長としては、政秀が亡くなってから初のいくさであり、何から何まで自分で考え、自分で行動するということに、多少なりとも不安があったかもしれない。
だが、以降は「爺」と滅多に口にすることはなく、冷静に采配を取った。
「この村木砦は……北は要害となっており、攻められぬ。あとの東の海側は大手門(表門)、西の搦手門(裏門)、南には大きな堀。そこで」
いわば地元の水野の軍は、海上を舟で抑えつつ、大手門から。
その隙に、信光の軍は、搦手門から砦の中へ。
「水野どのは知多の覇者らしく、堂々と海から攻め入られたい。叔父上は速攻じゃ。搦手門の前にも、南ほどではないが堀があり、橋がかかっている。橋が上がる前にやってくれ」
「しかし」
これは水野の軍を率いる水野忠分の発言である。彼は、他ならぬ信長はどうするのか、と聞いた。
「おれは、ではない、予は……南からやる」
「南」
南はまるで甕のような、大きな堀があって、攻められなくはないが、やりづらい。
だが、そこを信長自らが受け持つという。
「われに秘策あり、じゃ。頼んだぞ、水野どの、叔父上」
こうして信長は村木砦へ攻め入る。
時に、辰の刻(午前八時)。
払暁である。
*
村木砦の今川家の兵が気がついた時には、大手門の前の海域が、水野家の水軍により制圧され、将である水野忠分自ら一番に上陸し、砦へと攻めかかって来た。
「敵襲!」
砦の守将である松平義春は、すわ一大事と飛び起き、大手門へと向かった。
だがその背後で。
「搦手門からも敵襲!」
「何だと!」
長らく攻められることもなく、「ただ居るだけ」という状況に慣れてしまった義春と兵たちは、物の見事に動揺した。
「橋を上げられる前に、行け! 六鹿!」
信光が軍配を前に差し出すと、物も言わずに六鹿椎左衛門は駆け出した。
「橋を! 橋を!」
砦の兵が焦って跳ね橋を上げようとするが、椎左衛門は勇んで跳躍して、橋の上に踏ん張った。
「われこそは、織田家中、六鹿椎左衛門なり!」
椎左衛門は、橋の上から砦の搦手門へ。
動揺する砦の兵。
……早朝、起き抜けから、表と裏から攻められて、村木砦は大混乱に陥っていた。
一方。
砦の南では。
「種子島、構え!」
信長が、日本初の種子島――鉄砲による攻城戦に挑もうとしていた。
彼は、弓の届かないぎりぎりのところまで橋本一巴(平手政秀の義兄)率いる鉄砲隊を進め、そして、鉄砲を撃つ者、鉄砲の弾込めをする者、鉄砲の筒の掃除をする者に分け、それらを順番に配置し、入れ代わり立ち代わり、次々と発射させた。
……のちの「長篠の戦い」で使われたとされる、三段撃ちの原形がそこにあった。
「撃ッ」
轟音が響く。
銃弾が空を裂く。
弓矢の届かぬ距離を越え、それは、砦の将兵を薙ぎ倒す。
「あッ」
「ぐわっ」
「ひえっ」
間断なくつづく銃声。
それと共に斃れる今川兵。
村木砦は、混乱どころか阿鼻叫喚の巷と化した。
「…………」
信長は、だが容赦なく射撃をつづけさせた。
村木砦の今川軍の兵と、織田軍(と水野軍)の兵は、ほぼ同数。
常識的に考えれば、砦内にいる今川軍の方が有利であり、最悪、砦にこもり切れば勝利である。
それを。
「よいかッ! もう勝てない、もう駄目だと思わせるまで撃てッ! 容赦すな!」
かつて、安城合戦にて、今川の智将・太原雪斎は、織田の宿将・平手政秀を火縄銃で退けたと聞く。
だが今は。
「織田信長ここにあり! 村木の砦の今川の将兵どもよッ! 見知り置けッ! お前らを種子島で屠るは、予、織田信長なりッ!」
……攻めること数刻、村木砦の松平義春はついに音を上げて降伏を申し入れた。
こうして申の下刻(午後四時二十分)、戦闘は終了した。
戦い終わり、信長は山間の開けた場所で、そのまま勝利の宴と洒落込んだ。
信長はよほどうれしかったらしく、将兵わけへだてなく、「そこもとも」「そちも」とひとりひとり手を握り、泣いてその奮闘を讃えたという。
――この場所は、そののちに「飯喰場」と呼ばれ、今でもその名で伝えられている。
勝利した信長は、帰りは陸路で、今川方の寺本城に寄って城下を焼き払い、そのまま那古野の城に戻った。
その日は天文二十三年一月二十六日であり、安藤守就が美濃を出発した天文二十三年一月十八日より、まさに「十日以内」にいくさは終わった。
そして信長は守就に丁重に礼を述べ、まだ「十日以内」なので、ぜひ酒宴をと申し出たが、守就は固辞し、翌日にはそそくさと美濃へ帰っていった。
十兵衛だけは抜け目なく酒や米などの礼を受け取って、稲葉山城へ復命したという。
*
「……おつかれさまでした」
「そちらものう」
夜。
那古野城。
城の屋根の上。
寒空だが、その分、星が綺麗だった。
「……平手さまに捧げたかったんでしょう」
「そうよ」
信長は、手に持っていた餅を二つにして、一つを帰蝶に渡した。
帰蝶がもふもふ言いながら食べている隙に、平手政秀への想いを語った。
「……おれの初陣は負けじゃった。大負けじゃ」
吉良大浜の戦いといわれるそれは、信長は多勢に無勢に追い詰められ、だが信長は折からの強風を活用して、火攻めにして敵を退け、那古野に撤退したという。
「……だから、今度こそ、爺のいない初めての戦い――初陣を、勝ちで飾りたかった。爺に捧げたかった」
飯喰場で夜も更け、将兵たちが寝静まった頃。
信長はひとり「爺ッ! これを食えッ!」と、宴に出されていた鳥や魚を天に投げた。
だがそれはまだ起きていた織田信光に見られており、帰蝶はそれを信光に聞いていた。
「叔父上は仕方ないのう……まあ、隠すことでもないから、ええが」
信長は含羞む。
帰蝶はそんな信長がいとおしくなり、つい寄りかかるのだった。




