ジャージ姿で召喚された私、「薄汚い小娘が聖女のはずがない」と王宮を追い出されましたが、王子様みたいな人に助けられました。
「絵美里! 顔汚れてるよ!」
「掃除中なんだから、仕方ないでしょ」
友人たちの笑い声が響く。
私は、大学のボランティア活動に参加していた。街の清掃活動だ。
「……そんなにひどい?」
皆の視線が気になりジャージの袖で顔を拭うと、袖が灰色に汚れた。
(恥ずかしい……)
顔を確認しようと、首から下げていたスマホを手にすると、カメラを起動する。
「鏡、貸してあげる」
友人の一人が、手鏡を差し出してくれた。
その瞬間、真っ白な光が視界を覆い尽くし目をつむった。
(眩しい! 光が反射したの……?)
目を開けると、そこは見慣れない場所だった。窓のない広く薄暗い部屋に、たくさんの外国の人たちが並んでいる。
(何で? ここどこ……? コスプレ……だよね)
私を囲んでいたのは、魔法使いのような長い服を着た人たちだった。振り返ると、外国の兵隊さんのような衣装を着ている人もいる。
皆が、呆然と私を見つめていた。
「お前は……何者だ」
(誰……?)
私を見下ろしていたのは、赤い髪の綺麗な顔立ちの男の人だった。
彼は王子様のような格好をしていて、腰に差してある剣は、小道具にしては随分精巧に見えた。
(ものすごいイケメンだ……)
「……私は、倉瀬絵美里です。……ここは、どこなんですか?」
「クラッセ……? まぁ良い……お前のような薄汚い小娘が、我がロベール王国の聖女のはずがないのだからな」
(薄汚い……聖女? よく分からないけど、そんな言い方って……)
吐き出された言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。すごく嫌な気分だ。
「恐れながら王太子殿下。その仰りようは、聖女様に対してあまりに──」
王太子と呼ばれた男の人が笑い声を上げた。
「お前たち、まさかこの小汚い娘が聖女だと信じているのか?」
その言葉に、部屋は静まり返った。
(汚いって……そんなに何度も言わなくても……)
私は手を握り締めた。不快な気持ちと怒りが、胸の中でぐるぐると回っている。
「あの……ここは、どこなんですか? 私、ボランティアに戻らないと行けないんですけど」
「ああ……悪いが、元の世界に戻ることはできない」
(元の世界? それに、戻れないって……何かのお芝居の練習?)
「それにしても、本当に汚いな……そこの衛兵! この小娘をさっさとつまみ出せ」
「王太子殿下! それはあまりに──」
「聖女召喚は失敗だ。この娘と一緒に斬られたいか?」
その言葉に、周りの人たちは皆真っ青になった。
(聖女、召喚……?)
「これをくれてやる。さっさとここから出ていけ」
「痛……っ!」
男の人が放り投げた革の袋が、私の額に当たった。
近くに立っていた人が、息を呑んだ。でも、微かに動いたその手は、差し出されることはなかった。
「お前のような小娘には、一生手にできないような額だ。……私の温情に、感謝するんだな」
(ひどい……謝りもしないなんて……)
「拾え」
私は、顔を上げた。
「拾って出て行けと言っている!」
あまりの剣幕に、私は震える手で革の袋を拾った。それは、とてもずっしりとしていた。
「衛兵、連れて行け」とその人が冷たく吐き捨てると、扉の方にいた兵隊さんが私の傍に来た。
(泣いたらダメ……きっと、何かの間違いのはず……)
でも──
「嘘、でしょ……」
お城のような建物の中を歩かされ、兵隊さんに促されて外に出た私は立ち尽くした。
空には、太陽が二つ並んでいた。
──『悪いが、元の世界に戻ることはできない』
赤い髪の男の人の言葉が木霊する。
「ここ、どこ……?」
見たこともない空に、涙がこぼれた。
(元の世界に戻ることはできないって、どういうことなの……?)
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
突然に掛けられたのは、ひどく優しい声だった。気遣うような暖かさが感じられる。
「っ……」
ボロボロ泣きながら振り返ると、そこには優しそうな丸顔の、中年のおばさんが立っていた。白い頭巾にエプロン、外国の絵画で見たような格好をしている。
「ひどい顔だね。……こっちにおいで」
おばさんは、同情するような眼差しで手招きした。私は、涙を拭いながら頷くと、彼女に近付いた。
* * *
声をかけてくれたおばさんは、お城の端にある小部屋に案内してくれた。外と繋がる、洗濯室の隣の部屋だ。
おばさんは、このお城で洗濯の仕事をしているそうだ。
「さぁ、中に入っとくれ」
「ありがとうございます」
おばさんが用意してくれたのは、ものすごく大きなたらいだった。そこからは、ほのかに湯気が上っている。
(いけない! カメラ起動したままだった……)
慌ててスマホのカメラをオフにすると、脇にあったテーブルに置いた。
私はリュックを下ろしてジャージを脱ぐと、その大きなたらいに入った。
恥ずかしいので、後ろ向きのまま膝を抱えて座ると、頭から勢い良くお湯を浴びせられた。そして、全身にモコモコの泡がたくさん乗せられ、豪快に洗われ始める。
(これ、石鹸? 全然良い匂いがしない……)
「お湯をかけるよ」
ぼーっとしていると、頭から再びお湯を勢い良くかけられた。
「さぁ、綺麗になったよ」
香りのしない泡で全身を洗われ、綺麗にはなったが、髪がキシキシした。
「今朝から、聖女さまを召喚するとか騒がしかったけど……その関係かい?」
おばさんが、私の着ていた汚れたジャージをちらりと見た。
「……多分」
髪を拭いてもらいながら、私は小さく答えた。さっきの嫌な記憶を思い出してしまったのだ。
「さぁ、これで良い……服は、こんなのしかないけど悪いね」
おばさんが差し出してくれたのは、飾り気のない質素なベージュのドレスだった。見た目も肌触りも綿のような感じの素材だ。
彼女は、私にそのドレスを着せてくれた。
「本当に、ありがとうございます……」
涙が滲み、差し出されたハンカチに涙が溢れた。
「さぁ、髪を整えてあげるからここにお座り」と促されて、姿見の前にある小さな木の椅子に腰掛ける。
古びた鏡に映るのは、ドレスを着た見慣れない自分の姿だった。ダークブラウンの長い髪は、少しもつれている。
ブラシで髪を梳かされ、顔の前に垂れていた髪が左右に分けられた。
「アンタ……随分綺麗なお嬢ちゃんだったんだね! ……でも、その額のアザはどうしたんだい」
「痣……?」
前髪を上げると、そこは青黒く腫れてたんこぶになっていた。
(あの人が、投げた時に……)
思い出して、悲しみと怒りが同時に湧き上がる。
「これは……」
私は、それ以上何も言えず、滲んだ瞳を隠すように俯いた。
「……ああ、まだ名乗ってなかったね。アタシはハンナっていうんだ」
そう言って、ハンナさんは優しい笑みを浮かべた。
「アンタ名前は? 年はいくつだい?」
「倉瀬絵美里です。十九歳です」
「エミリーっていうのかい。アタシの姪と同じ年じゃないか……」
「てっきり、十五くらいかと思ったよ」とハンナさんが声を上げて笑った。
その時──
「誰かいないか!」
隣の洗濯室から、突然に若い男の人の大声が響いて、体が跳ねた。
「エミリー、ちょっと待っておいでね」
ハンナさんは微笑むと、部屋の外へと出て、後ろ手に扉を閉めた
「何の御用でしょうか」
「これを、洗って……たいんだが……」
(何を話してるんだろう……)
私には、二人の会話はよく聞こえなかった。特に、男の人の低い声が聞こえない。
「まぁ、随分大物ですね……」
「王太子……の命令で……」
(王太子……)
──『この娘と一緒に斬られたいか?』
赤い髪の男の人の姿を思い出す。
(私がここにいたら、ハンナさんが……)
これが本当に現実なら、あの腰にあった剣は本物だろう。彼の言葉を思い出して、手が震えた。
私は、脱ぎっぱなしで置いていたジャージを急いで丸めるとリュックの奥に詰めた。
「エミリー、待たせて悪かったね……絨毯の洗濯を頼まれて──どうしたんだい?」
ハンナさんが、心配そうに近付いてくる。
「ハンナさん……助けてくださって、本当にありがとうございました」
私は深くお辞儀をした。
「どうしたんだい、改まって……」
「私がここにいると、きっとハンナさんにご迷惑がかかります……すぐに、ここを離れます」
「これを、受け取ってください。助けていただいたお礼です」と言って、価値もわからない金貨を三枚手渡す。残りは、ここから出てから必要だろうと思って、革袋ごとリュックサックの中に入れた。
「こんな大金、受け取れないよ! それにここを出るったって、一体どこに……」
「ハンナさん。お世話になり、本当にありがとうございました」
私は再び深く頭を下げると、洗濯室から外に飛び出した。
* * *
私は、当てもなく城下町を歩いていた。
二つある太陽に、美しい煉瓦造りの街並みが照らされている。
(本当に、異世界なんだ……)
外国の映画で見るような大きな通りには、様々なお店が並んでいた。
近くのショーウィンドウには、魔法の杖のようなものが並んでいる。
(わ……可愛いドレス……)
パステルカラーのドレスが並ぶショーウィンドウに、私は釘付けになった。
(すごく綺麗だけど、いくらするんだろう……あのお金で、買えるのかな……)
そう考えていた時だった。
「……?」
小さな笑い声に視線を向けると、お人形のように綺麗な金髪の少女がこちらを見ていた。年は、私と同じくらいに見える。
(……私のことを、笑ってるの?)
その子は、髪飾りを付けていて、とても綺麗なドレスを着ていた。隣にも、同じように綺麗なドレスを着た女の人が立っている。
私は、小さく手を握り締めた。
(もう、行こう……)
私は、彼女たちに背を向けて歩き出した。
目に焼きついたあの視線に、胸がざわついて仕方なかった。
そうして、しばらく歩いた私は立ち止まった。
(あの子たち……)
見れば、路地裏から出た所で、汚れた服を着た小さな男の子と女の子が歩いているのが見えた。二人ともすごく痩せていて、歩いている人に話しかけては邪険にされているようだった。
二人の近くに停まっている馬車がとても立派で、その差に胸が苦しくなる。
(貧富の差が激しい国なんだ……お父さんやお母さんは、いないのかな……)
親がいても、病気なのかもしれないし、働いていても貧しいのかもしれない──分かるのは、あの子たちがお腹を空かせているはず、ということだけだった。
「あ……」
二人が立ち止まったのは、パン屋の前だった。
ボロボロの靴で背伸びして店内を覗いている小さな二人に、何故か涙が出そうになる。
私は、迷わずパン屋へと入った。
「いらっしゃいませ」
笑顔を向けてくれた店員さんにホッとする。
暖かな光に満ちた店内には、美味しそうなパンが並んでいた。
子どもが好きそうなパンをいくつか選ぶと、私は金貨を一枚出した。
「お嬢さん、こんな大金、出されても困りますよ」
「えっ?」
「お釣りが用意できません」
気まずい沈黙が流れる。
周りにいた数人のお客さんの視線も気になった。でも、私にはこのお金しかない――
「……お釣りは要りません」
「ありがとうございました」と会釈して、私はパン屋を出た。
(いた……!)
まだあの二人は、そこに立っていた。
「こんにちは」
屈んでそう声を掛けると、二人は少し不安げに私を見つめた。
「お腹は空いてない? パンを買いすぎちゃったの。良かったら食べて」
そう言って、笑顔でパンの入った包みを差し出す。
輝いた二人の目に、目の奥が熱くなった。
「いいんですか?」
そう小さく聞いてきた男の子に、「勿論」とパンの袋を渡した。
「ありがとうございます!」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
二人は天使のような笑顔を見せてくれた。
「気を付けて帰ってね」と手を降って振り返ると、そこには兵隊さんが立っていた。城にいた兵隊さんとは、制服の色が違っている。
「この娘です!」
(なに? ……さっき見た、お客さん?)
兵隊さんの後ろにいたのは、パン屋で見かけた女の人だった。
「金貨を持っていると聞いたが」
兵隊さんの低い声に、私は息を呑んだ。
「何故、お前のような娘が金貨を持っている」
「もらったんです」
そう答えると、兵隊さんは笑った。
「金貨をか?」
「はい……」
「その娘は、革袋いっぱいに持っていますよ!」
後ろからそう叫んだ女の人に、兵隊さんの目付きが鋭くなった。
「出せ」
(怖い……)
私は、言われるままリュックを下ろすと、中から革袋を取り出した。
「これを、どこで手に入れた?」
「お、お城でもらいました……」
「城だと? 盗んだのか!!」
突然怒鳴りつけられて、体が竦んだ。
気付けば、周りをたくさんの人が囲んでいる。どこからか聞こえた、「泥棒」と囁かれた声に、泣きそうだ。
「違います。盗んでなんかいません!」
「とにかく、詰所へ来てもらおう!」
兵隊さんが、私の腕を掴んだ。
(痛い……!)
腕を強く掴まれても、恐怖に声が出せなかった。
(どうしよう……誰か……)
涙が溢れそうになった、その時だった──
「その手を離しなさい」
響いた落ち着いた声に、私は視線を向けた。
そこに立っていたのは、銀髪に緑色の瞳の綺麗な男の人だった。
(王子様、みたい……)
「あなたは……!」
兵隊さんは、彼の後ろの馬車の紋章を見ると息を呑んだ。
「シルヴェストル公爵家の方ですか! 大変失礼を致しました」
深く腰を折った兵隊さんに、銀髪の男の人は冷たい視線を向ける。
「謝るのは、私にではなく彼女にするべきでしょう。その乱暴な振る舞いは目に余る」
兵隊さんが私をちらりと見る。
「ですが、この娘には窃盗の罪が──」
「罪? それは確かですか?」
「城でもらったと言っていますが、城の使用人をしていて、そのときに盗んだのでしょう」
「違います! これは、追い出されるときに渡されたんです」
「何を言って──」
険しい顔で睨みつけてきた兵隊さんから庇うように、銀髪の男の人が私の前に立った。
「この件については、当家で確認をします。城にも報告していただいて構いませんよ」
「それは……」
兵隊さんは、困ったように銀髪の男の人を見つめている。
「この方の身柄は、シルヴェストル公爵家で預かります。何か意見があるなら、改めて当家にご連絡を」
(どういう、こと……?)
「さぁ、乗ってください」
開かれた馬車の扉に、私は立ち尽くした。
(知らない男の人について行くのって、良くないよね……でも……)
彼は、私のことを助けてくれた恩人だ。
それに、このままここにいたら、また泥棒扱いされて詰所に連れて行かれるかもしれない。
「ご不安でしょうが、決して悪いようにはしませんから」と小さく囁いた男の人に、私は覚悟を決めて馬車に乗った。
* * *
走り出した馬車の窓からは、夕陽が差し込んでいる。
馬車の中は、落ち着いたグリーンで統一されていてとても綺麗だった。
ただ、ふかふかの椅子に座っても、この目まぐるしい状況と目の前の綺麗な顔に、落ち着くことはできなかった。
「強引なことをして、失礼をしました」
そう言って彼は頭を下げた。
夕日に煌めく銀色の髪が、サラリと彼の顔にかかり、私は思わず見惚れてしまった。
「私は、フェリクス……シルヴェストルと申します」
「シルヴェストル様……ですね」
そう言うと、彼は小さく微笑んだ。
「フェリクスで構いません」
「……フェリクス様」
「はい」と頷いた彼の笑顔は、あまりに眩しかった。
(本当に綺麗……。あの赤い髪の人とは大違い。あの赤い髪の人、全っ然イケメンじゃなかった!)
私は忌まわしい記憶を封じ込めた。
「お名前を伺っても?」
「あ、ええと……絵美里、倉瀬です」
私は、フェリクス様に合わせて名前を先に名乗ってみた。
「エミリー・クラッセ嬢ですね」
(うーん……何か違うけど、まぁ良いか)
「あの……フェリクス様は、どうして助けてくださったんですか?」
そう問いかけると、彼は少しだけ視線を落とした。
「見ていられなかったんです……それに、貴女のような方が、盗むなど絶対にあり得ないと思って……」
そう言って薄く微笑むと、彼は少し俯いた。その耳は、ほのかに赤く染まっている。
(……とにかく、助けてくれたってことだよね)
「フェリクス様……助けてくださって、本当にありがとうございました」
私はそう言って、彼に深く頭を下げた。
窓の外は、もう薄暗くなっていた。
* * *
「気持ちよかった……」
私は、ふかふかのベッドに腰掛けた。
シルヴェストル公爵家のお屋敷はお城のように立派だった。案内されたこの部屋も見たことがないほどに広く、お姫様が使うような家具が並んでいる。
(フェリクス様と出会わせてくださって、本当にありがとうございます……)
私はそう天に向かって感謝した。
彼に助けてもらえなければ、どうなっていたか──考えるだけで恐ろしかった。
(良い匂いがする……)
広い浴室で花びらの浮いたお風呂に入った私は、メイドさんたちから髪や肌の手入れまでしてもらった。
良い香りのオイルを塗って梳かされた髪はツヤツヤになり、肌もすべすべになった。
着せてもらったミントグリーンのドレスもとても可愛らしいものだ。
私は、壁に掛けているハンナさんから着せてもらったドレスを見つめた。
(ハンナさん、本当に良い人だったなぁ……)
彼女が元気に過ごしていると良いな、と思った時だった。
私は重大なことに気がついた。
──『こんな大金、受け取れないよ!』
別れ際に、三枚の金貨をハンナさんに渡したことを思い出したのだ。もしかしたら、彼女も私のように盗んだと疑われているかもしれない。
心配になった私は、急いで部屋を飛び出した。
* * *
メイドさんに頼み込んで、私はフェリクス様の部屋の前まで来ていた。
部屋の中からは、かすかに話す声が聞こえた。
「フェリクス様。いくら不憫だといっても、素性も知れぬ少女を連れ帰るなど……それに、聖女様への謁見願いもしなくてはならないのですよ──」
「聖女様への謁見願いは後日でも良い。第一、彼女を放っておけるわけがないだろう! それに、貧しい子どもにパンを買い与えるような子だ……。明日事情を聞いて王城に確認をするが、彼女が盗んでいるはずがない」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「勘だ」
「フェリクス様――らしくありませんね。……それに、聖女様への謁見は、少しでも早いほうが良いのですよ。お分かりでしょう」
(何か、話し込んでるのかな……。でも、ハンナさんが心配だし……)
「……あの、どうしてもお話したいことがあって……何とか取り次いでいただけませんか?」
そう頼み込むと、わずかに困った顔をしたメイドさんは、扉をノックした。
「フェリクス様、エミリー様がお見えです」
中から、ガタンと大きな音がした。
少しして、静かに扉が開かれる。
「エミリー嬢、どうかされましたか?」
「フェリクス様、夜分に失礼します。助けていただいて、本当にありがとうございます。実は、お城にいる方の件で、ご相談があって……」
そう願い出るも、返答がない。
見上げると、緑色の瞳が私を見つめていた。
(……?)
「フェリクス様?」
「ああ、いや……ドレスがとてもよく似合っていて、見惚れてしまって……」
そう言って伏し目がちに微笑んだフェリクス様に、私は顔が熱くなった。
(多分、褒めてくれたのはこの国の礼儀的なものだよね。きっと……)
勘違いしないようにしよう――そう思った。
「あの……良かったら、このままご相談させていただいても良いですか?」
(男の人の部屋に入るのは、良くないよね。夜だし、余計に……)
ハンナさんは私を十五歳くらいに見えたと言っていたから、フェリクス様も私をそのくらいだと思っているのかもしれない。だが、何となく入るのがためらわれた。
「立って話すのは疲れるでしょう。……アニーも入ってくれ」
「かしこまりました」
私とアニーさんが部屋に入ると、すらりとした眼鏡の男の人がいた。黒髪がきっちり整えられていて、とても真面目そうに見える。
「初めまして、カーティス・バーネットと申します」
「初めまして……エミリー・クラッセと申します」
(恥ずかしい……)
自分で名乗りながら、心の中は恥ずかしさでいっぱいだった。
でも、バーネットさんの眼鏡の奥の冷たい瞳に意識が向く。
(この人、私のこと……)
バーネットさんの、どこか探るような視線から、私はあまり歓迎されていないのだと感じた。
だが、彼からすれば、私は急に現れた不審な人物なのだろうから仕方ないと思えた。
(バーネットさんは、執事なのかな……)
フェリクス様に促されて、私はソファに座った。
「それで、ご相談とは……」
「お城で働いているハンナさんという女性に親切にしていただいて、お礼として金貨三枚を渡したんです。……もし、彼女も盗んだと疑われていたらと、不安でたまらなくて……」
そう言って見つめると、フェリクス様の瞳が揺れたように見えた。
「失礼ですが、クラッセ嬢……王城から追い出されたとお聞きしましたが──」
「カーティス」
私に質問したバーネットさんを非難するように、フェリクス様が声を上げた。
私は、二人に小さく微笑みかけた。
「フェリクス様、お話します……」
私は、今日突然召喚されて、『召喚失敗』『聖女ではない』と王太子に言われ、金貨を持たされて追い出されたことを簡潔に伝えた。
「そんな……」
フェリクス様は言葉を失った様子だった。バーネットさんは、暗い表情で黙り込んでいる。
「大変でしたね……。さぞ辛い思いを、なさったでしょう……」
フェリクス様は、そう言って薄く微笑んだ。少し元気をなくした様子に、胸が痛んだ。
「ハンナ殿の件は、明日の午前に王城に伺いましょう。……申し訳ないですが、もう遅く、今から行くことは出来ませんので……」
「それでよろしいですか?」と聞いてきたフェリクス様。その隣には複雑そうな表情のバーネットさんが沈黙している。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
私は、フェリクス様に深く頭を下げた。
* * *
翌朝、支度をした私とフェリクス様は、王城へ向かう馬車に揺られていた。バーネットさんも、後ろを走る馬車に乗っている。
窓の外を、映画のように美しい街並みが流れていく。
目の前に座る、どこかアンニュイな表情のフェリクス様も、まるで物語から抜け出してきたように美しかった。白い礼装が、まるで本物の王子様のようだ。
「フェリクス様……本当にありがとうございます」
「いえ、良いのです……貴女のお役に立てるなら、それだけで……」
その儚い微笑みに、私は胸がくすぐったくなった。
(でも、どうしてここまで親切にしてくれるんだろう……)
他に頼れる人もおらず無理を言ってしまったが、フェリクス様は快く付き添ってくれている。だが、バーネットさんは今朝も渋い顔をしていた。
「エミリー嬢……額の怪我は、本当に手当てせずに良かったのですか」
緑色の瞳が、私を心配そうに見つめている。
「はい。自然に治るのを待ちます」
私はそう言って、前髪に隠れた額にそっと触れた。
ズキリとした痛みがあるが、たんこぶも痣もどうしようもない。
(本当、最低だったな。あの王太子)
私は胸の内に湧き上がった怒りを振り払うように、窓の外の景色を見つめる。
(忘れよう……もう、会う機会なんかないだろうし)
窓に掛かる薄手のレースに手を伸ばすと、袖元を飾る若葉色のリボンが揺れた。
アニーさんが着せてくれたドレスは若葉色で、白いフリルやレースに小さな若葉色のリボンがあしらわれた可愛らしいドレスだった。
頭にも、お揃いのデザインの帽子とカチューシャを合わせたようなものが乗せられている。ボンネットというらしい。
(何ていうか、お人形さんみたいな格好よね……)
「エミリー嬢……もし、城での用が無事に終わったら、私の国に――」
「えっ?」
ドレスの袖口を見つめていた私は、彼の声に顔を上げた。何の話をしていたのだろうか。
「ごめんなさい、あまり聞こえていなくて……何と仰ったのですか?」
「いえ……また、改めてお話します」
思わず見つめると、彼の視線が僅かに落とされた。
「エミリー嬢、そろそろ到着しますよ」
フェリクス様の声に視線を上げると、王城の門へ続く橋の上だった。
私は、少しだけ震える手を握り締めた。
* * *
──『ハンナは、兵士に連れて行かれました』
洗濯室でそう教えてもらった私たちは、王城の廊下を急いでいた。
(私の、せいで……)
今朝、洗濯室でハンナさんが金貨を持っていると騒ぎになり、大事に発展してしまったそうだ。
「ハンナさん……!」
「アンタは……」
廊下の先で、兵士に付き添われているハンナさんを見つけた。
振り返った彼女は、目を見開いて私を見つめている。
「エミリーです! 昨日は本当にありがとうございました。私のせいで……本当に、ごめんなさい」
そう言って頭を下げると、ハンナさんは目を丸くした後に嬉しそうに笑った。
「エミリーかい?! まぁ、随分綺麗になって……お姫様みたいじゃないか」
そう言って微笑んでくれたハンナさんに、私は涙ぐんだ。
「兵士には、私が話をつけましょう」とフェリクス様が進み出た時だった。
「──貴様、メイドの分際で無礼だろう!」と兵士がハンナさんを後ろ手に床に押し付けたのだ。
苦しそうに呻いた彼女に、私は悲鳴を上げた。
「やめて……!!」
体が勝手に動いていた。
「エミリー嬢!」
私がハンナさんに駆け寄ると、兵士は廊下の壁に弾き飛ばされた。呻きながら、床へと崩れ落ちる。
(これは、何……?)
気付けば、私とハンナさんを守るように透き通る白い壁が現れていた。
それは、とても綺麗な澄んだ光を放っていた。
「エミリー嬢、貴女は……」
フェリクス様とバーネットさんは、呆然と私を見つめている。
「何の騒ぎだ」
視線を向けると、数名の兵士を引き連れた赤い髪の男の人が立っていた。昨日私を『薄汚い』と罵って、革袋を投げつけて来た王太子だった。
私は、息が止まりそうになった。
額がズキズキと痛みだし、体が震える。
目の前にあったはずの白く透き通る壁は、いつの間にか消えていた。
(どうしよう……)
だが、彼は私を見るなり時を止めたように固まった。
「可憐だ……」
(えっ、何……?)
まじまじと私を見つめた王太子は、私に跪いた。
「どちらのご令嬢だろうか……名を伺っても?」
差し出された手に、私は言葉が出なかった。全身に鳥肌が立っている。
その態度の、あまりの変わりように──
「エミリー嬢」
振り返ると、微笑んだフェリクス様が手を差し出してくれた。
私はその手を取ると立ち上がる。
(ハンナさんを、守らないと……)
私は、まだ少しだけ震えている足で、彼女を庇うように立った。
* * *
金貨の件での騒ぎと、気を失った兵士。そしてフェリクス様がシルヴェストル公爵家の名を出したことから、私たちは謁見の間で話すことになった。
赤い絨毯の敷かれた部屋の奥には、赤い玉座があり、王様とお妃様が座っている。王太子はその前に立って、私とハンナさんを見つめていた。
「それでは、貴女が昨日そこの洗濯室のメイドに金貨を三枚渡したと?」
「はい」
「どうして、そんなことを……」
「親切にしていただいたお礼です」
私の言葉に、その場は静まり返った。
フェリクス様とバーネットさんは、私の後ろで静かに見守ってくれている。
「何故、貴女のようなご令嬢が──失礼……名前を伺っていなかったな」
私は、ため息を呑み込んだ。
「……倉瀬絵美里です」
そう名乗ると、王太子は首を傾げた。
「どこかで耳にしたような……エミリー嬢、か」
そう言ってかすかに微笑んだ王太子。
「倉瀬と呼んでください」と淡々と告げると、王太子の顔が少しこわばった。
「王太子に、なんと無礼な」と眉を顰めた王妃に、「良いのです。母上」と王太子が声を掛けた。
「それで、何故そこのメイドに金貨を渡したのか、聞かせてもらえるだろうか」
「それは……汚れていた私を、綺麗に洗って、綺麗な服を着せてくださったからです」
私の言葉に、部屋の端に控えていた男の人が小さな声を上げた。見ると、昨日私を城の外まで連れ出した兵士だった。
王太子は、「汚れていた……?」と呟き、困惑した顔をして口ごもっている。
その時、謁見の間の扉が開かれた。
「王太子殿下! 気を失っていた者が目覚めました」
「そうか。その者をこれへ」
現れたのは、壁に当たって気を失った兵士だった。
彼は、私を見るなり跪いた。
ざわつき始めた謁見の間で、私は立ち尽くすしかなかった。
「お前……何故、クラッセ嬢にそのように跪く」
冷たい視線を落とす王太子に、兵士が顔を上げた。
「こちらのご令嬢が、聖女様だからです」
その言葉に、あたりの空気が一瞬で変わる。
「まさか……証拠はあるのか? クラッセ嬢、貴女が聖女なのか」
そんなこと、知るわけがない。
王太子の馬鹿馬鹿しい質問に、私は答えなかった。
「聖女様の、光の結界を目にしました」
兵士のその言葉に、静かに歓声が上がる。
「では、聖女様は魔法陣のない地点に召喚されていたということか……とにかく、聖女様がご無事で本当に良かった。――シルヴェストル公爵家にも、褒賞を与えよう」
「さぁ、クラッセ嬢──いや、聖女様はこちらへ」と王太子から差し出された手を、私は振り払った。
「私は、この国の聖女ではありません」
私の声は震えていた。
愕然とした表情の王太子。広がるざわめきに、その場にいた皆が動揺しているのが感じられた。
けれど、私を咎める人は誰もいない。玉座の二人も、呆然と私を見つめているだけだ。
(聖女は、そんなに重要な存在なの……?)
「何を――我が国は、昨日聖女召喚を行った。……貴女が我が国の聖女であることは、間違いありません」
そう言った王太子を、私は真っ直ぐに見つめた。彼の戸惑った顔がわずかに赤く色づく。
(こんな王太子がいる国の聖女だなんて、絶対に嫌……)
私は、小さく握っていた手を強く握り締めた。
「お前のような、薄汚い小娘が、我がロベール王国の聖女のはずがない」
私の声は震えていた。自分で言いながら、胸がひどく締め付けられる。
「貴方が、昨日私に言った言葉です」
息を呑んだ王太子。
静まり返った部屋で、端に控えていた兵がひれ伏した。
「聖女様、どうかお許しください! ……命に逆らえず、大変なご無礼を働きました」
「そんな、まさか――そんなはずはない……」
狼狽えて首を横に振る王太子に、私はスマホを取り出した。
「これが、証拠です」
私は、保存されていた動画をタップすると、王太子へと向けた。買ったばかりの大画面のスマートフォン。音量は、最大にしてある。
『……私は、倉瀬絵美里です。……ここは、どこなんですか?』
『クラッセ……? まぁ良い……お前のような薄汚い小娘が、我がロベール王国の聖女のはずがないのだからな』
王太子の喉から、ひゅっと変な音がした。その顔は真っ青になっている。
周りにいた人たちの声は聞こえづらいが、私とよく通る王太子の声は、はっきりとスマホから流れ続けていた。
スマホから、王太子の笑い声が響いた。
『お前たち、まさかこの小汚い娘が聖女だと信じているのか?』
その言葉に、謁見の間は静まり返った。
隣に立つハンナさんが、私の震える手をそっと握ってくれる。
『それにしても、本当に汚いな……そこの衛兵! この小娘をさっさとつまみ出せ』
「カイン……貴様!!」
国王が震えながら立ち上がり、怒鳴り散らした。
「父上、違うのです! 私は、そんなつもりでは──」
玉座に座る王妃様は、扇を口元に当てながら震えている。
『聖女召喚は失敗だ。この娘と一緒に斬られたいか?』
『これをくれてやる。さっさとここから出ていけ』
『痛……っ!』
私の声の後に、革袋が落ちる重い音が響く。
『お前のような小娘には、一生手にできないような額だ。……私の温情に、感謝するんだな』
『拾って出て行けと言っている!』
「王妃様!!」
玉座で気を失った王妃に、側近たちが駆け寄る。
「四枚減ってますけど……これ、お返しします」
私は、金貨の入った革袋を王太子の足元に放り投げる。それは、重たい音と共に床へと落ちた。
私は、前髪をあげて青黒く腫れ上がったたんこぶを露わにする。
「すごく怖かったし、今も痛いです……。私が聖女だとしても、この国の聖女には、絶対になりません」
そう言ったところで、涙が込み上げてきた。ハンナさんが、そっと背中を撫でてくれる。
涙を見られたくなくて後ろを向くと、フェリクス様と視線が合った。
彼の気遣うような眼差しに、涙がこぼれる。
「エミリー嬢、帰りましょう」
その優しい声に、私は頷いた。
強く握られていた彼の手のひらに、血が滲んでいたことを、私は知らなかった――
* * *
そして、私はシルヴェストル公爵邸へと戻った。
(フェリクス様……)
皆が私を『聖女様』と呼ぶようになった中で、彼だけが態度を変えず、私を名前で呼んでくれた。私は、それがとても嬉しかった。
「エミリー嬢、大丈夫ですか」
花々が咲き誇る庭園の東屋で、傍らに座ったフェリクス様が心配そうに私を見つめている。
「痛いですけど、仕方ありません……早く治ると良いんですけど」
私はそう言って、額のたんこぶにそっと触れた。その瞬間、白い光が広がり、傷みが引いていく。
「痛く、なくなりました……!」
そうフェリクス様に微笑みかけると、彼も淡く微笑んだ。
(これが、聖女の力なの……?)
私は、自分の手のひらを見つめた。
「エミリー嬢、貴女に話したいことがあるのです」
顔を上げると、緑色の瞳が私を見つめていた。
花の香りをまとう風が吹いて、銀色の髪を揺らす。
「私は……実は、フランベルク王国の者なのです」
「フランベルク?」
そう聞き返した私に、フェリクス様は「このロベールの隣国です」と微笑んだ。
「城に着く前に話そうと思っていたのですが……エミリー嬢がもし宜しければ、フランベルクに来ていただけませんか?」
(フランベルク……どんな国なんだろう)
でも、フェリクス様がいる国だ。きっと良い国に決まっている。何故かそう思った。
「実は、助けていただきたい者がいるのです」
「もし来ていただいた後で、我が国──いや……フランベルクが嫌になったら、出て行っていただいても構いません」
私はフェリクス様に微笑んだ。
どうせこの国には居場所がないし、思い出したくないこともある。
「殿下、ロベールの国王から書状が届いていますよ」
(でんか?)
「ああ……しつこいな。丁重に送り返してくれ」
「かしこまりました」
バーネットさんは、頭を下げると邸へと戻った。
「あの、殿下って……?」
私の問いに、フェリクス様は少しだけ困ったように笑った。
「これから話すつもりでしたが……私は、フランベルクの王子なのです。シルヴェストル公爵家は、母方の祖母の実家で……」
「えっ?!」
(王子様みたいだと思ってはいたけど、本物の王子様だったんだ……)
「エミリー嬢……それでも、我が国に来ていただけますか?」
「私で良かったら、よろしくお願いします」
(何だか、変な返しをしてしまったかも……)
真っ直ぐな緑の瞳から視線を逸らすように、私は俯いた。頬が何故か熱い。
ちらりとうかがった彼は、嬉しそうな、とても綺麗な笑顔を浮かべていた。
東屋を吹き抜ける風はほのかに甘く、とても優しく感じられた。
これから少しして、フランベルク王国に向かった私は国王の病を治し、フランベルクの聖女となった。
ロベール王国の王太子は廃嫡され、まだ幼い第二王子が王太子となったそうだ。
ロベール国王は私に許しを請い、『ロベールの聖女となって欲しい』としつこく書状を送ってきていたが、『これ以上関わろうとするなら、“あの動画”を公にする』と伝えたら静かになった。
フェリクス様の厚意で、ロベール城で肩身を狭くしていたハンナさんにもフランベルクに来てもらうことになった。フランベルク城で洗濯メイドとして働き始めた彼女には、給金も環境も良いととても喜んでもらえた。
そして、少し落ち着いた頃。
私に一目惚れしていたのだというフェリクス様に、プロポーズされてしまった。
彼は、ロベールの城下町で私が子どもたちにパンをあげる姿を見て、一目で好きになったそうだ。「パンを差し出して微笑んだ貴女の姿に、目を奪われてしまって……」と恥ずかしそうに微笑んだ彼に、私も顔が熱くなった。
彼に見られていたのは少し恥ずかしいが――今は、この世界に召喚され、ああしてロベールの城を追い出されたことを、本当に良かったと思えた。
「愛しいエミリー……あの時、貴女に出会えて本当に良かった」
「フェリクス様……」
フランベルク王国で始まった、新しい日々。
わからないことばかりで戸惑うこともあるが、寄り添ってくれる彼の笑顔に、何があってもきっと大丈夫だと思えた。
こうして、私は幸せで暖かな居場所を見つけた。彼の傍で――
― Fin ―
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