第64話:英雄の帰還と「大尉」の称号
アルゴスが倒れ、呪縛の解けた森に朝日が差し込みます。
「ディエス様! しっかりしてください、ディエス様!」
エルザが血の海に膝をつき、横たわるディエスの巨体を抱きかかえます。
その背中や腕には、無数の矢が深々と突き刺さったまま。
岩石のような筋肉は、流れる血を止めるように硬く強張っていました。
「……ハンス准尉、早く! 回復魔法を!」
「……ええ、わかっています! リナさん、残存魔力を私に!」
ハンスが震える手でディエスの胸に手を当てます。
魔法が戻った今、ハンスの精密な魔力操作とリナの補助により、治癒の光がディエスの全身を包み込みました。
「……う、うぅ……。ハンス……次は、ベンチプレスの……回数を、増やせ……」
「……この状況でトレーニングの心配ですか。まったく、貴方の筋肉への執着には呆れますよ」
ディエスがうっすらと目を開けると、ハンスは眼鏡を拭きながら、安堵を隠すようにため息をつきました。
「……ん、……ここは?」
ディエスが重い瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは、見慣れた野戦病院の天井と、今にも泣き出しそうなリナの顔でした。
「ディエス様! 気がついたのね! 本当に……本当に馬鹿なんだから!」
リナは包帯だらけのディエスの手を握りしめ、肩を震わせています。
自分が怪我をして足手まといになったせいで、彼が死にかけた――その自責の念が、彼女の瞳を潤ませていました。
「ガハハ……そんな顔すんな。ほら、俺の鉄板のような大胸筋を見ろ。矢が刺さったくらいで、この筋肉は揺らがねぇよ」
ディエスは弱々しくも笑い、安心させるようにリナの胸元へ無骨な手を伸ばしました。
「どれ、リナも怪我はねぇか? ちょっと失礼して……」
「きゃっ!? な、何触ってんのよこのエロ筋肉! 死にかけのくせに元気すぎでしょ!」
リナの鋭いツッコミと共に、枕元にあった水差しがディエスの顔面にクリティカルヒットします。
「……ハハ、いつものリナに戻ったな。安心したぜ」
「……もう、本気で心配してたのに。……でも、よかった」
頬を赤くしてそっぽを向くリナの横で、エルザとハンスも安堵の溜息をつくのでした。
数日後、王都・魔導軍司令部の一角。
静寂に包まれた執務室で、副軍団長アレクシスは窓の外を見下ろしていました。
階下では、四天王を討ち取った「筋肉の英雄」を讃える兵士たちの歓声が微かに響いています。
「……ジョエル。あの大男の報告書は読んだか」
アレクシスが背後に控える男に問いかけます。
そこにいたのは、アレクシスの絶対的な「盾」であり、最も信頼の厚い腹心、ジョエルでした。
「はい、アレクシス様。魔法も浄化も介さず、純粋な質量攻撃のみでアルゴスの術式を崩壊させたとのこと。……規律を重んじる我が軍において、あのような野蛮な個の力は、組織を乱す害悪でしかありません」
ジョエルは大地のような重厚な声を響かせ、不快感を露わにしました。
実直で寡黙な彼は、アレクシスの目指す「冷徹な平和」こそが最善だと信じて疑わず、ディエスの自由奔放さを嫌悪していました。
「ジョエル。君は、彼が私の計画の『障害』になると危惧しているのか?」
アレクシスは、潔癖症ゆえに手袋をはめ直しながら、薄く笑いました。
「……あり得んな。筋肉で四天王を殴り倒すなど、所詮は盤上のイレギュラーに過ぎない。美しく、合理的に再編される私の新世界において、あのような無骨な暴力に居場所はないよ。心臓を貫く一刺しの前には、どんな巨躯も無力だ」
「仰る通りです、アレクシス様。あの大男が貴方の道を塞ぐというのなら、この私が地底深くへ埋め戻しましょう」
ジョエルが静かに拳を握ると、執務室の床が微かに共鳴し、重圧を放ちました。
数日後、ディエスは**「大尉」への特進と、独立中隊の指揮権を授与されました。
包帯姿で謁見の間に現れたディエスは、ルイス軍団長の前で丸太のような太い腕**を組み、高らかに宣言しました。
「ガハハ! 大尉か! ちょうどいい、これからは部下全員に、毎日スクワット三千回を義務付けるぜ!」
「……大尉。まずはご自身の、そのボロボロの体を治すのが先決です。それからスクワットは却下です」
ハンスの冷静なツッコミを背に、王国軍史上最も異質な「筋肉中隊」が、正式に産声を上げたのでした。




