第33話:重いものを持ち上げた経験のない正義
学園の放課後。夕闇が迫る演習場で、勇者アリオスは一人、ボロボロになりながら魔法杖を振っていた。
「くそっ、まだだ……! もっと強くならないと、本当の意味で……故郷のみんなを守れるようになんてなれない……!」
その必死な姿を、俺ははち切れそうなシャツの胸板を揺らしながら、茂みの陰から見守っていた。
俺にとっては「将来の保険(勇者)」が順調に育ってくれることが、開拓地でのゴロゴロ隠居生活への最短ルートだ。
だが、今のアリオスは気負いすぎだ。ただ闇雲に剣魔力を込め、自分を追い詰めている。
「……アリオス、もう休んだほうがいいわ。あまり根を詰めすぎると体が壊れちゃう」
彼を心配そうに見守るのは、先日「筋肉偵察」の際にチラリと見かけた聖女クレアだ。
控えめで心優しい彼女は、幼馴染のアリオスがボロボロになっていく姿に胸を痛めている。
だが、アリオスは「大丈夫だ」と強がるばかりで、彼女の手を取ろうともしない。
(見てられねぇな。あのアミノ酸の足りてねぇ雰囲気……)
俺は一歩、茂みから踏み出した。
「おい、アリオス。そんな細い枝みたいな腕で、何を守るつもりだ?」
「……えっ!? 貴方は……あの時の『筋肉愛好家』の……!」
アリオスが驚き、木剣を構え直す。クレアもまた、目の前に現れた「城門のような巨漢」を仰ぎ見て、息を呑んだ。
「あの……ディエス様……?」と、彼女が小さく呟いたのが聞こえた。
「アリオス、お前の正義感は立派だ。だがな……」
俺は地面に転がっていた、重さ数トンはある魔導訓練用の重石を片手で軽々と持ち上げた。
鋼のような上腕二頭筋が、夕日に照らされて不気味なほど輝く。
「その細っこい腕で何が守れる? 重いものを持ち上げた経験のない正義に価値はない」
「……価値がない……?」
「言葉だけで『守る』なんてのは簡単だ。だが、実際に何かを守るってのは、理不尽な重荷を背負い続け、それを力ずくで跳ね返すことだ。物理的な重さに耐えられない奴に、他人の人生という重荷を背負えるわけがねぇだろ」
俺は重石を軽々と放り投げ、地面を揺らした。
そして、呆然とするアリオスの目の前で大胸筋をピクピクと躍動させた。
「正義を語りたきゃ、まずその貧弱な三頭筋をどうにかしろ。筋肉は裏切らねぇ。お前が守りたいものの重さを、そのまま筋肉の負荷に変えてみせろ!」
静寂が流れた。
背後でリナは「また始まった……。ディエス様の脳筋理論が勇者にまで伝染してしまう……」と頭を抱えている。
だが、アリオスの反応は予想外だった。
彼はハッとした表情で、自分の細い腕を見つめ、それから俺の圧倒的な肉体を見上げた。
「……守りたいものの重さを、筋肉の負荷に……。そうです、僕はただの理想を振り回していただけだった。重みに耐えるための『地力』が足りなかったんだ!」
少年の瞳に、危険なレベルの情熱が宿る。
「あの! 名前も知らない筋肉愛好家さん! いや……筋肉師匠! お願いします、僕を鍛えてください! 僕に、本当の意味で『守れる筋肉』を教えてください!」
「……は? いや、俺は適当に言っただけ……」
「お願いします! 師匠!!」
アリオスが地面に頭を擦り付ける勢いで頭を下げる。
横ではクレアが「あの……アリオスくん、本当にいいの……?」と戸惑いつつも、なぜか俺の筋肉を見て「懐かしい、温かいパワーを感じます……」と頬を染めている。
「ディエス様……。また、取り返しのつかない方向に若者を導きましたね」
リナの冷やかな視線が刺さる。
こうして、未来の勇者が「筋肉の道」へと足を踏み外した、伝説の師弟関係(?)が誕生してしまった。




