異世界で賢者の助手になった話
世界というのは意外と穴だらけで、その穴がふいに繋がることもあるらしい。私は十二年前にこの世界に落ちてきた。
魔法があって魔獣がいる世界だ。危険は多いし苦労もした。話す言葉は通じたものの、文字は読めなかったから勉強も頑張った。たまたま良い人に拾われて、色々なことを教えてもらった。
私には氷の魔法が使えたので、魚屋さんや冷たい飲み物を出す店に氷を売る仕事をしている。
勇者にも聖女にもならず、派手な刺激はないものの平和で穏やかな毎日。友達もいるし、悪くない生活だ。
だからいきなり『日本に帰れる』と言われた時、最初に感じたのは『何を今更』という気持ちだった。
故郷を懐かしく思うことと、実際に帰りたいかどうかは違う。もし、日本でも十二年経っているのかもしれないと思えば手放しで喜ぶことなどできなかった。
私はあちらではもう死んだ人間なのでは?
帰った所で何ができるだろう。私は小学校すらちゃんと卒業していないのだ。友人も家族も、きっと扱いに困るはず。
「えっと……別に帰らなくていいです」
国一番の魔法使いとかいう賢者様がきょとんとした顔で私を見ていた。
「何故? こちらに恋人でもいるのか?」
「いませんよ。ただ、積極的に帰りたいとは思っていないだけです」
私の返答は賢者様には衝撃的だったらしい。
「異世界人は皆帰りたがるものだとばかり」
「でも帰っても苦労しそうですし……」
「ならば頼みがある」
「はい?」
「魔法に頼らない暮らしというのがどんなものか、俺に教えてくれないか?」
「……構いませんが」
科学技術が発展していないこの世界で、私が何か説明した所で役に立つとは思えなかった。でも、賢者様は好奇心だけで異世界のことを知りたがったわけではないらしい。
剣と魔法の世界ではあるけれど、魔法が使えない人も少しは存在する。賢者様はその人たちの暮らしを少しでも楽にしたいと言う。
「ドライヤーは温風が出る機械です。この風は熱風です。これでは髪が焦げます。あと、火傷しそうになりました」
試作品の魔導具を前に私がそう指摘すると、賢者様は「むう」と唸って眉を寄せた。
「加減が難しいな……」
「もう常温の風で良いのでは」
「いいや。再現してみせるとも」
賢者様は天才と言われるだけの人ではあった。食器洗浄機や掃除機、冷暖房に洗濯機など、様々なものを科学技術無しに作り出してしまった。
本人は自分でお茶を淹れることもできず、片付けも苦手で本は出しっぱなし、すぐに不摂生をして生活力に欠けるが、やはり凄いお方なのだ。
今では裕福な家のキッチンには冷蔵庫があるし、食品輸送用の保冷馬車なんてものも存在する。おかげで氷がまったく売れない。まいった。このままでは家賃が払えなくなるのも時間の問題である。
「どうした、ため息なんかついて」
「いえ、仕事がちょっと……」
「仕事? ああ、君は氷売りだったか。そうだな、確かに氷は売れなくなっただろう。良ければ、君を俺の助手として雇おうか?」
すぐに雇用契約書が出てきた。どうやら以前から用意はされていたらしい。条件はまあ、悪くはないか。
私の暮らしは平和で穏やかなもののはずだった。けど今は、魔法以外はポンコツな賢者様と、十日に一度は何かを爆発させる魔導具技師たちに囲まれて、なかなかに刺激的な日々を送っている。