検査結果と異常
アキラを突き飛ばしたあの一件が、僕のすべてを変えた。
診断結果は「異常な筋力」と「超深夜型のクロノタイプ」──
それは「バグ」なのか、「進化」なのか?
そして知らされる、“夜組”の真実。
僕は、本当に“落ちこぼれ”なのか? それとも、“選ばれし者”なのか?
「清麻呂くん、お待たせ。検査の結果が出たよ。良い知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたい?」
「良いほうからお願いします」
一礼して告げると、「へぇ」とマスクの中で呟いた声がかすかに聞こえた。
「今回、なぜ検査をされたのか、わかるかい?」
「……明を突き飛ばした関係で、僕も多少の怪我をした可能性があるからでしょうか」
「明くんは頭蓋骨陥没でまだ危篤状態だ」
「えっ?」
たしかに血がでてたけど、そこまで?
僕のこの両手で突き飛ばしただけで? 明のほうが体格は大きいし、…………僕の手は、かなり小さい方に入る……よな? カツヤのほうが凄く大きい。
「そう。五歳の君の両手で突き飛ばしただけで、子どもの頭蓋骨が陥没したんだ。理由は?」
「当たりどころが悪かった……?」
でも、あそこは別に角でもなかった。
「君の筋力が強かったからだよ」
僕の腕力が強かった?
「つまりはね、君の身体には、同年代の子どもの3~5倍に相当する筋力があるんだ。
普通の子なら、同じように突き飛ばしても、たんこぶができる程度で済んだはずなんだよ。でも君の場合、それが致命的な衝撃になった。わかるかな?」
僕の力が異常?
手のひらがじんわり濡れてくる。ズボンの腰で拭ったけど、どんどん濡れる。気持ち悪い。
「その筋力の異常な強さ、つまり“力の異常な出方”は、ただの体質とは言えないんだ。
君の体の中で、普通じゃないことが起きてる。詳しくは追加検査が必要だけど、遺伝的な筋疾患か、あるいは神経系の異常、ホルモンのバランス異常などが疑われる。
いわゆる、遺伝子のバグだね」
目の前の白衣の人が、少しだけ姿勢を正した。
「君の力は、誰かを守ることもできる。だけど、使い方を知らないままだと、また誰かを傷つけるかもしれない。
だから、これから一緒に、君の体のことをちゃんと調べて、学んでいこう。いいね?」
「はい」
ソレ以外何が言えるんだ? バグ? 虫の英語? コンピュータの異常現象? それが、僕に?
「そして、君のクロノタイプはね――超・深夜型だ。君は夜にこそ、最高のパフォーマンスを発揮するんだよ」
「……はい」
たしかに、悪い知らせだ。それって『夜組』ってことじゃないか! 脱落だ!
「で、ここからが悪い知らせなんだけど……」
え? 『異常な腕力』や『夜組移動』は『良い知らせ』なの?
ああそうか『良い方向に特別な能力を有している』ということか!
え? 夜組もいい知らせなの?
「君の身体能力は深夜に進化を発揮する。だから、今の昼型生活を夜型生活に変えていく必要があるのだよ。一週間で15分ずつ、就寝起床時間を遅くしていくのが最適なのだけれど…………そうすると、昼活動と夜活動の真ん中に来る当たりで、どちらの生活も不完全になるのだよね。
だから、一気に夜型にシフトしてもらいたい。
深夜塔に引っ越しして17時就寝、二時起床だ。
最初の三ヶ月はつらいだろう。
これが、悪い知らせ。
睡眠時間を変更するのは君の想像以上につらいよ。でも、成し遂げてほしい」
先生の手が伸びて、僕の頭をぐりぐり撫でた。
「そして、さらに良い知らせ。
その時間帯に慣れれば、君は今よりもっと、活躍できるよ」
一瞬、理解が追いつかなかった。深夜型? それが何か、いいことのように言われてる? バグって悪いことじゃないの?
「……それは、夜組ってことですよね」
そう言うと、先生は首を傾げて苦笑した。
「夜組って、誰から聞いたの? そういう言い方は、正式には存在しないはずなんだけどなあ」
「……運動場の倉庫の裏で、誰かが話してました。夜組はクズだって……」
そう言えば、噂でしか聞いたことがなかった……かな?
「うん、それは馬鹿な子の言い草だ」
先生は、手のひらを下にして、両方に広げて見せた。空気を水平にカットされたかのよう。
「それはただの無知だよ。
『超深夜型』っていうのは、学問的な正式名称じゃない。僕が君に便宜上そう呼んでいるだけ。
医学的には『クロノタイプのウルフ型の極端なバリエーション』かもしれないし、『神経系の一部が夜間特化している状態』とも言える。
でも、どんな名前でも関係ない。重要なのは、君が夜の時間帯にこそ、他の誰よりも能力を発揮できるって事実だ。
社会がまだ対応していないだけで、君は“遅れてる”んじゃない。“先に来てる”んだよ」
先に来てる! 僕が! それっていいこと? だよね? お母さんに褒めてもらえる!
「脳の活動ピークには個人差があるんだ。
人類がまだかろうじて焚き火を使っていたような時代。昼の狩りより夜の狩りのほうが都合が良かった。肉食獣が夜行性なのがその証拠だね。
獲物は、夜は寝ている。
だから、寝込みを襲うほうが狩りの効率が良かったんだ。
人類も、それに習って、夜の狩りをした。
視力が良くなり、気配に敏感になり、機を見るに敏になる。獣を取ってくるから集落でありがたがられる。族長になる。
でも、それは狩猟生活をしていたときだけだ。
今のように、「会社が八時から」という社会になると、昼対応ができなければ落伍する。残念なことに、この昼型社会で夜型人間は排除され続けた。早起き神話だけがもてはやされた。
社会構造として、時代的に仕方ないとは言え、もったいないことだ。
君も知っているだろうけれど、人間のクロノタイプに種類がある」
「すいません、クロノタイプという言葉自体、初めて聞きました」
「……教科書では教えてないから、知らないのは当然だ。気にしなくて良い。
じゃあ、クロノタイプについてカンタンに説明しよう。
例えば、朝方の『ライオン型』がいる。夜は早く眠り、夜明けとともに目を覚ます。狩りをするなら、夜明け前から準備して、太陽が登るころにはもう獲物を仕留めて帰ってるようなタイプだよ。頭が冴えてるのは午前中だけ。午後には電池が切れる。
その次が『ベア(熊)型』。このタイプが一番多い。日の出とともに活動を始めて、昼間に一番力を発揮する。いわば、太陽の動きに合わせて動く“社会標準型”だね。類人猿は基本的に昼行型だから、大多数がここに入る。
そして『ウルフ型』。夜型だね。昼はまだ頭が回らなくて、夕方から夜にかけて調子が出る。言い換えれば、夜に焚き火を囲んでいるときが、このタイプのゴールデンタイムってこと。芸術家や思想家にはこのタイプが多い。
それから『イルカ型』。これはちょっと特殊でね。睡眠の質が浅くて、いつも神経が張っている。でも、集中する瞬間はすごく鋭い。常に警戒している哨戒兵みたいなものかな。
そして、君の、超深夜型。そう、みんなが寝静まっているときに気楽に夜番をしたり、狩りに行ったりする者たちだ。昼行型の人間にとっては、夜番はツライものだけれど、超深夜型にとっては凄く楽なんだね。でも、夜番ではなくても夜起きているし、昼動かないから、『夜の狩りが巧い』という優秀さがなければ、怠け者や変人あつかいされてしまうだろう。
だから、超深夜型は行動もずば抜けて良い者しか生き残れなかった。『夜、狩りをして大量の肉を持ってきてくれるのだから、昼寝ていても誰も文句は言わないし、女たちが強い子どもを欲しくて群がってくる』その状態でなければ、生き残れなかっただろう。それが君の筋力増強にでているかもしれないということだね。
遺伝子というのは、必ずハズレ値を持っている。ハズレ値というのは、「他とは違う少数意見」みたいなものだ。ハズレっていうと悪く聞こえるかもしれないけど、本来は“外れたからこそ生き残れる”って意味だよ。民主主義だと切り捨てられてしまうけれど、少数意見も大事、というのはそういうこと。ハズレ値というのは「少ない」であって「間違っている」わけではないんだ。例えば、ほとんどの人類は右利き、足も右が強い。だから、不安な時は、右足が強くなるから左に左に行ってしまう。そのため、霧の中でも行動を予測されて敵に討たれる。不安な時に自然に右に行くのは左足が強いというハズレ値。でも、ハズレ値を知っていれば、どうだい? 利き足が右だとしても、左より右に行ったほうが、生き残る確率が上がると思わないかい?
自然とハズレ値を選択することはないとても、ハズレ値を知っていれば、『他の人とは違うことができるから成功しやすい』とも言える。もちろん、失敗もしやすいけどね。
『みんなより成績が高い』から『良い成績』なのだよね? ならば、みんなと同じことをしていたら、みんなを抜けないよね? 君はそれをわかっているから、みんなと違うことを率先して実行してる。早く動くことで、「普通なら何もできない待機時間で勉強する」ことができている。それが、ハズレ値の実行だよ。
君は“みんなと違う”というだけで不安になったかもしれない。でも、その違いが、誰かの役に立つとしたらどうだろう。
“普通”じゃないということは、“誰かの代わり”にはなれない。でも、“君にしかできないこと”があるということなんだ。
例えば、遺伝子のハズレ値は種の存続に関わる。例えば、突然太陽が出なくなったら、昼行型の殆どの人間は頭がおかしくなって死滅するだろうけど、夜型の人間は正常に生きていける。その世界では、夜型遺伝子だけが生き残り、夜型人類が「普通」になる。適応進化というものだね。
SDGsで多様化が重要だと言われるのもそのせい。多様化すれば、どんな事態でも、誰かが生き残る。ほとんどの人間は狭小空間に弱いが、強い人間もいる。なぜなら、太古の昔、狭い洞窟で生きていたからだね。でも、家を作る能力を持った人類は、平原に出た。だから、狭小空間に弱くなった。狭いほうが落ち着く人というのはその遺伝子を継いでいるのかもしれない。
この施設ではないが、普通の日本人は「四畳半にこたつ」という生活を知っている。狭小住宅の狭小スペースに対応した人類が日本人であるとも言えるんだ。心理学的にはパーソナルスペースが狭い、という言い方もある。OECDの住宅一人当たり面積も日本は先進国中で狭め。高密度都市での生活満足度調査も日本人の「我慢強さ」や「適応力」の高さが指摘される。マイクロアパートやカプセルホテルの普及は世界的にも珍しい高密度居住形態。日本人は、洞窟人類の遺伝子を活性化させたかもね。カプセルホテル耐性、和室脳などだ。世界で珍しいんだよ。他にも、日本人にはわかめの消化酵素を持っている人が、世界的に見ても抜群に多い……とかもハズレ値だ。
例えば『マイピ(Minecraftのようなゲーム)』というゲームで、みんな地上に家を作るけど、俺は洞窟を作るタイプ。だから、狭小対応の遺伝子を持っているのかもしれない。俺としては効率を考えると、あのゲームでは洞窟を作るのが一番効率がいいと思うだけなんだけど、普通はそうじゃないから家を作るんだね。
『家を作るもの』という先入観でそうしているだけの者も多いだろう。
話がそれたね。
超深夜型が獲物をたくさん取ってくるからと言って、真似できないんだよ。昼型の人間が夜の狩りとか無理なんだ。夜は頭が働かないからね。
深夜型と早朝型も全体人口でいうと少ない。人類は基本的に昼行型だから。でも、その特性を活かせれば、昼行型が活躍できない場所で活躍できる。
だから、夜の世界というものがあり、摩天楼が賑やかなんだ。でも、朝型にはまだ社会がほとんど対応していない。
その中でも、君の超深夜型という特性は、ハズレ値だ。
普通の社会ではほぼ落語するだろう。でも、ここでは、それを生かしたい。
なぜなら、君はすでに昼でも成績トップだからだ」
プスッと、僕の胸を差すように人差し指で突かれた。
「だからこその、『夜組』への移動だ。
昔は昼に働くことが正義だったけど、今は違う」
僕は唇を噛んだ。昼組にいたい。それは本能だった。でも、先生は淡々と話を続けた。
「君の脳波は、午前2時から5時が一番安定していた。テストの反応速度も記憶力もその時間帯に最高潮を示している。逆に午前9時から12時は、反応が鈍い。無理に昼に働かせたら、君はパフォーマンスを落とすどころか、病気にもなるよ」
「……でも、昼組のほうが成績が良い人が多いって、みんな言います」
「その『みんな』って、君より頭がいいの?」
「僕が最高成績です!」
そこは譲らない! 絶対に!
「だろう? 君よりバカが言った憶測に君が左右される理由は、ないんじゃないかな? そういうところも、君の優しさの一部だろうけどね。
それに、それは、昼型が正義だった過去の話。
この施設では、天才を育てたいのだよ。すべての子どもの才能を伸ばしたい。だから、いろいろなことをしているだろう?
今は適正に合わせて活動時間を振り分けている。夜に強い子が、夜の方が輝けるのは当然だろう? ……今の、君の次席、カツヤくんだったかな? 君が夜に適応できたら、軽々追い抜けるよ」
「夜でも昼と同じ授業やテストを受けられるのですか?」
「もちろん。そうでないと、才能を潰すことになってしまうよね? ……でも、ああ、うーん……まったく同じではないね。夜組は人數が少ないから、大部屋で講義、てはなく一対一になることもある。そうなると、質問しやすい。完全に君に合わせて授業が進むから、そこ、もう知ってる、みたいなことがなくなって就学が早くなるのではないかな」
「……良い方に変わるんですか!」
悪くなることしか考えてなかった! えっ? そうなの? 良くなるの? 夜のほうが、良いの?
「そうだね。人數が少ない方に入るということはそうなる。逆に言うと、僕達の研究材料になるということだけどね。超深夜型はめったに居ないし、君の成績はすでに抜群だから、10歳までに大学教育もカンタンに終了するのではないかな」
先生の言葉は、正しいように聞こえた。でも、僕の中にある“昼組こそ勝者”という概念が……重い……
「どうして、そんなに昼組にこだわるの?」
先生の質問に、僕はしばらく黙ってから答えた。
「……お母さんに、会いたいからです。お母さんは、昼にしか、あまり会えないから」
「……お母さん……? ああ…………彼女ね…………最近、君がお母さんにあったのは何時だった?」
「……二時、でした」
「うん。その時間でも、お母さんに会えたよね?」
「え?」
ああ、いや、そうか…………? えっ?
「あの日だけお母さんが特別だったのでは?」
「夜でも会えるよ。昼しか会えないという決まりは無い。僕のほうが今驚いた。
……ああ! だから昼組夜組という区分けが流行ったのかな? 夜組はお母さんに会えないという憶測で? 違う違う。
今度周知徹底しておくよ。夜でもお母さんに会える、とね。それで夜組差別はなくなるかもね。いいことを聞いた。ありがとう」
いいことが言えた? やった! お母さんに褒めてもらえる!
「清麻呂くん、君は特別に頭がいい。でもね、社会ってのは、順位じゃなくて、適正で回っているんだ。無理をすれば壊れる。体も、心も。君には、夜のほうが向いている。それを恥ずかしいとは思わないでほしい」
「はい」
僕は大きく頷いた。
「夜組=クズ」──それは噂に過ぎなかった。
昼型社会に適応できなかった者ではなく、夜にこそ輝く者たち。
清麻呂は、自分の「異常」をどう受け入れていくのか?
そして、“お母さん”と再び会うことはできるのか。
次回、夜の塔への転属と、新たな世界の扉が開かれる。