表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

蒼い闘志を燃やせ!

作者: しらつゆ






俺は一体、何になりたいのだろう。

将来の夢なんて自分以外誰も分からない。

ただ、何かしておかないと、未来の自分は困った顔をする。

永遠なんてなく、時間は止まることがない。自分で足を止めることができたとしても、時間は、時計の針はカチカチと動き続ける。

いつかは俺だって大人になる。未来の道がいい方に行くのか、悪い方に行ってしまうかは分からないけれど。

この話は、そんな俺に突然やってきた、未来を変える出来事だ。





     

           *






「あの、佐藤さんは、テレビでプロ野球見ないんですか?」

 小学四年生の時、俺は体育教師、伊藤先生から三者面談で野球の話を持ちかけられた。

 俺は体育が大の苦手で何をやってもダメ。

野球などルールはもちろん、バットの握り方さえ知らないとも思われているほど。

「どうしてですか?」母は聞く。

「今学校でソフトボールやっているんですけど、バットの握り方とか振り方とかがめちゃくちゃで…」

「本当ですか。今晩から見せます」

 俺の母はその日から野球を見せるようになった。それも、呆れるぐらい野球ばっかり。

俺は地元のプロ野球チームを応援することにした。そのチームは言ってしまえば、とても弱い。俺が生まれるずっと昔に日本一になって以来、一度も優勝していない。

「あーあ、チャンス逃しちゃった!」

 同点でワンアウト満塁のチャンスだったのに、あいにくにも併殺打。

 でも、俺は弱いチームだからこそ応援する。それが俺のモットーだ。なぜなら、優勝したらいつも優勝するチームの倍…あるいはそれ以上の喜びを感じられるからだ。その日がいつかくると信じて俺は心から応援する。

俺の一番好きな選手はこのチームのキャプテンである。バッターボックスに立ってバットを振る姿は美しい。やっぱりプロはかっこいい。応援歌もいい。

「蒼い闘志」

最初の言葉はそれだ。意味はわからない。でも、単純にかっこいいと思う。ユニフォームが青いのも気に入った。傍らにいる父に言う。

「野球選手っていいよな。みんなに応援してもらえて、チームワークだから一人一人が協力して戦う」

「まぁ、確かにな。だが、みんなが一斉に試合に出られるわけではない」父は、酒の入った缶を片手に真剣にテレビを見ている。

「でも、やっぱりいいなぁ。俺、野球選手になりたい。」俺は思い切って言ってみた。いいね、という言葉を期待した。が。

「無理だよ」、父にはっきりとそう言われてしまった。

「どうして?」

「野球の世界は厳しいんだ。甘い覚悟でなれるものか!」

 バットの握り方も知らないような奴が選手になれるわけないと思ったのか。

「それに、練習できる場所もないだろう」 

 そうだ。ここは大都会。家の前は車がビュンビュン走っている。

(それなら、土手で…)

 俺は夕方、こっそりと家の近くの河川敷に向かった。家の玄関が開けっ放しになっているのに気づいていなかった。

 俺はバットを振った。車庫の後ろにあった、錆びて一部が茶色くなった汚いバット。何回も何回も同じことを繰り返した。   

 しばらくして父が探しに来た。見つけてホッとしたのか、俺を抱きしめる。

「そうか、そうか。お前、本当に野球選手になりたいんだな。よし、ならば、頑張れ。」

 父は、そう言ってくれた。これで、夢に向かって突き進めると思った。

俺にはまだ、自分の身に起こることが分かっていなかった…

「おまえの名前、(しゅう)はボールにちなんで付けた名前だ。最初はスポーツに興味を持ってくれず、残念で、少し否定的な考えになってしまった。すまない」

 帰り道、父は突然そう言った。 

(いやいや、謝るのは俺の方だ。)

(あぁ、そういえば、父は、初期の肺がんを持っていたな。まだ初期だから治療はしていないけど。)

俺は嫌な予感がした。父がある日突然パタっと倒れて死んでしまうのではないか。俺は首を振った。

そんなこと思っちゃダメだ。

俺はこれ以上考えないようにした。 

 小学校を卒業して、俺は運動部に力を入れているという私立の中学校、「臨海中学校」に進学した。俺はもちろん野球部に入った。

ここの野球部は、生徒を中心とした部活であった。

中学生になって、キャリア教育などをやっても、俺の野球選手になりたいという夢はブレなかった。

 ところが、中学二年生の夏休みのある日、俺の未来が変えられる事態が起きた。俺の身にとてつもない現実を突きつけられたのだ。

――打てない。打てるのは、せいぜいゴロかライナー。だから、今では試合にさえ出させてもらえない。

一年間野球部の部員として活動してきたのにこのありさまだ。

言ってしまえば、後輩として入ってきた一年生よりも下手だ。

俺は毎日目に薄い膜を浮かばせていた。泣きそうなのをぐっと堪えていると苦しくて仕方がなかった。

試合の日はベンチに座って、頑張る選手に向かって声をからして叫ぶだけ。俺はまだベンチに座れているが、出番がないためいつ外されてもおかしくない。

もうあと二ヶ月も立たないで三年生は引退し、代替わりするというのに。

俺は焦った。やっぱり、ダメだったのかな。

 とうとう俺は三年生主将の鈴木に放課後「帰るな、ここにいろ」と言われた。

まだ鈴木は来ていない。鈴木とは学年はもちろん、階も同じじゃなかったから、気持ちを落ち着かせる時間があって少し助かった。

約束に忠実な俺は、帰らず待った。電気も、空調もついていない薄暗い教室の中、一人身をすくめながら。

 やがてガラガラと重い音がして扉が開き、主将が入ってきた。椅子に座ってきた主将から九十度体を横向きにし、俺は顔を背けた。

鈴木はそんな俺を構わずまっすぐに睨みつけてきた。

勢いよく体が震えた。視線が重くて、体を突き抜けるように伝わってきた。

「何のためにお前は野球部に入ったんだ」

 最初に口を開いたのはもちろん主将だった。

「将来のため…将来、野球選手になりたいからです」

 俺は、顔を背けたまま小声で言った。

「だったら、何故?努力しない。一体なんなんだ、お前は…」

「……」

 言葉が奥で詰まるような気がした。主将の声はどんどん地を這うような声になっていく。

「俺だって頑張っているつもりです。でも、ダメなんです。やっぱり、無茶だった…」「ダメだなんて思っているからダメなんだ!つもりとは、何だ?」

 鈴木は俺の言葉を遮るように言った。はっ、となる。俺は主将の方を横目でチラリと見た。

「そうか、そうだよな。お前の名前は珠。これには、どんな思いが込められているのか知っているか?」

 俺はしばし考え口を開く。

「父が言っていました。ボールにちなんで付けたって。でも俺が野球に興味を持ち始めた時にはもうかなり遅くて、否定的な考えになったと…」

 最初は自分の名前の意味など考えたこともなかった。

「それでも俺は本当の自分の名前の意味を知った時、その想いに応えたくて、どんなに否定されても遅くても打てなくても、野球部に入って、精一杯頑張ると決めました」

 ぎゅっと膝に置いた拳を握りしめる。

「…そうなのか…」

 夕陽が傾き始め、辺りがオレンジ色に包まれていく。少しずつ暗くなっていく教室の机の下に俺たちの姿の影がやけにはっきりと映った。

主将は黙り込んでしまった。

 そしてふいに主将は立ち上がると、俺の背中を軽く叩き、「頑張れよ」と一言言って、教室を出て歩いていった。

「ちょっと待ってください!」

 俺は教室を飛び出した。遠ざかる背中に向かって叫ぶ。主将は立ち止まり、振り返った。

「役に立てなくて、ごめんなさい」

 俺は、遠くで振り返った主将に向かって、頭を下げた。

「大丈夫さ。お前の本気を出せ。弱音を吐くな。決意は聞いた」

 それから主将はそうだ、と俺に何かを投げてきた。

思わず受け取ると、それは泥にまみれて薄汚れたボールだった。これは県内で優勝した時に昔の生徒が打った、ホームランボールだった。

今は部活の象徴として、主将が持つものだ。

「…これは…」それを見て、俺は驚きのあまり聞き返した。「これは大事なものですよ!どうして、俺に?」

 しかし返事はなく、主将の姿はなかった。幻のようにその場から消えていた。

 次の日から、主将と三年生は一度も部活に来なくなった。

(――決意は聞いた。弱音を吐くな。)

 昨日聞いた主将の声がはっきりと頭に響く。このボールを渡したということは…俺に全てを託したんだ。あの時はっきりと言えなかったことを、ボールとして返した、なら。

「俺が引き継ぎます」

 俺は、目の前の一年生と同級生に言った。しかし、帰ってくるものはきついものであった。

「お前が主将だと?俺よりも下手なおまえがか?」

 同級生のチームメイト、久代(くしろ)だ。その言葉にチームメイトは少々呆れていた。その空気を一新するかのように、同級生の他のチームメイトが動いた。

副将(副キャプテン)になれば?」口々に言った。そして、さらに一人のマネージャーが言った。

「私たちのチームは上手い人も下手な人もいる。下手な人は下手なりに努力する。上手い人は教える。私たちのチームだけじゃない。プロでもそうだ。みんな、練習しないと上手くなれないのだから…」

 マネージャーはかつての主将のように優しい口調で静かにそう話した。

「よし、さぁみんな早く練習開始だ」

 (上手い、下手は関係ない。)

確かにその通りだ。

 やがて午後六時を回った。

夏だからまだ明るい。山際が燃えるように赤くなり、昼間より暑く感じる。

俺は部員を解散させた後も一人残って練習した。

素振りをした。部活で着ているユニフォームを身にまとって。

(主将だぞ、打てなくてどうするんだ。役に立てなくてどうするんだ。)

俺の荒くて速い、リズムの乱れた呼吸音だけが、誰もいない校庭に寂しく響いた。

「佐藤さん。まだ帰らないのですか」

 遠くから聞きなれた声がした。誰かがフェンスの向こうから体をかがめて、こちらを見ている。不安げな目が反射して輝いていた。

俺は慌てて素振りをやめ、声の方を見た。

「君は確か…高尾(たかお)か」

「はいっ」

 どうやら、後輩の一年生もまだ残っていたようだ。乱れた呼吸を整えながら、俺は尋ねた。

「君は帰らなくてもいいのか?」

「はい。僕はまだ大丈夫です。自宅はすぐ近くですから」

 高尾は一瞬俯いた。

「それより…さすがですね。もう、他の部員は帰ったのに」

「あぁ、俺は一番と言っていいほど、下手だからな。それなのに、主将になった。一人でも練習して、上手くなって、教えてあげられる立場にならないといけないと思って」

 俺は、今の思いをそのまま言った。すると、高尾の顔が少し綻んだ。

「そうですか、本当に決意が固いんですね。一緒に帰りませんか?もう少しあなたの話、聞きたいです」

「分かった」

 俺は高尾と一緒に帰ることにした。

「ただいま!」

 俺は玄関で大きく声を上げていった。しかし両親がいない。

「あれ、おかしいな」

 いつも明るい光が漏れ出ているはずなのに、今日は妙に暗い。俺は不安になって、母に電話した。

「出ない…」

 何処かへ出かけたのだろう。でも、今まで電話に出ないこともメモを置き忘れることもなかった。それも、相手から電話を切られたようなブツっという音がした。

嫌な予感がした。

まさか、まさかだよな。いや、そんなことはない。父は昨日まで元気だった。

すると、母から折り返しの電話がかかってきた。俺は慌ててスマホを手にし、電話を取った。

母の声がおかしい。しゃくり上げるような声だ。電話の奥でおそらく泣いている。

「珠、いますぐ病院に来て!」

「ちょっと‥どうしたの」

 電話は五秒ほどの余韻を残して切れた。

「嘘…だろ。」 俺は、一人その場で立ち尽くした。いや、そんな場合じゃない。急がなければ。

 俺は鞄を投げ捨て道路に飛び出し、タクシーを捕まえ、病院へと直行した。

入院室に飛び込み、俺は信じられないものを見た。

「お父さん!」

 入院ベッドには父の姿があった。父の周りには、たくさんの医者や看護師がいて、心臓マッサージをしていた。

(まさか…)

(今日、お父さんは死ぬのか?そんな、そんなの嘘だ!夢であれ!頼む!)

 俺は未だ目を覚まさない父を見、涙をだらだら流して泣く母を見、恐怖のあまり俺も泣きだしそうになった。

 (頼む、死ぬな!お願い!) 俺は心の中で叫んだ。

 すると、父は目を開けた。

医者は驚いたような顔をして、心臓マッサージを止めた。

「お父さん!」

「一心!」

 俺と母はほぼ同時に父の名を呼んだ。

「あぁ…珠…」

 今にも消えそうな声で父は俺の名を呼ぶ。

「ご…めんな…おまえが…プロの選手に…なるところを…見たかった…でも…」父は一度そこで言葉を切った。真剣に聞く。母はずっと泣いていた。

「おまえは…きっと…プロの選手に…なれる…信じてる…あぁ、そうだ…おまえに言いたいことが…ある」

「え、」

「蒼い闘志…それは戦う…意志…だ。それが…あるのとないのとでは…だいぶ、違ってくる…戦う意志を持て…蒼く輝け…そうすれば…きっと、できるようになると…お父さんは信じているよ…」

 最後は息だけが漏れ出るような声にもならない声で、最後の力を振り絞り、言った。

「お父さん!嫌、死なないで!」

 今までにないほど大きな苦しみと悲しみを背負った。

 父は、死んだ。

 蒼い闘志を燃やせ。父は最後にそう言った。

 (お父さん、でも、どうすればいいんだ)

俺は、天国に逝った父に心の中で問いかけた。

でも、 (いや、聞くな、自分で考えろ。) ぎゅっと目を閉じると、涙が頬を伝った。

父が死んでから、数日が経った。

俺は学校に行っても、ほとんどの時を何も喋らなくなった。部活もしばらく無断欠席した。母と二人きりの生活は嫌ではない。でも、家族が、父が旅立ってしまったと思うと悲しかった。

 それでも、ここで自分の夢を捨てるわけにはいかない。

そうだ。父は死ぬ間際でさえ、俺を応援してくれていた。

「蒼い闘志」の意味を教えてくれた。

「珠」

母に呼ばれた。

「もう、部活には行かないの?」

「いや、行く。俺、主将だから…ここで諦めるわけにはいかない。ここで諦めたら、きっとお父さん悲しむと思うし。それに、蒼い闘志を燃やして、全力で戦えるようになりたい」

 そう、俺が好きなプロ野球チームのキャプテンのように。そして、お父さんを喜ばせたい。

「そうね。お父さんもきっと応援してくれるよ」

 そう信じたい。

 俺は、次の日からまた、主将として部活に行くことを再開した。

 久しぶりに行ってみると、副将――久代がいた。そっと顔を出してみたが、気づいていないのか、無視しているのか、全く反応が無い。

(え、俺主将なのに。こんなに近くにいるのに、気づかないはずがない。ここは軽く言ったほうがいいのか?)

「久しぶり!ごめん、遅くなって!みんな元気にやってた?」

 俺は半分ふざけ調子で堂々と今までにないぐらい明るく笑って参加しようと試みた。しかし、次には久代の猛獣のような怒号が飛んできた。

「おい!こんなに長い間無断で休んでおいて、その態度は何だ!」

俺はビクッと体を震わせた。

(やっぱりそうなるよな)

「ごめんなさい」

 俺は、顔を引きつらせながら、その場から後ずさった。

他の部員もこちらには目もくれず、さっさと久代について行ってしまった。

ここで理由を言えば入らせてもらえたかもしれないが、みんなに心配されるのが厄介だったから、俺は何も言わずにいた。

今日は、練習に参加させてもらえなかった。俺は校庭の隅にうずくまって泣いてしまった。俺の涙が、ポタポタ落ちる。少しずつ、校庭の砂の色が黒く色を染めていった。

気づいた時には、部活が終わっていた。荒々しい足音が、俺の方に近づいてくる。

「おい。そんな所でどうした?」

 突然声をかけられ、くしゃくしゃの顔を上げると、そこには俺の目線まで体をかがめた久代がいた。

「突然、無断欠席となり、ごめんなさい。実は…」俺は怒られると思い、この一週間に起きた話をした。話すたびに涙が溢れ出す。

「……そうだったのか。悪かったな、ごめんな」

 すると、久代は、驚いたように目を見開き、俺に対して謝った。もしかしたら、俺がいない間でも、ちゃんと部活をまとめられていたんだろうな。

久代は何も怖い人じゃなかった…

 俺と久代はいつもの河川敷まで来て、土手の芝生の上に座った。

「久代は、どうして主将になりたかったんだ?」

「この部活を強くできるのは俺だと思ったんだ」

「……」

 久代のこの発言は以外だった。でも、俺は何か違う気がする。

「自分で自分のことを出来る奴と思っちゃダメだ」俺は少し間を置いて、きっぱりとそう言った。

「えっ!?それって、つまり…」

 久代は俺の方を見た。

「そう、上手い、下手は関係ないんだ。特に野球は。チームで協力するチームプレイのスポーツだから。上手いと思うならなかなか結果が出ないやつに教えてあげて、チームとして団結を深めないといけない。でも、団結はきつい言葉で結ばれることはない。もちろん、きつく言いたくなることは俺でもある。でも、それじゃ、いつまでもまとまらない。そして…」

 俺はにっこりと笑った。

「蒼い闘志をみんなで燃やして、戦えるチームを作り上げていくんだ!」

久代は怪訝そうな顔をした。それでも、俺は続けた。

「お父さんが死んだこと、みんなに心配されるのが厄介だったから、ずっと言わないでいたんだ。俺は正直、最後まで言うか迷ったんだ。でも、素直に聞いてくれて嬉しかった」

「……当たり前だろ。お前が苦しんでいたら、こっちまで、苦しくなるからな。しかも、さっきお前が言っていた蒼い闘志も、誰かが気持ちを少しでも楽にしないと十分に燃やせないだろ?」

「うん…そうだね。本当にありがとう」

 俺は心の底が熱を出したかのように熱くなった。沸々と音を立てている。

(どうして俺は久代のことを怖い人と思っていたのだろうか。こんなに優しいなんて思いもしなかった。)

 しばらくして、久代は勢いよく立ち上がり、未だ泣き顔な俺に対してきっぱり言った。

「一緒に頑張ろう。蒼い闘志を全力で燃やそう。ここで立ち止まっていても、先に進めないぞ」

 そういう久代の声にも、強い決意を感じた。

「ああ」

 久代と俺は手を重ね、共に歩む決意を固めた。

中学校最後の大会まで、あと半年を切っていた。

俺たちは、最近ほぼ毎日一生懸命後輩たちに教えていった。

今、手から離れたボールがまっすぐこちらに向かってくる。

「今だ、打て!」

先生の補助を受け、俺は力強くバットを振った。

しばらくの間ずっと空を切っていた俺のバットはやっとボールに触れた。

カーン、といい音が響いた。一瞬ボールが当たる重い感覚がして。

野球部に入ってから三年。ようやく俺は久しぶりのヒットを打った。

「走れ〜‼︎」

 先生は叫んだ。俺は全力で走る。人生で初めてと言っても過言ではない、初2塁打が飛び出した。

スライディングして泥だらけになったが、俺は嬉しかった。この調子でやればきっと…!

試合で勝てるかもしれないと気持ちが高ぶっていった。いや、それじゃ勝てない。気持ちが高ぶるほど、危険だ。

「やったな!(しゅう)

少しずつ打てるようになってきて、ピッチャーの久代にも褒められるようになってきた。

「これが、試合で出せるといいな」

 久代にそう言われて、俺は背中が押される気がした。

 俺はそれから、試合の日まで、練習を重ねた。振れ、と言われなくても自分でボールを見極められるようになった。

 いよいよ試合の日を迎えた。

相手は関東大会にも優勝したことのある強豪校、海央中学校だ。

俺たちのチームの先発ピッチャーはもちろん左投の副将、エースの久代である。

相手の先発ピッチャーも最強と言われている三年生、岩瀬(いわせ)。関東大会に出場した際に貢献した選手の一人でもある。

俺は、スタメン登録から外れていたので、出番が来るまでベンチのメンバーと一緒に応援することにした。

お互い点が入らないような投手戦だった。エース対エースがお互い火花を散らした。

 しかし四回、試合が動き出した。

相手のピッチャー、岩瀬に少しずつ疲れが見えてきていた。いくら凄腕でも、余り長く投げられない。ちなみに久代(くしろ)は余裕のある顔をしていた。

バテてしまうのも無理ないなと思った。今日は特別暑い。ヂリヂリ地面が焼かれていくような暑さだ。

久代だっていつ疲れが出るか分からない。

相手チームのピッチャーの交代はなかった。

これはチャンスだ。俺たちのチームも気合を入れ直し、次々ヒットを打った。ノーアウト一、三塁のチャンス。そして九番バッターはピッチャーのはずだった。

しかし、斉藤先生は動いた。俺の方に顔を向ける。

「佐藤、打ってこい。最後のチャンスだ」

(え、代打、俺?)

「相手のピッチャーは疲れている。少しは打ちやすいはずだ」

 俺の中では複雑な思いがした。

ピッチャーに代打を出すということは、エース久代を下ろすということになる。

「いいのか…?久代……」

 一度下がったらもうグラウンドを踏むことはできなくなる。

「最後ぐらい、打ちなよ。遠慮はいらない。俺はもう十分試合に出場したからな。それにできる、できないは関係ないって言ってただろう?」

 俺は、それなら…としっかり頷いた。

装備をし、ヘルメットとバットに手をかけた。

「頑張れ、佐藤。おまえならできる」

「チャンスを生かせよ!」

 斉藤先生と久代の声とチームメイトの拍手で背中を押された俺は、ぎゅっと靴の紐を結びネクストバッターズサークルに立った。

「代打、佐藤珠でお願いします」

 斉藤先生はベンチの外に出て右手を差し出した。代打を出す、という合図だ。

俺はもう一度チームメイトの座るベンチにそっと目をやってから、バッターボックスに向かって踏み出した。聞こえるのは、風で騒ぐ木々の声だけだ。

俺は顔を伏せ、ぎゅっと目を閉じた。

その時、頭の中で声がした。

――お前の名前は珠。これはボールにちなんでつけた名前だ。蒼い闘志の意味を教えてくれた、今は亡き、父の声。

――だめだなんて思っているからダメなんだ!そう言って励ましてくれた、元三年主将、鈴木の声。

そうだ。みんな俺を応援してくれていた。打てない俺の為に。

だったら、その期待にここで答えなければ。

俺は、真剣にボールを追った。

心拍数が上がり、全身の脈がドクドク音を立てる。

岩瀬の気合の声と共に放たれた速いボールが真っ直ぐ滑るように走った。

ボールを見極める。幾つか見送っていき、次に来たのはストライクゾーンのど真ん中。

これだ!

(振れ!)

心の中で思いっきり叫ぶ。

その瞬間、バットにボールが当たる重い感触がした。一気に振りぬく。

当たった。

そのボールは大きな弧を描いた。外野に選手もギリギリのところまで追っていったが、ついに見送った。そしてそれは、ホームランゾーンの応援席に飛び込んだ。

(入った!)

俺はボールが見えなくなるのを肌で感じ、ゆっくりダイヤモンドを一周した。

信じられなかった。

ホームランを一度も打ったことのない俺が、三ランホームランを打った。

チームメイトの歓声が耳に入らないほど陶酔していた。

「やったな!珠!凄いぞ!」

「信じられない…夢みたいだ」

「夢じゃないよ」

  久代(くしろ)は明るく笑い、俺の背中を力強く叩き、迎え入れてくれた。

その後も俺たちのチームは一気に流れに乗った。

 しかし、後半戦不穏な空気が立ち込めた。

僕らのチームはエラーを何度も起こし、三振にゴロ、と打てなくなった。

灼熱の太陽に全身が焼かれていく。さっきまで静かだった蝉の声も嵐のように降り注がれる。

疲れた。

ピッチャーも一年生続きで何度も交代しているせいか、もう使えるピッチャーはほとんどいない。絶体絶命のピンチだ。

暑すぎるせいで集中出来ない。近くで応援してくれているチームメイトの声も、小さく感じる。 

俺も含め、みんな息が荒い。盗塁にチャレンジをし、なんとか点を取ろうともがく。

――ただ、その力は及ばなかった。これは俺たちにとって最後の大会であり、勝って、先生やそれぞれ自分の思う人の期待に応えなければいけない試合のはずだった。

――5対7で負けた。

もっと、練習が必要だった。

 俺は部活を引退する前に一言、後輩たちに告げることにした。

「試合に負けたのは事実として認めないといけない。泣いたって時間は戻ってこないんだよ。もっと、もっと練習しよう。確かに、もう俺達三年生は引退する。でも、俺達がいなくなっても、チームは消えない」

 俺は右の拳を握り締め、続けた。

「試合に負けたことばかり考えていては次に進めない。さあ、夢に向けて頑張ろう。きっとこのチームなら勝てる。努力は日々の積み重ね。だから、練習するんだ。みんなで未来への第一歩を踏み出そう。辛いことを乗り越えた人こそ、いい未来が待っている。さあ…。」

 みんなで円陣を作った。

「未来へ向けて、出発だ!」掛け声と共に、俺たちは円陣を固めた。

――俺たちの夢は消えない。蒼い闘志も燃え尽きることはない。

燃えろ。蒼い闘志よ。明るい未来を掴むための力となれ。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
燃えはじめが遅かった主人公が、一気に決意して燃え上がる熱い展開で、スッと心に入りました。 少し寂しい終わりだけど、ものすごく希望に満ちていてよかったです!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ