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翌日。彼女になって二日目である。
一応確認するが、やはり元の男の身体には戻っておらず、彼女のままであった。
そして目覚めは良い。結構ぐっすり眠れたようだ。
寝起きだがまずは洗濯機を回しておく。あれから少し調べたので色々とやり方も理解した。
だが登校前の時間でなんとか干せるだろうか。
そして居間に向かい、昨日冷蔵庫に残したカレーを少し重いが朝食としていただき、着替えて登校の準備をする。
着替えは昨晩準備しておいたので、慌てることもなく着こなすことが出来た。
やはり準備しておくことは良いな、と改めて思った。
しかし所詮は女物、二日目で慣れることも無く、手間取る部分はしっかり手間取ってしまった。
おまけに髪を整えたり色々していると、本当に時間がかかる。
女性の朝は大変だと改めて思い知らされた。
そうこうしていると洗濯機が止まった。洗濯かごに放り込んでは運び、ベランダに干していく。
そういえば洗濯物も自分のものだけである。ということは昨日は誰も帰ってきていないのだろうか。
確かに居間も私が寝る前と朝ではほぼ変わっていなかった。洗い物も別段増えた様子もなく、食器を使われたり洗われた形跡もない。
うーん、やはり一人暮らしなのだろうか。でもあの家族用の連絡板もあることだし。あるいは長期出張とか単身赴任とか。分からない。
考えていると洗濯物も干し終わった。流石に下着類は少し恥ずかしいので、隠すように干す。
これで朝の支度も終わっただろうか。玄関に行き、靴を履く。やはり他に靴は無かった。
今日の通学だが、昨日の二の舞は避けたかったので時間を少しずらし、また乗る場所もずらした。
電車は相変わらず混んではいたが、それでも昨日のような痴漢被害に遭うことはなかった。少しほっとする。
通学時もある程度意識をしながら、私であって私でない彼女を演じる。
今までは相当無口だったようなので、私も挨拶を最低限に、でも声を掛けられたらある程度は返すようにした。
その度に他の生徒からうっとりされるのは正直恥ずかしいものがあるが。
これも有名税ということか。
教室でも大人しくしていた。
余り皆からは話しかけられることはない。元々そういうタイプだったのであろう。それとも周りが気を使ってくれているのか。
だが周りから物凄く見られているのは今日も同じだ。やはり黙っていても影響力のあるタイプということか。
そういえば担任教師の柄鋤晶だが、彼女は国語を教えていた。
確かに昔一番熱心に勉強してはまっていたのは国語だったなぁと少し思い出していた。
今日もなんとか一日を終えて、帰宅をする。
マンションの玄関の扉に鍵を差して回すと、玄関の扉は開かなかった。
ん? と思いつつももう一度回すと今度は開いた。
ということは家に誰かいるということである。
流石に強盗とかではないだろう、と思いつつも玄関には男物の革靴が一足。
私はそのまま居間へと向かった。
すると予想通り、先客がいた。
居間のソファーにはひょろりとした、背の高いスーツ姿の男性が椅子に座ってぐったりとしていた。
……確証はないが、恐らく父親だろうか。
「ただいま」
とゆっくりと言うと、びくんと男は反応した。
「えっ!? あ、ああ……おかえり」
「うん。おかえり」
「おかえり? あっ、うん、ただいま」
家族の中で行う、極めて普通の帰宅の挨拶を交わす二人。
しかし、余りにもぎこちない。本当に家族なのか、と疑われてしまうくらいには。
むしろ、素人の役者が台本無しの即興劇を始めた、などと言われた方が、まだ説得力を感じられる。
「……」
その後は、沈黙が続く。
向こうは年頃の娘に対して、何を話してよいのか迷っているのだろう。
そしてこちらは、迂闊なことを言えば本人かどうかを疑われてしまいかねない。
なんなら、呼び方一つで『パパ』か『お父さん』か『父上』か、はたまた呼び捨てか。元の彼女がどう呼んでいたのか分からないのだから。元の呼び方と変えてしまっては違和感というしこりが残る。それは気まずい。
そして更に非道い呼び方だと『アンタ』とか『おっさん』なんて可能性まであるのだ。お嬢様な娘なのだから、流石にこれらの呼び方はないと思うが、関係性に絶対はない。
しかも、今この瞬間がファーストコンタクトだ。出来る限り、マイルドにいくとしよう。
「あー……学校は、どうだ?」
「うん。普通」
無難な話題をそっと投げてきた。そしてこちらも、目を合わせないで無難に返す。
「そ、そうか……」
父親は、軽く頬をひくつかせながら、言葉に詰まった。小学生の娘なら会話も広がっただろうが、今の娘は高校生だ。それ以上学校の話で広がることもなかろう。
すると父親は、今度は別の手を繰り出してきた。
「その、しょ、食事は、大丈夫か? ちゃんとしっかり食べているか?」
「うん」
娘にお金を渡しているだけなのだから、確かに心配にもなるだろう。
でも、その質問にもついつい塩対応してしまった。彼には申し訳ないが、余り余計なことを言うのも気が引ける。
「……」
そしてまた、無言になってしまった。
仕方がないので、私は業務事項を伝達する為の会話をする。
「これからどうするの? 先にご飯食べる? それともお風呂?」
しかし、私の言葉は彼には中々衝撃的に聞こえてしまったようだ。
沈黙が続いたのでふとそちらを見やると、彼のきょとんとした顔が瞳に飛び込んできた。
「ご飯? ご飯あるのか?」
「え……うん。昨日の残り物だけど」
「あとお風呂って……以前は『お父さんは絶対に私より先に入らないで』って言ってたのに」
「え? いやーえっと……今日はなんか早いし」
「そ、そうか? じゃあシャワーだけでも先に浴びてくるかな」
「分かった」
そういうと彼は、よっこらしょと言いながら重そうな身体を動かして、洗面所へと向かっていった。
私は、ちょっとやらかしたかなぁと思いつつも、昨晩の残り物であるカレーを温めはじめるのだった。
あれから父親がシャワーから上がり、その頃には準備も終わっていたので、簡単だがカレーを二人で食べた。
二人で静かに食べるので、食器の陶器と金属の触れる音だけが時々鳴るだけの、不思議な空間の中での食事だった。
それから父親は「明日も早いから、先に寝るよ」と言って、さっさと自室へ入ってしまった。
私も今日は面倒くさいから風呂は無くてもいいか、と思いシャワーを浴びて着替え、自室へと向かう。
今日までの復習と明日の予習を行う。一通り終えて気付くと、どうやらメールが届いていたようだ。
『おつかれ』
の簡素な文字が浮かぶ。相手は昨日と同じ、エトワールだった。
私はエトワールに、今日は久々に父親と会ったが上手く話せなかったことを話した。
するとエトワールはこんな返事をよこしてきた。
『思春期の娘と父親は普通会話苦手』
確かにそうかもしれない。自分には経験など微塵も無いが想像は出来る。
『うん』
『母親と別れたし、女の人苦手になったのかも』
やはり母親とは別れていたのか。原因こそ分からないが、それで女性が苦手になる人もいるだろう。
確かにそうすると、自分の娘も何を考えているか分からなくなったり、女性不信に陥ってしまう可能性も考えられる。
『元々余り喋らないからよく分からないって言ってた』
『そうだね』
父親と娘とのぎくしゃくした家族環境。
もしかしたら、これも彼女の悩みの一つなのかもしれない。
ならば、この父親と娘の多少こじれた関係も、改善しなければ! と思った。
だがこれならば他よりも出来そうな気がする。
何せ、中身は男。それも成人済みなのだ。
今の立場である女子高生よりも、彼の、父親としての立場の気持ちの方がよほど分かるというものだ。
『がんばって』
そんなメールがエトワールから届いて、今日の返信は終わった。
どうすれば解決するだろうか。
布団に入って色々と考えていると、気付けば寝落ちしていた。