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 私は彼女に指し示された下駄箱へと向かう。

 自分の下駄箱がどこかと躊躇したが、よくよく考えれば生徒手帳に自分のクラスと番号が書いてあるはずだと思い、生徒手帳を見直す。

 生徒手帳を開くと私の名前が見える。そういえば未だに自分の名前すら把握していなかった。

【鴾連木 薫】

 これが私の名前だ。……なんと読むのだろうか。

 下の名前は恐らく【かおる】だろう。男性名の【剛】とか複数の読みがある名前でなくてよかった。この場合は【たけし】とも【つよし】とも【ごう】とも読めるので、自分では分からないからだ。

 さて名前の方は問題がないが、苗字が読めない。まあ、いずれクラスメイトなり教師なりに名前を呼ばれるだろう。最初は聞こえなかった振りをして、後で返事をすればきっとそれが私の苗字の読みである。

 おっと今欲しい情報は名前ではなく自分のクラスとその番号であった。どうやら私のクラスは二年B組のようだ。この学校ではクラスを単なる数字では表さないらしい。それとも進学クラスなどの特別クラスなのだろうか。まあその辺はよく分からないが、とりあえず二年B組の下駄箱に向かい、私の名前が書かれたスペースの中を確認すると、綺麗に揃えて入れられていた上履きにもしっかりと名前が記載されており、生徒手帳に書かれていた自身の名前と一致した為、多少なりともホッとした。

 いよいよ次は教室だ。こうして一歩一歩、私は彼女としての女子高生クエストをこなしていくのだった。


 教室に向かう私。

 階段を昇り、私の所属する二年B組の教室がある階へ。

 そしてその教室の扉の前まで来た。

 ……やはり、緊張する。

 かつて学生時代の頃は、自分の教室に入るだけで、ここまで緊張したことなどなかっただろう。

 だが今は、他人のガワを使って、女学院に、女子高生の格好で、学舎へと入り込んでいるのだ。

 バレることなど皆無……の筈だが、それでもやはりドキドキする。

 いや、そうでもないのかもしれない。

 今の私は、それなりに女子高生として溶け込んでいる……に違いない。

 というかそうであってほしい。

 これは願望かもしれない。

 でも、誰かには分かっていてほしい。


 私は、ふわりとスカートをたなびかせながら、教室の扉をがらがらと開け、今日これからの半日を過ごす、乙女の戦場へと飛び込んだ。

 扉の開閉音を聞いて、皆がじろりとこちらを見る。

 私は、ぺこりとしながらも挨拶を忘れなかった。今更キャラを無口キャラには戻せない。

 例えここで戻したとしても、きっとどこかでうっかりをやらかすだろう。

 それならば、最初から今日は少し違うキャラで行くのだ、という割り切りがあった方が良いと思ったので、素直に挨拶することにした。

「御機嫌よう」

 するとどうだろう、教室の空気がざわりと変わったのが分かった。

 やはり今まで挨拶していなかったのが大きいのだろう。

 ……だがどういう訳か、先程通学路で受けた空気、視線とは違うものを感じた。

 なんというか、先ほどまでは憧れのようなものが渦巻いていた気がするが、こちらは戸惑いが強いのかもしれない。

 私は空気を変える為に、潔くも近くの子にこう訪ねた。

「あの、私の席って……どこ?」

 問われた女子はびっくりしながらも

「えっと……あそこ……じゃないかな」

とゆっくりと窓際前方の席を指差した。私は指差された席に向かい、鞄を置く。

 既に右隣の席には、女生徒が座っていた。彼女は綺麗で長い黒髪をストレートロングに整えており、その艶やかな黒髪からは天使の輪っかが輝いて見えるほどであった。

「御機嫌よう」

「御機嫌よう」

 私は彼女から挨拶をされたので、そのまま素直に挨拶を返した。すると相手はぽかんという顔をしてきた。私はそのままじっと相手を見つめる。

 すると相手は数瞬ののち、やっと呼吸を取り戻したかのように、ふぅと息を吐いて、私に話しかけてきた。

「すみません、いつも無言でぺこりとされるだけでしたので、余りにもびっくりしてしまって」

「ごめんなさい」

「いえ、謝らなければならないのはこちらの方です。挨拶をされて驚くなんて、失礼ですから」

「私も、中々挨拶出来なくて、ごめんなさい」

「いいんですよ。気持ちは伝わっていましたから」

 一体彼女はどんな学校生活を送っていたのだろうか。本当に気になるところである。

 私は、鞄から教科書やノートを机に詰め込みつつ、自らの周りの身支度を整えた。

 そして少し、教室の他のクラスメイトはどんな感じなのだろうか、と周りを見回すと。

 かなりの生徒が私をちらちらと見ていたのか、私が首を後ろに向けると結構な生徒が私から目を、首を逸らすようにしてきた。

 あれ? と思いつつもまた前を向き、少し時間を置いてからまた後ろを向く。すると先ほどと同様に、ささっと視線が、首が動くのが分かった。

 ……どれだけ目立っているのだろうか、彼女は。

 まあ、私も彼女以外の生徒であったならば、彼女のような美しい女性の一挙一動についつい視線がいってしまうのも分からないでもないのだが。

 今日からこれを毎日続けなければいけないのか……と少しうんざりしていると、凛とした声が教室に響いた。

「はい皆さん、ご自身の教室へと戻ってください」

 私は顔を上げた。

 そこには、レディース用のスーツに身を包んだ、スタイリッシュな女性が立っていた。彼女の髪は明るい茶髪のショートで、活動的な印象を持ち合わせていた。スーツのボトムはスカートではなくパンツルックで、それも彼女の活動的な印象を強化しているように見えた。そして言うまでもなく美人である。なるほどこの学校のように名門校というものは、教師でさえも一流の雰囲気を醸し出しているのだな、とある意味感心してしまった。私は彼女が恐らくこのクラスの担任なのだろうな、と思いつつも、しかしながらどこか違和感というか、もやもやしたものを抱えていた。

 そんな私のかすかな悩み事など気にするでもなく、先生の口が動いた。

「では、ご挨拶を」

 先生がそう言うと、右隣に座っていた生徒が大きく、だが美しく声を上げた。

「起立!」

 するとクラスメイトは一斉に席を立った。

 頭だけが動いていた私も慌ててそれに習う。

「礼!」

 その言葉で、生徒の全員が一斉に動いた。

 左足を後ろに下げ、左膝を曲げて爪先を地面につけるようにする。また顔を正面に向けたまま、重心を下げるように拳一つか二つ分くらい頭を下げ、そして両手でスカートの中ほどをそっとつまみ、少しふんわりさせるように軽く持ち上げた。

 所謂いわゆるカーテシーである。

 私もどうにかして、見様みよう見真似みまねで似たような所作しょさを行った。

 だが自身でも分かるようにガタガタであった。自分でかなり恥ずかしくなってしまった。

 当たり前だがこのようなしぐさなどしたことはない。周りが綺麗に行っているだけにとても浮いてしまう。これはしっかりと練習する必要がありそうだな、と思った。

柄鋤からすき先生、御機嫌よう」

 皆が綺麗に揃えるようにして、鈴のような声で先生へと朝の挨拶を行う。私は咄嗟のことで口まで追い付かず、二番の歌詞が分からない時のカラオケのように、それっぽい音を出して誤魔化すにとどめた。

「はい、皆さん御機嫌よう。座って下さい」

 先生がそういうと、先ほどから号令をかけていた右隣の生徒が

「着席」

と再度声を上げ、クラスメイトは皆おしとやかに座った。

 私も頑張って浮かないように座った。

 右隣の生徒がスカートを両手で直すようにして、お尻部分に添えてから座ったので、私も真似をしてみた。

 確かにこうやって女性が座るのを見たことがあるな、と思った。

 私の元男としての無意識の部分と、彼女達の女性、それもお嬢様としての無意識の部分が違いすぎて、これはいつぼろが出てもおかしくないな、と今更ながら慌ててしまった。

 もっと皆の動きや言葉使いをしっかりと見聞きして、おかしなことをしないようにしなければ。

 そんなことを思っていると、唐突に現実に引き戻された。

「ムツラギさん、大丈夫?」

と声がした。

 先生はこちらの方を向いている。一瞬私かな、と思ったが万が一自分ではない場合、迂闊に返事も出来ない。

 すると先生はわざわざこちらの方まで歩いてきて、しっかりと私を見つめながら、再度私に尋ねてきたのだ。

鴾連木むつらぎさん、大丈夫? どうしたの?」

 先生はわざわざ私に問うてくる。

 どうやら私のカーテシーがぎこちない事を見て、かえって心配させてしまったらしい。

 こんなところで私の正体がバレてはかなわん! と思いつつ

「いえいえ、そんな。大丈夫です」

と答えた。しかしその時、私を覗き込んでいた先生の顔が、とある顔とそっくりな事に気付いた。

「あっ!」

と言った私に

「どうしたの?」

という先生の言葉。

「いえいえなんでも、なんでもないです。失礼しました」

 私の必死のごまかしに、不思議な顔をする先生だが、それでも「何かあったら、すぐ私に相談してね」とにこりと笑ってくれた。そんな顔もするのだな、と思った。

 私が思い出したのは、どこかで見覚えのあるような気のする、彼女の顔のことだった。

 その顔は、幼馴染であるヒカルの顔にそっくりだった。

 男女おとこおんなのヒカル。本名……柄鋤からすきひかる

 そういえば同じような苗字だった気がする。

 いやそもそもなぜ気付かなかったのだろうか。

 それは……そう、それはきっと彼女の印象、雰囲気の問題だと思う。

 明らかに私が知っている彼女と、今の先生をしている彼女との印象では何もかもが違ってみえる。

 彼女は小学校三年か、四年の頃だと思うが隣に越してきたのだ。

 それで挨拶の時に彼女の母親と共にウチに来た。その時が初対面だったと思う。

 母親にしがみつきながらも、生意気そうな目をしていたのをよく覚えている。

 実際に彼女は、生意気だった。

 いや、そんな言葉では表せないだろう。

 彼女はあっという間に、クラスの、いや学年のガキ大将へと上り詰めた。

 彼女は誰よりも強く、誰よりもわがままで、そして誰よりも、綺麗だった。

 きっと当時から彼女のことを好きだった子は、私以外にもいただろう。

 もっとも、小学校の頃に『弱虫は嫌い』とあっさりフラれたりもしたのだが。

 当時、私は彼女の手下というか、下僕というか、奴隷みたいなものだった。

 ただ決していじめられるということではなく、彼女に振り回される毎日だったということである。

 彼女は曲がった事が嫌いだったので、誰かが誰かをいじめていたりすると、真っ先に止めに入り、そこからいじめっ子と揉めて喧嘩になる、というのがいつものパターンだった。

 そういえば彼女も親が離婚してきたとかで、中学の時は荒れていたのを思い出す。

 あんまりにも夜に遊び歩いたり、あるいは昼間に近所で馬鹿騒ぎをしたりして、ちろりと見ては何も言えなくなっていたこともある。

 その時は……そういえば絡まれたような気もする。怖かった覚えがある。

 ただ噂では、そこまで悪いことをしていないとも聞いていた。本当かどうかは分からないが。

 でも、なんだかんだでいい教師に出会ったのか、更生して『私はあの人みたいな教師になるんだ! だから勉強を教えてくれ!』と言われたのはびっくりした。

 こっちだってそこまで勉強は得意ではないが、流石に彼女よりかは分かる。またそれなりに暇をしていたのもあって、中学三年の頃に分かる範囲でだが勉強を教えた。

 それで彼女なりに随分頑張った結果、そこそこの高校に進学出来て、それからは学校が別になってしまった為に疎遠となっていたのだが。

 そういえば少し前にあいつが教師になったらしい、という噂くらいは聞いたことがあった。

 それが、今、こんな所で再会するとは……。不思議なこともあるものだ。


 そんなことを思っていると、朝のホームルームは終わったようだ。

 どうしよう、何も聞いていなかった。

 だがきっと、そこまで大事なこともないだろう。多分。きっと。

 それよりも、これから始まる一日の授業である。

 そちらの方が心配だ。

 なにせこの学校は、この地域随一の難関校である。

 自分のような平々凡々な学校を遊びながら出ただけの男が、果たしてどこまでついていけるのだろうか。

 少し気合を入れ直しておこう。

 そういうつもりで、数秒目を閉じて、心を落ち着かせる。

 ……ふぅ。

 さて、頑張ろう。

 そう思っていたのだが……。


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