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そしてその次は……えっ、何これ?
俺の手元には、黒いレース状の紐みたいなやつが握られていた。
自分の記憶に間違いが無ければ、そう、間違っていなければ、これは……。
そう、ガーターベルトである。
確か、ストッキングとかをずり落ちないように腰に巻く、というか穿く? 代物ではなかったか。
そもそもこれ、もっとこう……性的にセクシーな服装とかで着るものではないのか。
イマドキの女子高生はこんなもの履くのか!?
……いや、確かにこのすーぱーなぼでーの女の子なら履いていてもおかしくはないが……これ、本当に履いて学校に行くのか?
流石の俺も動揺を隠せない。それでなくても男の精神を持ったまま、女性の下着を身に付けている現状はなんだかこう……ぞわぞわするのだ。
……だが。
普段の彼女になりきる、女子高生としての日常を送る為には、出来るだけ昨日までの彼女と同じ格好で、また似たような精神状態を保つ必要がある。その為には、この衣装も、必要なの……かも、しれない。
俺はごくりと大きく唾を飲み込み、この腰紐を足にくぐらせていく。
右、左と通して、少し出っ張った腰骨を越え、細く細いくびれへとこの女性用のベルトを納めた。
今までこんな所に服を身に付けた記憶がないので、どうにも落ち着かない。勿論ブラジャーを身に付けた時にも感じたが、これもまた中々のものである。
なんだか夜の動画で出てきていた女性を思い出して、少し変な気分にすら陥りそうになり、慌ててかぶりを振った。
ショートボブになっていた髪がはさはさと揺れ、少しくすぐったい。
ふぅ、と息を吐いて気持ちを戻し、次の着替えはなんだろうかと目を向ける。
次に置かれていたのは、黒いストッキング、それも太股の上部分までしかない、ガーターストッキングであった。
今しがた身に付けたガーターベルトとセットになっている為、当たり前といえば当たり前なのだが、やはりこれを身に付けるのか、という思いは無くもない。
しかしまあ、毒も喰らわば皿までか、と世の全ての女性に失礼なことを思い浮かべながら、それを手にする。
ガーターストッキングは、手に持つと私の手を華麗に透かしていた。こんなに薄いのかと改めて驚きを覚える。もっとも当然といえば当然なのだが。
しかして触り心地といい今の状況といい、どうにも高揚感を覚える。戸惑いとは違うのか? と俺自身に問うてみたがなんとも違うらしい。
この感情は、なんだろうか。男の自分が女の格好をするおかしさか、それとも美女を自らの手で着せ替えてゆく、本能的な支配欲か。
俺は自らのもやもやに上手く言葉を当てはめることも出来ずに、そのストッキングを足に穿いていく。
そういえば昔、自分が小さい頃だったか、お袋がお出かけ前の着替えの際、ストッキングを履くところを不思議そうに見た覚えがある。まず、足の半分くらい、土踏まずの辺りまでくるくるくるとストッキングを巻き、全て巻き終えるとまず爪先から踵までを丁寧にくるみ、そして爪先部分を引っ張って整え、そこから膝下、膝上、そして太股、腰部分へと引っ張って整えてを、何度も繰り返す姿であった。子供心ながらなんと大変な、そして面倒くさい作業であろうか、と衝撃を受けたことを覚えている。
随分と年経た今、あれを今度は自分自身が行うのか、と不思議な気分になりながらも、あの記憶にあった通りにストッキングに足を通してゆく。
くるくるくる、と巻いていくが思っていた以上に薄い布だ。この布意味あるのか? と思ったが、オシャレに意味など考えても仕方ないか、と割り切って着替えを続ける。
まずは足を整え、それから膝下、膝上と整えていき……よし、片方は全部穿き終わったぞ。
穿いた感想だが、思った以上にスースーする感覚はない。それよりも、しっかり足を包んでいる感覚を感じる。だが決して外気温を感じない訳ではない。冬に女子がタイツで登校しており寒くはないのかと思った覚えがあるが、これでは間違いなく寒いであろう。まあ、素足よりかはマシかもしれないが。
そして座りながらも両足を通し終わった後は、立ち上がってもう少しずつ上へと引っ張ってゆく。そして最後にガーターベルトの紐のクリップ? みたいなものでガーターストッキングをぱちんと留める。これで完成だ。
俺は改めて鏡でもってお自身の姿を覗いてみる。そこには、全身を黒の下着で覆ったカリスマ下着モデルがすらりと立っていた。
鏡の先にいる女の顔は、どこぞのサイトやCMで見るような美しい顔の筈なのに、俺の名残とでもいうのか、なんとも気の抜けた顔が映っていた。
だが同時に、そんな性的魅力に何も気付いていないような顔の女を見て、俺の心は間違いなくたっていたが、だがたっていなかった。
それがなんとも、悲しい。
そして何より、この美女を自由に出来るのに自由に出来ない、そんなジレンマも悲しかった。
俺の俺がいない。一生感じるはずのない気持ちを、俺は今、背負っていた。
もしかしたら思わず泣いてしまいそうにすらなる自分を少し堪え、気持ちを切り替えてさあ次はなんだと新たな服に目をやる。
そこにあったのは、ブラジャーのようにまたも細い肩紐を二本伴っている、白いつるつるの肌着のようなものが綺麗に畳まれて置かれていた。
なるほど、これは知っているぞ。多分キャミソールって奴だ。
昔はこれが無くてブラが透け放題だったとかなんとか。だがそんな嘘で俺という童貞を騙そうとしても無駄だ。
あれはそういう漫画や実写だけのファンタジーなんだ。俺は知ってるんだぞ。
さてキャミソールである。まずは衣服の前後を確認してから、普通に頭を通してすっぽりと被る。
このつるつるの感覚がなんだか不思議だ。男の衣装にはこんな感覚のものは着た記憶が無い。
『シルクのような肌触り』とか広告で目にするが、もしかしたらこのつるつるの感覚がそうなのだろうか。
男の服でシルクとか着る機会無かったからなぁ……気になる。
さてその次はYシャツだ。これは俺でも流石に着れるぞ。そう思って袖を通し、着ようとしたが……。
ボタンの留め方が左右逆なのである。そういえば寝間着を脱ぐ時も逆なことに気付いていたが、あれは脱ぐだけだ。しかし今回は留めるのである。先ほどよりもなお難易度は上がっているだろう。
本来男性は服の右側にボタン、左側にボタンを通す穴が開いており、恐らく右手でクイッと穴に通すように行うだろう。
だが女性の服はこれが逆についている。ボタンが縫い付けてあるのが服の左側、そして通す穴が右側なのである。つまり左手でボタンを持ち、穴にクイッと通してやる必要がある。
左利きならばそこまで難しくはないのかもしれないが……それでなくても二十年以上の慣れが、俺の脳を焦がすように混乱させてくる。
間違いなく服を着るのにここまで戸惑ったのは、既に記憶の彼方である小さい頃以来ではないだろうか。それほどまでに俺はYシャツ一枚着るのに時間を食ってしまった。
ふぅ、と緊張からか戸惑いか、額を手で軽く拭うしぐさをする。しっとりとしていることもなかったが、自分の心を落ち着ける為にやった。
これで粗方終わっただろうか。机には可愛らしいリボンだけが残されていた。
これがいよいよ最後か、と思って、俺はそれを首元へと通す。
だが、明らかに輪っかが頭部よりも小さくて、通らない。
これはどうすればいいんだ!? と慌てながらリボンを色々といじくっていると、紐の部分が外れることに気付いた。
輪っかになっているリボンを一度パチンと外してから襟を一度立てて、それから首元へと持ってきて、再度パチンと留める。
そして襟を戻して、姿見を確認しながら位置を微調整する。
紐の長さもしっかりしていて、結構きつい気もするが、お嬢様学校なのだ。身だしなみに抜けがあってはならない。
ちょっとギャルみたいにゆるゆるのリボンもやってみたくなったが、絶対に浮く。
なので今日は第一ボタンまできっちりと締めて、リボンもかなり短めに留めた。
通常の学校ならば、全校生徒の模範になるような身だしなみだ。きっと。
よし、とりあえずこれで机の上に準備されていた制服は全てだろうか。
これでやっと、ハンガーにかかっている制服を着ることが出来る。
俺はまず、スカートを手にした。
チェック柄のよくあるプリーツスカートで、リボンと色合いが一緒なのがこれまた美しい。
これを下から足を通して穿く。そして腰の部分まで持ち上げ、腰の横にあったホックを留め、ジッパーを上げる。
あれ思ったより短い。余裕で膝上の短さである。
これ足伸ばしたまま床に手をつこうとしたら……絶対見えるやつだこれ。
思わずスカートの上からお尻に手を当てて、下着をガードするようなポーズをしてしまった。
恥ずかしい。なんか今、女子高生に一歩近づいてしまった気がする。
さてこれで、ほぼほぼ完成のはず。
あっている……だろうか。
不安だ。
だが今の自分にはどうにもならない。
出来うる限りの違和感を排除していくしかないのだから。
そして最後に、ブレザーの上着を羽織る。
襟を整え、髪を手櫛で少し直した。
鏡を見つめ、前髪をいじる。
……どうだ、ろうか。
鏡の向こうには、こんな美人が制服を着るのか? という違和感があった。
それこそ、スポットライトを浴びてランウェイをカツカツを歩くような、そういう美人がなぜか、日本の制服を着ているような、コスプレっぽさすら感じられる。
でも、肉体をこれ以上どうこうすることは出来ない。
今の俺は、この状態で学校を目指すしかないのだ。
鏡を見る無表情の自分の顔を、幾つか動かしてみる。
眉をギュッとしてみたり、怒ってみたり、悲しんでみたり。
にっこり笑ってみると、破壊力は抜群で、この顔は自分の頬がひくひくとひくついてしまった。
あんまりやるのも危険な気がする。
でも、何かを誤魔化す時には使えるかもしれない。
……結局どうしようか、と思ったが、なるべく無口で無表情なキャラでいたいのだが……元の彼女の交友関係すら分からない。
まあ、やるだけはやってみようと思った。