20
およそ十五分ほど経っただろうか。
俺は既に私に戻っていた。
しかしながら今の私は、布団を被って震えていた。
「女の子、怖い……」
私のような純情無垢な男の子では、幾ら知識として知ってはいても、流石に動揺してしまう。
心の準備もまるで出来ていなかったのだ。
なお、詳細は私の名誉の為にも、伏せさせて頂きたい。
「今はあなたが女の子」
私の、いや俺の肉体に戻った彼である彼女は、ベッドで私の横に座りながらにひひと笑う。
目の前にいる男のイケメン具合からしてみれば、その顔すらも絵になるので、猶更たちが悪い。
「もうお嫁にいけない」
私は変わらず震えていた。
「私が貰うから大丈夫」
何の変哲もないトーンで、彼である彼女が喋った。
私は余りのことにびっくりして、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。
私が固まっていると、またも彼である彼女は私の顔を掴み、じっと見つめてくる。
「不思議。自分の顔なのに、信じられないくらい可愛い」
私は先ほどの記憶が蘇ってきてしまい、咄嗟に顔を背けてしまった。
だが今の私は女で、目の前にいる彼である彼女は男である。
力では適うはずもなく、ぐいっと彼である彼女の方を向かされて、再度唇を奪われたのだ。
私は思わず目をつぶり、そして目を開ければまた男の姿に戻っていた。
布団を被っていたはずの私は彼女となり、ちょこんと被っていた布団から頭だけ出した。
「私のこと……嫌い?」
そんな甘えたような声で、彼女は俺を上目遣いで見やる。
まるでどこぞのグラビアのような……いやグラビアよりも数段破壊力がある。
俺は何も言えずにぶんぶんぶんと首を横に振る。
「嬉しい」
そう言って彼女は俺の布団に再度潜った。そしてすんすんと俺の布団の臭いを嗅いでいた。
「ねえ」
「な、なんでしょか」
俺は思わず敬語になってしまう。先ほどから俺と彼女では、立場・あるいは主導権は間違いなく彼女が握っていたからだ。
別に歯向かう気など更々無いが、彼女にはなぜか勝てないと思わされてしまっていた。
「女の身体って、凄いね」
「え、えっと」
俺は返答に困る。何の話だろうか。
「ずっとここで寝てたはずなのに、慣れたはずなのに、あなたの布団の臭いを嗅いでたら、またおかしくなりそう」
「やめなさい! 俺の布団をこれ以上嗅ぐのはやめなさい!」
俺は思わず彼女から布団を剥ぎ取ろうとする。
流石にもう、もたない。
「や!」
彼女は拒否をするが、今度は身体が逆転している。俺の方があっさりと力で勝り、彼女から布団を奪い取った。
「むー」
俺は自分の後ろに布団をやり、彼女はそんな俺を頬を膨らませて睨み付けていた。
「じゃ、こうする」
すると彼女は俺にぎゅっと抱き着いてくるのだ。
「ちょっ!?」
俺は自分の身体にフィードバックした感覚を整理する。
今まで嗅いできたフローラルな匂いに、とんでもなく柔らかい女体の感覚。そしてするするとした女性ものの服特有の肌感覚。
一気に訪れるまるで異世界にでも訪れたかのような強烈さに、興奮が抑えきれない。
落ち着け! 落ち着け俺! ステイ! ステイステイ!
自分の色々な部分がギュギュンっと臨戦態勢に入るが、流石にもう御免だ。
そんな度胸は無い。残念ながら。
「んー」
しかし彼女は、俺が少し目線を下に向けると、顔をぐりぐりと俺の胸元に当てて、俺の臭いを嗅いでいた。
今すぐやめて欲しいが、先ほど布団を引っぺがした張本人である俺は、そこまで強く拒否することも出来ない。
俺は仕方なく、猫を撫でるように彼女の頭をそっと撫でた。
昨日まで、あるいはつい先ほどまで自分で梳いていた髪だが、男の自分で触れるとまた違うものがある。
よしよしと彼女を撫でると、彼女の目じりはゆったりと下がっていく。
これは気持ちよくなっていると仮定してよいのだろうか。
だが文句も言われないので、とりあえずもう少しこのままでいることにした。
私はゆっくりと丁寧に、彼女の髪を、頭を撫でていく。
きっと犬や猫を飼っている人達も私と同じような気持ちなのかな、と感じた。
そうして至極ゆったりとした時間が流れてゆく。
まるで春の訪れを感じているかのようだ。
春眠暁を覚えずとはよくいったもので……私もいつしかまどろんでいき……。
気付けばまた、彼女の姿になっていた。
よく分からないがどうやら時間制限があるらしい。
そして男の姿に戻った彼女は、やはり私をぎゅっと抱きしめて離さない。
あーもーどうしようかな、なんて思っていると、彼である彼女が妙にとげとげしい感覚をばら撒いていることに気付いた。
どうしたのだろうか、と思うと彼である彼女の視線は、部屋の入口である扉の方へと向いていた。
「……何見てるの」
そこにいるのは我が母であった。
「えっ!? いやぁちょっと二階が静かだからどうしてるのかなぁっておほほ」
「帰って」
「そんなぁもう少しいいでしょぉお」
「帰って」
彼である彼女は我がお袋たる母親を部屋から追い出し、大きく溜息を吐いた。
「今日は……泊まっていく?」
何を言い出すのか。流石にそれは……心の準備がまるで出来ていない。
余り遅くなるのも気まずい。家での諸々もあることだし。
「いや、そろそろ帰るよ」
私は立ち上がり、服を少し整えてお暇することにした。
「残念。じゃあ送ってくから」
そう言って彼である彼女は私と一緒に部屋を出て、一緒に玄関で靴を履いた。
玄関で二人で出ようとすると家の奥から母親が出てきて
「あらもう帰っちゃうのぉ!? 折角会えたのにぃー。ねぇ、今日は泊まっていったら?」
お袋まで何を言い出すのか。流石にそんな度胸は無いというのに。
「それはまた今度」
などと驚きの発言をする彼である彼女であったが、と、とりあえず今日は帰らせて貰うことにする。
「すみません、明日も色々とありますので」
と誤魔化して頭を下げる。
「そう。いつでも来ていいからねー」
なんて軽く言う母親。
「ありがとうございます。本日はお邪魔いたしました」
……でも、お袋が元気でやっていてよかった。
もしかして私が、男の私が死んでいたら本当に申し訳なかったからなぁ。
彼である彼女には、そういう意味では感謝しておきたい。
ただこうなっている原因も彼女にあるのだが……余り難しく考えないことにしよう。うん。
駅へ向かう道を二人で歩く。
歩き慣れた道ではあるが、この身体ではそうでもない。
なんとなく歩幅も違うし、自身の視線も周りからの視線も違って思える。
今は超絶美人と中々のイケメンが二人まるでカップルのように歩いているから当然のことかもしれない。
歩いていると、彼である彼女が話し出した。
「あの」
「なに?」
「私が困っていたことを、みーんな解決してくれて、本当にありがとう」
「そんな。私は自分に出来ることを自分に出来る範囲でやっただけだから」
「でも、私はそれが出来ずに困っていた。ずっと悩んでいた。本当に……困ってたの」
思い詰めた表情をする、彼である彼女に私は何も言えなかった。
「それなのに、入れ替わったあなたは私の暗い靄を全部吹き飛ばしてくれた。私が携帯を見ながら、ずっと誰かが、出来ればあなたが、まるでヒーローのように颯爽と現れて解決してくれないかなぁ、なんて思っていた、それが全て叶った」
「そんな、大袈裟だよ」
「おまけに、こうして話も出来て……もう夢は全部叶っちゃった。毎晩、流れ星にお願いしてた、夢」
彼である彼女は続ける。
「だから、もう私は何もいらない。貴方がいれば、もう何も」
「薫……」
私は彼である彼女の中身の名前を、つい呼んでしまった。
今は私である、私の名前を。
そんな私に、彼である彼女は真剣な顔をして、言葉を私に投げかけた。
「どうか、光が闇に飲み込まれるまで、私と一緒にいてください。星の最期を見届けるまで、あなたのそばにいさせて下さい」
彼である彼女の言葉に、私は一瞬、考える。
今、何を言われたのか。
えっと……『光が闇に飲み込まれるまで』ということは、どういうことだろう。
そして『星の最期を見届けるまで』ってのは、何億年も生きる星が、最期に超新星爆発を起こすそのことか? つまり……永遠?
あれつまりそれを考えると最初の文言も……。
私が固まっていると、彼である彼女も言ってふるふるしている。
「もしかして今の……告白の言葉ってこと?」
私が問うと、彼である彼女はこくりと頷いた。
「委員長に聞いた。全宇宙でこれを言われて落ちない男はいないっていう、昔からある最高に素敵な言葉だって」
「あー……」
委員長は本当に面倒見がよかったのだろう。
だがしかし。
「今は、お互い性別が逆じゃない?」
私がそう言うと、彼である彼女はあっ! という顔をしてあわあわし出す。
それもまた、愛しかった。
私は一呼吸置いて、自分を落ち着かせて答えた。
「こんな俺で良ければ、喜んで」
きちんと男のつもりで返してみた。
彼である彼女は一瞬何を言われたか分かっていなかったが、分かった途端に私をぎゅっと抱きしめてぐるんぐるん回り出した。
「ちょっ! 危ないよ!」
「やったっ! やったっ!」
「分かったから! 降ろして!」
道のど真ん中で私を軽々と持ち上げながら回転をしている。傍から見れば相当に痛々しいバカップルであろう。
だが彼である彼女の喜んだ顔を見ていると、どうにも怒る気分にはなれないのであった。
それから駅で、彼である彼女と別れた。
これからもこのまま暮らすのか、と聞いてみたところ、ちゃんと元に戻る方法は分からないという。
その辺は委員長に聞いて欲しい、と言われた。
でも私は出来ればこのままがいい、と言われると、私も無下には言えなくなってしまう。
まあ別に今のまま困っていることは……無い訳ではないが、大きな問題もないし、まあいいやと思ってしまった。
私は名残惜しそうにする彼である彼女に、毎日メールで連絡出来るから、と言って改札へと入った。
いつまでも彼である彼女は、まるで駅で待つ忠犬のように、私の方をずっと見つめていた。
いたたまれなくなってしまった私は、到着した電車に飛び乗るようにして、駅を後にする。
彼である彼女が私に与えてくれた温もりは、私の中で湯たんぽのようにいつまでもじんわりとしていた。
次回、最終話となります。




