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あれは確か……母方の祖父の弟の法事だったと思う。
お袋は、今この家の一階にいるであろう男だった時の俺としての母は結構な大家族で、おまけにこの辺の名士の生まれとかなんとからしいのだが、母はそういうのがどうも苦手だったらしく、自由奔放に過ごし、そして俺の父という結婚相手をあっさり見繕って、親には反対されたものの誰の言う事を聞くまでもなく、結婚した。
それからは絶縁状態になっていたものの、最も強く結婚に反対していた母方の祖父が亡くなったことでそのわだかまりも多少なりとも減ったようで、正月と法事くらいには顔を出すようになった。
そして今度は祖父亡き後に一族をまとめていた祖父の弟が亡くなってしまったのだが、この人もかなりの資産家だったので、結構な人数が法事に召集されていた、らしい。今覚えば確かに沢山の人が来ていた気がする。
しかしながら折悪く父が仕事の出張で地方にいた為、急に向かうことが出来ないとなり、父の代理として息子の俺が出席することになったのだ。
まあそんなこんなで俺は母と一緒に現地へと向かったのだが、いやはやこりゃてんてこ舞いである。流石に俺も高校生ぐらいだったので、何かを手伝うことはそこまでなかったが、流石に中は混雑しているのでこの広い境内を散歩しようと思い、靴を履いてぷらぷらと外へと向かった。
お寺はこの辺でも有数の大きさで、ここで通夜とか告別式とかやるなんて、豪勢だなぁと散歩がてらに思っていた。そうやって歩いていると俺は、黒いワンピースに身を包んだ、小さな女の子を見つけたのだ。
女の子は小さな可愛らしいポーチを肩から掛けて、それを大事そうにぎゅっと抱えつつ、今にも泣きそうな顔で全身をふるふると震えさせていた。
あぁこれは迷子だなぁとアタリをつけて、俺は優しく、圧迫感を掛けないように、しゃがんで女の子と同じくらいの目線に立って、声をかけた。
「大丈夫? 迷子?」
俺の言葉に彼女はビクッ! と反応したが、それから俺の目を見ると、みるみるうちに彼女の目から涙がこぼれてきた。
「お、おいどした!?」
俺が答える間もなく、彼女はぽろぽろと涙をこぼしながら、おずおずと俺に近付き、そしてひしっ! と私にしがみついて、声もあげずに泣き続けた。
こりゃあどうしたもんかと思いつつも、俺は女の子をぎゅっと抱きしめ「大丈夫だぞーもう怖くないぞー」とか言いながら頭を撫でたのを覚えている。
最初は彼女の頭に触れる時にどきりとしたが、彼女も一度びくっとしたものの俺に撫でられて以降は余計に俺にしがみつくように泣いていた。
ようやく泣くのが収まったかと思えば、彼女は俺から離れようとしなかった。俺のズボンをしっかりと握っていたので、余りの強さにズボンがずり落ちそうになりそうだった。
おまけに歩幅も違うので、歩きにくいったらなかった。どうしようかと少し考え、俺は再度しゃがみ、
「ほれ」
と彼女に両手を差し出した。彼女は一瞬きょとん、としたが、俺が「持ち上げてやっから」と言ったので、彼女もおずおずと俺に手を差し出してきた。
俺はよっこらせ、と彼女を持ち上げた。彼女のお尻が俺の肩に乗るような形である。今考えると高校生の体力があるからこそ出来たのかもしれない。彼女はん、と小さい声を出しながら、俺の肩の上でちょっとはしゃいでいたのを感じ取った。
それから俺は彼女をあやしながら、少しは落ち着いたであろう通夜の会場へと向かった。一通りの焼香も終えたので、食事会場へと顔を出す。するとそこではパニックになっている女性が何人かいたのだが、そのうちの一人である俺の母親が
「アンタどこ行ってたの! こっちは大変なのよ薫ちゃんが」
と言いかけた所で
「あれ、アンタもしかして薫ちゃん連れてったの!? もう勘弁してよー」
なんて言い出すもんだから俺は
「違うよこの子が一人でいたから連れてきたんだってば」
と言った。すると伝わったようで母親は
「良かったー。おーい颯ちゃん、娘さん見つかったわよー」
と伝えると、彼女の母親らしい人物が出てきた。
その母親は若々しくまた見目麗しかった。間違いなくクールビューティー系である。だがどうにも全身から感じるブランド臭というか、お金持ちの匂いは感じるものの上品、という感じには余り受け取れなかった。
なんだかなーという想いを抱えたまま、彼女は俺の肩の上にいる娘ちゃんに声をかけた。
「薫、どこ行ってたの」
厳しい口調だ。そんな冷たい声を出さなくても、と思ったが他所の家庭の事情に迂闊に首を突っ込むのも、と少し思った。
「薫、早くこっちに来なさい。行くわよ」
とまたも冷たく言い放つ彼女に、女の子は恐らく首をブンブンと振った。
……どうやら行きたくないらしい。俺の顔に女の子の髪がふわんふわんと当たったので、首を大きく横に振ったのが分かった。
「ちょっと、我がまま言わないの」
そういうと若いおかーちゃんは女の子を無理矢理俺の肩の上から奪い取ろうとする。だが女の子は慌ててがっしりと俺の頭を掴む。どっちも非常に危なっかしく思えた。
「ちょっと待った待った! 何考えてんだアンタ!」
俺は大声を出して若いおかーちゃんから距離を取り、女の子を防衛する。すると若いおかーちゃんは大声で
「アンタが私の薫をそそのかしたのね! このロリコン!」
とめちゃくちゃなことを言い出した。流石にそれは外聞が悪いし、そもそも誤解もいいところである。
俺は大きな声で言い返した。
「ふざけんな! 俺は迷子だったこの子をここまで連れて来たんだぞ! 母親のアンタがちゃんと面倒見てなかっただけだろ! おまけにこの子はアンタと一緒に行きたくないってよ」
そう言うと再び俺の顔に髪が当たった。今度の動きは縦っぽかったので、俺の言葉に同意しているらしい。
若いおかーちゃんが更に何か言いかけた所で、俺の母親が割って入った。
「まあまあそのくらいにして。ここはお葬式の場なんだからお互い冷静になりましょう」
俺と若いおかーちゃんはまだお互いに目でギリギリと鍔迫り合いをしていたが、それ以上声を交わすことはなく、その頃には俺の母親と同じように女の子を探していた人達も集まってきた。
結局それから女の子は俺から離れたがらないので、俺が女の子の面倒を見ることになった。
俺は戸惑いながらも女の子と一緒にご飯を食べて、通夜の晩を明かした。
女の子にどの食べ物が好きか聞いても全く無言で、仕方なくこれは好き? あれは食べる? といちいち声を掛けながら彼女の首が横に振るか縦に振るかを逐一観察し、だがどうやら自身の好きよりも俺が食べているものを一緒に食べたがったので、俺と同じものを用意して食事をした。
よくよく見ていると結構知らない食べ物が多かったようで、美味しい時は目をきらきらさせていたし、口に合わなかったものは眉間に皺を寄せていた。決して何かを喋ることはなかったが、表情でそこそこ察せられるので、女の子がどう思っているかはちょいちょい分かるのが面白かった。
それから翌日の告別式まで、通夜の寝ずの番を過ごさなければならない。分からない人の為に説明すると、お堂に安置されている亡くなった人の肉体と一緒に、線香の火を絶やさないように一晩中、お堂で亡くなった人と一緒に過ごす、最後のお別れの時間のようなものである。勿論一人で行う必要はないので何人かが交代でしてもよいのだが、流石に俺と女の子はそんなのしなくていいからと言われて、奥の座敷で寝ることになった。
そこでも女の子は離れたがらなかったので、俺と一緒に俺の横で寝た。流石に着替えはどうするのかと思ったが、お袋がどこからか女の子の着替えを持ってきてくれて、同じ部屋で俺から隠すようにして彼女に着せていた。俺も同時にその部屋で着替えた。部屋を出て行こうとすると泣きそうになるので困った。
トイレはどうしようか、と本気で困ったが、結局離れないので一緒にいた。流石に女の子のトイレの時は離れてくれた。でも扉を完全に閉めることは出来ず、ずっと片手をトイレの中に入れて、手をひらひらとしながら俺はここにいるよ、と教えてあげないといけなかった。
翌日は告別式だったが、その間も俺からずっと離れなかった。正直どうしてここまで懐かれているのか疑問だったが、まああの厳しい母親が相手だと甘えられないのかなとか、普段は父親に甘えていてそれの代替として俺が必要なのかな、とか軽く考えていた。
告別式も終わり出棺、そして火葬場に向かい、此度の主役である祖父の弟は骨となった。そのお骨を箸で拾い、骨壺に納め、全ての葬儀は終わった。
だから俺もいよいよ女の子との別れの時が来たのだが……女の子はびっくりするほど愚図った。俺と離れたくなくてずっと俺にしがみついていやいやをしていた。
でもこのままでは俺も女の子も家に帰れない。だから俺は優しく諭すことにした。
「いいか、俺ときみでは同じ家に帰れない。分かるな?」
女の子はじっと下を向いたままだ。本当は分かっているが、返事をしたくないのだろう。
「だからな、今日はここでバイバイだけど、またきっと会えるから」
そういうと女の子はがばっと顔を上げて、俺の方をきらきらと見ていた。恐らくだが『ホント!?』という気持ちなのだろうと察し、俺は続けた。
「ホントホント。だから今日はこれでバイバイな、また今度な」
そう言うとこくり、と小さく頷いて、俺の服をそっと離した。彼女の母親である若いおかーちゃんは大きな溜息を吐いて、その女の子の小さな手を取った。
「それでは。お世話になりました」
と軽く頭を下げた若いおかーちゃんは、そのままスタスタと歩いていった。
女の子はずっと俺の方を向いていたが、若いおかーちゃんに腕をぐいっと引っ張られて、よたよたと歩きながらも、それでも俺の方を向きながら帰っていった。
……これが、俺の覚えている全てである。
そういえば、それからの法事は普通に両親が行っていたので、俺は参加したことが無かった。
だからあれからは記憶の彼方にあったのである。
決して俺の物覚えが悪いとかそういうことではない。
「そうかーあの女の子だったのかー。こんなに大きくなってー」
と言っているがよく考えたらその女の子の身体は今の私である。混乱しそうだ。
「あれ、じゃああの時の母親とは」
「別れた」
そういえば彼女の父親ともその辺の話は少ししたな。だが彼である彼女の言い方には少し棘がある。余り詮索しない方が良さそうだ。
「ごめんなぁ。あの時は親父の代理だったから、親父が行く以上私行く必要は無くなっちゃってさ」
「待ってたのに」
「ごめん」
私は素直に謝る。普通に考えて、期待させた私が悪いのだ。
だがしかし、私からすれば接点はこの一回のみである。
それにしては彼女は、今の私のことに少し詳しすぎはしないだろうか。
「そういえば、どうして私の連絡先、知ってたの?」
私がそう言うと、彼である彼女は教えてくれた。
「一度、来たことがある」
「えっ!?」
……話を要約すると、このようだ。
彼女はまた法事に行けば俺に会える! と思って積極的に法事に参加していたのだが、何度この一族の法事に来ても会うことが出来ない。おまけに親族が大勢いるので誰が俺の関係者かも分からない。何度法事に来ても会えないものだからとうとう我慢出来なくなり、法事が終わった後で周りに当時の話をして、そこから俺の母親へと辿り着き、そのまま俺の母親に住所と連絡先を聞き、両親の目を盗んで(友達の家に遊びに行くと嘘を吐いて)俺の家に夏休みを使って電撃訪問したらしいのだ。
だが運悪く、なんとも運が悪く、俺は学生時代に一人ぶらぶら海外旅行の真っ最中で、いつ帰ってくるか分からないとの事。
愕然とした彼女はショックの余り呆然自失としてしまい、それから俺のお袋こと、この家の母親に介抱されたらしい。
それで母親が俺の連絡先を教えてくれて、今度はちゃんとメールしてから来なさいよ、とのことだった。
だが連絡先を教えて貰ったのだが、生憎彼女は言葉を紡ぎ、伝えるのが大の苦手だった。
実際にクラスメイトとも、そして父親とも殆ど話すことがないし、おまけに自分から話さなくても相手から声を掛けられてそれにリアクションすれば勝手に相手が理解してくれるので、それで良かった。
だから連絡先を教えて貰ってとても浮かれていたのだが、その後どうして良いかが分からなかったのだった。
そこで俺の名前を本名ではなく、まるで手の届かない憧れの名前として『エトワール(星)』という名前に変えて、にんまりにやにやしていたらしい。
また電撃訪問しようとも思ったらしいが、俺の母親に『メールしてから来なさいよ』と言われた手前、連絡をしていないのに訪問するのは憚られた、とのことだった。
それからはまた時が経ち、隣の委員長と出会い、今回の事件が発生した、ようである。
「なんじゃそりゃ……」
私は呆れてしまった。もう少しやり方もあったであろうに。
「でも……」
言葉を濁しながら、彼である彼女は俺を見つめる。男なのにまるで女の子のような表情をしないで欲しい。対応に困る。
私はかつての私のように、飛び込んできた彼である彼女をぎゅっと抱きしめて、頭をよしよしと撫でた。
なんといえばよいか迷ったが、今はこの言葉にしようと決めた。
「おかえり」
彼である彼女は、瞳の端に水滴を作ってこう言った。
「ただいま」