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「そういえば母さんとは……どうして、別れたの?」

 私の言葉に、父さんは意外な反応をする。

「ん? 覚えてないか? それともきちんと言ってなかったか?」

「どうだろ」

「えっとなぁ……父さんと母さんは、恋愛結婚というよりお見合いというか、優秀な血族を欲した母さん一族が将来有望な若手だった父さんを欲しがったんだ。これでも父さん優秀なんだぞ」

「それは何となく知ってる。それで?」

 少し胸を張った父親だが、それは今住んでいるマンションと、日々の激務、それと彼が身に付けているスーツやアイテムによって把握出来る。

 胸に指してある万年筆や腕時計も、その辺で売っているものよりかは一段上だというのがなんとなく分かるくらいには高価なにおいがする。まあそこまで詳しくないので実際は分からないけれど。

 そんな返しをしたら、父さんは少し肩を落としながら、続きを話してくれた。

「そ、そうか……。それで父さんは、母さんの家に婿に入ったんだ。でもな、母さんも優秀というか、父さんに似て仕事人間だったんだ」

「へぇ」

「それで、一応一族のこともあって子供は作ったんだが、息子じゃなくて娘、それに二人とも仕事で忙しいのに余り面倒も見れない、そのうち結婚している意味があるのか、と二人で話し合ってな……特に父さんよりも母さんが自身の仕事に夢中でな、家族より仕事を取った、ってところかな……」

 そういう過去があったのか。そりゃあ……うん。

 この家は家族という形が、枠としてはあるけれども心としては繋がりが希薄だった、ということなのだろうか。

 私はもう少し父親に聞いてみることにする。

「それっていつくらい?」

「もう五、六年くらいは前になるかな……正直、父さんも凄く忙しくて、あんまり覚えていないんだ……すまない」

 なるほど、彼女は父親にも母親にも余り相手にされてなかった、ということなのか……。

 彼女の家がお金持ちの割に寂しいというか、彼女の部屋も居間も、全体的に生活している感じが少ないというか、住宅展示場のショールームのような感じがしていたのだ。

 勿論部屋は綺麗だ。だがなんというか、綺麗すぎるというか。

 毎日生活していたら、そこに痕跡が残る。その感じが余りしないというか。

 しかし、父親も彼女も余り家での生活を、言い方は悪いがおろそかにしていたのならば、こういう家になるのも仕方がないのかもしれない。

「ま、まあそんな訳だ」

「うん」

 父親は、ふぅと大きな溜息を吐いて、再度彼女に向き直った。

「本当に、困ったことはないか?」

「うん」

 流石にこの場で痴漢がどうこう、という話は少し違うと思うので、余計な事は言わずに無難な返答をする。

 そもそも元の身体の持ち主である彼女は父親に心配させまいとして、恐らく何も言わなかった気がするので、その覚悟を私が裏切るのはなんだか違う気がするのだ。

 私の無難な答えを聞いて、父親は少し方向性を替えつつ突っ込んだ内容を聞いてくる。

「やっぱり男親は、娘にとっては嫌われることがあることも知っている。嫌いだと思うなら正直に言って欲しい」

「別に、そんなことはないよ」

「そ、そうか?」

「ちゃんと仕事して、えらいよ」

「そう……か?」

「うん。えらいえらい」

 そういって私は、彼の、父親の頭を机越しになでなでした。

 人間、褒められると弱いのだ。

 それも、自分が思ってもいない相手からすると。

 日々激務の父親だが、彼は間違いなく『今の俺が娘にしてやれることは、仕事を必死にこなしてお金を稼ぐことくらいしかない。だから頑張らないと』という想いでもって、仕事をこなしていると思う。

 全ては自身の娘に報いる為なのだ。

 例えそれが、伝わらない愛情だったとしても。

 だが、そんな不器用な愛情は、同じ男だったことのある私には分かる。

 元来男とは、不器用で本音の出せない、馬鹿な生き物なのだ。

 だからこそ私は、その自尊心をさも理解したようにして、くすぐってやるのだ。

 そうすればきっと、父親も娘が父親自身のことを憎からず思っていることを理解してくれるはず……そう、踏んだのだが。

 目の前の親父は、一瞬びっくりした後、またもぽろぽろと泣き出してしまった。おいおい。

「うっ、ぐっ、ヒック」

「えらいえらい」

 私はびっくりもしたが、そのまま続ける。

 彼は暫く泣いていたが、どうにか落ち着いたようで、ぐしゃぐしゃになった顔を腕でぬぐった。

「ふぅ……すまない。ちょっとびっくりしちゃってね」

「そう」

「なんだか今日は……とてもあたたかい気持ちになれたよ。ありがとう」

「どういたしまして」

「さてと。食事も終えたし、洗い物は父さんがしておくから、薫は先にお風呂に入りなさい」

「分かった。でもまだ食べてるから、父さん先でいいよ」

「そ、そうか? でも父さんが先だと……湯舟が汚れるから」

「また言ってる。別にそんなことないよ」

「そ、そうか? ……本当に?」

「父さん疲れてるから、ゆっくりしてきていいよ。私まだゆっくり食べてるから」

「う、うん……薫、すまないな」

「いいえー」

 そういうと父親は、ゆっくりと席を立ち、流しへと食器を持って行って、自身の洗い物をして、そのまま居間を出て行った。

 私は緊張していたのか、彼の足音がぱたぱたと進み、恐らく脱衣所の方であろう扉の閉まる音がぱたん、と聞こえたところでふぅと大きな息を吐いた。

 彼女の近しい人間である父親に対して、彼女を演じるようにしながら彼女の気持ちであろう言葉を推測しながら吐き出す、この緊張感といったらなかった。

 それだけの仕事をしたのだ。私の溜息ためいきも順当であろう。

 しかし、彼は本当に彼なりの苦労を、心労を溜め込んでいたようである。それがあの涙だったのだろう。

 私ももし自分が父親になったとして、離婚して年頃の娘と父一人子一人で生活していたら、胃がキリキリしたに違いない。

 何しろ、どんな会話をすればよいのかも分からないのだから。

 彼女の趣味嗜好の話など出来るはずもないし、どんな言葉で彼女が傷ついたりするかも想像の範疇はんちゅう外である。

 おまけに年頃の娘など、どれだけ父親を嫌悪しているかも分からない。

 もしやらかして、一度でも『キモい』とか『ウザい』とか『クサい』とか、それこそ無言とかシカトとかされたら……もう一生挽回は不可能に思えてくるし、生きていたいとも思えなくなる。

 更に更にその娘というのが、このベリベリクールビューティーのこの姿である。家にこんな美少女がいるだけで私なら緊張してしまうし、恐らくは家庭でも殆ど喋らなかったのだろう。余計に何を考えているのか、父親には理解不能だったように思えてならない。

 それできっと、彼からすればどうしていいか分からなくなって、八方はっぽう手詰てづまりだったに違いない。

 その結果が今日の散々たる状態である。

 ……だが、それも本日までだ。

 先ほどの二人で行った会話により、恐らく父親の中にあったわだかまりもほどけたであろう。

 そして、元々の娘だった彼女も、推測であるが、そこまであの父親を嫌っていたとも思わない。

 何より、私には立派な父親に見えた。

 過干渉でも不干渉でもなく、きちんと仕事をして、それなりに気遣っている父親。

 あとはマイナス面が無ければ、それでよいと思う。

 酒乱とかDVとか、そういうのも特に見受けられないし。

 これでやっと、父親との仲も解決したと思う。私的に。

 そんなことをぐるぐると考えながらもくもくと箸を動かして、食器を空にした。

 私は自分の食器も下げて洗い物をし、最後に布巾ふきんでテーブルを拭いていると、父親がほこほこの身体と共にやってきた。

「お風呂出たぞー。あー気持ち良かった。薫も入りなさい」

「うん」

「あ、それと今日の親子丼、まだ残ってるか?」

「うん」

「明日、お昼に弁当として持って行っても構わないか?」

「どうぞ?」

「ありがとう。最近外食やコンビニでの昼食も飽きてしまってね。家庭の味が食べたかったんだ」

「うん」

「あとね……同僚が愛妻弁当をちょいちょい自慢してきてね、それがもうムシャクシャして」

「あー」

 分かる。男とは常にどうしようもないマウントを取りたがる生き物なのである。

「それがどうだ! 明日は俺の愛娘が作った親子丼だぞ! 同時に写真も見せつけてやるのだー」

「はぁ」

「俺の愛娘の可愛さは同僚も知ってるからな、羨ましがるぞーぐひひ」

「……父さん」

「なんだ?」

「その顔はやめて」

 私の目の前にいる父親であろう男は、明日のお昼時に同僚が悔しがる顔を想像して、大層気味の悪い笑顔をしていたのだった。

「……すまん」

「タッパーにおかずとごはん、ありったけ詰めてっていいから。明日の朝にでもやりなよ」

「そうか。分かった。全部持ってってもいいか?」

「どうぞ」

「分かった。ありがとう。じゃあ父さんゆっくりしてるから」

「うん。お風呂入ってくる」

「ごゆっくり」

 そう言って私は、居間を出て脱衣所へと向かった。

 背中からは、とても穏やかなオーラを感じた。


 入浴後、自室にて。

『どうだった?』

 エトワールからのメールである。

『なんか……思ってた以上にあっけなかった』

『よかったね』

 うん。良かったんだけど……なんというか、こう……もっと以前から、お互いに正直に話し合えば良かったのではないだろうか、と思った。

『お互いに普通に向かい合って、話し合ったら問題なく解決したね』

『そう』

『なんで今までしなかったんだろ』

『確かに。難しいね』

 本当にそうだ。

 相手のことを自分はこう思っている。でもそれが相手に伝わってるかどうかは分からない。

 なんなら自分は好意として相手に投げかけているのに、相手はそれを悪意として受け取ったりもする。

 この国は、そういうのをしぐさとか目線とか、そういうのでなんとなーく伝えたり伝えなかったりして、しかもそれが伝わってないと怒り出したりする。むちゃくちゃだ。

 ちゃんと言葉にすれば、少なくとも言語が通じる人には届くはずなのだから、言葉にすればいいのに。

 ……もっとも、それを言葉にするのが難しいんだよなー、と一人ごちる。

 おまけに言葉として発してもその言葉をそのまま受け取らなかったりする人だっているのだ。

 本当に、人と人とが理解し合うのは難しい。

『ほんとにねー』

『よくがんばったね えらいえらい』

 今度はなぜか私が褒められている。

 しかしながら素直に自身の頑張りを褒めて貰えるのは、嬉しい。

 もっとも相手がどこの誰とも分からないけれど。

 こいつが怪しい男ならば容赦はしないところだが。

 今の所はそういう、変な色目とか使ってきていないので、許すことにする。

 おじさん、変な男だったら許しませんよ!

 ……なんて、おかしなことを思いながら、彼ことエトワールのことを思った。

 本当にこいつ、何者なのだろうか。

 彼自身は彼女の友人、もしくは親友のような立場で接して来ているが、具体的にどこで出会ったとかどういう付き合いがあるとか、そういったことを何も言わないしほのめかしすらしない。

 学校のクラスメイトか、はたまた同級生か。あるいは先輩後輩……という可能性も最初は考えていたが、学校ではそういった接触も特に感じられなかった。

 やはり、ネットなどのリアルではない、オンラインで知り合った友人なのだろうか。

 それならばまだ可能性はある。

 しかし、それならば私に入れ替わった際に、毎日ログインしたりそのオンラインの知り合った居場所なりにやってこないことを、聞かれたりしてもおかしくはないのだが……そういったこともない。

 そう、例えば同じネットゲームをプレイしていたのなら、『最近ログインないけどどうしたのー? もう飽きちゃったー?』みたいな、そういう会話が。

 一切……無いのだ。

 さて考えられるとしたら、これは正直考えたくはなかったが……ひょんなことから知り合った、異性、という可能性だ。

 それも、きちんとしたところではなく、もっと別の可能性。

 そんなことを考えると、ぞっとする。

 彼女ならばそんなことをするはずがない! と思いたいが、人間何を考えているかなんて、本人以外には分からない。

 こんな彼女が、実は凄い遊び人だったという可能性だって、絶対にないとは言い切れないのだ。

 だが、もしそうだったとしても。

 その割にはこのエトワールという男、実に返答が淡泊なのである。

 殆ど一言二言で返してくるし、言葉もどこかふわふわしている。

 そもそも異性で、私の身体目的であろう男性ならば、もっとこう……例えば、そう下ネタとか、そういうワードを挟んできてもおかしくないのに。

 エトワールからは、全くそういった感じは見られない。

 それよりも、もっと私のことを気遣うような、心配に思うことの方が多い。

 あー……そうなると……答えは一つ。

 ……彼氏?

 ……もしそうだったら……やだなぁ。

 それはつまり、私は見ず知らずの女子高生になった挙句、まったく知らない男の彼女になっていた、という可能性である。

 そして毎晩、私は愛する彼氏といちゃいちゃなメールを日々やり取りしていた。そういうことになる。

 それはなんともぐぬぬな展開である。

 私は確かに今女性の身体になってはいるが、それでもまだ男性の矜持は捨てていないつもりだった。

 ……色々と手遅れな部分も無きにしも非ずだが、これでもそう思っているんだ!

 普通に女性用下着とか着け慣れたけど、変態とか言うんじゃない!

 それがどうした、いつの間にか私はいた男といちゃこらぶらぶしていたということになる。

 私は大きな大きな心の溜息を漏らす。

 顔も名前も知らない相手が彼氏とは……なんたることか。

 ……だが、待てよ。

 私は冷静に考えてみる。

 もし彼と私が彼氏彼女という関係性であったならば。

 もう少し、このやり取りに『好きだよ』とかそういう、こうアイラブユー的な空気があってもいいのではないだろうか。

 それともあれか、よくいう友達以上恋人未満的なやつか?

 でもなぁ、それにしたってこのエトワールからは、私のことを好き好きアピールどころか、そんな気配さえないのである。

 ……やはり、考えすぎなのだろうか。

 そして話は最初へと戻る。

 こいつの正体は一体、誰なのだろうか。

 私の今の結論は、『分からない』であった。

 ふと気付くと、画面にはエトワールからの新たな言葉が表示されていた。

『あとは、問題のアレか』

『アレ?』

『朝の通学時間』

 その言葉にどきりとする。

 そういえば、エトワールから私が最初に受けた言葉も、朝の通学時間に心配された言葉だったな、と思い出す。

 確かにあの時間はとても苦痛で、憂鬱だ。

 簡単に声を上げればよいものでもない。

 二度と彼の人生において、女性を傷つけないようにするためにも、徹底的にやらなければならない。

 だがそれには、それなりの手順と準備が必要なのだ。

『大丈夫。任せて』

 私はもう、余計なことを考えるのをやめた。

 今日までに友人とのいさかいを元に戻し、父親との交流も良い方向へと向かうことが出来た。

 いかに相手が気持ち悪いおじさんであろうと、私が勇気を振り絞れば、なんてことはない相手の筈なのだ。

 例え屈強な男であろうと、正義は間違いなくこちらにあるのだから。

 大きな声で相手の手を掴み、大声で叫べばよいだけのこと。

 何も難しくないのだ。きっと。本来は。

 相変わらずエトワールは私を心配してくれたが、私はいよいよもって、あの鋼鉄の移動手段に巣食うラスボスとの対決を決め、明日の用意をして消灯し就寝するのだった。

 きっと数日後には、気持ちの良い夢が見れるように。


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