二国間の同盟
未だに、信じられない思いがあるのだろう。
確かに事実を羅列すると、驚愕よりも先に、『嘘っぽい』という感想がくるだろう。
突拍子がなさすぎる。
ノアへの手紙は、時間がなかったのと、暗号を用いるのであまり長文にはできないことで、かなり端的に、事実だけをまとめた文章にしたのだけど、受け取ったノアはその内容に面食らったのだろう。
そう思うと、申し訳なくなってくる。
ノアは遠くを見るような目になったが、やがて苦笑交じりに背後のルイスに声をかけた。
「ねえ、ルイス?」
「……シャリゼ様は、嘘は仰いません」
「いや、僕も疑ってるわけじゃない!そうじゃなくて、この事実を知った時、お前も混乱しただろう?まさかアルカーナ帝国民が吸血鬼なんて。言ってるのがシャリゼじゃなければ何を寝ぼけたことを、と一蹴してる!」
「そうよね……。あまりにも突拍子のないことだものね……」
ノアの驚きも、彼が半信半疑なのも当然だ。
私が頷くと、私の後ろで場を見守っていたティノが言った。
「俺が、魔力を使ってみればいいのかな」
そこで、ノアはようやくティノを見た。
「アルカーナ帝国の第三皇子……ですね。そもそも、あなたがこの場に共にいることが、私には未だ信じられません。アルカーナ帝国は、今までヴィクトワールと距離を保っていたでしょう」
ウーティスでの小競り合いはあったが、皇族がヴィクトワールに接触を計ってくることは、今まで一度もなかった。
ノアの言葉に、ティノがまつ毛を伏せる、
「ええ、その通りです。アルカーナ帝国は、訳あってヴィクトワールに積極的に関与してくることは無かった。その訳、というのはつい先程シャリゼから聞いたかと思いますが──ノア殿下、
いえ、国王陛下」
ティノがノアに呼びかける。
ノアは静かにティノを見つめていた。
いや、見つめている、なんて優しいものではない。その瞳は、あまりにも鋭かった。
静かに、ノアはティノを観察していた。
ティノは、見た目だけで言うなら、静けさを感じさせる青年だ。
それに加え、あまり言葉を荒らげることもなく、感情が見えにくい。
なので、ティノというひとを知らなければ、【何を考えているのかわからない、胡散臭いやつ】という評価を安易に与えられてしまうだろう。
実際のティノは感情が豊かだ。
だけどそれを悟られないように声音を抑えているのだと思う。
結果、ミステリアス、というか不思議な人物像になるのだろう。
ティノが淡々と答える。
「あなたがヴィクトワールの王になったことは、アルカーナ帝国としても喜ばしいことです。彼女の話を前提として呑めるのであれば、我々アルカーナ帝国からも提案がある。それを伝えるために、私はこの場に同席しました」
そう。ティノが一緒にこの場に同席していることには意味がある。
ウーティスの森の地下に眠っていたのは、アルカーナ帝国の皇族の遺骸。
吸血鬼の遺骸を触媒にして、ウーティスの森に結界を張っていた。
その遺骸をどうするか、それは私の一存で決められることではない。
ヴィクトワールの王であるノアと、アルカーナ帝国の皇族であるティノが揃って始めて議論できることだろう。
ティノは、一息に言った。
「父から言伝を受けてきました」
ティノの父──つまり、アルカーナ帝国皇帝。
その言葉に、ノアが神経を尖らせたのが私にもわかった。
「ウーティスの森の遺骸は、こちらに引き渡していただきたい」
「……」
ノアは瞳を細めて注意深くティノを見ている。
ティノは、その鋭い視線を真っ向から受け止めながらも、話を続けた。
「しかし、だからといって互いに攻撃し合う関係を、我が帝国も望んではいません。そこでひとつ提案があるのです、国王陛下」
「……聞きましょう」
ノアの言葉に、ティノは少し安堵したようだった。
それは些細な変化だった。
きっと、とても緊張しているのだろう。
恐らく、ルイスやノアはティノの緊張に気づいていないはずだ。
「同盟を、結びましょう」
「同盟……?」
ノアが困惑したようにその言葉を繰り返す。
それに、ティノが頷いた。
「ええ。お互いに不可侵であることを記す同盟です。ウーティスの森は、元々はヴィクトワールが自衛のために作った結界。互いに不可侵であることを誓えば、そもそもの話、結界も不要になるはず。……いかがですか?」
「それは……」
ノアは僅かに言い淀んだ。
即決するには、あまりにも重大な事柄だと思ったのだろう。
眉を寄せるノアに、私は言い添えた。
「ノアも、突然のことで混乱していると思うの。だから、時間を設けましょう。一週間後の今日、答えを教えて欲しいの」
「……きみは、僕と一緒に考えてはくれないの?」
ノアが苦笑して言った。
それに、私もまた苦い笑みを浮かべる。
「私は、彼とずっと行動を共にしていたの。だから……きっと、私情が混ざってしまうわ。……それに、ノア。今のヴィクトワール王は、あなたよ」
「……そう、だね」
ノアは、私が何を言いたいのか理解したのだろう。
彼は疲れたように笑った。
「……あなたが、決断しなければならない。これから、こういった選択の場は何度も訪れるでしょう。その時に、あなたが正しいと思える判断を下せるように」
私は、口を挟まない。
ティノが言った通り、私は既に過去の亡霊だ。
王妃シャリゼは死んだ。
今ここにいるのは、何も持たないただのシャリゼ。
そんな私が、政に介入するのは──良くないことだと、思う。
これからのヴィクトワールに必要なのは、ノアを支え、共に悩み、考えてくれるひと。
つまり、彼が信頼を預けられるひとだ。
私は、ノアの後ろに立つルイスに視線を向けた。
「ルイス」
「はっ……」
ルイスが、応えるように頭を下げる。
「ノアの力になってあげて」
「それは──」
ルイスが何か言おうとして、言葉を止める。
ノアも、何か感じとったのだろう。
目を細めて私を見た。
「……その言い方だとまるできみはここからいなくなってしまうかのようだね」
ノアの言葉に、私は肩を竦めた。
「……ええ。私はもう過去の人間だもの。もう、表舞台には戻れない」
「そんなこと」
ノアがなにか言おうとして、私はそれを遮るように言葉を続けた。
「ノア、私は一度失敗して、その失敗から逃げようとしたわ」
一度、私はこの国を捨てようとした。
政争に敗れた私は、毒を飲んだ。
毒を飲めと言われたからそれに従って、王妃シャリゼを葬った。
国を捨てるつもりだった。
私は一度、この国を見捨てた。
その私が、ふたたび陽の光を浴びる──それは、王妃シャリゼであった時の私の矜恃が、許さない。
「私は、この国を愛している。愛しているからこそ、一度逃げようとした私を、王妃シャリゼは許したくない。……ごめんなさい、ただの我儘なの。それでも、もう私は表舞台に戻るつもりは無いのよ」
「──…………」
それは、ノアの告白の返事にもなっただろう。
彼は絶句して、手を強く握りしめた。
その指先が、白くなるほどに。
「ノア。私は、ヴィクトワールの未来をあなたに託したい。一度はこの国の未来に絶望して全てを諦めてしまった私だけど……また、夢を見てもいいかしら」
「シャリゼ……」
「あなたに、王妃シャリゼであった時の夢を、託したい。一度も諦めず、投げ出さず、どんなに絶望的な状況であってもなお、前を向こうとしたあなたに……託したいの。ノア」
狡いことを言っている自覚はあった。
だって、これは彼を縛る呪いになってしまう。
私は、自分にできなかったことを彼に押し付けている。
耳触りのいい言葉をただ羅列して、彼に押し付けているだけなのだ。
わかっている。わかっていた。
それでも、私はヴィクトワールの王はノアであってほしいと思ったし、彼なら、この国を慈しんでくれると思った。
私の言葉に、ノアは泣きそうな顔になった。
昔──ヘンリーの婚約者時代によく見た顔だ。
私が理不尽に責められたり、窮地に追いやられた時、彼はいつもこんな顔をしていた。
「ノア。私はあなたを」
愛している、とは、もう言えない。
私が彼に持っているのは、親愛であり、友愛であり、家族愛だから。
彼が求めているものを、私は差し出せない。
「……信じてる」
「っ…………。シャリゼは、ずるいね」
小さな声で、彼はそう言った。
確かに、その通りだ。
ノアは目の縁を赤くさせていた。
「……ええ。ありがとう、ノア」
謝罪は、しなかった。
それは彼の矜恃を汚すことになるから。
「ルイス。あなたも」
言葉を向けると、ルイスはぴくりと肩を揺らした。
だけど、彼も私とノアを話をしている間に、自らの答えを定めていたのだろう。
静かに、ルイスは騎士の礼を執った。
「ノアを、よろしくね」
そうして、アルカーナ帝国第三皇子とヴィクトワール新国王の対談は終わったのだ。




