ヴィクトワールの死
【王妃ステラ、七百万ポンドの指輪を購入!成り上がり妃、分不相応な豪遊】
新聞の見出しに書かれたその文章を読むと、男──デーヴィド・ゼーネフェルダーはそれを机の上に放り投げた。
そして、紅茶に口をつけようとしたその時。
扉がノックされた。
入室の許可を出すと、入ってきたのは公爵家の使用人だった。
彼は困惑した様子で言う。
「ステラ妃が……いらっしゃっております」
「……ステラが?」
ステラは、デーヴィドの養子だ。
彼は、思わずと言った様子で腰を上げた。
この新聞を見るに、ステラは今、全国民の非難の的となっている。
現に、ゼーネフェルダー公爵邸にも民が押し寄せている程なのだから。
この邸宅も、今は私兵が対応しているが、いつ門が破られるか分からない状況だ。
デーヴィドは妻のアンヌを連れ、他国に亡命する予定だった。
今は、支度を整え終わり、最後の紅茶を飲んでいたところだ。
(なぜ、今になってステラが……)
考え込むデーヴィドに、使用人が伺いを立てる。
「お帰りいただきますか……?」
「……。いや、通して構わない」
デーヴィドは顔を上げて答えた。
それから、言葉を付け加える。
「だが、紅茶の用意は不要だ」
☆
デーヴィド・ゼーネフェルダー。
ゼーネフェルダー公爵当主だ。
彼が孤児のステラを引き取ったのは、理由がある。
その頃、力をつけ始めてきた革新派との対立を防ぐために、孤児のステラを養子に迎えた。
ただそれだけの理由だった。
平民の娘なら、誰でもよかったのだ。
だから彼は、使用人任せにした。
てきとうに孤児院の子供たちから見繕うよう、指示を出したのだ。
そして、使用人が連れてきたのは、緑の髪の可愛らしい少女だった。
ぱっちりとした青の瞳が美しい。
それは、夕暮れ時にのみ見ることの出来る、紺色の空によく似ていた。
少女の可憐さは、社交界で様々な美女を見てきたデーヴィドすらも驚かせる程だった。
なぜ彼女を連れてきたのかと問えば、予想通り使用人は『いちばん美しかったからだ』と答えた。
見目の良さで選ぶつもりはなかったが──まあ、いい。
引き取った以上、ステラはデーヴィドの娘となる。
ステラは人懐っこく、よく笑う少女だった。
姉のシャリゼとも仲が良く、よくふたりで遊んでいた。
おかしくなったのは、シャリゼが社交界デビューしてから。
ステラが、王太子のヘンリーに一目惚れをした、と告白してきたのだ。
彼女は父に訴えた。
『ヘンリーも私を愛していると言ってくれました!だから!お父様。婚約者を代えてほしいの……!』
涙ながらに語るステラに、デーヴィドは仰天した。
公爵家に引き取られ、ステラは自身の養子となったが、とうぜん彼女に公爵家の血は流れていない。
デーヴィドは、革新派との衝突を避けたいとは考えているが、彼は根っからの守旧派だ。
シャリゼではなく、婚約者をステラに代えるなど……。それこそ、守旧派が黙っていないだろう。
王家に平民の血を入れるなど、とんでもないことだ。
格式が落ちる、と彼らは抗議するに違いない。
それに、平民の妃を迎えなどしたら、諸外国からも白い目で見られる。
『ヴィクトワール王家も大したものではないな』と軽んじられる可能性が高いのだ。
だから、デーヴィドは、ステラを説得した。
ステラは、あくまでゼーネフェルダーの養子であり、公爵家の血は継いでいない。
前提として、この婚約は王家とゼーネフェルダーの結び付きを強めるためのものだった。
昨今、力を増してきた革新派の牽制のため、王家と守旧派筆頭貴族、ゼーネフェルダー公爵家の婚約は調えられたのだ。
それを懇切丁寧に説明したが、彼女は納得せず、ついには泣き出す始末だった。
『ひどい!!お父様は、お姉様の方がお好きなのよ。私なんてどうでもいいんだわ!』
『そんなことは言っていない!お前は私の大切な娘だが、それとこれとは話が別だ。なぜわからない!』
『どう違うの!?お父様は、お姉様の方が大事なのよ。私を差別しているんだわ!!』
こうなると、もうステラは聞く耳を持たなかった。
婚約者の挿げ替えは叶わないと知りながら、それ以降も、ステラはヘンリーとの付き合いを止めなかった。
デーヴィドは、何度となくステラを注意した。
だけどステラは泣くばかりで忠告を無視したし、ヘンリーも同様だった。
ヘンリーはデーヴィドの苦言を『一貴族が介入することでは無い』と切り捨ててしまったのだ。
そして──時は流れ。
シャリゼが処刑された。ヘンリーの手によって。
シャリゼは、今の腐敗したヴィクトワールを立て直すために奔走していた。
王弟のノアと協力し、神殿の助長を抑え、魔獣の討伐に精を出し、横領する貴族は厳しく罰していた。
だけど、新聞社は神殿の圧力を受けて、神殿に都合のいいことばかりを書く。
神殿にとってシャリゼは、目の上のたんこぶだった。彼らにとってシャリゼは、鬱陶しくてたまらない存在だったのである。
そして──彼女の婚約者、ヘンリーも同様にシャリゼを嫌っていた。
彼は政に介入し、あれこれ口を出す妃にうんざりしていた。
そして、彼は父と違い、守旧派ではなかった。
ステラとこころを通わせた彼は、彼女を妃にしたいと常々思っていた。
しかし、彼女を妃にするには血筋も身分も足りない。
ステラは、由緒正しいゼーネフェルダー公爵家の娘だが、あくまで養子。彼女に青い血は流れていない。
このままでは、彼女を妃にすることはできない。
ヘンリーが思い悩んでいた時。
彼に甘い言葉を使って近寄ってきたのが──神殿の人間だった。
そして、ヘンリーは宗旨替えした。
血筋や身分に拘る守旧派ではなく、【身分に囚われない】という考えを持つ革新派に賛同するようになったのだ。
身分に囚われない──それはつまり、自身の地位を危うくする可能性を秘めていると言うのに。
……神殿に都合よく使われているとも知らずに、王は革新派に傾倒した。
結果、どうなった?
現状が全てだ。
シャリゼが抑えていた神殿は、ここぞとばかりに勢力を伸ばし。
シャリゼが抑えていた魔獣は爆発的にその数を増やした。
もはや、この国に未来はない。
シャリゼが死んだと同時に──歴史あるこのヴィクトワールも、死を迎えたのだ。