期待しては裏切られて
「ローレンス殿下……」
ぽつりと、私は彼の名を呼んだ。
突然現れた彼に、女性たちは驚愕したようだった。
「だ、誰!?」
「今、突然……」
みな、震える声で各々思うことを口にした。
そして、ひとりがぽつりと言った。
「化け物……」
ハッとしたように、そのひとをみなが見る。
私も、これは良くない流れだと思い、ローレンス殿下を押しのけて前に出ようとした時。
子を三人連れている母親が、ひっくり返った声で言った。
「魔族なんじゃないの!?」
「──」
その言葉に目を見開いた。
女性は、そう言うと、もはやそうとしか思えなくなったのだろう。パニックを起こしたように、怯え、身構え、私たちに向かって鋭い声をあびせた。
「魔族!!魔族よ!!魔族が魔獣を率いてやってきたのよ!!」
「おい、あまり大声を出すな!」
「どう見ても人間じゃない。落ち着きなさいよ」
ほかのひとが宥めるが、パニックに陥った女性は止まらない。
まるで、それに気が付かないことを愚かだとでも言うような勢いで彼女はまくし立てた。
「だって、さっきいきなり現れたじゃない!!人間じゃないわ!!」
「そうだけど……」
「魔獣を率いているのよ!!シャリゼ様……あの女は偽物なんだわ!!私たちを騙してるの!!」
そこで、女性はぱたりと口を閉じた。
それからふとあることに気がついたように声を低くして、言った。
「殺さなきゃ」
「っ…………」
恐怖と混乱、動揺によってまともな判断ができていないのだろう。
彼女は静かに私たちを見て言った。
「殺さなきゃ、そうよ。あいつらを殺せば、魔獣はいなくなるわ!」
「そんなわけないだろ!」
ひとりが反対して、ひとりが賛同した。
「でも、試してみる価値はあるわ」
彼らの中でも意見が割れているようだ。
中でも、子を連れた女性は目を爛々とさせて私たちを見ている。
彼女は武器を持っていないが、彼らの中には帯剣しているものもいる。
「落ち着いてください!今必要なのは、魔獣の討伐です。ここで諍いを起こしている場合では」
「そうやって私たちを騙すんでしょう!!その手には乗らないわよ!!」
女性が私の言葉をさえぎってしまい、話にならない。
(こんなことをしている場合じゃないのに……!)
ままならないもどかしさを感じていた時。
唸り声が聞こえた。
「ヴオオオ…………」
それも、すぐ近くで。
「…………!!」
誰もが息を呑む。
ふと見れば、いつの間にか大勢の魔獣が私たちを取り囲んでいた。
彼女の大声に吸い寄せられたのだろう。
魔獣は低い唸り声を上げて威嚇しながらこちらを見ていた。
魔獣は全身を黒の魔素に覆われていて、全体像がよく見えない。
だけど、その赤の瞳だけが鋭い光を帯びていた。
それまで私たちを激しく糾弾していた女性が、悲鳴をあげて腰を抜かした。
周囲のひとたちも、現れた魔獣に恐れをなして微動だにしなかった。
「う、嘘……嘘よ」
女性が上擦った声をあげる。
それから、バッとこちらを勢いよく見た。
「た、助けてくれるわよね?シャリゼ様……あなたさっき、魔獣を倒してくれたじゃない……」
「──…………」
震えた声で、今さっきとは違う事を言い出す彼女に、私は深い悲しみを覚えた。
態度を突然豹変させた彼女に、周囲のひとたちも思うことがあったらしい。
中でも、私たちを殺すことに反対していた男性が、声を張り上げて彼女を罵倒した。
「あんたが大声を出すから魔獣が来たんだろうが!!お前のせいだ、何とかしろっ!!」
「そ、そんな」
「そ、そうよ。そうだわ!あなたのせいよ、あなたが足止めしなさいよ。私、こんなところで死ぬなんて絶対嫌だわ!!ここまで逃げてきたのよ!?」
周囲の人間が彼女の腕を掴み、無理に立ち上がらせようとして、それを見た子供たちが泣き声を上げた。
酷い光景だった。
(……ひとまず、魔獣を追い払わないと。退路の確保、それから──)
いや、退路は……ないのだった。
街門が閉ざされている今、私たちに残された道は、全魔獣の討伐。
聖力は持つだろうか……。
自身の聖力の残りを推し量って、それは絶望的だと私は判断した。
(時間を稼いで……その間に街門を登って街から脱出してもらう?それなら可能かもしれない)
そう思った私はふたたび顔を上げ、一歩踏み出した。
争う彼女たちに声をかけようとした時、ローレンス殿下が私を手で制し、彼らに言った。
「醜いものだね、人間というものは」
「な…………」
彼の言葉に目を見開いた。
彼らも、ハッとしてローレンス殿下を見る。
彼の言葉は、自身が人間では無いことを示唆するようなものだ。現に、彼らの表情はだんだんと恐怖を帯びていった。
「まさか……あなた、本当に魔族……?」
ひとりがぽつりと言う。
それに、ローレンス殿下は答えない。
「責任の所在を他所に求め、それを押し付け、一方的に断罪する。俺は、極限状態にこそ、人間の本性は現れると思っている。あなたたちの心根は、俺が思っていた以上に醜く、腐っているようだ」
「何を……」
酷いことを言われていると言うのに、彼らは恐怖で何も言えないようだった。
もしローレンス殿下が本当の魔族で、魔獣を操っているなら、と下手にものを言えないのだろう。
私も──彼の言葉に、反論はできなかった。
今のヴィクトワールの民の心根は、綺麗だと私も言えないからだ。
だけど、今はそんな押し問答をしている場合ではない。
そう思って、その時、違和感を覚える。
これだけの数の魔獣に取り囲まれていると言うのに、彼らは全く動き出す気配がない。
(なぜ……?)
疑問を覚えた時、ふと、ローレンス殿下が呟くように言った。
「いや、違うか。こころの綺麗なものから、淘汰されていった。加害され、失われていった。だから、結果的にあなたたちのような人間だけが残る」
「だ、だからなんだって言うのよっ」
ひとりの女性が、怯えながら反論した。
声はひっくり返り、震えていたが、それでもハッキリとローレンス殿下に言う。
「綺麗事だけで生きていけるとでも思ってるの!?この世界はね、そんなに甘くない!!他のひとを踏み台にしてでも、のし上がんなきゃ生きていけない世界なのよ!!そうしないと私たちは、明日をもしれない身なの!!生きていくためには、仕方ないのよ!!綺麗事だけじゃ食っていけないのよ、この国は、もう!!」
女性の悲痛な声に、私はまつ毛を伏せた。
民のこころを荒らすのは、いつだって国の政策であり、王家の方針である。
「悪を悪だと思わない非人間にならなきゃ、生きていけないのよ!」




