ただの偶像に過ぎない
聖力が抜き取られていく──。
聖力がじりじりと尽きていくのを感じた。
せっかく回復したそれが、驚くほどの速さで失われていく。
それはまるで、失血によく似ていた。
眩い光が迸る度に、魔獣たちはその姿を消すが、次から次に現れてキリがない。
(全部消滅させるのは……無理か)
悟った私は、彼女たちを連れて退路を確保しようとした。
だけど魔獣を倒して道を確保しようにも、次々に魔獣は現れる。
全身が火照ったように暑い。
(体温が下がってきている……)
体温の低下を防ぐために、体内が熱を起こそうと働きかけているのだろう。手足はかじかんだように感覚が失われてきている。
聖力を使う度に風が舞い上がり、髪が乱れる。
(あと少し、あと少し魔獣の群れを一息に消滅させられれば──)
ざっと見ている範囲の魔獣を一気に倒せば、僅かな隙が生まれるはずだ。
だから私は聖力放出を少し緩め、タイミングを見計らって一息にそれを放った。
最後で、息を呑む声が聞こえた。
眩い光が迸り──光が消えうせた時、見える範囲に魔獣の姿は見えなかった。
(……今だ!)
私はバッと振り返ると、女性に言った。
「行きましょう!!立って!!」
幸い、彼女たちに怪我はなかった。
手を貸して立ち上がり、子供たちもそれに続く。
そのまま、見知った城下町を駆ける。
走っている時に目に入った看板には、ここが五番街区だと記してあった。
(それなら、このまま東に向かえば街門があるはずだわ……!)
女性も同じことを考えたのだろう。
ふたりして頷いて、街門に向かって、私たちは走った──。
しかし、無情なことに、街門は既に閉ざされていた。
「な、なん……で」
女性が、呆然と呟いた。
茶色い巻き毛に、白の帽子を被った彼女は、そのままよろよろと地面に崩れ落ちた。
子供たちも、唖然として閉ざされた街門を見つめている。
「どうして……どうして、閉まってるの!?開けて、開けてよお!!まだひとがいるの、助けて!助けて!!」
女性は街門に駆け寄ってその門をドンドンと叩き始めたが、その向こうにひとの気配は感じない。
みな、避難したのだ。そして、城下町を出る際、魔獣がこれ以上自分達を追ってこれないように門を閉ざしたのだろう。
私も近寄って、門に触れてみたが、向こう側から閂をかけられているようで、開く気配はない。
鉄の扉は頑丈で、魔獣に襲撃される前にここを閉ざし立てこもっていれば、街が荒らされることもなかっただろう。
恐らく、そんな余裕もないほどに、あっという間に魔獣は街の中に入り込んできたのだろう。
荒らされた城下町では、武器によって争われた形跡はなかった。
戦う準備をする時間すら彼らには与えられなかったことが分かる。魔獣の急襲は突発的なことで、そしてあっという間に行われたことが分かる。
(……袋小路だわ)
逃げようとしていた出口は既に封鎖されている。
(私が丘を降りる時に通った街門なら……まだ封鎖されていないかもしれない)
そう思ったが、既に施錠されている可能性がある上、そこはここから真反対な場所にある。
どうすべきか──。
私が悩んだ時、ふと、ひとの声が聞こえてきた。
「おお……!まだひとがいたのか」
それは、瓦礫の影に隠れていたのだろう、ひとりの男性だった。
男性はひとりではないようで、その後ろから複数人の男女が現れた。
「逃げ遅れてしまったんだ」
「門をよじ登って出ようとも考えたんだが、魔獣の数がとんでもなく多くてね。隠れていたのさ」
彼らは小声で話し始めた。
その中の女性──年若い、金髪の彼女がおずおずと私たちに話しかけてきた。
「あなたたちは……?どうしてこんなところに?」
それで、私と共に行動していた女性は、動揺から冷めたようだった。
ハッとした様子で、彼女は興奮したように言った。
「私は危ないところを彼女に助けられたの。彼女はシャリゼ様よ!!救世の聖女様が、私たちを助けに来てくれたの!!」
彼女が大声で言ったことに、彼らは息を呑んだ。
「それは──」
私が言ったことでは無い、と訂正する前に、彼らが呆然とした様子で呟いた。
「シャリゼ様……」
「確かに、肖像画によく似ているわ……」
「金髪に、緑の瞳……」
金髪碧眼なんて、ヴィクトワールにはよくある組み合わせだ。
だけどやはり、このタイミング──『魔獣の襲撃で城下町に取り残されている状況下で、救世の聖女が現れた』という事柄は、真偽はともかく、彼らの期待を煽るには十分だったようだ。
落ち着いて考えれば、私がシャリゼではない可能性の方が高いこと。
そもそも、王妃シャリゼは毒を飲んで死んだのだから、生きているはずがないこと。
彼らもわかっているはずなのに、緊急事態であること、助けが得られるかもしれない状況が、否応なく期待を高めたようだった。
彼らはすぐに私の元に跪いて、頭を垂れた。
「助けてください!!シャリゼ様、どうか、どうかご慈悲を!!」
「救世の聖女、シャリゼ様!!」
「今までのこと、全て謝ります。謝りますから、どうか」
「私たちに救いを!!お救い下さい、救世の聖女様……!!!!」
「聖女様なら、私たちを助けてくれますよね!?」
勢いよくまくし立てる彼らの言葉に、私は息を呑む。
「────」
彼らの言葉を『都合がいい』とは思わなかった。
今まで散々王妃は悪だと、毒婦だと、国の平穏を乱す逆賊だと、そう言ってきたのに。
それなのに、今になって私に縋り付くなど、都合がいいにも程がある。
きっと、ルイスやノアはそう言うだろう。
その様子がありありと想像できて、思わず苦笑をこぼす。
だけど、跪き、俯く彼らにそれが見えなかったようだ。
都合がよすぎる。
確かにそうなのだけど、それも仕方ないことだと、私は思うのだ。
だって、それが人間というものだもの。
それが、人間の本質だ。
きっと国民の中には、私を悪く言わずに信じていたひともいるだろうし、私を罵倒していたことに罪悪感を抱いたひともいることだろう。
だけど国民の大多数は、そうではない。
ひとの本質は実に単純だ。
よっぽど高い教育と知識を持っていなければ、他人の意識に振り回されるだろうし、感化されることだろう。
そして、この国ヴィクトワールの教育水準は他国に比べ劣っている。
王家が意図して、長年、民に勉学よりも労働を強要させているためだ。
識字率も、辺境に行けば行くほどぐっと下がる。
ここ数代の王は、民の教育よりも労働を優先させている。
だからこそ、彼らは必要な知識を持っていない。
多くのヴィクトワール民は、過去の自分の行いを棚に上げて、忌み嫌っていたに助けを乞うことを、何とも思っていないだろう。
それを、悪だと私は思わない。
王妃だった時には国民の感情まで汲み取るのは難しかったが、よくよく考えれば、一番最初に考えるべきことだったのだ。
私が王妃として導こうと、助けになろうと思ったのはこの国、ヴィクトワールの民だ。
ひとには、こころがある。
だからまず、私は国民とこころを通わせる必要があった。
何をしようとしているか、何をしなければならないか、それを説明する必要があった。それを怠った私は、つまるところ、私の独りよがりに過ぎなかったわけだ。
「私は、シャリゼではありません」
「ですが──」
悲鳴のような声を、女性があげる。
私がシャリゼではない、という事実より、この場を助けてくれるひとがいないという真実を知るのが怖いのだろう。
「シャリゼではありませんが、私は聖女です。聖女として、あなたたちを助ける義務が私にはありま──」
──そう言った時、風が一際強く吹いた。
つむじ風に吹かれて、髪が舞いあがる。
思わず髪を手で押えた時。
私の前に誰かが立っていることを知った。
「それは、どうかな」
聞き覚えのある、声だった。
思わず目を見開くと、彼は私に背を向けたまま、彼女たちに言った。
「彼女が王妃シャリゼだったとして、なぜ彼女は死んだ?お前たちは、彼女を死に追いやったくせに、浅ましくも彼女に助けを求めるのか」