聖女とは根性と気力がものを言う
「っ……ゲホ!」
丘を下り、城下町に入ると途端、瘴気が押し寄せてきた。
黒の煙霧の中に、ぎらついた瞳が見える。
魔獣だ。
城下町に入ってすぐのところで、私は立ち止まった。
見える範囲に人の姿は見えない。
みな、避難したのだろう。
指を絡め、印を結ぶ。
「ヴヴォ…………」
魔獣が、唸り声を上げた。
私を視界に入れた魔獣が数匹、私を獲物として認識したようだ。
「……来なさい。あなたがたの苦しみを、取り除きしょう」
魔素の塊が生み出した化け物、魔獣。
全身から魔素を放ち、ふつうのひとが触れるだけで魔素に感染してしまう。
私の言葉がわかったわけではないだろうけど──私がそう言うと、魔獣たちが飛びかかってきた。
☆
「っは……っはぁ……っはぁ……っはぁ」
荒い呼吸を何度も繰り返して、私は壁に肩を預けながら、よろよろと歩き進めた。
あれから、どれほどの魔獣を祓っただろうか。
だけど、視界にはまだまだたくさんの魔獣があちこちに見える。
魔獣の数は、三千……。
荒い呼吸を何とか宥めようとしても、すっかり息が上がってしまってそれも叶わない。
額に滲んだ汗を拭う。
ぐっと手を握った。
まだ、聖力は尽きていない。
大丈夫。
ふたたび顔を上げた私は、また魔獣討伐に乗り出そうとしたところで──ひとの悲鳴を聞いた。
「きゃあああ!!」
「…………!!」
(まだ、ひとが残っている!?避難しそこねたの……!?)
咄嗟に、その場を駆けた。
向かった先には、ひとりの女性が子供たちを守るようにして覆いかぶさっていた。
元は花屋だったのだろう。店先に鉢植えや花がいくつも置かれている。
しかし魔獣の襲撃を受けたのか、屋根や壁は崩れ落ちていた。
その時、唸り声をあげる魔獣の声を聞いた。
ハッとして振り向くと、そこには魔獣が。
それも、一匹ではない。
彼らをぐるっと囲うようにして魔獣が集結しているのだ。
聖力を持たない人間──つまり餌だと認識してしまったためだろう。
魔獣は、人間の生気を得て、その力を増幅させる。
(二、三………だめだわ、数えられない!)
彼女たちの元にたどり着いた頃には、すっかり私たちは魔獣に囲まれてしまっていた。
「大丈夫ですか!?」
「あ……あ……?」
女性は、肩を震わせてゆっくりと顔を上げた。
顔は青ざめ、絶望を感じさせる表情だ。
私は彼女の肩に手を当てて、極力落ち着いた声を出すように努めた。
「もう大丈夫です。ここがどこか分かりますか?立てますか?」
「あ……あなたは……」
「私は、彼らを浄化しなければなりません」
この場を離れるよう続けて伝えようと思ったが、すぐにそれは悪手だと気がつく。
このまま街門に向かう前に、また彼女たちは魔獣に襲われてしまうだろう。
そして、今気がついたが彼女は幼い子を三人連れている。子供を連れて逃げるのは、至難の業だ。
少し考えた私は、まつ毛を伏せてから、また彼女を見つめた。
彼女は、困惑しているようだった。
突然現れた、私に。
「私の傍から離れないで」
「聖女……様?」
彼女がぽつりと、その言葉を口にした。
「──え」
「聖女、様………シャリゼ様…………!?」
彼女は言葉にして、もはやそうとしか思えなくなったのだろう。
絶望的な状況だったからこそ、それを助けた相手が死んだはずの王妃だと思ってしまった。
彼女はそれまでの自失した様子からは打って変わって、私に縋り始めた。
胸元を強く掴まれて、離れない。
「あのっ……手を」
「シャリゼ様、女神様、どうかお助けください!!お許しください……!どうか、どうか!!」
「落ち着いてください!!今は、そんなことを言っている場合ではありません!!」
一喝すると女性の体がびくりと跳ねる。
私は無理に女性の手を外すと、言い聞かせるようにゆっくりと、彼女と目線を合わせて言った。
「あなたには守るものがあるはずです。今は、助かることを考えてください」
「そ……それは」
「分かりましたね。子供を守れるのは……母親のあなたしかいません」
私が彼女の子供たちに視線を向けると、三人の子供たちは怯えたように蹲っていた。身を寄せあって、必死に恐怖に耐えている。
聖力を使えば、母親と子供たちを守ることは可能かもしれない。
だけど、こころまでは聖力で守れないのだ。
それができるのは、子供たちの母である彼女だけ。
私が視線を向けたことで、彼女も自身の守るべき存在を思い出したのだろう。
先程のように私に縋ることはせず、凛とした様子で強く頷いた。
「……はい。はい。どうか、どうか」
「ええ。……信じていてください」
彼女と約束した私は、立ち上がって振り向いた。
魔獣の数はまた増えている。
正直、笑いたくなってしまうほどの数だ。
聖力切れを起こす前に、必ず彼女たちを安全な場所に連れていく。
(大丈夫)
だって私は、救世の聖女なのだから。
聖力が不足したところで、血液や気力といったものから補填すれば──まあ、なんとかなるはず。
結局のところ根性論なのだが、聖女の仕事って最終的には気力がものをいう。
(陳腐な言い方だけど……【諦めないこと】。これが一番重要なのよね)
そう思った私は、魔獣たちと相対すると、にこりと笑った。
「さあ、いらっしゃい。あなたたちを祓ってさしあげます」
指で印を結び、聖句を唱える。
「迷える魔のものよ。光ある道に進みなさい。さすれば、女神マチルダがあなたたちを認め、裁き、赦し給うでしょう──」
最後まで言い切る前に、魔獣たちが襲いかかってくる。
背後から、ヒッと息を呑む声が聞こえた。
手を構え、聖力を放つ。
眩いほどの白が視界を覆った。




