暗黒の日 ①
「僕は……」
ノアは言葉に迷うようにまつ毛を伏せてから、私を見た。
その瞳は力強く、彼の意思が強いことを私は知った。
……やっぱり、ノアは決めている。
予想通りだったので、私は薄く笑った。
「シャリゼ。僕は、この国を捨てられない」
「……ええ」
「この国がただ、緩やかに、穏やかに、苛烈に……崩壊し、破滅するのをただ見ているだけは……できないんだ」
ノアは淡々と、それでいてしっかりとした声音で宣言した。それに、私は頷きを返す。
「あなたは王位継承権第二位を持っているわ。王たる資格を有している。エイダン・リップスがいなくなった今、神殿は混乱しているはず。……動くなら、今ね」
言うと、ノアはしばらく沈黙したものの、私の手をしっかりと握りしめた。
まるで縋るようだ。
王位を目指すのであれば、彼は革命を起こすことになる。
革命は、いつだって死と隣り合わせだ。成功する保証はなく、むしろ上手くいく可能性の方がずっと低い。
仮に成功したとしても、その後の方がずっと大変であることは、過去の歴史が示している。
心細さを感じているのかもしれない。
私が首を傾げてノアを見つめるのと、ノアが口を開いてそれ言うのは、同時だった。
「革命が成功し、僕が王冠を戴いたら」
そこで言葉を切ったノアは、ハッキリとした声で続けた。
「その時には、シャリゼ。きみに、そばにいて欲しい。僕の隣にいるのは、きみがいいんだ。だから」
「待って、ノア。それは……」
私はノアを制止する。
彼は、自分が何を言っているのかわかっているのだろうか?
(革命が終わったら、彼は王になる。王になるノアの隣に……)
それは、求婚の言葉とさほど変わらない。
困惑する私に気が付いたのだろう。
ノアは苦しそうにしながらも、私の両手を強く握った。その手は、震えていた。
「ノア……」
「きみが、そういう目で僕を見ていないのは知っている。知っていたよ、シャリゼ。だけど僕は……ずっと、きみのことを」
ノアは苦しげに喘ぎながらも、言葉を紡いだ。
私は、私は──。
頭の中が真っ白になった。
そういう目で見ていない──。
そんなの、当然だ。
だってノアは私の義弟だった。
彼は私の味方であり、仲間であり、共犯者だ。
それ以外でも、それ以上でもない。
私より三つ年下の、可愛い男の子。
それが、ノアに会った時の初めて抱いた印象。
次第にそれは、【優秀な少年】に変わり、やがて【頼れる味方】へと変化した。
だけどそこに、異性としての感情はなかった。
私はただ、ノアを家族のように──。
そう思って、しかしこのタイミングでそれを口にすることがどれほど残酷なことか。
ノアの想いを聞いた今、安易に口に出すことはできなかった。
私とノアの想いに差異はあれど、私が彼を大切に思っていることには変わりない。
いたずらに、傷つけたいわけではないのだ。
「……ノア。私は」
そこまで言った時──。
扉の向こうから、ひとの駆ける音が聞こえてきた。
よほど慌てているのだろう。靴音が大きく響く。
思わずノアと顔を見合せた直後。
扉がおおきく叩かれた。
「お話中失礼いたします!王都に魔獣の群れが発生しました!!至急、ご指示を!」
それは、ノアの部下の声のようだった。
その言葉に、ふたりして息を呑む。
(どうして、こんな時に……!!)
浄化活動が滞っているために、魔物の数は増え、あちこちでその姿を見せるようになった。
そして、その魔物たちが群れをなし、人里を強襲することも、耳にしていた。
神殿お抱えの聖女はそのほとんどがハリボテで、実際大した力は有していない。
私が仮死状態から生還したり、ウーティスに行ったりしている間に、魔物の数はどんどん増えていったのだろう。
もはや、聖力を持たない人々は逃げる他ない。
魔物に対抗できるのは、聖力を持つ聖女だけだ。
騎士の銃剣では魔物は倒しきれない。むしろ、切れば切るほど魔物の血──それは魔素の塊。
魔素があちこちに飛び散り、二次災害に発展するため、どうにもできないのが実情だった。
ノアは顔を険しくさせて、入室を許可した。
入ってきたのは、見慣れぬ男性だ。
彼は顔を強ばらせながらも、的確に報告した。
「王都の街門に魔物が出現しました。推定、その数三千体以上と見られます」
「三…………」
私とノアは絶句した。
今まで、魔物が現れると言ってもその数は多くても五十を下回る程度だった。
それが三千。
未曾有の事態に、部下の男性も混乱しているのがわかった。
彼は、悲痛な声でノアに訴えかける。
「もはや、王都の民は街を捨て、散り散りに逃げています。神殿はもぬけの殻で、機能しておりません!!どうか、ノア殿下、ご指示を!ご指示をください!」
撤退か、交戦か。
その二択を、今、私たちは迫られていた。