救世の聖女なのだから
パラパラ、と何かが崩れ落ちる音がする。
その音に、私はハッとした。
(ここは……)
そうだ。ここは、神殿の執務室。
衝撃で、少しの間、意識が飛んでいたらしい。
ゆっくりと起き上がった私は、周囲の状況を確認した。
執務室はもはやその形を成しておらず、壁や天井が崩れ始めている。
先程のパラパラ、という音は瓦礫が落ちる音だったのだろう。
早くここから出ないと、そのうち天井が落ち、倒壊することだろう。
「う…………」
頭を激しく打ち付けたらしい。
くらくらと目眩がするので、額を抑えてそれを堪えながら立ち上がる。
部屋は酷い惨状だ。
間近で爆発を受けた調度品は転倒し壊れているし、家具は大破している。
「ご無事ですか、シャリゼ様……」
後ろから声が聞こえて、ハッとしてそちらを見る。
「ルイス……!」
ルイスは、ゆっくりと床に手をついて起き上がるところだった。
衝撃で髪紐が解けたのだろう。
彼の長髪がローブから零れている。
私はルイスの前に膝をついてから、なぜ私とルイスが軽傷──少なくとも、手榴弾の爆風を受けて五体満足でいられたかを理解した。
「……爆発する前に、扉を開けて直撃を避けたのね」
ルイスは、手榴弾が爆発する前に私の手首を掴んで引き寄せ、同時に執務室の扉を大きく開け放ったのだろう。
私と彼が、扉に隠れるように。
執務室の扉は重厚な作りで、繊細な意匠が施されている。恐らくはエイダン・リップスの趣味と執務室の防衛を兼ねているのだろうけれど、両開きの鋼鉄製でできている。
だからこそ、爆発の威力を軽減することができたのだろう。
……流石、近衛騎士だったひとだ。
とっさの判断力に助けられた。
「私は大丈夫よ。ノアとルーク……エイダン・リップスを探しましょう」
ルークは神官だ。
神官なら聖力を持っているはずなので、直撃の際、聖力を使用していればそこまで酷い怪我は負っていないはず。
問題は──。
ノアとエイダン・リップス。
ふたりは直撃を受けたはずだ。
そして、ふたりとも、既に傷を負っていた。
……嫌な予感が頭を掠めて、くちびるを噛む。
そんな私に、ルイスが言った。
「ノア殿下は悪運に強い方です。そうやすやすと死ぬとは……思えません」
「……そうね。そう、よね」
私とルイスは二手に分かれて彼らの姿を探した。
先程の爆発が原因だろう。廊下の向こうからひとの話し声と、足音がいくつも聞こえてくる。
だけど爆発の衝撃で執務室の扉が吹き飛び、廊下の壁が一部崩れてしまったのだろう。
瓦礫が邪魔をして、通行ができない状況になっているようで、神官たちは右往左往しているようだった。
瓦礫が除去される前に、何としてでもここを早く出なければならない。
ノアは──すぐに見つかった。
そして、カインも。
カインは、咄嗟にノアを庇ったのだろう。
ふたりは並ぶようにして壁際にころがっていた。
「ノア……!カイン!!」
カインの足は瓦礫に埋まっていたが、少なくとも手足が吹き飛ばされたり……ということは無さそうだった。
そのことに、安堵の息を漏らす。
聖力による治癒を行えば失った手足を取り戻すことも可能だ。
だけどかなり聖力を使用する上に、難易度がとても高い。
聖力の残りが僅かしかない今の私では、失敗する可能性があった。
駆け寄った私は、ふたりの頬にそれぞれ触れた。
意識は無いようだけれど、冷たくもないし、固くもない。
……大丈夫。
まだ、生きてる。
震えそうな手を抑え、荒くなる呼吸を懸命に整えて、私は手をかざした。
ぽたり、ぽたり、と床に水滴がこぼれた。
ちぎれ、破れたカーペットが水滴を受ける度に、その色を濃くしてゆく。
(……良かった。生きて、る)
生きてる。それなら、私が治癒できるはず。
治せるはず。命を、つなぎとめられるはず……!
手をかざし、聖力を行使した。
(どうか……お願い。女神様……)
懸命に、祈りを捧げるように聖力を巡らせた。
既に、聖力の残りは極わずかだ。
ウーティスの森で酷使し、既に底が見えた状況だった。
この短期間で完全回復とまでいかず、彼らの傷を治しきれるかは正直五分五分だった。
だけど、今全力をだしきらなければ絶対に後悔する。
(カインは……ルークは、ノアを庇ったのね)
おそらく、聖力を使用し爆発の被害を抑えたのだろう。
ルークは、神殿の間諜でノアを裏切っていた。
だけど、彼のこころは。彼の忠誠は──。
くちびるを噛み、涙を堪える。
ぐっと乱暴に目元を拭った私は、深く息を吐いて、ふたたび聖力を行使した。
その直後。
「シャ……リゼ、様?」
ルークの声が聞こえ、ハッとする。
見れば、彼は苦しそうに喘ぎながらも私を見ていた。
意識を取り戻したのだ。
「良かった……!意識が戻ったのね。痛いところは?今、治癒を施しているの。だから少し待っていて」
「私は……っ、大丈夫です。それより、ノア殿下を」
ルークが首を横に振る。
自分に聖力を使うのではなく、ノアの回復を急いで欲しい、とそう言っているのだろう。
彼の気持ちはよくわかる。痛いほどに。
それでも、頷くわけにはいかなかった。
「……これでも私は、救世の聖女と呼ばれていたのよ?だから、大丈夫。これくらい、何ともないわ。安心して任せて」
私は不敵に笑って見せた。
ウーティスの森でごっそり聖力を持っていかれていなければ、きっとその言葉は真実だった。
だけど、聖力の残りが僅かな今、その言葉は虚勢でしかない。
わかっていたが、虚勢も成し遂げれば真実となる。
できるか、できないか、ではない。
やるのだ、と。そういう気持ちで、私はさらに聖力を使っていく。
身体中から魂を根こそぎ持っていかれるような、体力、気力、血液、体温、全て奪われるように聖力が流れ込んでいく。
──いや、ように、ではない。
きっと、その通りなのだ。
不足した聖力を補填するために、その代わりになるものを探し、それを聖力に変換している。
だからこそ、私は。
「……大丈夫。ノアは……あなたたちは、私が死なせない」