無念を晴らすために
「シャリゼが死んだ……!?」
「は。先程、伝令が報告をもってやって参りました。既に処刑は執行され、シャリゼ妃は亡くなられた……と」
部下が全てを言い切る前に男──ノアは、机の上に置いてあったものを薙ぎ払った。
ガシャーン!バサッ!という音が大きく響いた。
机上に置かれていたインク壺、羽根ペン、書類、封蝋といったあらゆるものが、音を立てて机から落とされてゆく。
彼が人前でこんなにも動揺するのは珍しい ことだった。
取り乱した主人に、騎士は狼狽える。
「ノ、ノア殿下……!落ち着かれてください」
「落ち着いていられるわけないだろ!!シャリゼが殺されたんだぞ!?あの愚王に……愚かな、国民共に!!」
「殿下!!」
王と民を明確に批判したノアを諌めるように、騎士が名を呼ぶ。
その時、扉がノックされた。
誰何する間もなく、訪問者は室内に入ってくる。
そして、その男は机の周りの惨状を見ると、憂いを帯びたため息を吐いた。
「……殿下。お気持ちはわかりますが、落ち着いてください」
モノクルをかけた男は、齢六十半ばほどだろうか。白い顎髭を蓄え、鋭くノアを見つめている。
その瞳に射抜かれて、ノアは押し黙った。
「ここであなたが取り乱して何になります。あなたの暴言が、かの王の耳に届いたら今度こそ戦場送りにされますよ」
「……分かっている!だけど、マクレガー将軍」
老齢の男性──名を、ジョンソン・マクレガー。
代々、騎士を輩出するマクレガー伯爵の前当主だ。今は退いて息子に家督を譲っている。
彼はノアに付いてこの辺境の土地、ウーティスまでやってきた。
年老いたとはいえ、マクレガー将軍の力は健在だ。
彼の力があったからこそ、この小競り合いも今は小康状態にまで持ち込めたのだった。
思い詰めた様子のノアに、マクレガー将軍がさらに言った。
「時を見誤ってはなりません。まだ、時期尚早です」
「……シャリゼが」
「ええ。シャリゼ妃は、さぞお悔しかったことでしょう。志半ばで、あの方は逝ってしまわれた。その無念を、貴方様が晴らすのです」
「…………」
しばらくノアは黙っていたが、やがてグッと拳を強く握った。
そして、顔を上げる。
もう、その顔に先程のような鬱屈とした感情は見られなかった。
彼は、押し込めたのだ。
その苛烈な感情をこころの奥底に。
鮮やかな空色の瞳が、真っ直ぐにマクレガー将軍を射抜いた。
「……取り乱してすまなかった。……カイン、報告の続きを」
呼びかけられたノアの部下、カインはハッと我に返ったように慌てて頷いて答える。
「は。シャリゼ妃の葬儀は執り行わず、共同墓地への埋葬となります……」
「なんだと……?」
王族が、共同墓地に埋葬されるなど過去に例がない。
掠れた低い声を出すノアに、またしてもカインは冷や汗をかいた。
それに、冷静な声でマクレガー将軍が答える。
「シャリゼ妃は、稀代の毒婦として処刑されました。埋葬されるだけ、まだ良かった」
「っだが……!シャリゼは、由緒正しいゼーネフェルダー公爵家の娘で、王妃なんだぞ!?こんなことが許されるのか……!?っ守旧派は何をしている!?今こそ、奴らは抗議するべきだろう!!」
守旧派は、身分や家柄を重視した、古くからの伝統を重んじる一派だ。
それに対し、神殿は真逆な思想を標榜していた。
『貧しい生まれでも、能力や才能によってはその限りではない。そうで在らねばならないのだ。ヴィクトワールは、今こそ生まれ変わるべきだ』
革新派と守旧派。
真っ向から対立しており、守旧派のトップがシャリゼ、そのひとだった。
そのシャリゼが王によって理不尽に処刑され、さらに共同墓地に埋葬されたなど、彼らは抗議して然るべきである。
そう思ってノアがマクレガー将軍に問うと、しかし老齢の将軍は首を横に振って答えた。
「彼らはシャリゼ妃の処刑を皮切りに、自分たちも罰せられるのではないかと狼狽えております」
「クソ、腰抜けどもめ……!」
「彼らも、今は動きたくとも動けないのでしょう。民は、神殿を信じていますから」
「は!あの国家転覆を狙う国賊を信じるだと!?信じられないほど愚かだな!我が国の民はどこまで馬鹿なんだ!?」
「殿下」
マクレガー将軍にふたたび声をかけられ、ノアはこめかみを抑える。
そして、意識的に息を深く吐いた。
そうでもしないと、腸が煮えくり返るような怒りを堪えることは出来なかった。
ギリ、と歯を食いしばる。
(……シャリゼ)
あの日、彼女は言った。
『私は内から。あなたは、外から。必ずこの国を取り戻すの。大丈夫。悪は必ず滅ぶ運命なのよ。あなたと私なら必ずできるわ。私なら大丈夫。だって私には、女神様のご加護があるもの』
(僕の手を握って、あなたはそう言った)
そう言った、じゃないか……。
ノアは強く、強く、拳を握った。
爪が深く食い込み、手のひらに血が滲む。
それでも、彼は手を解くことが出来なかった。