不気味な森の罠
「ん……」
「ローレンス殿下!!ご無事ですか!?」
槍を三本もその身に受けたのだ。
本来なら無事であるはずがないのだが、先程の様子を見るに、怪我は治っているようだった。
声をかけると、ローレンス殿下は額に手の甲を当ててぼうっとした様子だった。
それから、彼は何度か瞬きを繰り返すと、ゆっくりと起き上がる。
ルイスがその背に手を添えた。
「ありがとう」
ローレンス殿下が礼を言い、周囲を見渡した。
そして、彼の血で染まる槍を見る。
「……罠、か」
「ご無事で、何よりです。ですが、ローレンス殿下……」
どう聞いたものか言葉に悩む私に答えたのは、ローレンス殿下ではなく。
「吸血鬼──」
ぽつりと、呟くように言ったのはルイスだった。
思わず彼を見ると、私の視線を受けたルイスがハッとしたように顔を上げる。
そして、言いにくそうにしながらも言葉を続ける。
「……いえ。先程、殿下の口元を拝見した際、牙のようなものが見受けられました。それで……思い出したのです。この国の、成り立ちを」
「ヴィクトワールの成り立ち……」
ルイスの言葉を、繰り返すように私も呟いた。
勝利の国、ヴィクトワール。
その名の通り、ヴィクトワールは古の民が勝利を手にして得た国である。
ヴィクトワールと名をつけたのも、その栄誉が失われないようにするため。勝利の証として、昔の人々はヴィクトワールと名付けたのだ。
遠い昔──建国神話では、ヴィクトワールは魔族に支配されていたとされている。
それに対抗するために立ち上がったのが、当代の聖女たち。
人々は聖女を守り、ついには魔族を打ち倒した。
そして、自由を得た人々はこの土地にヴィクトワール、と名付けたのだ。
「だけど……ローレンス殿下は魔族などではないと、そう仰ったわ」
それに、建国神話はおとぎ話のようなものだ。
遠い昔に作られた物語に、時を経る度に脚色がされていき、今や様々な説が広がっている。
ヴィクトワールの子供たちは、 寝かしつけの際、
『早く寝ないと魔族に連れていかれてしまうわよ』と言われて育つ。
幼い子供は母のその言葉に震えることになるのだけど、大人になるにつれ、知るのだ。
魔族など、存在しない──と。
私の言葉に答えたのは、ローレンス殿下だった。
「魔族ではないよ。アルカーナ帝国には、その考えはない」
つまり、それは。
「幼少期に見た絵本や、過去の文献で、魔族と思われる挿絵を目にしたことがあります。……長い牙が印象的だと思いました。とある文献には、魔族は血を吸い、人間から力を奪う、と書かれていました。……建国神話の調査は、今までたくさんの学者が行ってきており、現在に至るまで、数多の推論が提唱されています。その数はあまりに膨大で……そして、どこまでが真実かも分かりません。ですが──ふと、思ったのです。あなたの……その牙を見た時に」
ルイスに言われて、私も建国神話に纏わる文献を思い出す。
しかし、彼の言うとおり建国神話に関する文書は大量にあり、魔族の正体についても様々な仮説が立てられている。
魔族は、実はトロールの仲間だった、というものから、思考回路を持たない細菌の仲間だった、というものまで。実に様々だ。
だけど──確かに私も、ルイスの言うような文献を過去に目にしたことがあった。
(……吸血鬼?)
ローレンス殿下が?
混乱する私に、ローレンス殿下が静かに、淡々と答えた。
「そうだよ。俺は吸血鬼だ。しかし、これだけの情報でよくわかったね」
「…………」
思わずぽつりと口からこぼれただけで、まさかほんとうに吸血鬼──だとは思いもしなかったのだろう。
ルイスは動揺した様子で息を呑んだ。
反対に、私はどこか冷静な頭で、今までのことに得心がいっていた。
アルカーナ帝国が、その土地の面積に反し、優れた軍事力を持っている理由。
いくつもの国を従属国としている訳。
それは、彼らが人間ではなかったからだ。
傷を受けても、このようにすぐに治ってしまうなら──それは、戦争においてはとんでもない脅威となることだろう。
銃や剣が効かない、ということなのだから。
ローレンス殿下が吸血鬼だった、という非現実的な事実を前にして私も動揺しているが、そもそもこの森自体が現実離れしているためか。
そこまで感情を乱さずに済んでいるように思う。
「探索は、ここまでにしましょう。この先を進むのは……危険です。今は何も用意をしておりません」
私は、石版が動き、現れた地下への階段を見ながら言った。
瞬間、くらり、と目眩がする。
咄嗟に足を踏ん張って、よろめくのを堪えた。
(どうして、目眩、なんて)
そう考えて、瞬間、違う、と答えを悟る。
これは、ただの目眩ではなく、聖力不足──。
ふと思い出すのは、ローレンス殿下の言葉だった。
『いざと言う時、聖力が足りない……という事態を招きかねない』
(……なるほど、こういうこと)
私は道中、ルイスに聖力を使用していた。
そして、先程聖力を使用し、ローレンス殿下の傷を治癒しようとした。
治癒は上手くいかなかったけれど、予想以上に聖力を消費していたようだった。
私の聖力量は桁外れだ──と、言われている。私自身、聖力不足に陥ったことなど、ここ数年なかった。
だから、驚いた。
そして、驚きと同時に、理解もした。
この森は、ほんとうにおかしい、と。
残りの聖力はどれほどだろう。
私は、まつ毛を伏せて自身の聖力の残りを静かに推し量った。
(まだ……大丈夫)
魔素を浄化したり、ひとを治癒したりといった聖力の行使をしなければ、問題はないと思う。
森が、何もしてこなければ。
私は口端を持ち上げ、笑った。
追い込まれて、焦りを感じてもおかしくないのに、この状況に陥って、どうしてか不敵な感情を抱いた。
ローレンス殿下は乱れたシャツやローブを手で直しながら私を伺うように見た。
「シャリゼ?」
その言葉に、私は目を閉じ、深呼吸を一度してから、彼を見る。
そして、ハッキリと答えた。
「……聖力の残りに不安があります。森を抜けることは可能だと思いますが、念の為お伝えします」
ルイスは息を呑み、ローレンス殿下は目を見開いた。
だけど、すぐにローレンス殿下は落ち着いた様子で頷いて答える。
「……急いで森を出よう」
ローレンス殿下は何事も無かったかのように立ち上がった。
先程、凶刃に倒れたひとの振る舞いには見えなかった。
やはり、彼はひとではないのだろう。
思わず見つめていると、ローレンス殿下が言った。
「……あまり驚いてないみたいだね。シャリゼは」
「いいえ。驚いております。……ですが、あなたが──いえ、アルカーナ帝国の方々が吸血鬼であるなら、納得のいくことも多いのです。あなた方は……刃や銃弾では命を落とさないのですね」
それは、驚きを含みながらも、確かめるような声になった。
ローレンス殿下が肩を竦めて答える。
「そうだね。それくらいじゃ、吸血鬼は死なない」
「…………」
「それじゃあ戻ろうか。護衛騎士のきみ、今の時刻は?」
ローレンス殿下がルイスに尋ねる。
ルイスは、眉を寄せ、険しい表情をしていた。
恐らく、私に聖力を使わせてしまったことを思い悩んでいるのだと思う。
だけど、本来ならこれくらいでは聖力不足に陥るはずがないのだ。
この森の環境が影響しているのか、それともローレンス殿下──吸血鬼に聖力を使用したがために、大幅に聖力を消費したのか。
ハッキリとした理由は分からないが、今考えても仕方ない。
今は、早くこの森を出るべきだと私は思った。
ルイスも同意見だったのだろう。
彼は手早く懐中時計を取り出した。
「夕方の十八時四十一分を指しています」
私たちは共に空を見上げた。
針葉樹は泉を中心として広がっており、ここには木々が生えていない。
陽は変わらず泉に降り注いでいる。
時間を確認しなかったら、真昼間だと思ってしまいそうなほど、この森は明るかった。
ルイスから懐中時計を受け取ったローレンス殿下は、パタンとそれを閉じ、言った。
「不気味な森だな。……だけど、収穫はあった。地下を調べれば、この森の効力を無効化することが出来るかもしれない」
☆
そして、私たちは帰路に就いた。
もともと来た道を戻ればいいだけ、なのだけど。
「道が変わってる……?」
ルイスとローレンス殿下と森の中を歩きながら、ふと、私は呟いた。
一面木々が広がっているので分かりにくいけれど──記憶と異なっているように見えた。
修正しました 2025/02/10