アルカーナ帝国の第三皇子
ノアは今不在で、戻るのは数日後だとマクレガー将軍は答えた。
そのため、私は後日ふたたび砦を訪ねることに決めた。
マクレガー将軍は、砦に部屋を用意すると言ってくれたけど、その好意を断って帰路に就く。
街に、宿を取っているのだ。
道中、後ろを歩くルイスが呟くように言った。
「妃殿下は……負け犬などでは」
苦渋の滲んだ声だ。
ずっと、気にしてくれていたのだろう。
真面目な彼らしい。
彼の気遣いを嬉しく思いながらも、私は言った。
「ありがとう。でも、実際に私は政争に敗れた。それは、事実なのよ」
「ですが」
「あなたが私のことを思って言ってくれているのはわかっているわ。だけど、私が負けたのは紛れもない事実」
私はそこで、足を止めた。
もう少し行けば、街門に到着する。
この坂を下れば、すぐだ。
私は眼下に広がる街の光景を見ると──くるりと振り返った。
予想通り、ルイスは渋い顔をしている。彼を見て、私は笑った。
「そんな顔をしないで!別に私、後悔しているわけでも、絶望してるわけでもないのよ、これでもね」
ルイスは、訝しげに私を見た。
その青の瞳は、【冤罪を着せられて処刑までされたと言うのに?】と雄弁に問いかけていた。
それに、私は手を後ろに組んでからゆっくりと空を見上げた。
びゅう、と春の風が私の髪をさらっていく。
金の髪がなびいて、私はそれを抑えた。
「……反省することはたくさんあるわ。でも、後悔はしていない。だって、私は、私に出来ることは全てしてきたもの。やりきった、と思っているわ」
「妃殿下……」
「今の私は、ただのシャリゼ。どうか、シャリゼと呼んでちょうだい、ルイス」
笑いかけると、彼がぐっと言葉に詰まったように──いや、泣きそうな様子を見せた。
ルイスは誰より親身になって、私に協力してくれた。
それだけに、彼には申し訳ないと思っているし、それ以上に深く感謝している。彼のその気持ちに、そのこころに、報いなければ、と。そう思うほどに。
私は、風に吹かれて揺れる草花に視線を向けて、言葉を紡ぐ。
「……私が政争に敗れたことは事実。負けは負け。言い訳はしないわ」
その時、ルイスがなにか言おうと口を開き──彼の青の瞳が、見開かれる。
「…………?」
それに疑問に思ったと同時、背後から草を踏む足音が聞こえてきた。
「なるほど。ヴィクトワールの王妃は潔くて、たいへん立派だ」
「…………誰!!」
勢いよく振り向くと、いつのまにか私の前には、ひとりの男性が立っていた。
ルイスが庇うように私の前に出て抜剣する。
男性──銀の髪に、空色の瞳。
ちょうど、今の空のような色の、淡い色の瞳だ。
耳には、たくさんの耳飾りをつけていた。
だけど派手さはあまり感じないのは、彼が落ち着いた顔立ちの青年だからだろうか。
左目の下に、一点のホクロがあるのが、印象的だと思った。
彼は警戒する私とルイスを見ると、何かを思いついたように胸元を手で探った。
なにか、取り出そうとしている。
ますます警戒する私たちの前に、彼が差し出したのは──懐中時計、だった。
「時計……?」
つぶやく私に、青年は頷く。
「俺は、アルカーナ帝国第三皇子ローレンス・アルカーナ。これがその証だ」
彼は、片方の手で懐中時計のチェーンを持ち、もう片方の手で時計の裏面を見せてくる。
そこには、アルカーナの名と、国章が刻まれていた。
「アルカーナ……。どうして、ここに」
呆然と呟く私に、彼が懐中時計をジャケットの内ポケットにしまいながら、言った。
「ヴィクトワールが落ち着くまで待っても良かったんだけど……早いうちに片付けた方がいい、ということになってさ」
「……あなたの目的はなんですか?」
変わらず、ルイスは警戒している。
私も同様に気を緩めず、彼に尋ねた。
青年──ローレンス殿下は、目を細めて笑った。
「話が早いね。相変わらず、あなたは聡いひとだ」
まるで、私のことを知っているような発言だ。
私は警戒を緩めずに、注意深くローレンス殿下を見ながら言った。
「……あなたとは、初めてお会いしたと思いますが」
「うん。そっか、そうだよね。でもね、シャリゼ。あなたは俺と──十四年前に会っているんだ」