ヴィクトワールの最後の希望
今の王、ヘンリーは神殿の……彼の叔父の操り人形だった。
今度は、マクレガー将軍がノアを利用するのか、という痛烈な批判は彼に届いたようだ。
マクレガー将軍はそれでもなにか言おうと口を開いたが、やがて額に手を当てて沈黙した。
「…………それでも。私はヴィクトワールの民として、ノア殿下に王になっていただきたい。そうでもしなければ、民の手で革命が起き、その騒動に乗じてアルカーナに攻め込まれるだろう。我が国は、アルカーナの従属国となる」
「それは……」
確かに、それも彼の言う通りだ。
民の指揮を執れるだけの人物は、今ヴィクトワールにおいてノア以外にいない。
先代の弟──エイダン・リップスは、王権の簒奪を目論んで神殿に属している。
このままいけば、エイダンが次期王になるか、あるいはマクレガー将軍が言ったとおり混乱に乗じてアルカーナが攻め込んでくるか……。
もし後者であれば、それを迎撃するだけの力は、今のヴィクトワールにはない。
エイダンが王になったとしても、神殿の最終的な目的は最高権力を得ることだ。
すなわち、王家の乗っ取り。
エイダンはヘンリーのように傀儡の王となるか、逆らうようなら消されるだけだろう。
神殿の言うことを聞くとしても、都合が悪くなければ身代わりとして、彼を売るはずだ。
今回の、ヘンリーのように。
どちらに転んでも、ヴィクトワールに未来は無い……。
くちびるを噛む私に、マクレガー将軍が弱りきった声で言った。
「私も、苦肉の策なのです。もはや、ノア殿下はヴィクトワールの最後の希望。ノア殿下だけが、頼みの綱なのです……」
「……だとしても。ノアの意思を無視していい理由にはならない」
「革命が無事成し遂げられたら、ノア殿下に謁見なさいませ。それまで、伏せておくのです。ただ、それだけで構いません。ですから、どうか」
「…………」
マクレガー将軍の言葉も、痛いほどよく分かる。
彼は、ヴィクトワールの民として、この国を愛する国民のひとりとして、切に願っているのだろう。
今の王朝の存続。
神殿の排除。
守旧派筆頭が負けた以上、もう頼りになるのはノアだけだ。
……もちろん、マクレガー将軍の気持ちも分かる。
分かる、のだけど。
「ノアに会わせてください」
「シャリゼ妃……」
マクレガー将軍は、悲愴な顔をした。
理解を得られなかったと、そう思っているのだろう。
彼の誤解を解きたくて、私は首を横に振る。
「誤解しないで。私は、ノアにこの国を捨ててほしいわけじゃない。私も……いえ、私だって、ヴィクトワールが大事よ。だからこそ、私は生涯を捧げて……」
その続きは、言葉にならなかった。
何を言っても、私は敗者で、政争に敗れたことには変わりない。
言葉を呑んで、私は代わりに言った。
「もし、彼が自らの手でこの国を変えたいと……そう望むのであれば、私も精一杯、彼を助けようと思います」
「……もし、ノア殿下が国を捨てると言ったら」
「……そしたら、その時はその時。少なくとも私には、剣を振るって立ち上がれ、なんて言えない。神殿の情報操作に負け、王に処刑されることとなった、私には」
「……シャリゼ妃」
マクレガー将軍は、気遣わしげな瞳を向けた。
彼は、先程の発言──
『政争に敗れ、逃げるあなたと同じように』と口にしたことを悔やんでいるのが分かった。
それを察した私は、肩を竦めて彼に言う。
「気にしなくていいわ。あなたの言うとおり、私は政争に敗れ、逃げ出した。何を言っても、負け犬の遠吠えに過ぎない。……あなたの言うことは正しいわ」
私は、淡々と言葉を続けた。
ノアと私の醜聞が明るみになって、ノアが辺境の地、ウーティスに向かわされることになった時。
迷わず、ノアについていくと宣言したのはマクレガー将軍だけだった。
ノアにつく、なんて言ったらヘンリーに睨まれるのはわかっていたはずなのに。
それでも、彼は断言し、ノアと共にウーティスへと向かった。
彼がいたからこそ、アルカーナとの小競り合いもヴィクトワール有利で一時休戦まで持ち込めたのだ。
ノアにとっても、私にとっても、彼は恩人だ。
マクレガー将軍は、冷静で、正しい選択をしている。
後世、彼の選択は【正しかった】と評価されることだろう。
もし、彼の言った通り、私の生存を知ったノアが油断して、その隙を狙われて彼が命を落としたら。
もし、彼の言った通り、私の生存を知ったノアが、国を見限ることを選んだら。
ヴィクトワールの歴史は、そこで終わる。
エイダンが王になったところで結果は見えているし、アルカーナの従属国になっても、王朝は滅びを迎えることになるだろう。
全て想像に過ぎない例え話だけど、どう転んでもおかしくないのだ。
少しの懸念も潰しておきたい──彼の気持ちは、よくわかる。痛いほどに。
「だけど」
私は、言葉を続けた。
「正しさは、時としてひとのこころを傷つけるわ」
正論が、いつだって正しいとは限らない。
こと、ひとの気持ちの面においては。
「あなたは……後から私の生存を知ったノアがどう思うかよりも、ヴィクトワールの歴史を存続させることを選んだ。それは、正しいことなのだと思う。でも……きっと、ノアは傷つくわ。私がどう、とかそれよりも。あなたが、信じてくれなかったことに対して。あなたは、彼の信頼を失うことになる」
「…………」
「ノアは、そんなに弱い子ではないわ。それは……マクレガー将軍。あなたはよく知っているはずよ」
マクレガー将軍は、深く沈黙した。
私は、静かにまた、彼に問いかけた。
「ノアに会わせて。……お願い」
彼はしばらく黙り込んでいたが──やがて、頷いた。