王妃シャリゼが死んだ夜
時は、少し遡る──。
王妃シャリゼが処刑された日の、夜。
共同墓地に埋葬されることとなった遺体のシャリゼを抱いて、彼女の近衛騎士だった男が夜の森を歩いていく。
本日の月はふっくらとしていて、夜道は明るい。
彼は、布袋に包んだ貴人を丁重に抱き上げながら、その道を進んだ。
彼の背後には、数人の近衛騎士と、数人の国王の側近が共に歩いていた。
遺体を盗まれたりしないように、共同墓地に埋めるまでしっかりとその姿を見届ける必要があるのだ。
そして、王妃シャリゼは共同墓地に埋葬された──。
ここまでが、誰もが知る話。
だから、その後実は生きていたシャリゼが共同墓地を抜け出した──など、誰も知らないのである。
シャリゼの遺体を確認しようにも、そこは共同墓地。数多の遺体が埋められているため、誰がシャリゼなのか判別は難しい。
シャリゼは、自分が共同墓地に埋葬されることを予想していた。
だからこそ、シャリゼは毒を仰いだ。
☆
ぱちり、と目が開いた。
そのことから、私は賭けに勝ったのだと知る。
勝率は五分五分……。負けたらそれまでだと思っていたけど、どうやら私は賭けに勝てたようだ。
ゆっくりと息を吐いて、まずはずだ袋の中から出る。
指示通り、私の近衛騎士はそんなに深く私を埋めなかったようだ。
それにホッとした。
無事生還したというのに生き埋め状態だったためにまた死ぬことになった──なんてあまりにも間抜けすぎる死に方だ。
さすがにそんな死に方はしたくない。
ゆっくりと土を掻いて、私は穴の中から這い出た。
もし、この現場をほかの人間が目の当たりにしたら『地獄の亡者が黄泉から戻ってきた!!』と慌てふためくのでしょうね……。
そんなことを考えながら頭を出す。
煌々と月があたりを照らしているおかげで、よく見える。
そのまま地面に手をついて──体を引き上げ、地面に座り込んだ時。
私は、目の前にひとりの男がいることに気がついた。
彼は跪き、顔を伏せていた。
私は、それが誰かすぐに分かった。
「……ありがとう。待たせてしまったわね、ルイス」
私付きの近衛騎士だった、ルイス・ツァイラー。
ゼーネフェルダー公爵家と懇意にある、ツァイラー伯爵家の次男だ。
長い黒髪をひとつにまとめた、青い瞳の男だ。
彼は、私が唯一、こころから信頼している騎士だった。
他にも信頼している騎士はもちろんいるのだが、手放しで信じられるかと言われると、そうではない。
私の味方だと言っておきながら、神殿が放ったスパイだったり、二心を抱いていたり……など、真実信頼出来る人間は、私にはあまりにも少なかった。
恐らく、そういうところが政争に負けた理由の一端なのだろう、と思っている。
私は政局を変えることにばかり執心していて、人心掌握──つまり、味方を増やすことを後手に回した。
結果、神殿の情報操作に負け、私は死ぬこととなった。
私に跪き、忠誠を誓っている彼──ルイスはゼーネフェルダーと交友の深いツァイラー伯爵の子。そして、元はノアの近衛騎士だった。
彼は、深く頭を下げたたま、言った。
「お待ちしておりました、シャリゼ様」
「成功してよかったわ。一か八かだったのだけど」
「シャリゼ様なら、必ず成功なさると、私は信じておりました」
ルイスの言葉に、私は苦笑する。
私は、魔素を浄化し、魔獣を討伐するだけの力を持つ治癒の聖女。
毒を飲んだ時、一時的に自身の体を仮死状態にすることくらい──理論的には可能なはずなのである。
しかし、自分自身にそんな試みをしたことはもちろんないし、そもそも弱っている時に聖女の力を使うことが可能なのかすら分からない。
理論としては成立していても、それが成功するかどうかは五分五分だった。
失敗すれば、私は死ぬ。
世間に周知されているとおり、【稀代の毒婦シャリゼ】は毒を飲んで死に、共同墓地に埋葬されていたことだろう。
だけど成功すれば、亡者が生還するかのごとく、私は死の淵から蘇る。
そして──その賭けに、私は勝ったのだった。
流石に、致死量の毒を解毒し、しかし完全に回復しきることはせず、一時的に仮死状態にすることは想像以上に気力や聖力、体力といったものを消耗した。
何とか土の中から這い上がれたものの、これはしばらく休息が必要そうだ。
私はルイスの手を取って、立ち上がった。
よろけた私を、彼が支える。
礼を言った後、私は彼に尋ねた。
「ノアには伝えてくれた?私はまだ死んだわけではない、と」
「……はい。ひとをやって、マクレガー将軍に内密に報告しております。ノア殿下もご存知かと」
それを聞いて、私はこころから安堵のため息を漏らした。
「良かった……。私はこの争いに負けてしまった。だけど、ノアにだけ、それを押し付ける気はないの。ましてや、私のために復讐するなんて、望んじゃいないのよ」
でもきっと、私が死んだと知ればノアは王──ヘンリーへの悪感情を強めることだろう。
彼は、私をよく慕ってくれていたから。
私は、ゆっくりとルイスの胸を手で押して彼から離れた。
激しい動きはまだ無理だけど、ひとりで立つくらいには回復したようだ。
それでも、歩くのはまだ難しかった。
私はルイスに手を伸ばす。
ルイスが私に跪き、私の手を取った。
「……ノアに会いに行くわ。私の口から、彼に説明したい」
この政争は、元はといえば神殿が種を蒔いたこととはいえ、それを決定的に激化させたのは私だ。
神殿の企みを阻止し、排除しようとした。
それに反発した神殿は、私を失脚させようと手を打った。
いわば、ノアは、守旧派と革新派の争いに巻き込まれただけにすぎない。
無事生還できた今、私はノアに会わなければならない。
そう考えた私は、ルイスに尋ねた。
「一緒についてきてくれる?」
もはや、この国に、今の王家に、未来はない。
それでも、ルイスは由緒正しいツァイラー伯爵家の息子だ。ツァイラー伯爵家は、王家への深い忠誠を誓っていて、代々近衛騎士を輩出している。
彼が忠誠を誓っているのは、シャリゼではない。王妃だ。
王妃でなくなった今の私は、ただのシャリゼ。
それを知った上で、私は彼に求めている。
共に、来てくれるか、と。
彼の覚悟が知りたくて、彼の真意が知りたくて、私は尋ねた。
彼の答えは──私の予想していたとおりだった。
「……ありがとう、ルイス」
彼は、私の手の甲に口付けを落とした。
騎士の忠誠だ。
私は、彼に感謝した。