革命のはじまり
ステラからゼーネフェルダー公爵の返答を聞いたヘンリーは、石のように固まった。
硬直する夫に構わず、ステラは旅装を解かないまま室内を歩き回った。どうやら、なにか探しているようだ。
「ゼーネフェルダーは、完全にヴィクトワールを捨てたわ。もうこの国はおしまいよ」
「ステラ、何をしている?」
ステラは、衣装棚の引き出しを次々と開けてはその中身を乱暴に引きずり出した。何着ものドレスがカーペットに落ちる。
彼女はそれらに目もくれず、ドレスについている何かに執心している。
ステラは、ヘンリーを見ることなく答えた。
「私もこの国を出るの!お金になるものはなんでも持っていくわ。私はここで終わるような女じゃないのよ!」
「──」
「王妃陛下、正気ですか!?陛下は残られると言っているのに」
ラミウムが思わず、と言った様子で抗議する。
それに、ステラが横目で睨みつけるようにして彼を見た。
しかし、ドレスに縫い付けられた宝石を毟り取る手は止めない。その手つきには一切の遠慮が見られず、彼女はブチブチとそれを引きちぎる。
その様は、強盗や盗人のようで、王妃という立場にあるひとだとは到底思えない。
あまりに野蛮なステラに、ヘンリーもラミウムも息を呑む。
そのふたりに構うことなくステラは全てのドレスから宝石を毟り取り終わると、続いて立ち上がり、続き扉となっている奥の自室を目指す。
そして、彼らの隣を通り過ぎる際、立ち尽くした王とその側近に言った。
「私は元平民よ。私に責任なんてない。でもあなたは違うでしょう?ヘンリー。あなたは生まれながらの王族で、今は王という立場にある。あなたは国を捨てられないかもしれないけど、元々私にはこの国に思い入れなんてないの。生きられればどこでもいいのよ!」
「なんて……ことを」
ラミウムが絶句する。
ヘンリーは堂々と亡命を主張する妻に呆然としていた。
そんなふたりに構うことなく、ステラはふん、と鼻を鳴らすとそのまま執務室を出ていった。
まるで、今の事態を招いたのはあなたのせいじゃない──とでも、言いたげな顔だ。
ここにきて、またひとつ、ヘンリーは気がついた。
いざと言う時、頼りになるのはシャリゼだった。
少なくとも彼女なら、未曾有の事態に陥った時、ひとりだけ逃げようとはしなかっただろう。
最後まで完璧に、彼女は【王妃】の責務を果たそうとしたはずだ。
処刑の日、暴れることなく、静かに毒を飲んだ彼女の姿を思い出す。
(……そうか。そうだったのか……)
ようやく、ヘンリーは思い知った。
好きというだけで、王妃にはなれないのだ。
恋情だけで、王妃にさせるべきではなかった。
王妃はもっと、民のことを考え、王のことを考え、そこに愛や恋がなくとも──理性的に、冷静に、今の局面を理解できるものでなければならない。
シャリゼは、その点において完璧だった。
少なくとも彼女は、王であるヘンリーを排そうとは考えていなかった。
彼女は常に、今の政局に口を出してきたけど──彼女が敵対していたのは神殿だ。
そして、その神殿はシャリゼが死んでから、王家を滅ぼそうとしている……。
シャリゼが、守ってくれていたのだ。
ゼーネフェルダー公爵家も。
その強力な味方と後ろ盾がいなくなった今、王家の立場が危うくなるのは至極当然のことだった。
そのことを……今更。
ほんとうに今更、ヘンリーは理解した。
今になって、胃が覆るほどの後悔に襲われる。
自分はとんでもないことをしてしまった……。
ステラが続き扉から自室に飛び込み、ラミウムは指示を仰ぐようにヘンリーを見ている。
もはやこれまでかと、自分も亡命を考えた、ところで。
ワァアア!!という城外の民の声が一際大きくなった。
まさか、とヘンリーが目を見開く。
ラミウムも凍りついた。
その時、誰かが駆け足でこの部屋に走ってくる。
瞬間的に恐怖に襲われ、凍りついたように固まったヘンリーと、身構えるラミウムの前で、バン!!と扉が大きく開かれる。
入室の許可を問う声すらなかった。
姿を見せたのは、息を切らしたひとりの近衛騎士だった。
彼は片足をついて、呼吸を整えながら報告する。
「報告!報告!今しがた、城門が破られました!!」
「──」
「……陛下!!」
ラミウムが怒鳴るように彼を呼ぶ。
ヘンリーは目を見開いた。
足がガクガクと震えてどうしようもない。
足元から、恐怖というツタが登って、彼の体に絡みつく。
凍りついたように動かないヘンリーに、さらに近衛騎士は新たな事実をまたひとつ、報告した。
「ノア殿下が裏切りました……!辺境からの軍を率いて、民衆と共に、反逆者ノアが城内に押し入りました。彼らの目指す場所は、ここです、陛下!!」
【1.王妃シャリゼは死んだ 完】