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母の遺した痛み

続きです。

 それからコトリはボクをベッドに寝かせて、まるで子どもをあやすかのように胸を撫でる。

耳元で、コトリの声が囁く。


「プルーム様、深呼吸をして。ゆっくり、深く。これからプルーム様が落ちる夢は・・・・・・プルーム様が心の奥底に閉じ込めた、あなたが昔受け止めることのできなかった記憶」


 甘く柔らかい声。

その声に導かれるようにして、ボクの意識は輪郭を失い溶けていく。


——プルーム様、あなたの心に突き刺さった杭・・・・・・ずっとプルーム様を苦しめ続けるもの・・・・・・それが何か分かりますか?


——それは・・・・・・愛。ほら、本当は・・・・・・覚えているよね?


※ ※ ※


「もうこんなこと終わりにしましょう。わたしは・・・・・・もう・・・・・・」

「ふざけてもらっては困るな。そしたら私はどうなるっていうんだ? 何もかも、アレのせいだ。・・・・・・やはり、アレは生かしておくべきではなかったな」

「・・・・・・!」


 廊下の窓から降り注ぐ日の光を見ていた。

部屋の外で、内側から漏れる口論を聞きながら。


 何か間違えただろうか?

ボクに・・・・・・他に選択肢はあったのだろうか?


 ボクの心情はともかく、事実だけを語るなら・・・・・・部屋で話す二人はボクの両親だった。

窓の外、一羽の小鳥が枝を蹴って空に飛び立つ。

その様子に・・・・・・ボクはなぜだか胸騒ぎがした。


 いつもなら屋敷の清掃をしている時間。

しかしもう・・・・・・ボクには関係のないことだった。

それでも、他に見るべきものの何も無い目は自然と隅の汚れを見つめた。


 人は生きていくうちに、無数のゴミを生み出す。

それは目障りで、けれどもしつこくこびりついて、だから人は掃除をする。


 部屋の内から、固く閉じられたドア越しに声が響く。


「とにかく・・・・・・アレは殺す。異存はないな?」

「わたし、は・・・・・・」


 それら声は静かだが、秘められた感情の強さが言葉尻に滲む。

それは怒りの色。

それは憎しみの色。

そして・・・・・・後悔の色だ。


 ボクは、おそらく今日死ぬ。

それに関して・・・・・・特別な感情はなかった。

しかし見下ろした手のひらは震えて、美しくもない生を手放すのを恐れているように見えた。

ボクの心は、一体どこにあるのだろう?


「入れ」


 父の声がボクを呼ぶ。

その声に逆らうことは許されない。

頭が何かを考える前に、糸に引かれるようにボクは部屋に入って行った。


 すぐ正面では、ボクによく似た風貌の男が細剣を携え待ち構えている。

その傍には背筋を正して、しかし俯きがちに佇む母がいた。


 その顔はよく知る使用人のうちの一人。

ただ母と認識した上でその顔を見るのは初めてだった。


 使用人の中でも特に厳しく、そしてまた最も多くの仕事をこなす彼女。

その印象に違わず、口元はきつく結ばれ、その瞳に感情が乗ることはない。


 ボクは母に今どういう顔をしていて欲しかったとか、そういった期待はないはずだった。

が・・・・・・どこかそのいつも通りの整った表情に何故だか何かが絡まるような、不愉快なものを感じた。


「プルーム。要件は分かるな?」

「・・・・・・はい」


 父の言葉に、首を縦に振る。

ボクに肯定以外の言葉は許されていない。


「ふん、ならばいい。お前は複数の使用人と関係を持ち、あろうことかその一人を身籠らせた。実に不愉快だ。美しくない」

「・・・・・・はい」

「・・・・・・お前は、お前はなんだ? なんだその目は? 本当に、つくづく気味の悪い奴だ。軽蔑する。グリフィス家の使用人に・・・・・・相応しくないな、お前は」

「・・・・・・はい」


 ゴミを見る目だ。

邪魔で、汚くて仕方ない。

そういう目を父はボクに向けている。


 言葉を否定する権利を与えていないのに、ボクが「はい」と言う度に忌々しそうな顔をする。

母は、変わらず無表情を保ったまま、ただ立っていた。


「プルーム。もはやお前の罪を濯ぐことはできない。いやぁ、私としても心苦しいところだが・・・・・・この意味がわかるな? 死をもって・・・・・・」


 木製の床が軋む。

ボクと同じ色の瞳がボクを映して迫る。

鈍色の剣先は空気を裂いて澄んだ音を奏でる。


「罪を贖え」


 目を閉じて、その時を受け入れる。

全てに終止符を。

これは・・・・・・彼らの罪の精算。

そして・・・・・・ボクの生まれた罪に対する罰。

ある種の答え合わせだ。


 細剣は空気に震え、やがて肉を貫く。

飛び散った血液は床を叩き、流れ出したその温度にボクの体が包まれる。


「なんで?」


 一瞬、意味が分からなかった。

そして時間が経ってもやっぱり意味がわからなかった。


 刃はボクに届かない。

ボクの眼前で、ただ鮮血を伝わせるだけだ。


 飛び出した母が、ボクを庇うようにして背中から突き刺されていた。


「おや・・・・・・? まぁいい。どちらにせよ同じことだ」


 父は母から剣を引き抜き、血振りをする。

母はよろめくようにしてボクの体に倒れ込み、しかし完全には倒れずにボクの背中に手を回した。


「ごめ、んね・・・・・・。こんなことでしか・・・・・・あなたの母親でいてあげられなくて・・・・・・」

「なんで?」


 母は謝りながら、目に涙を溜める。

それはすぐに頬を伝い、溢れて止まらない血液と共にボクを濡らした。


 この人は、誰だろう?

そこに居たのは、ボクの知らない人だった。


 ボクをこの世に生み、痛みをもたらし、そして一片の愛情もくれなかった人。

言葉にせずとも・・・・・・ボクが憎んでいた人。

ボクがボクと同じくらいに嫌いな人。

それが・・・・・・この人?


「なんで?」


 なんで、今更・・・・・・。

ボクはどうしたらいい?

ボクはどういう気持ちになったらいい?


 なんで?

なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで・・・・・・。


 なんでボクが、こんな気持ちにならなくちゃいけない。


 怒り、悲しみ、痛み・・・・・・全てが無い混ぜになって体の奥底から湧き上がってくる。

血流が、ボク自身の身を引き裂いてしまうような勢いで体を巡る。


「待てよ・・・・・・まさか・・・・・・」


 母を刺し殺した父は、今度こそボクを貫こうとしていたが、そこに躊躇いが生じる。

もちろん、それは子を殺めるという行為への躊躇いではない。


「お前・・・・・・コードに・・・・・・」


 ブラッドコード。

ボクの身に流れる忌まわしい血が、目覚めた。


 こんな血さえ流れていなければ。

ボクがボクでないならどれほどよかったか。

そんな思いからか、ボクの血液はボク自身の皮膚を突き破り・・・・・・体外に放出される。

それはしかしボクの支配から逃れることができず、まるで触手のように意のままに動いた。


「グリフィス家は代々流体を操るコード・・・・・・お前も腐ってもグリフィスの血ということか・・・・・・! それがお前の場合は、血か。汚らわしい。グリフィスの血は高潔なる血! 真のグリフィスを見せてやろう!」


 父が高らかに手のひらを掲げる。

すると外の池や噴水からまるで龍のようになった水流がガラス窓を割って侵入してきた。

その水流は勢いそのままに、こちらを飲み込もうとする。


 だが・・・・・・。


 一筋の赤が、その透明を貫いた。

水に血が溶け出し、清浄なる水は・・・・・・ボクの血に染まる。


「なっ・・・・・・!?」


 水流の制御を奪われたことに父が狼狽えるが、もう手遅れだった。

何故なら、すでにその胸を、喉元を、腹を、四肢を・・・・・・ボクの血の針が貫いているから。


 一拍遅れて、父がそれぞれの傷口から血を吹き出す。

ボクの意識からも、父の制御からも離れた大量の水はその場で重力に従って床に弾けた。


 屋敷のあちこちへ流れ広がっていく水。

その流れを足首に感じながら、ただボクは立ち尽くしていた。

あるのは・・・・・・二人の死体。


 ボクはただ・・・・・・その全てに、困惑していた。

何も受け入れられない。

何も受け止められない。

けれど、泣くことももうできなくなっていた。

続きます。

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