彼は命を奪う
それは夕日照らす病棟の中、幼馴染の彼がまだ純白なベットの上にいる時の事だった。
「綾香は、自分の人生が有限だと思う?」
彼は決して面白くもない冗談を言う性格ではない。
いつもは私を不安にさせないようにとニコニコと笑う人で、こんな神妙な面持ちになることはとても珍しかった。
「と、突然どうしたの?」
突然のことに私はどう答えたらいいか分からず、リンゴを剥く手を止め、ただ苦笑する。
彼は一瞬、悲しそうに目を眩ませると、夕日を見るためか窓の外へと視線を送った。
「僕はね、死ぬのが怖い。」
それは彼が見せた初めての弱音。
「たった一人、寂しいまま、何もできず、何も残せず、何にもなれないままこの世から消えるのが、恐ろしいほど怖いんだ。」
空を睨む彼の目はどこか世界を恨む様で、言葉とは裏腹に感じるその芯の強さに私は初めて違和感を感じた。
「僕はさ、これでも臆病なんだ。
ここにいる間ずっと、この人生はいつ終わるのだろうかって考えるほどの怖がりなんだよ。
そんな僕が、理不尽にも、不条理にも、太陽が落ちた数だけ生きて、生かされて、月が輝いた数だけ生きて、何もできないまま考えさせられた。」
彼は自傷気味に笑う。
「なのに、答えは出なかった。自分の体に聞いても、神様に願っても、誰一人として教えてはくれなかった。
長い間、この体のままで生きることしか、叶わなかったんだよ。
いや、それだけなら、それだけだったのなら、こんな苦しむこともなかった。」
私は彼の狂気的な叫びに、私はようやく彼の状態を理解する。
今の彼は心の器が歪むほどの何かによって、本音を吐かなければ耐えられないほど追い込まれているのだ。
本能が、長年連れ添ってきた私の直感が今すぐにでも彼を助けろと警報を上げる。
「なにが、あったの?」
聞かなければならないと義務感で開いた口。
違和感を確かめたいがゆえに、脳が送った信号。
返答なんて待つ必要がなかった。
「僕の余命、残り1年なんだって。」
彼の狂った笑顔に浮かぶ涙に、私は自覚させられる。
(あぁ、遅すぎた。)
彼のため言葉をかけるならもっと早く気付くべきだった。
「ハハハ・・・ふざけてるよね・・・本当に・・・ふざけてやがる!」
慰めるのならもっと彼を知るべきだった。
「傲慢か?僕が起きることを願うのはそんなに悪いことなの!?」
元気づけるなら、もっと、彼に連れ添うべきだった。
彼は
「やりたいことはまだ沢山あるんだ・・・っ!
死ねない理由はこれでもちゃんと作ってきたんだっ!
それなのに・・・・それなのに・・・・っ!」
私はこの時、彼を助けることは出来ないのだ、と、悟ってしまった。
「簡単に死ぬだとかっ!」
彼の簡単に崩れてしまいそうな姿を見て、私は理解してしまった。
「消えたくないよっ・・・・まだ僕は・・・・死にたく、ないっ、」
今の私にどんな言葉かけられるだろうか。分からない。
今の私が彼に対して何ができるのだろうか。分からない。
じゃあ、今の私は、今の彼を目の前にして、何を感じているのか。
(あぁ、分かった、これは怒りだ。)
冷静に脈を打つ心臓の音を感じ、私の脳は答えを出す。
彼のあまりにも情けない姿に私は憤っているんだ。
あまりにも身勝手な彼に、私は怒りを覚えているんだ。
だから私は、彼の手に自分の手を重ねて、彼と同じように身勝手な言葉を紡ぐ。
いとも簡単に、彼の気持ちも知らぬまま、言い切ってしまう。
「だったら勇樹、生きてよ、どうにか、生き続けて。」
彼の泣き声が病室内を包み込む。彼の嗚咽が、永遠に私の耳に残り続ける。
結論だけ言おう。私は選択を間違えた。
いくら未熟な精神だったとはいえ、こんな言葉で紡ぐべきではなかった。
渦巻いていた後悔を拭うためにとはいえ、神様に「彼の願いを叶えて」と願うべきではなかった。
私は今、満天の星が光る裏山にいる。
ここは彼と最初に遠出した場所、私と彼の中では思い出の深い場所。
「ゆ、勇樹?」
しかしそんな思い出は、懐中電灯によって照らされた、葉のないやせ細った木々と灰のように崩れ落ちる草木によって汚される。
まるで、美しかった私の過去を否定するかのように私の視界を染めていく。
「・・・綾香。」
その上、勇樹の足元に生気のない動物の死骸たちが転がる。
「やっぱり君が、一番早く気付いてくれるんだね。」
私は本能で理解した。勇樹の手の中にいる生きた感覚のない人間がいることで自覚させられた。
あの時、勇樹に『生きて』なんて言葉を言わなければ。
「ん?あぁ、この人なら大丈夫だよ。この人は今さっき、天寿を全うしたんだ。」
誰より生きたくて、死ななくてはいけなかった勇気に、『生き続けて』なんて酷なことを言わなければ
「この子たちと同じ、生きる意味を、生き続ける意味をちゃんと果たしたんだ。」
神様になんて・・・願わなければ・・・
「僕は、感謝しないといけないね。この人たちは僕のために死んでくれた。僕が生き続けためにその命を僕にくれた。」
彼の笑みに昔のような優しさは存在しない。
彼の体に昔のような弱弱しさは存在しない。
彼の言葉には昔のような温かさは存在しない。
私はその場で腰から崩れ落ちる。
彼のエメラルド色に輝く瞳に恐怖し、その場で頭を抱える。
彼は星の光を背に、両手を広げ自分の存在を証明する。
「ほら見て綾香。僕、ちゃんと、生きてるよ。」
受け入れるにはあまりなこの状況。
本当に私は無責任で身勝手な人間なのだろう。
私の心は悲鳴で、私の体は気絶で、その場を逃げることにした。
意識が切れようとする最中、私は思う。
恐らく、私はもう逃げられないのだろう。
勝手な夢の代償を無視することはできないのだろう。
彼にかけた呪縛を解くまで、私に幸福なんてものは訪れないのだろう。
それならどうか、どうか・・・レクイエムくらいは美しいものでありますように。
これは、私の愚かな行動を、償うべき罪を、私が書けた彼への呪縛を解く、悲惨で、見るにも堪えない、最悪な物語である。