山の夜光虫
これは、バイク便の配達員をしている、ある若い男の話。
都会から少し離れた山道の道路。
その若い男はバイクに跨って、古い舗装路を駆け抜けていた。
頭上には抜けるような青空。
他に車や通行人の姿は見当たらない。
その山道の道路を走っているのは、
その若い男が乗るバイクと、路面に引かれた白線だけだった。
その若い男は、
バイクを使った宅配便、
いわゆる、バイク便の配送員だった。
バイク便とは、宅配便の速達のようなもので、
通常の宅配便では間に合わないような急ぎの荷物を、バイクで運ぶ。
バイク便の荷物のやり取りは、
バイクで素早く移動できる利点を活かした、都会で行われることが多い。
しかし今回、
どうしても急いで配送して欲しい荷物があると言われ、
山奥の村へと荷物を配送する途中だった。
山道の道路は左右に曲がりくねっていて、
バイクに乗って走るその若い男の体力を奪い取っていく。
「慣れない山道で、さすがにちょっと疲れたな。
配送先の村は、この辺りで脇道に入るはずなんだけど。」
道路脇にバイクを止めて、ポケットから地図を取り出す。
地図に書かれた地名と、
道路に設置されている案内標識とを、
指差し突き合わせて確認する。
それから、
バイクの荷物入れに入れてある荷物を取り出し、
伝票を確認した。
荷物の伝票に書かれた字は、
ミミズがのたくったような字で読み難い。
何とか字を読み取ると、
配送先の住所は確かにこの辺りのはずだった。
「・・・おっ、あの道かな。」
その若い男が、
目の上に手の平を当てて先を眺めると、
山道の道路の先に、脇道があるのが見つかった。
その脇道は、舗装されていない獣道のような道だった。
「もしかしたらとは思ったけど、道路が舗装されていないとは。
僕のバイクがオフロードバイクで良かったよ。」
そんな独り言を言いながら、その若い男は、
舗装されていない脇道へと入っていった。
その舗装されていない脇道は、思ったよりも険しい道だった。
山にある森の中の獣道といった様子で、
足元はぬかるんで滑りやすく、勾配も激しい。
ぬかるみの中からは時折、大きな岩が顔を覗かせる。
その若い男は、
オフロードバイクでも走り難いような獣道を、
四苦八苦しながら進んでいく。
時間ばかりが過ぎていき、
森の木々の隙間から見える太陽が、徐々に西に傾いていった。
その若い男は、頭上を見上げながら言葉を溢した。
「・・・まずいな。
案内標識も無くて、ここがどこなのか分からなくなってきた。
バイクも泥だらけだ。
このままじゃ、道に迷ってしまいそうだ。
時間が掛かるけど、一旦引き返した方が良いかも知れない。」
そう考えた、その時。
向かう獣道の先に、何か光るものが見えたような気がした。
「おや?
今、向こうの木の間に、何か見えたような。」
目を薄くして、向かう先の木々の間に目を凝らす。
すると、
ふわふわゆらゆらと、
何か光るものが浮いているのが見えた。
誰かが明かりになる物でも振っているのか、
ぼやっとしたおぼろげな光が、
まるで誘うように、右に左にゆっくりと振れていた。
その若い男は首を傾げる。
「あの光は何だろう。
誰かが誘導してくれてるのかな。
もしかしたら、荷物の配送先の村の人かもしれない。
他にあてもないし、あの誘導に従おう。」
そうしてその若い男は、
森の中に見えた光に誘導されて、獣道の先へと進んで行った。
その若い男は、
森の中のおぼろげな光の方へと進んでいった。
しかしいくら進んでも、その光に追いつくことは出来なかった。
木々の間から見えるその光は、付かず離れず、
その若い男が近付くと逃げていき、
距離が離れると、
誘うようにその場に留まって見せた。
「人の姿が見えないけど、
あれは誰かが誘導してるんじゃないのだろうか。」
その若い男は首を傾げながらも、
獣道をバイクでゆっくりと進んでいった。
そうしていくとやがて、
誘導する光が、ふわっと昇って消えてしまった。
代わりに、森の木々の間から人里の明かりが見えるようになった。
「よかった、向こうに人里があるみたいだ。
きっとあれが配送先の村だろう。
やっぱりあの光は、誰かが誘導してくれてたんだな。」
その若い男はホッと胸を撫で下ろした。
それから、
泥だらけになったバイクを手で押すようにして、
木々の向こうに見える村へと近付いていった。
森の木々の向こうにあったのは、こじんまりとした村だった。
民家が数件と、役場らしき建物が幾つか、
薄暗い夜の闇の中で明かりを灯していた。
周辺には田んぼなどがあるようだ。
その若い男が、森の中からひょっこりと姿を現すと、
村の世話役らしい初老の男が代表して出迎えた。
「もしや、バイク便の方ですか。
こんな山奥の村まで、よくお越し下さいました。」
にこにこと柔和な微笑みを浮かべている初老の男に、
その若い男が泥だらけの姿で頭を下げた。
「遅くなってしまってすみません。
不慣れな山道で、道に迷ってしまいまして。
途中から誘導して貰えなかったら、ここまでたどり着けませんでしたよ。」
その若い男の言葉に、初老の男は首を傾げた。
「誘導・・・ですか?
うちの村からは、そのような者は出ていないと思いますが・・。」
「ぼやっとした明かりで、先導して貰ったんですが。」
その若い男の説明を聞いて、
初老の男は事情を察したようで、手をぽんと打った。
「ああ、それはきっと山光虫ですよ。」
「やこうちゅう?
それって、海にいる光るプランクトンの・・・」
「いえいえ。
夜光虫ではなくて、山光虫です。
山に光る虫と書きます。
山光虫というのは、この地域でしか見かけない羽虫のことなんです。
幼虫はミミズみたいで冴えないんですが、
成虫になると、白くて美しい輝きを放つんです。
白く輝きながら飛び回る姿は幻想的で、とても綺麗なんですよ。
あなたがこの村に来る時に見たのは、きっと山光虫の光でしょう。
意外と人懐っこい虫でしてね。」
初老の男の話を聞いて、その若い男はなるほどと思った。
道理で、人影も無いのに光だけが見えたはずだ。
その正体は、光りながら飛び回る小さな虫だったのだ。
話が逸れてしまった。
その若い男は、本来の目的を思い出した。
泥だらけになったバイクの荷物入れから、宅配の荷物を取り出してみせる。
「それはそうと、これ。
お届けものです。」
ずっしりと重いその荷物は、ぬかるみの中で走る妨げとなっていた。
初老の男が、有り難そうにその荷物を受け取る。
「こんなに遠いところまで急いで届けて頂いて、
本当にありがとうございます。
実はこの荷物、山光虫の餌になる肥料なんです。
山光虫の幼虫の生育には、栄養豊富な土が必要なんですよ。
それが近年、この辺りの土地が痩せてしまって。
水田が減っていくのに従って、
山光虫の数も減ってきているんです。
山光虫を保護するために、村で幼虫を飼育しているのですが、
餌となる土が足りなくなってしまって。
そこで無理をお願いして、大急ぎ、
肥料を持ってきて頂いたというわけなんです。」
初老の男はそう説明すると、
受け取った荷物を大事そうに擦ってみせた。
この村の人にとって、山光虫はとても大事なもののようだ。
荷物を届けた相手から感謝の言葉を貰って、
その若い男は、荷物を無事に届けられた達成感を感じていた。
達成感とともに仕事の仕上げをしていく。
「それでは、こちらに受け取り確認のサインをお願いします。
それと、依頼主の方に終了報告をしますので、
こちらで電話を掛けさせて貰います。」
ポケットから携帯電話を取り出す。
結構な山奥だが、携帯電話は使えるようだ。
だが、初老の男が済まなそうに言う。
「ああ、携帯電話ですか。
それが・・・」
いざ電話を掛けようとすると、
ふわふわゆらゆらと、淡白く光る山光虫たちが、
明かりに群がる虫のように何匹も寄り集まってきた。
すると、今まで使えていた携帯電話が、ぷっつりと切れてしまった。
その若い男が携帯電話の画面を見て困惑しているのを見て、
初老の男が済まなそうな顔で説明する。
「携帯電話は使えるはずなのですが、
いざ電話を掛けようとすると、切れてしまうのですよ。
集まってくる山光虫たちの影響とも言われていますが、
原因はよく分かっていません。
電話でしたら村の固定電話がありますので、
そちらをお使いください。」
今度はその若い男が首を横に振って応えた。
「有り難い申し出なのですが、
荷物の配送の終了報告は、
配送員の携帯電話から掛けることになっているんです。
他所の電話を使うわけにはいかなくて。
どこか、携帯電話が使える場所に移動することにします。」
「ですが、日が暮れて辺りは真っ暗ですよ。
この村の周辺は街灯も無いので、
村の者でも夜はあまり出歩きません。
今夜は泊まっていかれた方が良いと思います。」
「ありがとうございます。
でも、明日も仕事がありますので・・・」
そうしてその若い男は、
初老の男の申し出を丁重に断って、
真っ暗な夜の山の中へと戻ることにした。
その若い男が荷物を配達し終えてから。
依頼主に終了報告をしようとしたが、
どうしたことか、携帯電話を使うことが出来なかった。
仕方がなくその若い男は、
携帯電話が使える場所まで移動することにした。
村の初老の男の話によれば、
その若い男が村に来るために通った獣道とは違う経路で、
山道の道路に出ることができるという。
森を抜けて道路に出てしまえば、携帯電話が使えるそうだ。
その若い男は、初老の男に礼を言って村を出た。
真っ暗な森の中を、バイクに乗って慎重に進んでいく。
足元は若干ぬかるんではいるが、
来る時に通った獣道ほど悪路ではなかった。
この分なら、それほど苦労せずに道路まで出られるはずだった。
しかし今度は、
頭上の雲行きが怪しくなってきた。
森の木々の間から見える月明かりが雲に遮られたかと思うと、
ポツポツと雨粒が落ちてきた。
「雨が降ってきたみたいだな。
帰りまでもってくれると良いんだけど。」
その若い男の願いも虚しく、
雨はどんどんと強くなっていった。
雨は強くなる一方で、
その若い男がようやく森を抜けて道路に出た頃には、
視界の妨げになるほどの激しい雨となっていた。
電話を掛けようにも、携帯電話を取り出すこともできない。
山道の道路には雨宿りできそうな場所も見当たらず、
通り抜けてきた森の中も、既に水浸しだった。
「こんな雨の中じゃ、電話を掛けることも出来ないな。
仕方がない。
バイクで山を下って、雨宿り出来る場所を探して、
そこから電話を掛けよう。」
そうしてその若い男は、
叩きつけるような激しい雨の中、
バイクに乗って山道の道路を下ることにした。
その若い男がバイクに乗って山を下っている間も、
雨は弱まる気配を見せなかった。
舗装された山道の道路には街灯が設置されてはいるが、
その弱々しい明かりは、降りしきる雨にほとんどかき消されていた。
激しい雨で視界はほとんど無く、
バイクのライトを照り返す路面の白線だけが頼りだった。
その若い男は、路面の白線に従ってバイクを走らせた。
そうして山道の道路を下っていくと、
やがて、道路脇のガードレールの下に、麓の街明かりが薄っすらと見え始めた。
「もうすぐ山を下り終わりそうだ。
早く雨宿り出来る場所を探して、依頼主に終了報告の電話をしないと。」
そうして、
その若い男の気が緩んだ、その時。
何か柔らかいものを踏んだような感触がした。
それから突然、足元の感覚が抜けて失くなった。
抵抗を失ったエンジンが鋭く回る音が聞こえる。
バイクのタイヤの接地感が失くなり、体とバイクがゆっくりと離れていく。
「なっ・・!?」
その若い男は、バイクと共に宙に浮かんでいた。
激しく降りしきる雨粒の向こうで、
周りの景色がスローモーションのようにゆっくりと映って見える。
周囲を見渡して、自分に何が起こったのか、やっと理解できた。
その若い男は、
激しい雨で視界がほとんど無い中、
山道の道路に引かれていた白線だけを頼りに、バイクを走らせていた。
しかしそれは、
道路に引かれていた白線ではなかった。
激しく降りしきる雨の向こうに見えたのは、たくさんの山光虫たちだった。
地面に並んで止まっている山光虫たちが、
まるで道路の白線のように、線上に輝いていた。
その姿を、道路の白線と見間違えていたのだ。
道路に元から引かれていた白線の上には、
たくさんのミミズのような虫たちがびっしりと張り付いていて、
白線の姿を覆い隠してしまっていた。
山光虫たちの白線が誘う先は、古くなって外れたガードレールの隙間。
その先には、真っ暗な崖が口を開けていた。
山光虫の幼虫と成虫がお互いに役割分担をして、
その若い男を崖下へと誘導していたかのようだった。
それに気が付いた頃には、時既に遅く。
その若い男はバイクと共に、
真っ暗な崖下へゆっくりと落ちていった。
翌日。
村に荷物を届けるように頼んだ依頼主の元に、
その若い男が姿を現した。
しかし、その全身は泥だらけ。
バイクはあちこち折れ曲がっていて、ほとんど原型をとどめていない。
そんなその若い男の姿を見て、依頼主の男が驚いて言った。
「大丈夫ですか?
全身泥だらけで、まるで事故にでも遭ったみたいですが・・・。
昨日、荷物が届いたという連絡はあったのに、
配送員の方からの連絡は無かったので、心配してたんですよ。」
しかしその若い男は、一言も言葉を発することなく、
ただ黙って、ゆっくりと頷いて見せた。
依頼主の男は不審に思いながら、言葉を返す。
「本当に大丈夫ですか?
それなら良いのですが。
終了報告のために、わざわざ直接来て頂けるとは思いませんでしたよ。
事前の予定では、電話連絡のはずでしたが。
とにかく、今回は助かりました。
また必要になったら、よろしくお願いしますね。」
依頼主の言葉に、
その若い男はまた黙って頷くと、
ふらふらとした足取りでその場を後にした。
その後ろ姿を、不審そうな顔で見送る依頼主の男。
視線の先にいるその若い男の耳の穴からは、
ミミズのような虫が、顔を覗かせていたのだった。
終わり。
真っ暗な道路で、白線だけを頼りに移動する場合を考えていて、
この話を思いつきました。
見た目が綺麗だったり、あるいは人間に従順な生き物が、
必ずしも人間にとって都合がいいものだとは限らないと思います。
人間が生き物を利用することがあるように、
生き物もまた、人間を利用しているのかもしれません。
そのようなことを考えて、物語にしていきました。
お読み頂きありがとうございました。