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「おじいちゃん、本当に体調は悪くない?」


ラドの妹はヴァンディル卿の腕を支えにして、老人の目の前にしゃがみ込んだ。

それと同時にヴァンディル卿の腕から彼女の手が離れる。

ヴァンディル卿は自分に風がよく当たるように感じた。


「わ…わしはなんともないと言っているだろ」

「そっか、ならよかった!勘違いしてごめんなさい」


彼女はそう言って心底安心した表情を浮かべる。

その表情も穏やかで、ヴァンディル卿はじっと見つめてしまう。


「嬢ちゃん、そんなやつに気を使う必要ないぜ?」

「本当に人騒がせな人」


揶揄うように周りの人間が言った。


「あ、ごめんなさい。お騒がせしました」


彼女は自分のせいだと周りに頭を下げる。


「偽物のお医者様もごめんなさい」

「…」


ヴァンディル卿もそれになんと答えるべきか分からなかった。


「嬢ちゃんが謝る必要はねぇよ」

「この人がこうやって迷惑なことばっかりしているのが悪いのよ」

「こっちのことなんてお構いなしに、説教ばっか」

「まったく、暇な老人はいいね」


彼らから口々に出てくる冷たい言葉がヴァンディル卿の居心地をさらに悪くする。

別に自分に対して言っているわけではない。

だが、なんとなく違うものは受け入れられないのだと感じられる。


「あ、おじいちゃん、それはいけませんよ」


彼女はくるりと老人に向き直ると、まるで兄弟を叱るかのように怒ってますとアピールする声で言った。


「人の気持ちを無視して話すのは会話じゃないです」


ヴァンディル卿は彼女の言葉に少しがっかりした。

結局はそうかと思ったのだ。

彼女もこの老人が自分たちの枠から外れていると感じているのかもしれない。

それがヴァンディル卿には酷く寂しいものに思える。

だが、彼女の話はそこで終わらなかった。


「お説教でもね。ほら、学校の先生だって生徒が興味を持てるようにお話を工夫するでしょ?やっぱり伝えるにしても気持ちのキャッチボールは大切ですよ」


そう言った後、彼女はうんうんと自分の言葉に頷く。

周囲の人間達も何か違うと感じたのか全員の頭に『?』が飛んでいた。

この娘は何を言い出すのかとヴァンディル卿も見つめていた。

そんな事などお構いなしの彼女は楽しそうに言葉を続ける。


「おじいちゃん、やっぱり楽しく会話しないと。私たちは無知だ!悔しい!とか嘆いているばかりじゃ、楽しくないでしょ?おじいちゃんもご自分でさっき言ったじゃないですか。人生は一度きりだって。せっかく貰えた人生なんだから、楽しまないと!みんなで無知について考える方が楽しいですよ!悩みって意外と一人で解決できるけど、みんなで解決した方が後々思い出した時、気持ちがあたたかくなりますよ!」


彼女の見ているこの世界は希望に溢れているようなそんな表情を彼女は浮かべる。

それは少しヴァンディル卿には眩しいものだったが、その話はどこか温もりを感じる。

まるで、小さな子供に道徳を教えるようなありきたりな綺麗事なのだが、ただ彼女の欲望がよくわかる。

楽しい方がいいに決まっている。

ヴァンディル卿はそれはそうだと思えた。


「不思議ですよね。人間って頑張れば一人でも生きていけるのに、なんやかんや人がいないと楽しさが少なくなるなんて。頑張りすぎて楽しくないなんて勿体ない!楽しいから頑張れるのにね」


そうなれば完全に彼女の持論でしかない。

いや、彼女は最初から彼女の意見しか言っていない。

そしてその意見は誰もが底から欲しているものである様にも感じられる。

だがそれは欲であるために多くのものが隠し持つばかりだ。

なのに、この女性はその欲をどこまでも堂々と言い放つ。

それが当然のように。

それがあるべき姿のように。

不思議と彼女の放つ言葉からは薄汚さなは感じられない。

ーーそうか…

彼の中で腑に落ちるものがあった。

決して彼にとって遠征は楽しいものではない。

もちろん苦痛でしかない。

国のために命を捨てるほどの愛国心や忠誠心もない。

だから稽古を続け、鍛え続ける。

生きたいからだ。

生きて、そして認められこの国の人間として受け入れられたいからだ。

成果を上げれば自分もこの国の一部になれる気がする。

彼にとってそれが底にある欲、楽しい事なのだ。

生まれ、容姿、能力…彼は全てにおいて秀でていた。

秀でていたからこそどこにも属せなかった。


「そうか……」


誰にも聞こえぬ声でヴァンディル卿は呟いた。

遠征で得た仲間も彼にとっては欲の一部だ。

彼女の言葉はまるで雪のように彼の体に浸透していく。

何かに躍起だっていた熱が落ち着き、何かに期待しないよう凍っていたものが温かく癒されるようだった。


「でしょ?」


どうやら、彼女にはヴァンディル卿の呟きが聞こえたようで、嬉しそうにヴァンディル卿に笑みを向ける。

その笑顔は夜会で見た時と同じように明るく、そして優しい弾けた星のようだった。


「楽しく過ごすためには少し頑張ろうって思えるじゃないですか。まぁ、たまに…ってか、いつもできれば楽して楽しくって思いますけどね」


少し照れならがも彼女は言ってのける。

そこを言ってしまえるのが彼女の正直さなのだろう。

だから彼女の言葉はそのまま届くのかもしれない。


「…確かに、わしの話は…ちとな、ほんの少しじゃ、これっぽっちだけ堅苦しかったのは認めよう…」


人々に嫌味を言われて拗ねていた老人が口を開いた。

頑なだった老人に少しだけ隙ができる。

ーーすごいな…

ヴァンディル卿は感心した。

彼女の言葉は誰も傷つけようとなしない。

だから自分にも届いたし、頑固な老人も反発せずに大人しく聞く。


「そうですよ!私なんて思いついたこともない事をおじいちゃんはいっぱい話してくれたのに勿体ない!学校でもそんな事教えてくれなかったもの」


彼女は柔軟な態度を見せ始めた老人に笑顔で言う。


「無知だと恥ずかしい気分になるけど、みんな無知なら、もっとこれから色んなことを知っていけるし、色んなことを考えていけるから楽しいですよ。もしかしたら、思いもよらない安くて美味しい食事とか、めちゃくちゃよく眠れる方法とか思いつくかも!」


きっと老人はそれを言っているのではない。

だが、彼女なりに老人の話を解釈して彼女なりの楽しみを生み出したのだ。


「ぷっ!」


彼女の呑気な話を聞いて、一人が吹き出した。


「確かに!美味しいものが出てくるならそれはありがたい!」


ゲラゲラと笑い始める。

それに釣られたように周りも嫌に歪んでいた表情を崩して笑い始める。


「あぁ!安いなら嬉しい限りだ!」

「そうだな。やっぱりよく寝れてなんぼだ!」

「うちの旦那は酒がないと眠れないって。あれ、どうにかならないかね?」

「そうだ。南の方で安い果物ができたそうだ」


笑いは自然と楽しげな会話に続いていく。

小さな会話が広がりを見せ始めていた。

いつの間にか老人を責め立てる殺伐とした雰囲気が穏やかに変化していた。


「爺さんも変な子に捕まったね」


揶揄うように老人に一人が声をかけた。


「…まぁ、悪い子ではない」


老人は渋い声で返す。


「なるほどね。俺らの気持ちがわかったかい?」

「なんじゃと?」


老人がムッとした表情を浮かべた。


「分かってんよ。爺さんも別に悪い奴じゃないからな」

「そうそう。無知なだけだ。俺らと一緒でな」

「あんたは学校をサボりすぎて、無知どころの話じゃないでしょ」

「お、言ったな?爺さん、俺になんか教えてくれよ。…忙しくない時な」

「…考えてやる。わしの話は高尚すぎるからな。一生かけても理解するには時間がかかるわい」

「お?なんだと?」

「お前らがわしを無視した分、損したな」

「じいちゃん、言いやがったな?」


完全に老人が輪の中に入ってしまった。

独りでいた人間がいつの間にか皆の一人になった。

嫌味を言い合いながらも、それなりに楽しんでいるように見える。


「…」


ヴァンディル卿はその光景を目を細めて見ていた。

彼はやはりこの場に溶け込むことはできない。

顔を晒し、あんなに砕けた会話をここですることは彼には出来ない。

ーーだが…

それでも彼はいいと思えた。

そこに最初感じていた寂しはどこにもない。


ゴーンゴーン


昼を告げる鐘が鳴った。


「わ!やば!スノちゃんと約束してたんだ!」


のんびりと会話していたラドの妹が叫んだ。


「学者のおじいちゃん、楽しい会話をありがとう!またね!」


急いで挨拶を終えると、彼女は持っていた帽子を柔らかい栗色の頭に被せ、手を振ってかけていく。

まるで嵐のようで、ヴァンディル卿が行動する暇はなかった。

ただ、かなり前に離れた彼女が手が少しだけ物寂しく感じらた。

ーー楽しくか…

彼は自分の底にある感情をもう一度考える。

元々あったものが多くある中で、一つ煌めく新たなものがあった。


「そろそろ身を固める時か……」


必要ないと思っていたものが初めて必要になった。

それはもっと自分の一度しかない人生を楽しみたい。

そんな単純で純粋な欲から生まれたものだった。

彼は剣を回収した後、両親に初めてのお願いをしたのはまた別のお話である。



◇◇◇◇◇



「旦那様、学者さんって?」


イズはヴァンディル卿の顔を覗き込んで聞いてきた。


「うわっ」


それと同時に馬車が揺れて、イズがヴァンディル卿の胸の中に飛び込む形となる。

ヴァンディル卿は大きな体でイズを受け止めると、クスリと笑った。


「相変わらず、そそっかしい」

「…これは馬車が揺れたせいです」


イズはヴァンディル卿の胸の中で頬を膨らまして反論する。

その表情を見てヴァンディル卿は、とろけるように目尻を柔らかくさせた。


「君が動かなければ、こうはならなかった」

「…なら早く離してくださいよ」

「それは難しい話だ」


そう言ってヴァンディル卿はイズを抱く腕に少しだけ力を入れる。

イズが逃れられないように力強く、苦しくないように柔らかく、力加減が絶妙だ。

そうなればイズは大人しくしている他ない。

ヴァンディル卿の胸の中に収まったままイズは馬車に揺れ続けている。

今は、領地に帰るための船に向かう途中だ。

ヴァンディル卿の仕事がやっとひと段落ついた為、領地に帰るのだ。


「皆さん、お土産を喜んでくれますかね?」


イズがヴァンディル卿を見上げて尋ねた。


「きっと喜ぶ」


ヴァンディル卿は窓の外を眺めながら答える。

あまりに力強く答えるものだから、イズは笑ってしまった。


「絶対ですか?」


悪戯に尋ねてみた。


「あぁ…」


優しげな声でヴァンディル卿は答えた。


「君だからな」

「ん?」

「イズが選んだものだからだ」


綺麗な瞳が優しげに煌めきながらイズを見つめる。

吸い込まれそうなその優しげな瞳はイズの思考を止める熱を生み出した。


「!?」


抱きしめられているせいかいつもよりもヴァンディル卿の香りがイズの鼻腔をくすぐる。

ーーもっとお兄様たちは汗臭いのに…

何故この男はこんなにもいい香りがするのかとイズは聞きたくなる。

ーーってか…イズって…

あまり名前を呼ばれる事にイズは慣れていない。

ーー妻って言われるだけで十分なのに…

イズはまたしても自分の身体中に込み上げてくる熱を感じた。

恋など知らなかった4年前のイズは、他人のちょっとした一言で自分が揺さぶられることなんて思いもしなかったはずだ。

ーーなんだか、単純な人間になったみたい…

イズは自分の頬に溜まった熱を抑え込もうと両手を頬に添えた。


「なんで、私が選ぶとみんなが喜ぶのですか?」


平常心のふりをしてイズはヴァンディル卿に問いかける。


「君という人間だからだよ」

「…答えになってないです」

「そうか」


イズが不満げな表情を浮かべてもヴァンディル卿はどこまでも涼しそうな表情を浮かべていた。

ーー私ばっかり…

もっと自分も彼を揺さぶりたいと思うのだが、イズにはその方法が思いつくほどの悪知恵はない。


「もうすぐ降りるぞ」


ヴァンディル卿がそう言うと、しばらくして馬車は止まった。

イズはヴァンディル卿にエスコートしてもらいながら船に向かって進む。


「旦那様、考えたのですが、私、もっとパーティーとかに出席しますね」

「…何故だ?」


先程までご機嫌に見えていたヴァンディル卿の顔が曇った。


「だって、もっと旦那様が私の事を好き好き〜ってアピールしないと、また変な噂が立つじゃないですか」


イズはヴァンディル卿が忙しい間、対策をずっと練っていたのだ。

一番は2人が仲良しであると国中に知られる事だと、安直な結論に達した。


「本当は、私がヴァンディル卿が夢中になっても仕方ない魅惑的な容姿や能力を持つ完璧な女性であることが一番なんですけどね」

「…君は十分素敵だ」

「そう言ってくださるのは旦那様だけです。私、完璧な淑女になるために修行の旅にでも出ようかと考えました」

「…」


イズの言葉にヴァンディル卿は渋い顔をする。


「嘘です。行きませんよ。一緒にいるって約束してすぐに破りませんよ」

「…君の冗談は冗談じゃないことが多いからな」


本気のトーンでヴァンディル卿は言う。

イズも思い当たることがある為、それについては言及しなかった。


「とにかく、もっとラブラブアピールしていく必要があるかと。なので、今まで断っていた招待とか全部私に教えてください。バンバン交流していきます」

「…やりすぎは良くない。今のままでいい」

「また私に悪女の噂が立ってもいいと?」


イズがグイッと詰め寄るが、ヴァンディル卿はそれをさらりと交わす。


「君を知っている人間からはそんな言葉は出ない」

「知らない人間が多いから言っているのです」


確かに主要な人物とは交流しているが、それだけではダメだ。

イズがじっとヴァンディル卿を見つめ続けていると、ヴァンディル卿は観念したようにボソリと呟く。


「あまり国王に合わせたくないのだが……」

「それ前もいいましたよね?」


イズは思い出す。

何故だろうと首を捻ると、ヴァンディル卿は立ち止まりかけたイズを引っ張って歩みを進める。


「知らなくていい。あの人は厄介だから」


曖昧な言葉だ。

絶対話そうとしないという意思の表れだ。


「隠し事はなしですよ」

「これは隠し事ではない」

「んー、それじゃ陛下に嫉妬してるみたいですよ」


ズイズイと進むヴァンディル卿に引っ張られながら、イズは冗談のつもりでいった。

また流されると思って言った一言だったが、イズの予想とは異なってヴァンディル卿は足を止めた。

そして、稀に見るむすっとした表情で振り返る。

ーーえ?

イズもまさかの反応に驚いた。


「オセル」


後ろをついてきていたオセルにヴァンディル卿が声をかけ、手を差し出した。

オセルはその手に何かを渡す。

何かを受け取ったヴァンディル卿はイズに近づいて彼女の頭に乗っけた。


「あ、これ…」


王都に来る際に落としていた帽子だった。

ヴァンディル卿と結婚する前から大事に使っていたお気に入りの帽子だ。


「拾った」


ぶっきらぼうにヴァンディル卿は言って、またしてもイズの手を取ったままズンズン進む。

イズはそれに黙ってついていった。

自分の持っていたものを覚えてくれている。

イズの中で喜びが弾けていた。


「まず呼び方だ」


ヴァンディル卿が呟いた。


「…周りにアピールするのだろ?」

「あ、はい?」

「使用人とは違う呼び方でいてくれ」


そう言うヴァンディル卿の手は熱く、微かに見える耳は真っ赤になっていた。

ーーなんでそんなに照れるかな

イズはそんな彼を愛おしく感じる。

そしてその熱は嬉しさと混ざりながらまたイズにも移ってくる。

ーーあぁ…もうっ!

何年経ってもこの状態だ。

きっとこの熱が冷めることはないだろうとイズは確信している。

いや元は確信に近い願望だった。

だが、いつも彼から感じられる想いがイズに自信をくれる。

それがずっと積み重なって、今ではイズにとって確信になったのだ。


「テュール」


イズは恥ずかしさを紛らわそうと足を進める彼に声をかける。

少しこそばゆかったが、言った後自分の心に足がふわふわとなる感覚があった。

焼き菓子を食べた後のように、口の中に甘さが広がろうようだった。

ヴァンディル卿も足を止めて振り返る。

その顔は嬉しさと驚きが入り混じったものだった。

少しずつ嬉しさが勝ってきたのか、口元が緩み始めて少年のように煌めく目とどんな人でも虜にしてしまいそうな甘い笑みが溢れる。


「一生、ついていきますから。覚悟してくださいね」


イズは悪戯に笑って見せると、ヴァンディル卿も安心したように笑みを返す。


イズは思う。

きっと一度彼を信じてしまったのだからしょうがない。

彼がそれに応えてきてくれたのだからしょうがないと。

イズにはもう彼を疑うことはできない。

今までがイズに証明していた。

今回のこともイズが彼を更に信頼するきっかけになった。


2人で一つの人生になって4年目を目前としていた。


こんばんは、しーしびです。


長らくお待たせしておりました。

やっとのことで完結です。

最後まで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございます。

感想も本当にありがとうございます。

全てがしーしびのやる気になっております。


趣味で書いているだけのゆるゆるなしーしびの妄想ですが、最後までお付き合いいただいて嬉しい限りです。

しーしびも描き終えることが出来て本当に嬉しいです。

誤字脱字のご報告も本当にありがたいです。


ちなみに、匂わせでちょこちょこ登場している国王陛下…いつかまた皆様に姿をお見せすることができればいいなと思っています。

本当に長い間、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] しーしびさん完結おめでとうございます! ヴァンディル卿がイズの虜になった理由…なるほど数多の女性がイズに太刀打ちできないはずです。誰も勝てないわ〜。 読後感、とても幸せでした! 終わって…
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