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翌日、ヴァンディル卿は休暇で街をふらついていた。

まだお祝いモードが抜けていない王都をただふらついていた。

彼の容姿は目立つため、フードを被って歩く。

立っているだけでも彼の顔をみた子供は泣き叫ぶ。

大人になればそんなことはないのだが、綺麗さと険しさのある顔は色々と苦労が多いのだ。

彼はフードを被っていれば少しは自分が纏っている空気感も緩和されている様な気分になる。

そんな彼の心情などお構いなしに多くの人が彼の横を通り過ぎる。

宴とは異なり、こうやって街を歩いていると自分も溶け込んでいるかの様に感じられる。

自分にこべりついた血生臭さもまるで見えない様だった。


「いいか?お前達は自分たちの無知を自覚していない。だからーー」


暇な老人が通る若者を捕まえてくどくどと説教を始めていた。

誰もそれを真剣に聞こうとはしていない。


「じいさん、俺らも忙しんだわ」

「こんな日にそんなつまんねぇ事をやんなよな」


面倒そうにそう言って通り過ぎていく。

誰も彼もがその老人をこの世界で不要なものであるかの様に扱う。

目に映すのさえ拒むものもいた。

ヴァンディル卿もそれを横目で見ながらそんな暇さえあることが羨ましく思う。

ーー彼も、この街の景色だ

全てがこの王都に溶け込んでいる様だとヴァンディル卿は感じた。


「いらっしゃい」


少し歩いた場所にある鍛冶屋に足を踏み入れた。

ヴァンディル卿は自分の腰に下げている剣を外し、店主に差し出す。


「手入れを頼む」

「はいよ」


口数の少ない店主は受け取った剣をじっくり眺めて点検を始める。


「少し時間をもらうよ」

「どのくらいだ」

「1時間程度だね」

「分かった」


短いやり取りを終えると、ヴァンディル卿は何枚かの金貨を台の上に置く。


「これで頼む」

「…はいよ。すまないが、3時間もらえるか?」


先程よりも店主の目は意欲的だった。

ヴァンディル卿はその反応に満足して、店を後にする。

フードをかぶり直し、先程来た道を戻る。

途中で見た店で時間を潰そうか考えながら少しふらつく。

子供騒ぐ声、自分の店前で客引きをする声、酔っ払いの喧嘩、主婦同士の下世話な世間話…

彼の耳には次々と聞こえてくる。

ただじっと歩き続ける彼に声をかけるものは誰もいない。

それが心地よく、そして自分が完全に溶け込めない事を言われている様にも感じた。

それでも彼は王都を歩き続けた。

自分の入る隙間を探す様に彼は歩く。


「あぁー!なるほど!確かにそうかぁ〜」


そんな時、どうも腑抜けた声が彼の耳に届く。

そんな声いつもなら雑音程度にしか思わないのに、不思議と耳障りのいい声に彼はその主を探そうと少し周囲を見渡す。

聞こえたと思われる方向には先ほど見た説教をする老人の姿があった。

ーーもう通り過ぎたか…

そう思い、また前を向こうとすると、その老人の目の前に先程いなかった人物がいた。

なんとなく見覚えのある柔らかい栗色の髪の毛が揺れていた。


「そう、お前達は無知だ。人間は全員無知なのだ。なのにそれを自覚しようともせず、今の生活にあぐらをかいている。何も知らないまま、お前達の心臓は動きつづけ終わりに向かっているのだ」


なんの意味もなさそうな話だ。

それを理解したからといって何になるとヴァンディル卿は思う。

最近ではキル教なるものや、その他の異文化の考えが多く入り込んで、様々な知識や技術、思想が人々の心を掴んでいる。

あの老人も、何かの思想に影響されていっているのだ。

なのに栗色の髪の、あのラドの上の妹と思われる人物はそれを真剣に聞いていた。


「おぉ…そう言われたらそうだ…」


くだらないとヴァンディル卿が思う中、栗色の女性がその老人の話に頷く。

老人の戯言をその女性は興味深そうに聞いている。

やけに真剣なその面持ちがヴァンディル卿をその場に留まらせる。


「おじいちゃんは、自分を無知だと知っているからめちゃくちゃ充実した毎日送ってるの?」


女性は続けて老人に問いかける。


「あぁ、そうだ。私は無知である事を知っている愚か者だ。知らない者とは一味違う。何事にも疑問を持つことが大事だ。固定観念や今を深く考えない事は人をさらに愚かにする。いや、醜くする。せっかく考える頭を神は下さったのだ。考える事を諦めてはならん」

「ほうほう」

「諦める事は何よりも馬鹿げた事だ」

「ネバーギブアップですね」

「その通り。諦めては何事もなせん。たとえ成すことができなくても人は生きなくてはならない。生きることが義務だ。寿命が来たのでないならば、生きるべきだ。生きて考え続ける。それが神が我々に与え続ける試練なのだ」

「美味しいものも死んだら食べれないもんね。永遠の眠りについちゃったら、その眠りが気持ちいいかもわかんないし」

「…」


ラドの妹の返答に老人は顔を歪ませた。

意味が分からないと言いたげなその表情を見たラドの妹は、説明を続ける。


「だって、いい眠りかどうかって起きた時に分かるでしょ?『あぁ〜よく寝た。気持ちよかった』って。いつまでも寝てちゃその眠りが気持ちよかったかどうか判別できないじゃない。永遠に悪魔に追っかけられる夢を見てたらどうするの?最悪でしょ?」


ラドの妹はさも自分の発言が当たり前の事だと言わんばかりに演説する。

その言い分は分かるような分からないようななんとも判別しづらいものだった。


「…」


老人も自分の主張したいことと食い違うそれに表情を歪める。

完全に彼の意見を彼女が自分の都合のいいように解釈しているのだ。


「お前さんは欲望に満ち溢れすぎている。そんな事ではない。無知な事を自覚し、それを追い求めた先に人間としての幸せがな…」

「え?でも、目が覚めた時、めちゃくちゃ気持ちいい朝ってありません?」

「いや、それは…」


先程まで、どれだけ鬱陶しがられてもしつこく説教していた老人とは思えない。

彼女のあまりにも純粋で真っ直ぐな視線を向けるものだから、老人は狼狽えて何を言おうか口籠る。


「おじいちゃん。学者さんはもしかして寝れないの?」


どうやら、この老人は学者を名乗って説教をしていたようだ。

最近はキル帝国で生まれた哲学なるものが流行っている。

ヴァンディル卿はなるほどなと状況を理解した。


「寝れないとか大変だよ。無知だぁ〜無知だぁ〜とか考えすぎて寝れないとか?私も、半分残していた果物がネズミに食べられたりしてないかなって気になって寝れないとかあるもん。あんまり悩みすぎるのも体に悪いかもだよ!?」


老人はやっと立ち止まった人間に意気揚々と話していたものの、逆に食いつかれている。

ラドの妹は大真面目に老人の心配を始めていた。

ーーラド…

ヴァンディル卿は自分の知人とその妹がそっくりであると認識する。

だが、ラドとは違う彼女の独特の何かを感じる。

過酷さを全く知らない穏やかな声に思わず笑みが溢れそうだった。


「いや、そうではない!ワシが言いたのはそうではなくてなーー」


老人は自分のターンに戻そうと口を出すが、ラドの妹は話を盛大にずらす。


「あ、逆か!体が悪いから、寝れないのか!」


これが本気だからどうしようもない。

本来老人がしたい話からは程遠いものになっていく。

ラドよりも勢いのある声で、心底心配そうに彼女は言葉をかけていた。

その真っ直ぐさが、裏表のない純粋さを感じさせる。


「くくっ…」


どこまでも噛み合わない2人の会話にヴァンディル卿は遂に思わず声を上げて笑った。

その声も周りに聞こえるか聞こえないかの声だったが、その声に反応した者がいた。


「あ、そこの人!助けてください!おじいちゃんをお医者様のところに連れて行かなきゃ!」


ラドの妹は側にいたヴァンディル卿に声をかける。

まさかそんな声をかけられるだなんて思っても見なかったヴァンディル卿はサッとフードを深くして顔を隠す。


「私、王都初めての人間なので、場所がわからないのです!今日も泊まっている場所から真っ直ぐ歩いて来ただけなんです!」


知らぬ場所でよく道端に座って見知らぬ老人とあんなに盛り上がるものだ。

だが、彼女の顔は必死そのものだった。

状況を知っているだけにヴァンディル卿はこのまま素通りすることもできず、ただ固まってしまった。

ーー私が向こうへ行ってもいいのだろうか…

ポツリと不安が生まれた。

陽だまりの様な人はきっと自分の醜さを知らないのだろうとヴァンディル卿は思った。

その醜さを隠して近づくのは卑怯なのではとさえ感じる。


「そこの殿方!聞いてます!?」


必死さを全面に出しながら彼女はヴァンディル卿に声をかける。

騒がしさに人が集まり始めたが、彼女は彼だけを見つめていた。

まるで彼女を助けるのは自分しかいないような変な錯覚にヴァンディル卿は陥る。

ーーやめてくれ…

純粋な目を向けられる居心地の悪さが先に出る。


「…」


自分が関わることに何か後ろめたさを感じ、ヴァンディル卿は彼女から視線を逸らす。

だが、それを彼女が許すこともなかった。


「ちょっと!担いで!おじいちゃんを担いでください!あなたぐらいの体格ならおじいちゃんも安心します」


完全に見た目だけの判断で彼女はヴァンディル卿の腕を掴んで引っ張った。


「!?」


ヴァンディル卿は躊躇いもなく自分に触れる彼女に驚き、そのまま引っ張られ、あの老人の目の前に立たされる。


「お、おい…わしは…」


老人は自分の話などお構いなしに暴走を続ける彼女に困惑していた。

しかも、ヴァンディル卿に助けを求める様な表情を向けてきた。

ーー私にどうしろと…

視線を外そうとするが、先にラドの妹の暴走が先走る。


「おじいちゃん!後ろ向きな事を考えちゃダメだよ!体が悪い時は前向きに考えないと!無理にでも笑う方がいい!暗い顔はダメ!さっきみたいに後ろ向きな考えばかりしてるのは良くないです!無知でも頑張ろうって、無知でも楽しいって思わないと!」


持論を展開し続ける彼女にもう誰も追いつけない。

老人は完全に自分の考えを押し曲げられ、ぽけっとしてしまっている。

集まりつつあった人々もだんだんと状況を理解し始めたようで、苦笑いを浮かべたり、大いに笑い出す人が現れる。


「確かにあの爺さんは説教ばかりだ」

「説教は体に毒だわな」

「もっと前向きでいなくちゃね」


くすくすと笑い声と共にそんな声が聞こえてくる。

中にはヴァンディル卿に気の毒そうな表情を浮かべるものもいた。

ヴァンディル卿にしてみれば見ていないで助けてほしいと思う。

が、ぎゅっと女性に掴み続けられている自分の腕を見るとそれも違う気がした。

ヴァンディル卿をただの人の様に、警戒心もなく掴む彼女をなんとなく見つめていた。

ーーこのまま溶け込めそうだ…

このままただの人間として溶け込める。

この女性は自分が誰か知らないからこんなことができるのだと分かっていながら、くすぐったい何かがもぞもぞと動いている様に感じる。


「…彼は病気ではない」


必死そうな女性にそういうのがヴァンディル卿には精一杯だった。

彼女は穏やかそうな水色の目をまん丸に丸めて叫ぶ。


「へ!お医者様ですか!?そんな怪しい格好していて!?」


彼女の発言にまわりはドッと湧いた。

ヴァンディル卿も怪しいと思いながらも自分を巻き込んだのかとギョッとする。


「もしかして!闇医者さん!?誰かに追われてたり!?」


放っておくと彼女は思考がとんでもない方向に脱線し、突き進み続ける。

その思考はどこから来るのだとヴァンディル卿は問いかけたかった。


「そりゃ、大変だな!」

「無知だ道徳だを語る老人が闇医者に助けられた!」

「傑作だな」


ガヤガヤとまわりは騒がしい。

ヴァンディル卿はため息まじりに口を開く。


「残念だが、医者でも、誰かに追われているわけでもない」

「あれ、そうなのですか?」


ヴァンディル卿の言葉にキョトンとして女性は言った。

怪しい人間の言葉をそのまま捉えてしまうのはなんとも素直というか、純粋すぎるというか…

ヴァンディル卿はこのままこの場を逃げ去るわけにもいかないと思えてきた。

彼女のことが些か心配になってきたのだ。

あの老人の話をまともに聞いているあたりで彼女は危なっかしい人間であるとヴァンディル卿は判断した。


「別に彼も体が悪いわけではないのだろ?」


ヴァンディル卿は助け舟のつもりで老人に声をかける。

困った様子の老人はぶんぶんと勢いよく頷いて反応する。


「わ…わしは、体はどこも悪くない!」

「え、でも、寝れないって」

「わ、わしは、お前達の無知を自覚させようと話していただけだっ!眠れないどうこうは関係ない!この国の将来を考えて、言っているのだ!」


人が集まりたまらなくなったのか、老人は叫ぶ様に一気に言った。


「…へっ、結局それかよ」

「そんなことばかり言ってるから相手にされないのよ」

「面白くないやつだなぁ〜」


その反応に周りは一気に興が冷めたようで、口々に冷たい言葉を発する。

老人の行動は確かに理解し難いものだが、それを簡単に突き放すのは当然のこととは思えない。

いきなり浴びせられる冷たい態度に老人は、少し萎縮したようだが、それでも口は達者で言葉を続ける。


「お前達がそうだからだ!何も変わらぬのだ!この国が潤わぬのも、そうやってだらだらと生きているからだ!」


その叫びはこの状況ではなんの意味も持たない。

いや、反発を買うばかりだ。


「それがなんだ!」

「生活の足しになるの?」

「お勉強なんかする暇がないんだよ!」


だが、ヴァンディル卿はその老人の言葉に少しだけ納得するものがあった。

何度も繰り返される遠征は、毎回同じようなものでそれで何かが変わった様には彼には思えなかった。

同じことを繰り返し、一時的に国を活気だたせ、また次も同じ様に遠征をする。

時々、この苦しみに出口はあるのかと不安に駆られる。


「…」


ヴァンディル卿は言葉が出なかった。

老人の言葉も、それを冷たくあしらう彼らの気持ちも分かるからだ。

できれば何も考えず楽に生きていきたい。

そう思うのは自然な話だ。

ーーこれが現実か…

ヴァンディル卿はそう納得した。

何かが変わるなんて奇跡のようなものだ。

誰かの努力も一瞬で、他人には関係のないことだ。

人は結局、自分の暮らしにしか目がいかないのだ。

分かっていたが、ヴァンディル卿にはそれが深く刺さる様だった。

やはり自分はここに溶け込めない。

そう感じざるをえなかった。

腹の底がなんとなく冷たく、凍っているのをヴァンディル卿が感じた瞬間、ずっと彼の腕を握っていた女性の手に力が入った。


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