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「オリビアーーー!!」
イズは皆のいる場所に駆け込むと目的の人物を探し叫んだ。
「オリビア!ごめんなさい!!」
イズはオリビアに向かって勢いよく頭を下げ、そして最大の謝罪をした。
穏やかな空気の中でいきなり響くイズの大声に会場が静まり返る。
「なっ…なんの事…」
オリビアは引きつった表情で狼狽る。
「そして、お集まりの皆様にも心から謝罪いたします!」
イズは顔を周りに向けて言った。
「このイズ・エプリ、身分不相応ながら、ヴァンディル伯爵との縁談を引き受けてしまいました!」
なんの謝罪をしているのやら。
ほとんどの人間は呆気にとられていた。
「なっ…イズ!何をしているの!」
最初に動き出したのは、エプリ夫人だった。
またイズが勢いで何かを始めたのかと顔が青くなっている。
「まぁまぁ」
エプリ伯爵はそんな彼女を落ち着かせる。
「誠に申し訳ありません。多くの方がヴァンディル伯爵に思いを寄せているとは思いますが
なんならこのまま流されちゃう。いや、バンバンに受ける気満載でございます!」
謎のイズの演説が始まった。
聞いている人達にしてみれば何を言っているのかと疑問ばかりだ。
「縁談なのだから結婚するだろ」と、イズが当然のことを口にしているしか感じられない。
ガッシャン
だが、その反応と一人違う人がいた。
大きな音を立ててものが盛大に落ちた。
全員がその音に反応して振り返れば、そこにはイズを追いかけてきたヴァンディル卿がいた。
少しふらついたのか、足元には引っ張られた後のテーブルクロスと、食器類があった。
「…う、受ける」
ばっちりイズの発言を聞いた様で、真っ赤な顔で片手を覆っていた。
「本当に…受けてくれるのか?」
ヴァンディル卿はイズに近づいて尋ねた。
イズはそれに力強く頷く。
「はい」
その返事を聞いた途端、彼の顔は先程よりもさらに赤みを帯びて、幾分か嬉しそうに表情を和らげた。
その場にいた誰もが、それが本当にあの堅物のヴァンディル卿なのかと疑った。
彼の幸せそうな、それを噛み締めているかの様な表情に男女問わず心を奪われそうになったに違いない。
「でも、私は多くの方から祝福されたいです。その為に、きちんと謝罪しないと」
イズははっきりと言って、もう一度オリビアの方に目を向ける。
「オリビアが、私に打ち明けてくれたか私もきちんと話すね。多分、私、ヴァンディル卿のことが好きだ」
「…」
オリビアはイズの言葉に表情を歪めた。
悔しそうな、どこか寂しそうな表情だった。
因みにヴァンディル卿は顔を完全に両手で覆っている。
その覆っている手さえも真っ赤なので、周囲には彼の思いはだだ漏れだった。
「オリビアがなんだって?」
傍観者であった一人が心配そうに声をかける。
2人の間で何があったのか誰も理解していない様だ。
その言葉にオリビアは一瞬、顔を俯かせた。
「…なんのことよ」
オリビアは歪んだ表情のままイズに問いかける。
今度はイズがその言葉に詰まった。
「そ、それは…」
ーーあれ、これってここで言ってもいい事なの?
イズは混乱する。
勢いのまま謝りに来てしまったが、オリビアにとっては公言したくないことだっただろうと我に帰る。
「まさか、私が嘘をついたって言いたいの?」
「え、嘘じゃないでしょ?勘違いだし…それにオリビアは言ってないんでしょ?」
「それ、本気で言ってる?」
「え?」
「私が本当に言ったのだとして、勘違いで言ったと?それに言ってないってのも、本気で思ってる?」
そう言われたらイズも困ってしまう。
ヴァンディル卿とオリビアの意見が食い違っているのは確かだ。
それはなぜかイズには皆目見当もつかない。
だが、イズは思うのだ。
「だって、今、私に重要なのは、オリビアが話してくれた分、私もオリビアにきちんと話すことだと思う」
イズは知っている。
素直な気持ちには素直な気持ちで答えるべきだと。
もし、イズがオリビアの気持ちを知っていてヴァンディル卿との縁談を進めている卑怯者だとしたら、オリビアだってイズの家に来た縁談なのにイズに思いを打ち明けてしまった馬鹿者だ。
気持ちというのは複雑だ。
だからこそもっと素直にいないといけない。
考え込めば考え込むほどどんどん複雑になって、絡まって解けなくなるのだ。
「だから、ごめん。今更ながら卑怯だけど、ヴァンディル卿の事、めちゃんこ好きになりそうだ」
イズはオリビアをまっすぐ見つめて言った。
「っ…」
その真っ直ぐな瞳を向けられたオリビアは歪めていた表情を一瞬、固まらせた。
いくになく真剣なイズにその場は静まり返る。
何気に察していたものもいれば、なんのことか分からずにただ見ていた者もいただろう。
だが、その場にはイズの真剣さを無駄にする人はいなかった。
「誠…なのか?」
静まりかえった空間で最初に声を出したのはヴァンディル卿だった。
「私で…いいのか?」
緊張しているのか険しい表情だが、何かを期待している様に目は輝いていた。
イズはその表情させも可愛く思えた。
「はい」
イズは先程よりも明るい声で言った。
「そうか…そうか」
ヴァンディル卿は驚いた表情を浮かべ、ゆっくりと呟く。
「私でいいのか」
最後に彼は噛み締める様に呟くと、顔をあげた。
真っ赤な顔のヴァンディル卿は、はにかんで甘い物でも食べているかのようなとろけそうな表情を見せる。
「「「まぁ!」」」
「「「おぉ…」」」
その場にいた全ての人がそのヴァンディル卿の表情にうっとりとする。
まさしく絵本に出てくる王子の様に、美しく魅力的な表情だった。
その美しさに息を呑むものや、立ちくらみをしそうな人間も数人いた。
「…」
ただ一人、オリビアはそれを悔しそうに眺めていた。
ーー全然違うじゃない…
オリビアはギュッとスカートを握りしめる。
ーーあんな表情…
幸せムードの甘くとろけそうなその空気が、オリビアには酷く苦いものに感じる。
それと同時にイズの呑気な表情を見て、脱力してしまう。
ーーやっぱり…私には無理
オリビアはスカートを握っていた手を離して、パッと両手をあげた。
「イズ、なんのことか分からないけど、おめでとう」
オリビアは降参ポーズでイズに言った。
「私、貴方に何か言ったかも覚えてないけどね。だから、貴方も忘れた方がいいわ」
彼女はにっこりと笑った。
隙のない笑顔だった。
彼女なりの最後の意地なのかもしれない。
「おめでとう」
彼女はその言葉をもう一度言うと、グッと口を閉ざし体を翻した。
もうここには用がないと言わんばかりだった。
「オリビア…どうしたの?」
「なんでもないわただの勘違いよ」
そんな会話が聞こえてくる。
ーーありがとう
イズはその背中をただ見つめた。
かける言葉が見つからなかった。
少しだけ重い気持ちが底に溜まる。
「イズ嬢」
なんともいけない気分で見送っていたイズは、いきなり名前を呼ばれて飛び跳ねる。
「は、ひゃい」
変な返事が飛び出す。
周りはそんなイズに苦笑していた。
イズの名を呼んだ、ヴァンディル卿はどこまでもとろけそうな甘い目をしていた。
ーーうわぁ…こりゃたまらん
そう思いつつ、ある事に気づく。
ーーてっ…名前…
ぼんやりと考えていると、イズに近づいたヴァンディル卿がイズの手を握って持ち上げる。
「…よろしく頼む」
流石にプロポーズの言葉を言うほど彼は小洒落た人間ではなかった。
だが、嬉しさが爆発している様で、短く硬い言葉とともにイズの手の甲へは彼の唇が落とされた。
「にゃっ!?」
人生初めての経験でイズは爆発した。
相手が麗しすぎるヴァンディル卿、いや、大好きになりかけている彼だったからかもしれない。
恥ずかしさと嬉しさでイズはパクパクとしていた。
そんなイズをどこまでも優しい目でヴァンディル卿は見つめ続ける。
「おし!今日は祝杯だ!」
「やったな、イズ!」
「おめでとう!」
「お幸せに!!」
そんな二人を他の者はあたたかい言葉を投げかける。
新しい盛り上がりを見せながら、その日は酔い潰れるまで多くの人間がイズ達を祝福したのだった。
◇◇◇◇◇
「ーーってな感じよ」
イズは少し照れながらも話しきった達成感でソファに寝転げた。
「あの後、お母様にはお怒られしたな。『勢いで行動してはいけません!』って」
イズは寝転びながら呑気に笑う。
「幸い、スノちゃんはフィンを寝かしつけているところだったからあの場を知らないの。だから雷一つで収まった」
イズはスノトーラに怒られる事を想像してクスリと笑う。
「だから、スノちゃんにとってはいきなり私と旦那様が結婚って見えたのかもね。私が流されたのとか想像して、かなり心配かけちゃったみたい」
「…誰も説明しなかったのも奇跡に感じます」
呑気なイズにリフィは苦笑いを浮かべる。
そして首を傾げた。
「結局、そのオリビア様は何がしたかったのでしょうか?嘘ついているのは絶対オリビア様ですけどね」
リフィの断言にイズは目を丸める。
「すごいね。すぐ分かっちゃうだなんて」
「普通はわかりますよ…」
「これは後から分かった事なんだけどね、オリビアは私とヴァンディル卿をすれ違わさせるつもりだったんだって。2人で悶々と考えてすれ違えばいいって。でも思いの外、ヴァンディル卿が素直に言っちゃう系の人だったからかなりの誤算だったみたい」
イズは微笑ましそうに語る。
そんな彼だからイズも惹かれたのだ。
◇◇◇◇◇
あの後、オリビアは運命の相手を見つけて無事に結婚した。
あの日から数ヶ月後の事だった。
彼女は一度だけ、ヴァンディル領に来た事がある。
結婚した彼女は前よりもさらに穏やかな表情を浮かべ、体も幾分かふっくらとしていた。
「あの時はごめんなさい」
オリビアはイズに頭を下げた。
「密かに彼の事を思っていたし、その相手が貴方だって言うから、どうしても納得できなくて」
「そうだよね。なんの取り柄もない私が縁談相手に選ばれるだなんてね」
イズは笑いながら答えたが、オリビアは首を横にふった。
「違うのよ。貴方がずっと羨ましかったの…。私たちの親類って結構陽気で穏やかな性格の人間が多いじゃない。貴族社会の中では地位が低いのにそれでも明るくて…」
イズはオリビアの言っていることは理解できる。
大抵の事は笑って吹き飛ばす、それがエプリ一族だ。
「私ね。それが嫌だったの」
オリビア複雑な表情を浮かべた。
「結局、何も解決できていないじゃない。力もなく、地位もない、利点といえば人がいいだけ。それだと、結局舐められる。私ね。いい顔することだけ覚えてきた。いい顔していれば害はないから」
確かに彼女はずっと笑っていた。
笑顔だったが、それが彼女の唯一の武器だったのかもしれない。
「でも、イズにはそんなの必要なかった。貴方は貴方のままでいるだけで、全部受け入れられるじゃない。みんなが貴方に注目して・・いつの間にかその中心にいて…。私は無理に笑ってないと輪に入れないのに、イズはそのままなのに、なのに、全部持ってるだなんて…ずるい」
オリビアはあの時と同じ様に表情を歪ませた。
イズは自分と会話するたびにオリビアが表情を少し暗くしていたのを思い出すのだった。
◇◇◇◇◇
「みんな知らないところでいろんな事を思って考えて、一生懸命生きてたんだよ」
イズはあっけらかんと言い放った。
リフィはその言葉に頷きながらも、納得いかない表情を浮かべた。
「待ってください。確かに奥様が旦那様に惹かれたのは分かります。旦那様もその奥様を好きなんだなってわかるのですが…大体、縁談が来たのはなぜですか?」
リフィは聞きたかった本題がいまいち見えていない。
「あぁ…そうだっけ?確かに。ラド兄様のおかげってなんだろうね」
イズはソファに寝転びながらまたしても呑気に笑うのだった。




