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ヴィナディスの訪問の後、イズはのんびりとした時間を過ごしていた。
特に何かをする事もなく伸び伸びと過ごしている。
ヴァンディル卿は王都での仕事がまたできた様で、忙しくしているがイズがいると帰りが早い。
「奥様…お願いですから、旦那様をどうにかして下さい」
オセルがげっそりした表情でそんな事を言った。
「旦那様の元で働いている方々からの苦情が…早く帰ろうとして毎日毎日…ありえない速度で業務をこなすので…皆、困っていて……」
どうやらヴァンディル卿は愛の力とやらで超人離れしているらしい。
ヴァンディル卿への苦情が何故オセルを通してやってくるかは謎だが、イズ効果が必ずしもいいとは限らないのだ。
「旦那様もかわいい面があるよね」
イズはその事を思い出し笑う。
隣で給仕をしていたリフィも苦笑いした。
「旦那様がデレてるなんて想像をできませんでしたけど、見てしまったら忘れません」
「でしょ?あの笑顔は沢山の人を虜にしちゃうの」
イズも自分の旦那が褒められて嬉しいのか、ルンルン気分で語る。
「みんなに好かれる旦那様は嬉しい!」
そう言いながら大好きな焼き菓子を口に頬張る。
香ばしい匂いと甘さが口の中に広がりイズは幸せそうな表情を浮かべた。
「あの、奥様」
リフィはそんなイズを眺めながら前々からの疑問を口にする。
「奥様と旦那様はその、政略…?結婚だったのですよね?」
政略結婚はお互いの利益があってのことだが、この結婚でヴァンディル卿が金銭的な利益を得れていない。
イズの方にはウハウハなことばかりなのは間違いない。
それにイズとヴァンディル卿が結婚前に交際していたという話も聞いたこともない。
この結婚をどう表現するべきなのかリフィはよく分からないでいた。
「うん?うん。多分そうだと思う」
イズは頷いたものの自分でもよく分かっていない様だ。
「多分、なのですか?」
「うん。多分。でも政略って言うほどじゃないと思う」
イズは考えながら話す。
「私もさ話が来た時は、結婚が面倒で適当な人間を探してたのかなって思ってたんだよね」
イズはぼんやりと言った。
リフィはそれに頷いた。
彼女も正直そう思っていた。
「あんまり裕福な貴族じゃないからいざとなればお金や権力で黙らせようとかさ。だってあの天下のヴァンディル卿だよ?」
イズがリフィに言うと、リフィは苦笑いを浮かべる。
何とも返しようのない話だ。
「そう、思ってたんだけどねぇ〜…」
イズは背もたれに体を埋めながら天を見つめる。
彼女の表情はどこか懐かしそうだ。
ーーなんて言えばいいのかな
イズはのんびりと3年前の事を思い出していた。
◇◇◇◇◇
「イズ!縁談だ!!」
イズの父親であるエプリ伯爵が手紙の様なものを振りながらやってくる。
「何ですって!?」
一番に反応したのはイズの母であるエプリ伯爵夫人だ。
顔を真っ青にして立ち上がる。
「スノトーラ!どうしましょう…遂に来てしまったわ!」
エプリ伯爵夫人は慌ててスノトーラに声をかける。
スノトーラは刺繍していた手を止めて顔を上げる。
「お母様、問題は誰から来たかです」
「でも縁談よ!?イズをお嫁に出してもいいのかしら!?一番上のお兄ちゃんはイズを一生面倒見る覚悟はあるって言ってるぐらいなのに…」
「結婚するかどうかは縁談が来る来ないとは別の話です」
そんな会話をエプリ伯爵夫人とスノトーラは繰り広げた。
ーー私って結婚できないと思われてたのか!?
イズは彼らの会話に衝撃を受ける。
改めて結婚がどうのと考えた事はないイズだったが、家族の反応を見て固まった。
本人に結婚の意思が薄いなどとよく聞く話だが、イズの場合その家族に意思がなかったのだ。
ーー全然言われないとは思ってたけど!
そろそろ年齢的にも婚期のど真ん中を過ぎようとしている時期だった。
親交のある令嬢に比べて自分はずいぶん毎日のんびりとしていると思っていたが、まさか誰も縁談を進めようとしていなかったとはイズの想定外の事だった。
「それで…お相手は?」
イズを置いて彼らは会話を続ける。
「それが…」
エプリ伯爵は手を震わせて、封筒の紋章をイズたちに見せる。
「ヴァ…ヴァンディル伯爵家だ…」
緊張した面持ちでエプリ伯爵は言った。
「嘘よ…」
その瞬間、エプリ伯爵夫人はめまいがしたのか天を仰いで、手で顔を覆った。
スノトーラは驚きで固まってしまっていた。
「え、あのヴァンディル伯爵?国家の剣の?」
イズは現実味のない話にぽかんとしていた。
何だかすごい人の名前が出てきたなぐらいにしか思っていなかったのだ。
その横でスノトーラの怪訝な顔と、気絶寸前のエプリ伯爵夫人からは不安が漂っていた。
「そうだ!あのヴァンディル卿だ!流石私の娘だ!」
が、エプリ伯爵は反対に浮き足立っていた。
彼の中では自慢の娘の一人が見初められたと言うこの上ない喜ばしい事なのだ。
「貴方!イズを人前に出していいわけないでしょ!」
「お父様、嬉しいのは分かりますが落ち着いて下さい」
すかさず二人が、呑気なエプリ伯爵を冷静にさせようと声を揃えて訴える。
「イズは人前に出して恥ずかしくないぞ?こんな穏やかな子他にはいないのだ!」
「そこですわ!貴方に似てどこまでも抜けているのですよ!」
エプリ伯爵に夫人が食ってかかる。
ーーうわぁ〜、褒められているのか貶されているのか…
ほぼほぼ貶されているなと思いながらイズはあくまでも傍観者の立場でその光景を見ていた。
そして、その言い合いにスノトーラも加わる。
「しかも、お母様に似て行動力と暴走力がありすぎるのです」
「えぇ…そう…って!スノトーラ!」
頷きかけたエプリ伯爵夫人はハッとして、裏切り者へ顔を勢いよく向けた。
「数年前、お父様が浮気したと勘違いして、商家に乗り込んだのを忘れましたか?」
スノトーラは相変わらず冷静に言った。
イズは記憶を思い起こす。
「あぁ、あったね!結婚25周年のお祝いをする準備の為に会っていた人だったやつ。お父様はサプライズのつもりだったから、めちゃくちゃ凹んでた」
「あれはな…まさか私の浮気を疑われるなんてな……」
エプリ伯爵はしょぼんとした表情で悲しそうに下を向く。
「あ゛ぁ!そこは思い出さないの!!出さなくていいの!」
エプリ伯爵夫人は立ち上がって話を終わらそうとする。
「兎に角、イズは性格はいいですが、嫁に行くとなると違うのよ!我が娘ながら不安でしかないわ…」
「そこまで言わなくても…、私、人間関係とかそこまで心配いらないよ。ほら嫁姑問題とか、ちょっとだけ踏ん張れる。いざとなれば何とか逃げるし」
「そこはそうなのよ…でもね、なんて言うか…この子はそこが子供すぎると言うか…何と言うか…」
エプリ伯爵夫人はまたしても頭を抱える。
「お母様も人の事言えないくせに…」
何故かイズは自分だけが問題児の様な扱いに頬を膨らます。
「それよりも、ヴァンディル伯爵家から縁談が来る事自体おかしいのでは?」
その場で誰よりも冷静なスノトーラが言った。
「それはイズの魅力だ」
エプリ伯爵は迷いなく答える。
彼はどの子供に対しても存分に親バカを発揮する。
彼にとってはどの子も自慢の子供だ。
「お姉様は社交界に出た事はほとんどありませんよ。彼と面識は?」
スノトーラはイズに問いかける。
そう言われて、イズも思い返すが全く記憶にない。
「もしかして…あれは本当なのかしら…」
顔を覆っていたエプリ伯爵夫人はゆっくりと顔を上げる。
全員が彼女に注目していた。
「彼、男色家って噂があるのよ。あれだけの功績と家柄、しかも容姿端麗なのにあの年になっても一人だなんておかしいでしょ?」
「まさかこの結婚はそれを隠すためのカモフラージュでって事ですか?」
「いざとなれば力で黙らせられて、結婚しても問題ない地位の人間といえば我がエプリ伯爵家は良いカモよ」
「確かに。お金には困ってないけど、大した資産もない。それに地位もそこまで低くないけど、権力はさほどないとなれば…」
「いや、権力なんて皆無よ!彼にとっては優良物件じゃない?」
エプリ伯爵夫人とスノトーラは二人で分析を始める。
イズはそれを聞きながらなるほどなと考える。
ーーそっか。私って優良物件なのか
そう考えると、自分はなかなかいい地位にいるのかもと思えてくる。
その中で一人しょぼくれていたのはエプリ伯爵だ。
「…我が家はそんなにいけないか?いけないのかい?私の努力が足りないかい?」
彼は悲しげにそう呟いていた。
「お父様、これは伸び代です」
イズはそんなエプリ伯爵に言葉をかける。
「伸び代か!」
「そうです。まだまだいけますよ!」
イズはそういいながら考える。
ーーヴァンディル伯爵かぁ…
雲の上の人で全くピンと来ない。
ーーま、考えても仕方ない!
知らない人間のことをモンモンと考えた所で結論が出るわけがない。
「うん。折角だから会ってみようか」
ヤイヤイと言い合いをしていた周りがピタリと止まる。
「…本気なの?」
「考えていても分からないじゃない。それに断るのも失礼よ」
「いえ、大き過ぎる話だと断る方が賢明です」
「うーん、でも端から断る方が偉そうで失礼じゃない?」
イズはのんびりと言う。
正直、初めての縁談に少しだけイズは興味が湧いていた。
何か面白いことがありそうな冒険の気分だった。
「大丈夫。何とかなるって!」
イズは呑気にそんな事を言ってのけた。




