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「はぁ〜〜〜〜…」
扉を閉めるとヴァンディル卿は盛大にため息を吐いた。
扉に手を付いて俯いている。
「旦那様?」
イズが疲れた様な彼の顔を覗き込むと、彼と目が合った瞬間に真っ正面から抱きしめられた。
「はぁーー…」
今度は先程よりも落ち着いたため息を吐く。
イズはされるがままで抱きしめられていた。
「旦那様?」
イズはヴァンディル卿の胸の中に埋まったまま問いかける。
「…」
返事はない。
ーーう〜ん…
イズは先程のヴァンディル卿を思い出していた。
彼だって人を傷つける事に慣れているわけではない。
いつだったか、彼は自分の手は汚れていると呟いた事があった。
◇◇◇◇◇
「いくら讃えられようとも、結局は人殺しだ」
目の下に深い影を落としながらヴァンディル卿は呟いた。
「遠征の事を思い出す度に…っ……」
彼は声を詰まらせた。
片手で顔を覆ってしまっていて表情はよく見えなかったが、食いしばる口元だけがイズの目に止まる。
「っ……君と結婚してからより恐くなってしまった…」
声を出しているのに何かを飲み込む様にヴァンディル卿は言葉を重ねる。
「……私は弱い」
そう呟くヴァンディル卿の背中はとてつもなく小さく、消えそうだった。
それは彼の同期の人間が遠征で亡くなっと報告があった時のことだった。
血が流れる事が当たり前のこの世界で心を保つには優しさと真面目さでは耐えきれない面もある。
「…」
その辛さを知らないイズは彼にかける言葉を知らなかった。
知らない世界をどう励ませばいいのか。
正義や悪で片づけられない事はどこまでも人を苦しめる。
◇◇◇◇◇
「…ありがとうございました」
あの時慰める言葉を見つけられなかったイズはヴァンディル卿の胸の中で呟いた。
イズはスノトーラと縁を切る決意をした事を想像すれば彼の胸の痛さがわかる。
だがそれと同時に自分を思ってのヴァンディル卿の言葉に嬉しさがこみ上げる。
自分を尊重してくれる。
自分に誠実であろうとしてくれる彼がとてつもなく嬉しい。
そんなイズをヴァンディル卿はより強く抱きしめる。
「…これで君を嫌な気分にさせなくて済んだか?」
ヴァンディル卿は力なく呟く。
ーー本当、生真面目な人…
そんなことも可愛く思える自分は重症かもしれないとイズはヴァンディル卿に見えない様に胸に向かって微笑む。
「君があいつを傷つけたのではない。私がした」
続けたヴァンディル卿の言葉にイズは納得した。
イズがヴィナディスに言った言葉を覚えていた様だ。
「旦那様、私はそこまで弱くありませんよ?」
「知っている。君は強い人だ」
相変わらず彼は吐息まじりに言う。
まだ早朝だと言うのにお疲れ気味なのかもしれない。
「だったら、そんな事言わないで下さい」
イズはムッとした顔をヴァンディル卿に向けた。
さっきから見上げてばかりでイズの首は痛くなりそうだ。
「強い私なんですから、簡単に一人で責任取ろうなんてずるいです」
イズは思いっきり頬を膨らます。
ーーいつもそう…
国の為に行動するのは自分だけなのか。
多くの仲間がいて彼は責任を一人で抱え込む必要などないのだ。
それにイズはただの仲間ではなく妻なのだ。
四年目を目前にして簡単に一人で背負い込もうとするヴァンディル卿にイズは不服を表す。
「くくっ…ずるいと来たか…」
ヴァンディル卿はイズの言葉を噛みしめるように白い歯を見せて笑いを零す。
上から降りかかってくる笑い声にイズはまだ不満げな表情を浮かべる。
「笑い事ではないです」
「分かっている。すまなかった」
ヴァンディル卿は笑い終わると、今度は体を少し屈めてイズを抱きしめた。
先程の力強い抱擁と違って、優しく柔らかいものだった。
「…辛かったですか?」
イズは横にあるヴァンディル卿の耳に囁く。
「辛い……と言うよりは、少し寂しい」
「…」
そうだよなとイズは思い黙り込む。
ヴァンディル卿をそんな気分にさせたのは自分がきたせいでもある。
でもこればっかりは謝る事も出来ない。
どう考えてもイズには後悔がないのだ。
「本当は我が家との関わりをなくすべきだったとは思う」
ヴァンディル卿はイズの首元におでこをつけた。
大きな彼がイズと同じぐらいになった様だ。
胸の奥がキュッとなる。
「…」
「だが、彼女の父の遺品の件がある。彼女はまだ精神的に幼い。母上の力が必要なのだ」
それもそうだ。
それを理解できない程、イズも子供ではない。
「すまない」
それで十分だ。
「父たちに今回の事は報告する。私はティッタとも関わりを持たない」
彼は常に誠実にいてくれようとする。
だから『想い人』がいても信じられなかった。
ヴァンディル卿が思ってくれた分、イズも思いをヴァンディル卿に返すべきだ。
「分かりました。でも、報告には私も同行させてください」
イズは肩にあるヴァンディル卿の頭を抱きしめる様に包み込んだ。
「旦那様は私のものなのですからね」
明るいいつものイズの声だ。
「どこまでも付いて行きます。1人で背負い込むのはなしです」
ヴァンディル卿が顔を向けるとそこには柔らかく晴れた笑顔が隣にあった。
彼は目を細めてその笑顔を見つめた。




