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ーーあ、何だろうこれ…
イズは力を弱めたヴァンディルを感じるとぼんやりとしていた。
ーーこの感じ…いや
イズの知らない何かがこみ上げてくる。
もしこれが小説の一シーンならそれを受けれて想い人を陰で支え続ける悲恋で終わるのかもしれない。
いや、もしかしたらこれが物語の始まりで、ここから新たなヒーローが現れる、もしくはヴァンディル卿が同情してーー
ーーやだ…
そこまで考えてイズはそう考えるのさえ馬鹿げている様に思い始めた。
そして感じたことのない黒く気持ち悪い感情がこみ上げる。
こんなの初めてだ。
嫉妬という感情なのだろうか、もやもやとしたものは増殖していく様で腹からこみ上げてくる。
「…」
何かに躊躇っている様でヴァンディル卿はまだ何も言わない。
ーー受け入れるの?
イズだってスノトーラに懇願されたら断る自信がない。
先程よりも距離のある体がイズの不安を掻き立てる。
ーーどうしよう…
初めて困惑した。
どうにかなると楽観的なイズだが今ははっきりと受け入れて欲しくないと思ってしまう。
そんな自分が傲慢で欲張りな人間の様で惨めにさえ思えて来た。
誰かが幸せになれば誰かが不幸になってしまう。
人の気持ちはどうしようもないが、自分の存在が他者を不幸にしているという事実は心に後ろめたさの影を落とす。
「ばーか、何生まれたての子猿に嫉妬してんだよ」
拗ねている末っ子の頭をラドがゴツンと叩いた。
「痛い…」
末っ子はさらにむくれた。
「みんな僕のものなのに……」
鼻を真っ赤にした末っ子は頭を抱えたまま俯いた。
小さい子でも色々と感じるのだなとイズは感心して見つめていた。
「ほれ、見ろ」
俯いた末っ子の顔をがっしりと掴んだラドは無理やり、兄夫婦のいる方へ顔を向けさせた。
幸せそうに2人は生まれたての赤子をあやしていた。
ほのかに甘い幸せの香りがする。
見ているだけでイズもとろけそうな笑顔になる。
「兄貴も笑ってるだろ?お前は嬉しくないのか?」
「僕に笑ってるんじゃないもん…みんなの一番は僕なのに…」
「あーあー、面倒なやつだな」
ラドは鼻をほじりながら大声を出す。
「ラド兄様、お行儀悪いです」
その場にいたスノトーラがラドを注意した。
そして末っ子に顔を向けた。
「いいですか?大切な人に一番や二番なんてありません。全員が大切で支え合うことで成り立つのです。」
「スノ姉様のお話は分かんない」
幼い子にもきっちりと説明していたスノトーラは末っ子の一言で固まる。
イズはそれが面白くて思わず笑ってしまう。
ーー確かに大切な人に順番なんてないけどね
ものでも人でも失えば結局悲しみに襲われる。
悲しみだって順位は付けられない。
悲しみは悲しみでしかないのだ。
だったら、大切なものは大切なだけ。
そこに責任が重なってくるから複雑になっているだけだ。
だが、それを理解するには少し時間がかかる。
末っ子は何かに耐える様にまた顔を俯かせる。
気持ちがわかる分、イズには何と答えるべきか迷っていた。
「だからお前はバカなんだよ。ばーーーか」
ラドは末っ子にそう言うと、頬をつねって伸ばす。
イズ譲りのもちもちの肌はよく伸びる。
「好きな食べ物が食いきれないほどズラッと並んでいたらどうする?」
「?」
「全部食べれないんだよ。どれも同じぐらい好きな食べ物ででも全部は食べれないんだよ」
「食べれる分だけ食べます」
「だろ?」
カラッとした笑顔をラドは末っ子に向ける。
「チビは難しいことなんて考えずに、与えられた物を有り難くもらっときゃいいんだよ」
そう言うとラドはやっと末っ子のほっぺから手を離した。
真っ白な愛らしい頬は少し赤くなっている。
「お前が楽しけりゃみんな楽しんだ。それは絶対に変わらないって。んで、いつか余裕ができたら難しい事を考えてみろよ。ま、お前より年上の俺もイズもそんな事考えたことないけどな」
ーー確かに
イズは思わず頷いた。
そんな事をわざわざ考えた事なんてない。
いつの間にかそれを受け入れていた。
いつの間にかだんだんと複雑な心情は消化される様に心の中に吸収された。
「「…?」」
末っ子だけでなくスノトーラにも理解できなかった様だ。
「物事を深く考えないのはお兄様とお姉様の欠点です」
スノトーラはずばりと言ってしまう。
「そりゃそうだ!ま、あんま考えずお前はまだまだ甘えて叱られていればいいんだよ!いっぱい泣いて、いやいや病も発症して、嫉妬っして悶々するより爆発しちまえ!悩んで考え込むなんて100万年早いんだよ!」
そう言ってラドは末っ子を抱き抱えてわしゃわしゃと子犬でも可愛がる様に撫ではじめた。
末っ子はまだ涙が残っている目で思いっきり笑い晴れやかな笑顔を見せていた。
それを見ていたスノトーラは呆れ顔だった。
ーー…いいのかな
イズはすっかり大人になった自分がいやいや病を発症してもいいのかと口をギュッと詰むんだ。
今の自分を見たらラドは何と言うのだろうか。
自分に頑張れと言った兄を思い出す。
ーーま、私が考え込むとか妥協とか100万年早いよね
もう自分はこの家の家族なのだ。
イズはそう思い顔を上げた。
イズの映っていない潤んだ瞳のティッタを見てイズは後ろめたさを振り払うのだった。




