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ーーん?
イズは笑顔のまま首にさらに角度をつけた。
この状況でこの娘は何を言っちゃってるの?と言いたげな表情だ。
ティッタは訴える様にヴァンディル卿を見つめ続ける。
ーーんー…
ティッタの熱を帯びた視線の間にいるイズは空気になった様だった。
イズは自分の背中でカチンコチンのヴァンディル卿が感じられる。
ーー旦那様!
イズは固まってしまった笑顔のまま彼が動く事を願った。
空気扱いが何を言おうと意味がないのはイズも分かっている。
ヴァンディル卿はギュッとイズの肩に手を置いて口を開いた。
「…昨日も言ったが、妹以上の感情はない」
ーー今日ははっきり言えましたね
イズはほっとしながらヴァンディル卿を見上げた。
その視線に彼も気付いている様で、ギュッとイズの肩を握る。
ーー私を盾にしてなければ…
頼もしい言葉が頼もしくない。
だが、その行動さえもイズをむず痒くさせる。
ーー旦那様って女子供以外相手だと結構弱いのよね…
イズは微笑みながらヴァンディル卿の懸命な手を感じていた。
ヴァンディル卿は一言二言感情のない言葉を投げかける事は出来る。
普通ならヴァンディル卿の迫力ある容姿と合わさって身を引いてしまう。
今までそうやって危険ごとは避けて来たのだが、目の前のティッタはそれを知ってか知らずか、諦めずグイグイと来ている。
ーー妻を目の前にして言うだけ度胸があるんですものね
勇気はヒロインの重大要素だよなとイズはぼんやりと思いながら、ティッタが次はどう出るか観察していた。
「分かってる……、昨日の事でよく分かったわ…」
儚げな笑みと潤んだ瞳をヴァンディル卿に向ける。
ヴァンディル卿は何か迫られているのが恐ろしいのかでかい図体をイズに密着させ始めた。
「テュールも同じだと思って来たけど…違ったのはよく分かった……。ただ…、ただ、テュールもおば様も全員取られちゃうみたいで…」
「…母上も君を娘の様に思っている」
「分かってる…分かってる…」
ポロポロと美しい顔から涙がこぼれ落ちる。
泣き声は上げずただ悲しげに寂しそうにひっそりとなく姿は何とも胸を奥を締め付けられる様だ。
ーー私が悪者みたい…
そう思いながらも、ティッタの考えを知りイズは少しだけ申し訳ない気持ちになる。
確かにティッタから見れば自分はいきなり現れた邪魔者だ。
ティッタが大切にしていた家族という枠組みを壊したのだ。
ーー長男のお兄様が結婚した時、ちょっとだけ複雑な感じはあったよね…
一番下の弟が甥が生まれた時の一言が思い浮かぶ。
まだ小さかった彼は頬を膨らませ、目を真っ赤にしていた。
「僕がみんなの一番だったのに…お義姉様が来てお兄様が取られるし…あの赤ちゃんが出来て…僕が一番じゃなくなった…」
一番上の兄と末っ子の弟は一回り以上歳が違っていた。
更にイズやスノトーラとも歳が離れていた末っ子は家族全員に溺愛されていた。
確かに皆が彼を中心に考えていた為、彼にとって狭く最も大切な世界であった家族の変化に心が追いつかないのも無理はない。
ーーティッタも…
イズはそう思うと末っ子の弟を思い出し、何とも言えない気持ちになる。
「ただ…私はまた家族を亡くしそうで…」
ハラハラと彼女がこぼす涙は止まりそうもない。
イズはヴァンディル卿に背を向けている為、彼がどの様な表情を浮かべているか分からない。
まだ、イズにすがる様に体を密着させその力を緩める事はないが、イズは不安に思う。
ーー…確かにスノちゃんと旦那様どちらかを選べって言われたら迷う…
自分が迷う自信があるものは不安になる。
ヴァンディル卿に『想い人』がいると聞いても、イズにはあり得ない事だと思っていたから不安に思う事はなかった。
それだけ彼が誠実な人間だと自信があったからだ。
ーー旦那様は…どう思うのかしら…
初めてイズは不安に思った。
それだけ目の前で悲しそうに泣き続けるティッタには理解できる点があるのだ。
「…」
ヴァンディル卿は悩んでいるのか、ずっと黙ったままだ。
イズを挟んで行われている事だが、イズには割り込むことができない話だ。
「ごめん…分かってる…貴方の気持ちは十分分かった…本当にごめんなさい…」
そう謝る姿は健気な女性を思わせる。
「…」
「妹でしかないのよね…分かってるの…」
イズはこの体勢がもどかしく感じる。
思いっきり振り返ってヴァンディル卿の顔をみたい。
だが、この空気を壊す勇気もなかった。
ヴァンディル卿の密着している体がイズを期待させ、この沈黙が不安にさせる。
「でも……私、やっぱりここで働きたいの」
ティッタのその一言でイズは完全に固まった。
ーーえ?
イズは俯き気味だった顔を上げてはっきりとティッタを見つめる。
彼女の目は真っ直ぐヴァンディル卿に向かって、真剣さが伝わってくる。
「せめて、テュールを思わせて欲しい。邪魔はしないから…、お願い。隣に居させて?」
すがる様なその言い方にヴァンディル卿の体の力が少しだけ弱まったのをイズは感じるのだった。




