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その場にいる殆どの者達がその声に聞き覚えがあった。
バッと全員がそれに振り返る。
中でもイズの勢いは半端なかった。
「旦那様!」
イズは嬉しそうにその声の主を呼んだ。
煌く緑の瞳、白銀の艶のある髪、さらに美しい造形の顔や体をーーその高身長の美しく強面な男こそ、ヴァンディル卿だった。
イズがヴァンディルに声をかけると、彼はコクリと頷いて反応する。
「……ただいま」
感情の乗っていない様なヴァンディル卿の声だったが、返された言葉にイズは満足げだ。
イズも頷いて答える。
ーーお帰りなさい
言うべき時ではないような気がして笑顔のみを返す。
ヴァンディル卿はそれを受け取るとすぐぐったりとしているスノトーラを見つけた。
「…異能力の使いすぎだ」
ヴァンディル卿はスノトーラの様子を確認すると顔をより険しくさせる。
「異能力…?」
何故この様な状況になったのかイズには理解できない。
「…私にこの事を伝えるためにこれを」
ヴァンディル卿が胸元から輝く蝶を取り出す。
それはスノトーラのマナで形成されたものだ。
「スノちゃんが?」
イズは驚きながらヴァンディル卿に問いかける。
彼はそれにコクリと頷く。
「…先程の事は全て聞いた」
「なら、ヴァング公爵様は旦那様が?」
「あぁ…」
イズがホワホワしているうちにスノトーラが手配してくれたいた様だ。
「……私も気になって王都に引き返してたんだ…」
「え?」
「……何となく、君が気になって」
「私の為に?」
自分だってイズのことを気にしていたと主張したいかの様にヴァンディスル卿はむすっとした顔のまま頷く。
「そうでしたか」
どこかホッとした柔らかい表情をイズは浮かべる。
「…すぐに休ませるといい。命の危険はないが、医者も呼べ」
彼が自分の後ろに控えている執事のオセルに指示を出す。
オセルは「分かりました」と言うとすぐに側の使用人達を使って命令をテキパキとこなす。
その様子を見ていたヴァング公爵はイズとヴァンディル卿に向かって頭を下げた。
「この度は誠に申し訳ありませんっ…どうか、ヴァンディル卿と伯爵夫人の納得なさる形で…娘のしでかした事は私の責任でございます。どの様な処罰も受けます…。ですが、どうか私の後を継ぐ息子達には危害が及ばぬ様ご配慮していただければと思います…」
光源の如き煌びやかなヴァング公爵は、その容姿にには似合わない丁寧な言葉を重ねる。
「こんな事言う立場ではないとわかっておりますが…どうかこの子の失態が他の子に及ぶのだけは……それにこの子も私の子です。どうぞ私を罰する代わりにこの子に温情をかけていただけませんでしょうか…」
懺悔と共に彼は残された道をどうにか守ろうとしていた。
彼はどうやら公爵としてふさわしい人間なのかもしれない。
公爵という立場でありながら、ここまでヴァンディル卿に謙った言い方ができるのだ。
自分の威厳や誇りを無下にしてでも彼には守りたいものがあるのだ。
「そんなっ!お父様!何でお父様がそんな事をっ」
「黙れっ!お前は自分のしでかした事をもっと悔い改めろ!」
ヴァング公爵はまた拳骨をヴィナディスの頭に落とす。
ーーこれぞ愛の鉄拳…
イズは親の熱い思いを目の当たりにして、情がこみ上げる。
「誠に申し訳ありません……」
ヴァング公爵はもう一度謝る。
「……それを決めるのは私ではない」
ヴァンディル卿はそう言うと、イズに視線を向ける。
その目が「どうしたい?」とイズに尋ねていた。
「……」
イズは黙り込んだ。
ーーもう言いたいことは言ったし…
イズは既に気分はスッキリしていた。
ーーでも皆は振り回されて…
どうしようかとイズは考える。
ヴァング公爵もヴィナディスも緊張した面持ちだった。
「皆様に任せます」
思考を整理したイズは言った。
それが彼女の出した結論だった。
「この件で辛い思いをされたのは私ではありませんよ。ほら元気ピンピンです。それよりも、私を心配してくれた方やヴィナディス様の考えで翻弄された方、彼らが納得できる形なら何でもいいです。私に許す許さないとかはなしです」
あっけらかんとイズは言い放つ。
聖母の様なあたたかな優しさーーではなく、まるでちょっと転けたぐらい何ともないと笑っている様で、イズに感動するよりも思わず微笑みたくなる。
そんな空気で誰もヴィナディスに罰を与えてやろうと思う者はいない。
「あ…貴方って…」
ヴィナディスはイズを見ながら呆然としていた。
自分がした事は何だったのかと笑いたくなるほどだったが、それよりもヴィナディスは自分の間抜けさを痛感していた。
このまま全て丸く収まるのではないかという状況でずっと黙っていたティッタが声をあげた。
「本当に…全部、嘘なの…?」
ティッタは呆然として言った。
「ローゲ?ねぇ…本当に嘘なの!?」
ティッタがローゲに尋ねた。
すっかりと息を潜めていたローゲはぎくりとした表情で視線を彷徨わせる。
その様を見て、ティッタの表情は先程の使用人達の動揺のものとは明らかに違う。
彼女が信じていた何かが崩れる。
「嘘なの!?ねぇ!ローゲ!!」
もう一度ティッタは叫ぶが、ローゲは視線を彼女の方へ向けない。
「だって、だって、ローゲが言ってたじゃない!テュールは私の事を想ってるって!だから縁談も断ってくれてるって!」
「あっ…ちょっ、そ、それはっ」
ティッタの言葉でローゲは狼狽え始める。
そんなローゲにティッタはどうしようもない表情を浮かべて立ち上がる。
「ねぇ!テュール!嘘じゃないよね!この部屋の事も、奥様がここに来ないもの、縁談を断っていくれてるのも…全部私の為だよね!?」
イズがヴァンディル卿の隣にいるのにも構わず、ティッタはヴァンディル卿の腕に抱きついて言った。
「ね、ずっと私を守ってくれてたんだよね…?ここから出て行かない様に、奥様にいじめられない様にって…」
彼女はヴァンディス卿に問いかける。
「…」
ヴァンディル卿はそれに一切表情を変える事はない。
ティッタの手を掴んでそっと自分の腕から遠ざけた。
「そんな事実はない」
申し訳なさも怒りもない。
何の感情も乗せない声がティッタに降りかかった。




