38
「ねぇ、やっぱりさ、奥様って噂と全然違うよね?」
使用人達の中でそんな会話ばかりだ。
もう確信してしまった数人はそんな会話すらも無駄に思えている。
だが、中々3年の空白を埋めるのにそれぞれが確信を抱くには4日はあまりにも短い。
「料理長や庭師のじっちゃんはもう奥様の噂をする様だと直ぐ怒るし…」
「それにあのヴァング家のお嬢様ってさ…」
比較対象があることは彼らにとっては疑問を明確化するだけのものだった。
「だっていきなり来てさ…」
「お茶を出したらぬるいってグラスを割られたわ…」
「私も髪の結い方が気に入らないって…」
「まるで自分がこの家の奥様みたいでよ」
彼らの中には疲労感が溜まっていた。
まだ彼女が来て1日も経っていないのに、彼らには1週間が経過した様な気分だった。
「私なんて、『あの女はいないものと思いなさい。私の言う事だけ聞けばいいの』だなんて言われたよ?なんか口からこぼれた感じだったけどなんだったのかな?」
下女は不思議そうに首を傾げる。
我儘放題のヴィナディスには誰もが手を焼いていた。
来るなら付き人の一人くらい連れてくればいいのに、と思うほどだ。
「でも、奥様は全然違うよな」
一人の従僕が呟いた。
それに比べてイズが来ても、緊張はしたがそこまで苦労はなかった。
大した事ないのにわざわざ呼び出される事も、理不尽な文句を言われる事もない。
いつも必ず「ありがとう」「ご苦労様」と労いの言葉がある。
奥様らしい方ではないが、彼女の纏う空気感が独特で、全て彼女のペースになっていた。
今日の朝も、いきなり現れて、これから下ごしらえを始めようとした料理長に「ソースを作りましょう!」と目を輝かせて言った。
何かを作っていたと思えばささっとどこかへ出かけて戻ってきた時には山盛りの新鮮な野菜を持ち帰って来た。
そして「これ食べてみて!」も使用人達に味見をさせてくれる。
使用人達が主人の食事の残りさえももらえない事だってあるのに、その主人の食事の前から同じものを食べさせて貰えた。
彼らにとっては衝撃以外の何物でもない。
そして「おいしい?」と聞いて、頷くととてつもなく嬉しそうな表情をする。
「なんかさ、あの笑顔見るとホッとするんだよなぁ〜」
従僕の一人が体重をモップにかけながら言った。
話し方も幾分イズにそっくりだ。
「私、言ったのに…」
リフィが頬を膨らませて彼女達に訴える。
「ごめんって。まだ貴方は世間知らずだって思ってさ」
「嫌です。今日のおやつを譲ってくれたら許しますけど」
「ちょっとそれ、奥様が言いそうっ!」
使用人達は穏やかな空気で話を続ける。
そこに通り掛かったた下女の中で年長の一人が呟く。
「私さ…あの人に笑ってもらう為なら仕事もちょっとは楽しいかなって思っちゃうよね」
「あぁ…」
「うん」
「それは…ね」
他の者のその言葉に柔らかい笑みを浮かべ、お互いの顔を見合わせる。
ただお金をもらう為に働くだけの中に意義がある様にも思える。
イズの話題だけでこんなにも昼間に似合う穏やかな空気になる。
「…」
だが、その中に暗い顔の下女が一人だけいた。
「どうしたの?」
「あ、いや…」
声をかけるとどこか慌てた様子だった。
「わっ…私、ちょっとローゲさんに用事あるから」
そう言って彼女はその場を立ち去った。
「何?」
「さぁ?」
いつもなら先導的に噂話をする彼女が静かな事に誰もが首を傾げる。
だが直ぐに先程の下女と入れ替わる様にティッタが現れた。
彼らはなんとなく話題を戻すことに気不味さを感じて、視線を彷徨わせて各々の仕事に戻る。
「……」
働き者のティッタはその場に立ったままで下を向いていた。
「あ、それ、洗濯物?預かるわ」
この場から離れようと一人の下女が声をかける。
そして持っていこうと手を伸ばすが、それにティッタは反応しない。
「…酷いです」
ティッタは悲しげな表情で使用人達に言った。
美しい顔に悲しみだけが現れていた。
「あれだけテュールが苦しんでいるの見て来たじゃないですか…」
ティッタが何かに耐えるように、美しい瞳を揺らす。
彼女は良く主人の幼馴染みとして話し始める。
仕事も懸命にやるし悪口を言うわけでもないが、こうやってかつての彼女の立場として語る事がある。
それが、彼ら使用人とティッタの間の溝を埋められない要因だった。
「結婚してからあれだけ必死なテュールの姿を見て奥様が違うだなんて…」
「「「……」」」
彼らは何も言えない。
ティッタの思いと使用人達の思いには完全な壁がある。
「でも…大奥様だって奥様を認めてるし…」
「そうだぜ。何か勘違いかも…」
目で見たものは間違いではない。
「なら、テュールが嘘をついていると言っているのですか?酷いです…せめて…ここはテュールの支えになるべき場所なのに……」
ティッタは瞳を赤くさせてエプロンを握りしめた。
「やっぱりローゲの言う通りだった……奥様に全部奪われちゃう…ここは…」
涙を拭う仕草をしながらティッタはそこから飛び出した。
誰もそれを追いかけない。
いつも元気な彼女が涙を見せるのは初めてのことだが、誰もそれに同情出来ない。
「…まぁ、小さい頃からここを知ってるから思い入れが強いのかもな」
誰かが気不味い空気を和らげようと言った。
「いや、でもあそこまで行くとさ、おかしいだろ?」
「大奥様の時の出迎え見たか?」
「あぁ、ちょっとあれはねぇ…」
渋い表情になる。
流石に見過ごせない光景だった様だ。
「ま、母親の様に大奥様を慕っているのは分かってるけどな…」
「ん〜…まぁね」
「第一、本当にティッタって旦那様の恋人だったの?」
「さぁ?考えてみれば、そんな親しげな姿見たか?」
「?」
何かがおかしいと彼らの中でまたしても疑問が浮かび上がるのだった。




