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「お姉様、さっきの料理は?」
部屋に戻ったイズにあきれた表情でスノトーラは問いかける。
イズは二パッとすっきりした笑顔を見せる。
「ヴァンディルの領地の漁師さんに『一番旨い食べ方』だって教えてもらったの。旦那様おすすめの凄腕漁師さんね」
「この3年間、何をなさってたのですか?」
スノトーラはもう疑問を止める事が出来ず、そのままイズに問いかける。
「人生を満喫してた」
イズはあっけらかんと答えるが、あまりの大きな枠組みの返答にスノトーラは一瞬だけ宙を見つめた。
まともな返答をイズに期待する方が間違いなのだ。
「あんな真っ黒になるとは思わなかったけどね」
イズは指で鼻を掻く。
「失敗したヤバいって思ったけど、食べてみたら意外といけてさ」
イズはケタケタと笑い始める。
「初めてやったにしては上出来すぎて、感動でみんなにも食べてもらいたくなっちゃった」
「なっちゃった」ではない。
スノトーラは嬉しそうに笑っているイズを見ながら頭を抱える。
「教えてもらったというのは、本当にただ『教えてもらった』だけなのですね?実戦は初めてだったのですね?」
「うん!食べ物を無駄にしなくてよかった!」
そこではないが、スノトーラには言う気力が残っていない。
今日は色々とありすぎた。
「何故、自分の夫が不貞を働いているかもしれないのにそこまで呑気でいられるのか…」
こめかみを抑えながらスノトーラは呟く。
疲れのせいか口からこぼれた本音だった。
「それは何度も言ってるよ。私、旦那様を疑えないもの」
それにイズはにっこりと笑って言った。
「だって、旦那様の『想い人』なら私と同じ様に愛情は受けてるはずだよね?」
「…」
その愛情が信じられないとスノトーラはうっかり言ってしまうほど疲れていなかった。
「なのに、全然ビビッと来ないの。ティッタが旦那様の事好きなのは確かかも…」
「!」
またイズの謎理論の話が続くと思っていたスノトーラは目を丸くしてイズを見つめた。
「あ、あとはヴィナディス様も旦那様を好きなんだなってムアンムアン漂ってた」
イズは淡々と語る。
その心情は全く読めない。
イズにしては珍しく無なのだ。
「今までの人たちはほとんど恋って言うよりは憧れって感じだったけど、あの2人はすごい本気感があった」
だが、またしても呑気にそんな事を言ってのける。
実際、イズはヴァンディル卿と結婚してから「羨ましい」と散々言われた。
イズも身分も素晴らしく、容姿の整った男性と結婚できたのは運が良かったと思っている。
「旦那様って本当に魅力的な方ね」
そう言ってイズは微笑むが、どことなくそれが寂しげにも思える。
スノトーラはイズの心情が分からない。
「お姉様は不快ではないのですか?」
「不快だよ?だから、さっき発散したし、どうにかして旦那様は真面目な人だってヴィナディス様には伝えたいよね」
「いや…そうではなく…」
会話が成立しない。
スノトーラは慣れているつもりだったが、頭が混乱して来た。
姉の頭はもうおかしくなってしまった様に感じられる。
「その…自分の夫がそういう対象で見られるのは不快ではないのですか?」
何とか思いを言葉で表現できたスノトーラはじっとイズを見つめる。
イズは「んー」と小さな声を出しながら宙を眺める。
「人の気持ちなんて他人がどうこうできるものじゃないし、不快とか考えてたらキリがないと思う」
「それはそうですが…」
スノトーラは口籠もる。
姉の言う理論は分かるのだが、どうもすっきりしないのだ。
「それに本当に旦那様は私を大切にしてくれてるよ?それが、ティッタからは感じられないし、#あんまり__・__#不安にはならないかなぁ~」
予備で置いてあったテーブルの上のお菓子をイズは口の中に放り投げる。
令嬢らしくない振る舞いだ。
「でも…誰かが旦那様に思いを寄せてる~とかはどうでもいいけど、こんな噂を立てちゃう旦那様にはちょっと怒ってるよ?」
イズは平気そうな顔でそんな事を言ってのけた。
全く怒っている顔ではない。
またとんでもない話が出てくるのではとスノトーラは腹に力を入れ構える。
「だってさ、私が旦那様を悪く言われて腹が立つ様に、私が『可哀想な人』扱いされて旦那様は何ともないの?とか思っちゃうよね」
意外とまともな考えだった。
久しぶりにスノトーラは姉の意見に同意した。
「…この屋敷でお姉様が『悪女』という噂が立ってますよ?」
スノトーラはこの際だからと持っている情報をイズに伝えた。
今のイズなら流石にヴァンディル卿を疑い始めるかもしれない。
「あらら」
イズは目を丸めて素っ頓狂な声を出す。
緊張感はない。
「あと、私がヴァンディル卿の噂を聞いた場所ですが、ヴィナディス様と仲の宜しいご令嬢のお茶会でのことでした。しかも…」
スノトーラの表情が険しくなった。
「皆の前ではなく、その令嬢と私が個人的に話をしていた時に聞いたのです」
何故今まで疑問に思わなかったのだろうかとスノトーラは顔を険しくさせた。
そして子供の件など思い当たる点がスノトーラにはあったが為に、その噂を鵜呑みにしてしまった。
考えてみればあの場以外であの噂を聞いていないのだ。
そしてイズの話からある程度社交界から離れていない事を聞いて仕舞えばこの噂が社交界の通説ではないと窺える。
ーーもし、あの噂自体がヴァンディル卿の仕組んだものだとしたら?
ティッタと結ばれたいヴァンディル卿がイズを追い出す計画なのではとスノトーラは考える。
そして悪女説によりイズがティッタに危害を加えた状況でも作って仕舞えば、たとえ嘘でも状況的にイズと離縁できるかもしれない。
嘘を誠にする権力を彼は持っているのだ。
王都にイズを連れてこないのも、公の場に出さないのも全てに結論付く。
ヴァンディル伯爵家ならヴィナディスの家に協力を求めるのは簡単かもしれない。
「へー、そうなんだ」
何にも気付いていないイズを見ながらスノトーラはこれ以上は言うまいと口を閉ざす。
ーーお姉様に危害を加えるのなら…私が守るまでよ
呑気な姉に代わってスノトーラは更に気合を入れる。
だが、イズは摘み上げたお菓子を指で弄びながら呟く。
「『悪女』だなんて…旦那様、それは見過ごせませんよっ」
そして勢いよくお菓子を口に放り込んだ。
イズは顔を上げて何かを決めた様な表情をしていた。




