20
「あの…」
誰も注目していない中でティッタがローゲに声をかける。
「なんでしょうか?」
ローゲはティッタに丁寧な言葉をかける。
「あの…奥様の噂って本当なの?さっき皆さんが噂をしていたみたいだけど…」
ティッタは紫の瞳を魅力的に揺らして彼に問いかける。
どうやら話の全ては聞いていない様だ。
「よく知りませんが、そう思わざるを得ない理由はあります」
ローゲはまるでイズと対応するのと同じ様に丁寧にティッタに話す。
ティッタはローゲの言葉に煌く瞳を大きく見開いた。
「…そうなの?」
「忙しそうな旦那様を見ていると、私も辛くなります」
ローゲは切なそうな表情を浮かべた。
ティッタはそれを見て今度は目を潤ませる。
「テュールが…」
まるで痛ましいものでも見たかの様にティッタは胸を締め付けられた表情を浮かべる。
それは自分の恋人に危機でも迫っているかの様な表情だった。
それを見ていたのはローゲと小さな蝶の様な光だった。
輝かしいその光は目立つのに、誰の目にも止まらない。
一部始終を見届けたその光はすっとその場を去って、ある部屋に吸い込まれる様に戻っていく。
そしてある人物の掌にたどり着くと、その人物と溶け込むかの様にすっと消えた。
「…なるほどね」
スノトーラは目を閉じて、光からの情報を整理する。
先程の光はスノトーラの加護の力だ。
彼女は知の女神の加護を受けている。
知の女神の加護は情報集めに適したものなのだ。
イズの代わりに警戒心を高めたスノトーラはイズの誘いを断って動くことにしたのだ。
「お姉様を恐れていたのは、変な噂のせいだった…って事か…」
その噂はどこから浮上したものなのかスノトーラの中で疑問を浮かべる。
領地に篭りっきりのイズと会った者は誰もいないにも関わらず、そこまで根付いた噂がこの屋敷にはある。
尤もイズと関わってしまえば、リフィと先程の弟子の様に疑問を抱かずにはいられないはずだ。
そしてリフィの言う様に『想い人』ーーティッタの存在も彼らは認識している。
だが完全にそれを応援しているわけでもない様だ。
ーーま、面倒事は避けたいわよね…
噂好きで聞く事はするが、わざわざそれに首を突っ込む事はしないのが人間の心理だ。
「私のマナがもっと多ければ…」
スノトーラは悔しそうに顔をしかめた。
今日はこれ以上力は使えない。
優れた加護を与えられたスノトーラだったがそれを十分に扱えるだけの力はなかったのだ。
力を操るマナは生命と直結している。
使い過ぎは命に関わってくるのだ。
ーーでも、注意人物は分かったわ…
スノトーラは顔を上げる。
呑気なイズに代わって、着々と目的を達成させようとするスノトーラは、これ以上姉に何も降りかからない事を願う。
バンッ
すると勢いよくスノトーラの部屋の扉が開いた。
少し油断していたスノトーラはそれに驚き振り向いた。
そこにいたのはイズだった。
「スノちゃん!緊急事態!!」
イズが声をあげた。
その顔はあまりにも必死な顔だった。
「どうされたのですか?」
『想い人』の話を聞いても動揺しなかったイズが慌てているのだ。
スノトーラはとんでもない事だとすぐに認識し、真剣な面持ちをする。
「こっち!」
イズは焦った様子でスノトーラの手を引っ張った。
スノトーラはされるがままでイズに連れて行かれる。
ーー何があったの…
先程よりもスノトーラの心臓は激しく動き出す。
何がその先にあるのか緊張を高めていた。
「奥様?どうされたのですか?」
追いかけて来たと思われるリフィがイズに声をかける。
だが、イズはそれもお構いなしでズンズンと進んで行く。
イズがじっちゃんと戯れていたバラの庭園を越えてさらに奥の方へ向かう。
バラの香りなど味わう暇もないぐらいにイズはズンズンと進む。
「アレよ!!」
目的の場所に着いたのかイズは上の方を指差し、スノトーラに訴えた。
スノトーラは何があるのか気を引き締めてその指の先を見つめる。
するとそこにはーー
「あ、あれは…」
スノトーラに驚愕の表情が浮かび上がった。
そこにあったのは、スノトーラの記憶に新しいイズの像だった。
呑気な顔の像はまさしくそっくりで、バラ園を超えた先の広場で凄まじい存在感で佇んでいた。
その向かいには何故か不自然にベンチが置いてある。
「な、なぜ…ここに…」
スノトーラは驚いてイズの方に顔を向けると、イズはあの死んだ目をしていた。
「まさか…ここでも苦しめられるなんて…」
乾いた笑いをイズは漏らす。
そんなイズの姿にスノトーラは唾を飲み込んだ。
ーーお姉様…そこまでヴァンディル卿を…
姉は完全にヴァンディル卿に心を奪われているのだとスノトーラは確信した。
恋する乙女の表情よりもその乾いた表情の方がスノトーラの心によく響いた。
「あ!これ奥様だったのですね!」
リフィは声をあげた。
彼女も先程まで気付いていない様だったが、イズと比べて理解した様だ。
「旦那様がここでよく祈りを捧げているって聞いていたのですが…ここで奥様にお祈りを捧げていたのでしょうか?」
「「え」」
リフィの言葉にイズとスノトーラは振り向く。
「じっちゃんが言ってたので…ここ、一箇所だけ擦れてますよね」
リフィはベンチの一箇所を指差す。
ベンチのど真ん中だけ塗装が剥げていた。
「王都に来るとここでいつもお祈りしてたらしいです。去年?2年前でしょうか?ここで旦那様が彫刻を始めたって聞きました」
「どこで作ったのかと思えば…ここで…」
思いもよらず作成現場まで見つけてしまった。
イズはこれが大量生産されている気さえして来た。
「ははっ…」
イズはまたしても乾いた笑い声を出すのみだった。




