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そしてリフィは自ら処刑台へ向かうかの様に真っ青な顔で、ティーセットを持って来た。
「お、お待たせしました…」
行きたくないのに従うしかないリフィは唇の色も失ってしまっている。
そんな彼女にまだ気づかないイズはどの種類の茶葉かと楽しみに目を輝かせている。
そしてその視線に縮み上がりながら、リフィは机の上に紅茶のセットを用意する。
ーーあぁ、どうしよう…どうしよう…
震えはどうしても止まらない。
この屋敷で働く様になってまだ数ヶ月も経っていないのだ。
このまま辞めさせられる…いや殺されたらどうしようと不安がこみ上げる。
リフィがそんな事を思いながら、何とか机に並べ終わると、イズが声をあげた。
「あぁー!これかっ!」
その声にリフィは恐怖から反射的に謝り始める。
「もっ…申し訳ありませんっ!どうかっ、どうかお命だけはっ!」
リフィは土下座をして床に顔がつきそうなほど頭を下げる。
「そうだ!あの匂いは、エイル産の茶葉だ!」
しかしリフィがそんな事をしているのはイズの目には入っていない。
立ち上がり、机の上に置かれた茶葉の入った容器を持ち上げてはしゃいでいる。
やっと喉のつっかえが取れた様で、イズは清々しい笑顔をしていた。
ーーこれか!これだったのね!確かに同じ匂いだ!
その余韻に浸りながらイズは茶葉の入った容器を眺める。
ーーよし、だったら渋みの理由は…
イズはリフィにそれを伝えようと顔を向けたが、そこにリフィはいなかった。
「あれ?リフィ?」
イズは夢でも見ているかの様にキョトンとしてリフィがいたはずの空間を見つめる。
「お姉様、下です」
スノトーラに言われてイズは視線を落とす。
「…どうしたの?」
イズはキョトンとしてこちらを見つめるリフィに首を傾げ、お互い不思議そうな顔で見つめ合っている状況になった。
リフィは土下座したもののどこかへトリップしたイズを見てただただ驚いている。
イズの興味が自分にないとは分かったが、状況が理解できていないのだ。
「お、奥様…あの、」
「何?」
イズは首を更に傾げ透き通った桜色の瞳でリフィを見つめる。
流石にリフィもその瞳に自分を攻撃しそうな危険さを感じない。
ーーあれ?奥様って…
先程の少女の様に目を輝かせて茶葉を見つめるイズを思い出すと、『悪女』という単語が似合わない事は分かる。
よく見ればイズの服装は至って普通だ。
確かに生地は上質で、デザインも最先端のものなのだが、贅沢三昧と噂される奥様にしてはいまいちしっくりこない服装をしている。
「あっ!そういうことか」
イズは分かったぞと悪戯な笑みを見せる。
まるでリフィを揶揄うようにイズはニヤニヤと表情を崩した。
「水出し用の茶葉をお湯でしちゃったんだね。よくある、よくある。私なんて、ムカデを入れた紅茶なんて作ったことあるからね」
リフィはその言葉にギョッとする。
ーームカデの毒で誰かを殺そうとしたの!?
やはり『悪女』なのかとイズを凝視する。
だが、イズは何かを思い出した様で、開けっ放しの笑い声をあげる。
「あ、知ってた?ムカデってお湯に通すと青くなるんだ」
イズの姿は裏表のないように見えるが、リフィはどう捉えるべきなのか困惑し始めた。
だが、そのあっけらかんとした姿に威圧感は感じられない。
「あ、あの…なぜムカデをお茶に…?」
リフィは自分の疑問をどうにかしたくて、警戒しながら慎重にイズに問いかける。
軽率にも思えるが、まだ20にも満たない年頃の娘ならではの大胆さがうまく発揮したのかもしれない。
「ふっふっ」
イズはリフィに意味深な笑みを返す。
「それはね…ちょいとアクセントをーー」
得意げな様子でイズが披露しようとすると、すかさずスノトーラが横槍を入れる。
「お姉様が薔薇のお茶が飲みたいと、確認もせずに庭で摘んだ生のバラをそのままポットに入れたの」
言葉はリフィに向けられたものだったが、目は責めるようにイズに向いていた。
イズはバレたかとその視線を跳ね除けるように爽快に笑う。
「まさかローズティーが乾燥させたバラを入れるだなんて思わなかったよねぇ~」
「だとしても、確認もせずに素手でバラを触る人がどこにいるのですか?怪我がなくてよかったものの…」
「花びらの間から青いムカデが浮いてきた時はびっくりしたね」
スノトーラの小言など気にもせず、呑気にイズは懐かしそうに語っている。
その凸凹なやりとりをリフィは呆然と拍子抜けの表情で見守っていた。
ーー奥様が『悪女』?
その言葉に全くそぐわない、無害そうな顔で話すイズが目の前にいる。
甘やかされて育った我儘で伯爵を困らせる美女にはどうしても見えない。
この世の苦労など知らない、平和ボケした呑気な女性がいるだけだ。
しかも血の繋がる妹からとてつもなく冷たい目を向けられている。
「そんなに落ち込まないで。人は失敗して成長するの」
いつまでも床にへたり込んでいるリフィを見て勘違いしたイズはそんな励ましの言葉をかける。
なぜかそのイズの表情は少し自慢げで、まるで人生の先輩のようだった。
「いい?エイル産の茶葉は渋みが強いの。だから冷水で淹れるんだって」
イズは得意気に話し始める。
それはリフィの知らない話だった。
ーーあ、私、お湯で出した…渋かったんだ…。だから奥様は飲まなかったんだ…
リフィは自分の失態を認識した。
決して、気の難しい人間を相手にしていたわけではない。
単に自分の無知からしてしまった事なのだ。
ーーなのに…私、奥様が恐い恐いって…
リフィは先程までの自分を恥じていた。
なんてことをしてしまったんだと後悔する。
「ま、フリーンから教えてもらった事だけどねぇ~」
自慢げに語った後に、イズは人懐っこい声で言った。
「つまり、お姉様も同じ失敗をしたと?」
「まぁ、似たようなね。だから気になちゃって」
「はぁ…」
「リフィ、そんな気を落とす事はないわ!私だってこれだけ元気なんだから!」
「お姉様はもっとご自分を省みることが必要です」
2人のテンポの良い会話を聞いていると、リフィは疑問を持つのも馬鹿らしいと思えた。
ーーこんなに穏やかな方が『悪女』だなんてあり得ない
考えて見ればどれも噂ばかりで本当の話ではない。
誰も伯爵夫人を直接見た者などいないのに、あたかもそれを事実の様に語っていた。
人の噂には嘘をあたかも本当の様に語る危険性がある。
それを知っていたのに、リフィは一度も疑った事はない。
ーー何でだろ…
リフィはまだ新人で知らない事は多くある。
だが、この奥様が噂の様な人間ではないと、見ていれば十分に理解できたのだった。




