遠くまで運んでくれる跳馬
14
窓から出た後、3階から水道管のパイプをつたって地上に降りた。
重力魔法を使いたいところだったが、自分への魔法が吸収されてしまうから仕方がない。
急いで周りを確認する。
魔法網の境界が張られていたせいか、先ほどの騒ぎは遮断されていた。
館の人間たちはまだ事態に気づいていないらしい。
「そのまま飛び降りて大丈夫、重力魔法を起動した」
ルカは一瞬ためらった表情をしたが、窓から飛び降りた。
彼女の身体は地面へ追突しそうなギリギリのところで、重力のブレーキがかかり、ゆっくりと地上に降り立った。
何とは言わないが緑色であった。さっき見えなかったからな。眼福眼福。
ルカに続き、不満げな顔のレーチェもすぐ飛び降りた。ルカの上に落ちないよう配慮したせいか、斜め方向に飛ぶのが見えた。
重力魔法の範囲外だ。
反射的に身体が動き、胸と後頭部に衝撃が走った。
「……ご、ごめんなさい」
目を開けるとレーチェの顔が目の前にあった。黒い目が心配そうに俺を見つめていた。
彼女は俺の身体の上に覆い被さるようにまたがっていた。
そのとき、初めてちゃんと目を合わせたような気がした。
「大丈夫です?」というルカの声で魔法が解けたように急にレーチェは立ち上がった。
「いいとこ見せようとすぐ格好つけるから怪我するんだよ」
怒ったような赤い顔をして俺に向かって吐き捨てた。
頭の後ろのほうがズキズキと痛い。
レーチェが地面に激突する事態は避けられたものの、両手と上半身では受け止めきれず、落ちる勢いそのまま地面に倒れ込んだようだ。
彼女の細い脚、華奢な手の感触が残っている。
同じ人間と思えないくらい、嘘みたいに柔らかかった。
「クガンさんには悪いですが急ぎましょう」
「殺しても死なないから大丈夫」
ほら、とレーチェが差し伸べた手を取り、立ち上がった。
館の壁沿いを3人でひた走り、花畑と農園の奥の、館の外れの小屋にたどり着いた。
扉を開けルカについて中に入ると、大きな黒馬が2頭と並んでいた。厩だったのか。
馬は突然出現した人間3人にも、気にも留めず眠そうな目で草を食んでいた。
田舎の匂いが鼻を覆う。
「お二人とも馬に乗ったことは?」
「私はある、小さいときだけど」
「俺はない」
「じゃあクガンさんは私の後ろに乗って。レーチェさんは私たちについてきてね」
慣れた手つきで鐙をつけ、ルカは足を上げ馬に騎乗した。
早く早く、と促されてルカの手を取って馬にまたがった。
普段の視点より高く視界が広い。想像以上に馬上は不安定で落ちそうになった。
「クガンさん、もっと引っ付いて私のお腹に手を回して」
「こう?」
「もっと抱きつくように。振り落とされてしまうから」
言われた通り手を回し、ルカのうなじに顔をうずめるように密着した。汗と香水が入り混じった何とも言えない艶やかな匂いがしてきて頭がクラクラする。
「あんまり動かないでくださいね、お腹くすぐったいです」
こほん、とレーチェの咳払いが聞こえた。
「……私も大丈夫、乗ったわ」
「じゃあ行きましょう」
「出口も門番いるよな?」
「爆炎の大魔法で魔法網ごと破壊するわ」
「大丈夫。騒ぎが起きないようにしつつ、強行突破できるわ」
ルカは自信満々に言い放つと、手綱を強く握りしめ、足で馬に合図した。
馬は小さくいななくと、力強く地面を蹴って走り出した。
飛んでいるかのようだった。馬が動く度、周りの景色を置き去りしていった。
振り落とされないようにするだけで精一杯だった。
ルカが何かを呟いた。彼女の肩越しに前を向くと、大きな黒い門が見えた。
門の両脇には門番が2人、ぽつんと立っていた。ここからではまだ表情は見えない。
出口は固く閉ざされたままだ。
ルカは馬のスピードを緩めながらまた何かを口にした。
「魅了魔法か」
気のせいか、俺も頭がクラクラしてきた。
門番2人は夢遊病者のようにふらふらと門に歩み寄り、鍵を開け、門を引いた。
彼らが開けた隙間めがけて、馬は風のように走っていった。
15
「ここまで来れば大丈夫かな」
途中、追手に襲われるということもなく、無事に館から逃げ出すことができた。
聖都市には戻らず、西のバクス方面へ向かい、立ち止まったのは集落の入口だった。
藁葺屋根の家が10軒ほど集まっているのが見える。
「ここは?」
「聖都市の地図にも載っていない、名もなき小さな農村よ。非魔法使い民しかいないわ」
農作物を仕入れに、ルカは何度かここに来たことがあるらしい。
ひたすら一直線に西へ向かうと、大都市イフシナがあり、その先にバクスがあるようだ。
「なら警戒されてなさそうだな」
非魔法使い民しかいない村や町は意外と珍しくない。
魔法国家ガパルティーダとして知られているが、魔法使い率は人口の1割程度とかなり少ない。滅亡する前の全盛期のコニアーグが9割以上と言われているから、かなり開きがある。
魔法使いの血を増やそうと、重婚政策など思い切った政策に舵を切っているのだ。
非魔法使いたちと魔法使いの間には、身分の差や社会的地位の優劣がある。ちなみにバクスには魔法使いは全国民の1%もいない。そのため、広大な領土を有しているバクスも、小国ガパルティーダのような魔法国家を重宝せざるを得ないのだった。
「そういえば、イズナはどこに?」
「私もついてきているよ」
振り返ると、いつの間にかイズナはレーチェの馬の後ろに乗っていた。
ほんと、幽霊みたいなやつだな。
馬から降り、久々に地上に足をつけた。
イフシナに行くにせよ南のコニアーグの遺跡に行くにせよ、馬では不便なので、ここでお別れである。
ここまでの強行突破は重労働だっただろうに、2頭ともさほど気にも留めていない様子であった。小さくいなないた後、元来た道を引き返していった。
集落は閑散としており、人通りは少ない。
ふと右を見ると、遠くでよぼよぼの老婆2人が俺たちの方を指さし内緒話をしているのが見えた。
「私はローブを着ているわけだし、ルカは破れたメイド服だし、この村では目立つわね」
魔法使いであること、身分が高い屋敷から出てきたことが一目瞭然である。
「仕方ありませんね」
「そう思って適当な服持ってきました」
イズナはレーチェに袋を突き出した。
「じゃあ、私は一応村の周りを調べてきます」
そう言ってイズナは集落の方へ走っていった。
「彼女は?」
ルカもイズナの存在に気づいてなかったからか、驚いた表情をしていた。
「俺もよくわからないけど、レーチェの友人で護衛みたいなものかな」
「そう。古代の書物に出てくる、東国の『シノビ』を想起させるね」
『クノイチ』の方が正しいのかしら、と続けて言った。
「小さい村だけど食堂があるから、そこのトイレで着替えましょう」
こっちです、とルカの案内で村の真ん中にある小さな建物に向かっていった。
その食堂の外装は古びた集落の中でも一番小綺麗で、どこかしら品があった。
扉を開けると、暇そうな顔をした年配の店主が小説を読んでいるのが見えた。
3人かとぶっきらぼうに確認され、奥の4人席に促された。
店内の装飾はほぼ無いも同然な殺風景なものだったが、よく掃除されているということだけはわかった。
まだお昼には時間が少しあるからか、俺たちの他には、新聞に顔を突っ込んでいる客1人しか入っていない。
「私とルカは着替えてくるから、ちょっと待ってて」
「ここのガジャ豚のスープ煮込みは絶品よ」
レーチェとルカはそう言って化粧室に消えていった。
店主にスープ煮込みと珈琲を人数分注文し、やっと一息ついた。
長く大変な一日になりそうだ。
一瞬、油断して目を閉じた。
いや、弁明させてもらうと閉じる直前だった。
「戦場だったら死んでるよ、クガン」
目を開けると見覚えのある人物が向かいに堂々と座っていた。
新聞を丁寧に畳み、嬉しそうに俺に向かって微笑んだ。
レーチェでもルカでもイズナでもなかった。
もちろん、リドゲたちでもない。
「11年ぶりか?」
「そうだね、本当に久しぶりだね」
ガパルティーダ国最強の男。
史上最高の魔法剣士。
守り手1位レイ・ヴァンフォンテンが目の前に座っていた。
タイトル何も思いつきませんでした。
やっとレイを出すことができました。
本当はもっと話が進む予定だったのですが、、、