剣さえあれば城は落ちるがグレラードの染みは落とせない
11
頭の痛みで目が覚めた。
窓から綺麗な星空が見える。
「起きたのね」
身体を起こすとレーチェの声が後ろから聞こえた。
どうやらソファに寝かされていたらしい。
レーチェは本を机に置き、俺の方に近寄ってきた。
もちろん服は着ている。
「ごめんなさい」
苦虫を嚙み潰したような表情をしながらレーチェは頭を下げた。
「でもクガンも悪い、突然帰ってくるんだから」
「確かに俺も悪かったとは思っているが、わざとじゃないんだ」
レーチェの身体については詳しくは触れないでおくが、一つだけ言えるのは気絶する価値はあったということだ。
「回復魔法を使おうとしたんだけど、それも『無垢の呪い』で吸収されて効果がなくなることを忘れていたわ」
攻撃魔法は当然として、味方が唱える強化魔法も回復魔法も同様に吸収してしまうのだ。
「イズナに何もしなかったでしょうね?」
「え?」
「さっき互いに向き合っていたでしょう」
レーチェは小さくため息をついた。
「イズナってどこかで聞いたような……」
「田舎の教会でヘンテコ三人組を麻痺させたのが彼女。下級魔法使いだけどね」
教会が暗くてよく見えず、あの時は使い魔かと誤解したんだった。
「だから彼女に見覚えがあったのか」
レーチェに怪訝な顔をされたので、なんでもない、と応えた
イズナはレーチェの世話役兼護衛のような役割らしい。
「……身体の傷については触れないであげてね」
心配になるぐらいの傷の数だった。
過去に何度も命の危機に瀕したのだろう。
「私ほどじゃないけどイズナも男性不信だからね」
姿を簡単に見せないと思うけれども、と付け加えた。
「彼女はどこに?」
「きっとどこかの天井裏にでも潜んでるんじゃないかな、隠れるのが好きだから。ここに来るまでも私たちのことつけてきてたの、気づいてないの?」
「全然わからなかった」
「そういえばさ」と、彼女は窓の外を見ながら言った。
「守り手には復帰する気はないの?」
随分とみんなと仲良かったけど、という彼女の言葉が胸に響いた。
「一切する気はないよ。守り手からは投獄前に永久追放されてるしさ」
それに俺は前科者らしいし、と他人事のように言った。
そう、と彼女は小さく呟いた。
「私はもう寝るけど、絶対に部屋に入ってこないでね」
来たら八つ裂きにしてあげるから、と言って寝室へ消えていった。
運の良いことに、寝室はちゃんと2部屋あったのだ。
12
再び目が覚めてしまった。
時計を見ると、寝付いてからそこまで時間が経っていなかった。
寝室から出て、大部屋の灯りをつけ、戸棚からグレラードを取りだし一気に飲み干した。
血のように真っ赤な果物グレラをすりつぶし、砂糖と混ぜた飲み物で、グレラードはアードランスの特産品である。独特の酸っぱさが癖になる。ただ、衣服に着くと魔法でも取るのが困難なのが唯一の欠点だ。
窓からは、煌々と光る聖都市の街並みがよく見えた。
冷たい地下牢の底で地獄を見てから、まさかまた聖都市に来るとは思ってもみなかった。
大戦争、レイとの出会い、そして投獄。
ふと窓の外を見ると、部屋のすぐ下、外壁近くで誰かが歩いているのが見えた。
「ルカ?」
俺たちの世話係と言った、メイドのルカ。
こちらから顔は見えるが目は合わない。
窓を開けようとしたがびくともしない。鍵ではなく強力な魔法で固定されている。
「……ゲーツェの仕業か」
思わず窓から手を引っ込めた。
ゲーツェは魔法の痕跡を辿るのも得意だった。意識さえ向けていれば、今起きている魔法使いが館のどこにいてどこを触れているかなんて、容易に把握できるはずだ。
彼女は俺に一切気づくことなく、館の壁沿いをゆっくり歩き続けていった。俺はその後ろ姿が闇に消えるまでずっと見ていた。
「あんなところでこんな時間で何やってたんだろ」
「同感です」
そよ風のような、小さな声がした。
素早く振り返り、身をかがめながら攻撃魔法を打とうとしたとき、見覚えのある人物と気づいた。
「驚かせてしまい申し訳ございません」
はじめまして、レーチェ様の付き人のイズナです、と彼女は平坦な口調で言った。
彼女は机を挟んで戸棚の近くに立っていた。
もちろん、今回は服を着ている。上は簡素なデザインのシャツ、下は今流行りのラデム皮の茶色のズボンだ。グレラードをこぼしたのかそういうデザインなのか、両足部分に赤い染みが見える。
大きな青い瞳に見つめられていることに気づき、俺は目を逸らした。
「はじめまして、クガンといいます」
「レーチェ様とのご結婚おめでとうございます」
「あ、ありがとう」
「レーチェ様もあの大戦争の英雄とお会いできるということで、心なしか心おどられているようでした」
「心おどる?」
「はい、とても嬉しそうでした」
「男嫌いって話じゃ?」
「ああ、大変失礼いたしました忘れてください」
差し出がましいことを申しました、とイズナは言った。
「まさか、男嫌いが嘘?」
「逆にレーチェ様が男嫌いに見えますか?」
「本人がそう言っていたし」
でも確かに男嫌いだの男性不信だの言っている割には、俺と普通に会話しているのは事実だ。
童貞だから男扱いされていないと思っていた。
「かと言って、結婚嬉しいとかそんな感じはしなかったけど……」
「レーチェ様も心のどこかで、やや行き遅れた現状を気にされていたのだと思います。結婚の件、最初はとてもビックリされていましたが内心は嬉しそうでしたよ」
もっとそういう素振りを見せてくれよ。
「さっきの覗き見で台無しですけどね」
「最悪だ」
「ここだけの話ですが『無垢の呪い』がありますから、そういった感情を表に出さないようにする、むしろ嫌われるくらいでいくと昨日話されていました。もし互いに『そういう』関係になってしまったらこの国の損失ですから、と」
寡黙かと思えば何でも話すなこいつ。
「そりゃ残念だ」
たとえレーチェに誘惑されても多分断るだろう。
誰よりも強く、誰にも負けないことが自分の存在価値だから。
「ただ、レーチェ様も恋愛なんて縁のないものと思っていた節がありますから、舞い上がってボロを出すかもしれません。そのときは目をつぶって見逃してあげてください」
「ああ、誓おう」
「……うぬぼれでなければ、男性嫌いと言い始めたのは、私を気遣ってのことだと思います」
イズナは下を見ながら言った。
「男性不信が酷いのは私ですから」
急に、イズナの目に涙が溢れるのが見えた。
「ご、ごめんなさい」
イズナ自身も突然の涙に驚いている様子だった。
急いで近寄ったが、どう声をかけていいかわからなかった。
俺はタオルを取って彼女に差し出した。
「ごめんなさい」としばらくしてイズナがもう1度言った。
「今日のことは互いに忘れよう」
はい、と消え入りそうな声でイズナは言った。
彼女は布切れを顔に押し付け、「すみませんでした、おやすみなさい」と言ってよろよろと立ち上がり、レーチェの寝室の扉を開けた。
彼女を見送り、欠伸を噛み殺しながら、反対側の寝室に向かうことにした。
ちょうどその頃、教皇が殺されていると判明したのだが、俺たちが知るのはまだ少し先のことだった。
なかなか話が進まなくてごめんなさい……